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PC遠隔操作事件にみるサイバー空間始末

森井昌克神戸大学大学院工学研究科 教授
サイバー空間(写真:アフロ)

財団法人「公明文化協会」の依頼で2013年2月に「時代を読む」というコラムに寄稿しました。この公明文化協会ですが、2013年末にその設立の目的(中道主義と憲法3原則の理念を国民に広く伝え、議会制民主主義の確立に寄与)を達成したという頃で解散しました。コラムを公開していたウェッブも閉鎖となりました。コラムへの寄稿文をここに転載します。

財団法人「公明文化協会」(神崎武法代表理事=公明党常任顧問)はこのほど、設立の目的を達成したと判断し、今年11月30日をもって解散することを決定した。

同協会は公明党が1987年に設立。党から独立した組織として(1)政治、経済、文化に関するセミナーの開催(2)市民相談の実施(3)刊行物の発行―などの活動を行ってきた。2003年2月には公式ホームページを開設し、「時代を読む」と題して学者や文化人、ジャーナリストらによるコラムの掲載をスタートさせた。

出典:公明党 公明文化協会 26年の歴史に幕【2013年10月28日】

遠隔操作ウイルスの波紋

2013年2月の連休初日の未明、突如、各マスコミからその前年の10月から世間を騒がせているPC遠隔操作事件の犯人逮捕か、の報が流れ、実際、早朝での逮捕となった。このPC遠隔操作事件とは、2012年8月と9月、インターネットの掲示板を利用し、飛行機爆破等の犯行予告を行ったとして、それぞれ大阪府と三重県の男性が逮捕、起訴された事件に端を発する。それまで掲示板を利用しての犯行予告自体は珍しい事件ではなく、事件性が疑われる件を含めれば年間数百件以上有り、その内、数十件は立件され、ほとんどが逮捕、起訴に及んでいる。しかしながら、翌10月になって驚くべき展開を迎えたのである。その2人のパソコンを精査した結果、パソコンを利用しての本人の意思による犯行予告の書き込みではなく、そのパソコンが遠隔から操作され、第三者がそれらの書き込みを行った可能性が高くなり、釈放されたのである。更にその後、真犯人を名乗る人物から犯行声明があり、立件されていない事件を含め、合わせて13件の犯行予告がその真犯人によるパソコンの遠隔操作によるものであると明らかになった。上記の2人以外にも、更に2人の誤認逮捕が明確になったのである。この遠隔操作にはウイルスと称されるマルウェア(不正なプログラム)が使われていた。人体に感染するウイルスと同様、パソコンがそのウイルスに感染すると、すなわち不正なプログラムを意図せず組み込まれ、さらに動作することによって、異常な動作を引き起こす事になる。その一つの動作が遠隔操作なのである。遠隔操作ウイルスによって、誰でもが無実の罪を着せられる可能性が指摘された。

現在、この事件は容疑者の強い否認から、逮捕に至る、あるいはその後の捜査での証拠の真偽、立証への可能性について議論が移っており、容疑者の逮捕以前でのマスコミへの情報流出、さらに容疑者に対する過度の人格報道について問題視されている。しかし、ここでは逮捕に至る経緯や証拠の信用性、ましてや容疑者個人の人格ではなく、この事件そのものに焦点を当てる。つまり、なぜこのような事件が起こるのか、さらになぜ被害者、あるいは意図しない加害

者になり得るのかという点である。

フラットな世界

根底には、サイバー空間での犯罪は容易であり、かつ加害者の罪の意識が低いことにある。サイバー空間での巧妙な犯罪は高度な知識を必要とすると思われがちであるが、実際はそうではなく、中・高校生でも十分可能である。特に今後、デジタルネイティブと呼ばれる二十歳未満の世代は生まれながらにしてパソコンやゲーム機をはじめとするデジタル機器に囲まれ、感覚的に扱える。今回、話題となった遠隔操作ウイルスでされ、作成可能なのである。作成するための知識や情報は誰でもアクセス出来るインターネット上に存在し、ウイルス自体も、その扱い方を含めて、ほんの少しの努力で手に入れることができるのである。インターネットは「フラットな世界」と言われる。フラットとは平坦、平等という意味である。サイバー空間では犯罪者側と捜査側がこのフラットな世界、つまり何事にもほぼ対等な世界で交わる事が問題なのである。一部には捜査側の技術力が疑問視される声もあったが、現在では決してそうではなく十分な技術力があるものの、このフラットな世界ゆえ、現実世界のように、力づくで押さえ込むことが困難なのである。

千年の変化

インターネットが人々の生活に根付き、今またスマートフォンの普及によって確固たる社会的基盤となったサイバー空間。それは高々、この10数年程度の歴史しか無い。社会とは人と人との繋がり、その関係を基本とする。ほんの数十年前まで人々の基本的な生活は千年以上前の平安時代と何ら変わる事はなかったのである。もちろん、鉄道、車、飛行機が生まれ、そしてラジオ、テレビが普及し、電話も利用出来るものの、人と人が直接会って、手を取り合うことが基本であった。その上で千年に渡って、徐々に変化を遂げて来たのである。上記の文明機器を利用するほんの一瞬を除いて、千年前とほぼ同じ生活形態と見なしても良いであろう。それがこの十数年で急激な変化を遂げたのである。サイバー空間という急拵えの、いわば新しい社会で生活を行わざる得なくなったのである。千年の変化をわずか十年で成し遂げる事自体に無理があり、少なくとも歪みを持たざる得なくなった。

対抗するためのセキュリティ意識

この千年の変化ゆえ、様々な歪みを生じ、その一つがサイバー犯罪である。人のサイバー社会に対する意識が技術の発展に追いついていない事が歪みを生じる一つの原因なのである。フラットな世界の急激な実現は犯罪者と取り締まる側の格差を取り除く事となった。しかしフラットな世界は被害者、つまり狙われる側との格差も解消する。それは可能な範囲で十分な対策をとる事によって、被害を防ぐことにつながるのである。単にサイバー空間に対する意識と知識を得る事によって十分な対策につなげる事が出来る。逆にそれらが無ければ、大きな格差を生じ、被害者となってしまう。今回の事件に関連しても、被害者が不正なアクセスを受けた事すら気づかない事例が数件あった。まずは危機管理として、個人、組織によらず、このフラットな世界に身を置いているという自覚を持つべきであろう。

神戸大学大学院工学研究科 教授

1989年大阪大学大学院工学研究科博士後期課程通信工学専攻修了、工学博士。同年、京都工芸繊維大学助手、愛媛大学助教授を経て、1995年徳島大学工学部教授、現在、神戸大学大学院工学研究科教授。情報セキュリティ大学院大学客員教授。情報通信工学、特にサイバーセキュリティ、インターネット、情報理論、暗号理論等の研究、教育に従事。加えて、インターネットの文化的社会的側面についての研究、社会活動にも従事。内閣府等各種政府系委員会の座長、委員を歴任。2018年情報化促進貢献個人表彰経済産業大臣賞受賞。 2019年総務省情報通信功績賞受賞。2020年情報セキュリティ文化賞受賞。電子情報通信学会フェロー。

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