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田中史朗がチケット問題に激怒する前に示した、本当の「全力」【ラグビー雑記帳】

向風見也ラグビーライター
ワールドカップ期間中の田中。タックルと判断の人。(写真:FAR EAST PRESS/アフロ)

ラグビー日本代表のスクラムハーフである田中史朗は、いつだって「全力で頑張ります」「全力でやるだけです」と宣言する。

――全力。あなたにとって、それはどういうものを指しますか。

国内所属先であるパナソニックの特徴を踏まえ、こんな風に言った。

「ディフェンス、ですかね。ディフェンスでしっかり身体を当てて、どの相手も止めに行くってことです。パナソニックはディフェンスのチームなので」

2015年11月21日。約1か月までおこなわれていたワールドカップイングランド大会で3勝を挙げた30歳は、西京極陸上競技場でプレーする。生まれ育った京都での凱旋出場だ。国内最高峰であるトップリーグの第2節、近鉄ライナーズ戦に先発した。

10-13と3点差を追う前半25分、相手側のスクラムから球が出るや、対面のスクラムハーフ金哲元に飛びかかる。絡みつく。寝た人間が楕円を手離さない「ノット・リリース・ザ・ボール」の反則を誘う。同点に追いついたのは、その3分後のことだった。

「うちがいいスクラムを組んでくれて、相手のナンバーエイト(スクラムの最後尾)にいいプレッシャーをかけてくれていた。それでボールがこぼれただけ。フォワードの勝利かな、と思います」

結局、試合は47―27で快勝した。開幕2連勝である。身長166センチ、体重72キロの身体で、身長194センチ、体重107キロのピエール・スピースへも「当然」のこととしてぶち当たった。南半球最高峰であるスーパーラグビーの日本人選手第1号は、この午後も「全力」を体現したのだった。

そんななか本人は、「ストレスがたまっていた。試合自体は…楽しくなかった」と言い切る。

というのも、遡って前半15分にこんなことがあった。自陣ゴール前でのラックから相手がボールを拾い上げた刹那、果敢なタックルを放つ。が、笛を鳴らされた。横入りを意味する「オフサイド」を宣言された。納得していなさそうな表情を浮かべていた。

さらに自軍ボールでの密集で、レフリーの「プレーオン」の合図とともに球を拾い上げようとしたところ、それこそ「オフサイド」の位置から相手のタックラーが突っ込んできたように感じた。

前半終了とともにロッカールームへ引き上げる際、レフリー陣へ見解を求めに行った。自らSNS上で「ラグビーファミリー」なるファンの交歓ページを立ち上げるくらいだから、他者を慮る心は持っている。しかし、いや、だからこそ、ラグビー界の住人を思ってこんなメッセージを発信するのである。

「僕は一応、プロでやらせてもらっている。人生、賭けてるので。ワントライ、ツートライが取られる、取られないで人生が変わって来る。『次、(当該の反則を)見ます』じゃなくて、もっと必死になってやって欲しいです」

試合後はマイクを通し、「協会に頼っていても普及はしません。ぼくたちとファンの皆さんで、日本の歴史を作っていきましょう」と発言した。実は、2週続けて「一時はチケット完売と宣言しながら空席ができたゲーム」に出場した直後だったのだ。この日は2万人超の収容人数があるスタンドに「7278人」。ワールドカップ前よりは明らかに人が増えているものの、大会後の代表選手のメディアジャックを鑑みれば満足はできまい。だから悲しみが口をつくのだ。

ミックスゾーンでは、チケット販売に関する協会関係者の説明に、複数の新聞記者が首を傾げていた。要領を得ていないように感じたからだ。彼らが田中を追ってコメントを求めれば、本人は「僕も偉そうに言える立場ではないですけど、協会の方に必死さが…」と応じる。20日の取材時はあまり声を大にしなかったが、13日の開幕戦後に協会のチケット担当者に電話を入れたエピソードも明かしていた。

「勝手に人が集まるであろうという考えをもってはるので、それでは普及はしない。色んな人に働きかけてラグビーを知ってもらうようにしないと。僕たちが動いていかないと、と。全チーム、ファン、メディアの方が集まればもっといい意見が出てくる。話し合いの場を設けてもらうのが一番かな、と思います」

グラウンドの脇で、即席の会見が始まる。

――大きな組織にモノを言う。覚悟がいるのでは。

田中は即答した。

「もし協会の方ができていたら、言わないです。(チケット販売について)1000、2000人の読み違えだったらわかるんですけど、10000人って…。これでは僕以外の誰かに言われても、何も言えない(反論できない)はずです。普通のことを普通に言っているだけなので」

案の定、あちこちの紙面でこの類の談話が引用されている。試合内容やプレーの深層より、こうした話の方が読者に伝わりやすいからだ。

「協会は変わると言っていただいたのに…。ワールドカップが終わってからは1か月が経っていて、この状況。知り合いの方でもチケットが買えへんと言ってきて、それは僕らの方で用意させてもらったんです。なぜ、チケットがないのにこんだけ空席があるのか。不思議なんですよね。前から言ってるんですけど、僕らは家族を犠牲にして人生をかけてやっているのに。全員が必死になってやってもらわないと」

「特にこの4年間(ワールドカップニュージーランド大会後に海外へ挑戦)、家族に謝りながら人生をかけてやってきた。その結果が、これでは…。僕はこの先、何十年もできるわけではないですけど、その次の世代の子どもたちが苦しい思いをする。僕もラグビーが終わってからは、満員のスタンドで応援がしたい」

もっともこの人の本当の「全力」は、発言ではなく「ディフェンス」に詰まっている。反則とされた前半15分のタックルや、「フォワードの勝利」とまとめた続く25分のジャッカルなどがそれだ。そして、そうしたことを誰よりもわかっているのは、他ならぬ田中自身のはずだ。

「先を見すぎると足元をすくわれる。1試合、1試合、全力でやる」

ただそのことだけを考えるだけでも、本当に「命がけ」だからである。

ラグビーライター

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年に独立し、おもにラグビーのリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「ラグビーリパブリック」「FRIDAY DIGITAL」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー――闘う狼たちの記録』(双葉社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)など。

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