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先生が嫌い(?)だった先生が高校ラグビー部監督就任から8か月で全国大会に出た話。【ラグビー雑記帳】

向風見也ラグビーライター
仁林隼人キャプテンがスタンドに挨拶。「たくさんの応援、ありがとうございました」

聖地・花園に異色の指揮官

大阪の東花園市花園ラグビー場で開催中の全国高校大会に、異色のキャリアを持つ指導者が挑んでいた。「農二」こと東京農大第二高校の、齋藤泰勝監督だ。群馬県代表として25回目の出場となる古豪を率いるようになったのは、今年4月中旬のことだった。

サイドを刈り上げた当世風のヘアをセットし、チャコールグレーのタイトなスーツに赤いネクタイをまとう30歳。ブレザーの上にウィンドブレーカーなどを羽織る指導者が居並ぶ空間にあっては、どこか浮世離れした風情すらある。

27日の初戦でつるぎ高校を50-14で制した直後、メディア対応に追われる。なじみの地元記者には冗談を返すなど、裏表のなさそうなやり取りを重ねる。

その途中、こんな言葉も残していた。

「選手に『どんな監督?』って聞いてみたら、『よくわかんないっす』とか言われると思いますよ」

思考を深化させる

白とグリーンのジャージィをまとう「農二」が花園に出たのは、8年ぶりのことだった。1985年度からは17年連続で参戦も、近年は明和県央高校などのライバルの後塵を拝していた。

今季は高校日本代表候補のスタンドオフ侭田洋翔ら3年生のタレントに恵まれ、春に埼玉・熊谷ラグビー場でおこなわれる全国高校選抜大会では2勝を挙げるなど期待されていた。

しかし4月中旬、スタッフの刷新を余儀なくされる。部内のトラブルに端を発した学校側からの通達に、組織体系はかすかに揺れる。ここで監督のバトンを託されたのが、サッカー部の顧問をしていた齋藤だった。

「当時はクラブが良くない状況でした。でも、サッカーはミスのスポーツ。だから僕、ミスはウェルカムなんです」

齋藤のコーチングの根幹は、選手たちに考えさせることだった。鋭いキックでエリアを取る侭田によれば、「ミスをした時も怒るんじゃなく、なぜ自分たちがミスをしたのかをしっかり話し合って…というように言ってくれます」。試合中の課題修正力を高めた。

「4つゴール」と呼ばれる攻撃練習がある。グラウンド上に2つのマーカーを並べて作る「ゴール」を、攻撃役の選手グループが立つ地点から観て前後左右に設置。防御役がそのうちいくつかの「ゴール」を守るなか、攻撃役が声を掛け合って空いた「ゴール」へ走る…。本番で素早くスペースを見つけるためのセッションだ。判断力、コミュニケーション力が肝となる。

「サッカーの練習メニューです。これをラグビーでやってみたらどうなるかな、と思って」

選手自身に難局を乗り越えさせるという「ゴール」を設定し、そのプロセスには多種多様なメソッドを持ち込む。

「サッカー部の子たちに申し訳ない」

教員になりたいと思ったのは小学生の頃だ。なぜか。

「これは、絶対に言えないですけど…」

どうやら、幼少期に出会った先生方に理不尽の匂いをかぎ取ったのようだった。もし、学校にいい先生がいないのなら、自分がなってしまおう――。そう、思ったらしい。

一筋縄にはいかない少年だった。ずっとラグビーをプレーしていたが、県下有数の「農二」というブランドへは反発。いくら誘われても「行かないです」と応じ、前橋市内の別な高校を目指した。

結局は「農二」のラグビー部員として花園に出たが、それは中学3年の冬のある出来事がきっかけだった。

なかば合格を前提とした志望校の入試を受けた直後、先方から「(スポーツ推薦の)枠を全て野球部に使った。2次試験を受けてくれないか」と言われたのだ。

「農二」のジャージィをまとう頃には、確固たる思いを胸に秘めていた。

大人の事情で子どもの進路が変わることへの、強い疑念である。

国語の教師になる前提として、「先に、法、社会を勉強しないと。言語って、社会が背景にあるから」と慶應義塾大学法学部を卒業した。その後に日本大学の通信教育部へ入り、教員免許の取得を目指した。その間は「農二」のラグビー部のコーチとして花園を4度、経験。晴れて「農二」の職員に採用されると、受験指導をする「勉強部」での授業を2年、受け持ち、以後はサッカー部の顧問になった。

「勉強部の頃なんて、『こんな髭を生やした奴が受験勉強なんて教えられるのか』って感じだった。僕、そういうの大好きなんで。だから、いまも髭を生やしてるんですけど」

専門グラウンドを持たないサッカー部の活動には、充実感を覚えていた。

練習試合をたくさん組み、相手校のグラウンドで思い切りトレーニングをさせる。どこか距離のあったラグビー部とも一緒に活動させ、比較的優遇されているように映ったラグビー部へのやっかみの心を取り払う…。最初はできなかったという挨拶は、いつしか部員自ら勝手にするようになっていた。

「気づかされたことが、たくさんありました」

だから実は、今年のラグビー部の監督就任要請には難色を示したこともあった。

多くのラグビー指導者が憧れる花園までの道のり。そのスタートラインには、「今年のサッカー部の子たちに申し訳ないな…」という熟慮もあった。

「皆、泣かないんだ」

舞台は冬である。12月30日の2回戦で、島根県の石見智翠館高校に完封負けした。0-39。前年度4強のシード校には勝つ気満々だったが、全国高校ラグビー大会の現実はほろ苦かった。

毅然とした態度でロッカールームへ戻る教え子たちを見て、「…面白いですね。泣いている選手もいっぱいいたし、泣いていない選手もいっぱいいる。『皆、泣かないんだ』って」と話した。

監督として初の花園は、どんなものだったのだろうか。

「…ビターチョコレート?」

3年生へのメッセージは、と聞かれ、齋藤は来季以降の指針を明かした。

「僕、引退っていう言葉を失くしたんで。この子たち、帰ってからも練習しますよ。もう高校の試合に出られないというだけで、卒業するまではうちのラグビー部員だし、大学に行ってもラグビーをする」

花園で戦うのは、教員ではなく生徒のほうだ。その、当事者意識を、部員同士で醸成してもらわなくてはならない。

「引退っていうカルチャーが、わからないので。(3年生には)ここ(花園)で覚えた経験を(後輩に)フィードバックして欲しいし、伝えて欲しい。きょうで終わらせちゃったらその流れが途切れちゃうわけだから、勿体ないでしょ?」

受験のハードルも低くないいまの「農二」にあっては、クラブの「戦力」を整えるのは容易ではない。元日本代表センターの霜村誠一監督率いる桐生第一高も、県内で存在感を増している。それでも、翌年もこの舞台へ帰って来たい。

ラグビーライター

1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年に独立し、おもにラグビーのリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「ラグビーリパブリック」「FRIDAY DIGITAL」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)『サンウルブズの挑戦 スーパーラグビー――闘う狼たちの記録』(双葉社)。共著に『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(双葉社)など。

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