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「また、女川で会いましょう!」と彼女は言った BiS出演「おながわ秋刀魚収穫祭2013」レポート前編

宗像明将音楽評論家
女川でBiSを脱退したミッチェル。彼女の目に最後に映ったものはなんだったのか?

震災前は本州一のサンマ水揚げ基地だった町

2013年9月22日、宮城県女川町の女川町総合運動公園第二多目的運動場で「おながわ秋刀魚収穫祭2013」が開催された。東日本大震災で10人にひとりが亡くなり、街の83%が倒壊した女川町。津波の甚大な被害を受けた町だが、もともとは水産業が盛んで、震災前の女川港は本州一のサンマ水揚げ基地だった。今年も9月12日に女川港でサンマの水揚げが始まり、その模様は47NEWSの「女川漁港でサンマの水揚げ開始 猛暑続きで遅いスタート」で紹介されている。毎日新聞の「さんま収穫祭:秋の味覚に2万人…宮城・女川町」によると、サンマの水揚げ量も震災前の約5割まで回復したという。「おながわ秋刀魚収穫祭2013」は、そんな女川町のサンマが約5トンも用意されたイベントだった。

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昨年9月23日に開催された「おながわ秋刀魚収穫祭2012」(詳細は私のブログの『おながわ秋刀魚収穫祭@女川町総合運動公園第2多目的運動場』を読んでほしい)から丸一年。あっという間だった。その後、2013年3月24日の「女川町商店街復幸祭2013」のために女川町を訪れたので(その模様はYahoo!ニュース個人の『また、女川で会いましょう。 カーネーション、BiS出演「女川町商店街復幸祭2013」レポート(前編)』『また、女川で会いましょう。 カーネーション、BiS出演「女川町商店街復幸祭2013」レポート(後編)』を読んでほしい)、私にとっては今回で3回目の女川町だ。

「おながわ秋刀魚収穫祭2012」にはBiSと中川敬(ソウル・フラワー・ユニオン)×リクオ、「女川町商店街復幸祭2013」にはBiSとカーネーションという異色の組み合わせがブッキングされたので行ったのだが、今回はほぼBiSのために行ったと言っていい。BiSのメンバーであるミッチェルことミチバヤシリオが「おながわ秋刀魚収穫祭2013」をもって脱退することを発表したからだった。

女川町を訪れる意味

今回もBiSのファンのためのバスツアーが組まれたのでそれに乗って女川町へ向かった。前回のバスは1台だったものの、ミッチェルの脱退発表を受けてバスは2台に。乗り慣れないために相変わらず眠れない長距離バスの中で私が思い出していたのは、「女川町商店街復幸祭2013」の2日後に女川町を舞台にしたNHKドラマ「ラジオ」が放送され、それをリアルタイムで見ていたミッチェルが番組終了とともに「また、女川で会いましょう!」とツイートしていたことだった。約束通り、彼女は女川町のステージに立つ。自分の最後のステージとして。

約7時間バスは走って、女川町のかまぼこ会社・蒲鉾本舗高政の「女川本店 万石の里」に到着。我々を迎えてくれた蒲鉾本舗高政は高橋正樹さんは、「初めて女川に来た人も多いでしょうから」と東日本大震災の津波の映像を店舗のテレビに映しながらBiSのファンに解説をしてくれた。「この建物は水没したので写っている人は亡くなりました」「ここは僕の家です、もうないです」と淡々と説明していく。そして、「女川ではめったに雪が降らないのに震災の日は雪だった。雪の中、体育館に寝転んでるお婆さんとかを見て、この町をなんとかしなくては、と思ったんです。こんな何もない町にBiSさんが来てくれる。皆さんの熱を出してください」と力のこもった言葉でその場を締めくくった。

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女川町を訪れ前に、いつもその意味を自分自身に問うことになる。イベントのステージ担当者でもある高橋正樹さんは、いつも我々に「その熱が必要だ」と言ってくれる。とはいえ、今回のようなミッチェル脱退のステージとはいえ女川町でどこまで騒いでいいのかは、一部のBiSのファンの間でも議論が起きた。

そもそも私にとっても女川町はゆかりのない土地だった。しかし、震災後に訪れたソウル・フラワー・ユニオンの中川敬が高橋正樹さんの自宅から流されたターンテーブルを見つけ(詳細は日本経済新聞の『DJターンテーブルがつなげた思い』を読んでほしい)、カーネーションの直枝政広が女川町の海の記憶に捧げた「女川」という楽曲を作り(詳細はYahoo!ニュース個人の『また、女川で会いましょう。 カーネーション、BiS出演「女川町商店街復幸祭2013」レポート(前編)』を読んでほしい)、女川さいがいエフエムから流れたBiSの「太陽のじゅもん」を聴いた女の子からのハガキがきっかけでBiSが女川に招かれる(詳細はYahoo!ニュース個人の『また、女川で会いましょう。 カーネーション、BiS出演「女川町商店街復幸祭2013」レポート(後編)』を読んでほしい)といった流れの中で、そうしたアーティストたちに動かされるかのように私も女川町へと足を運ぶようになった。インターネット上でだけ連絡を取っていた蒲鉾本舗高政の高橋正樹さん、廻船問屋「青木や」代表の青木久幸さんとも対面ができ、女川町に顔見知りが少しずつ増えていく。女川町がどこにあるかも知らなかったのに次第に町内の地理を把握できるようになっていく。自分自身が不思議な気分のまま、縁に導かれてそうしたことを体験していった。

半年ぶりに女川町の高台にある「輝望の丘」から町を見るとあまり変化が感じられなかったが、産経新聞の「宮城県女川町「1000年に一度のまちづくり」 人口1万復活へ高台移転」によると、実際には住宅と公共施設を高台に移す計画が進行しているという。女川駅の復旧は来年度末を目指して進んでいる。

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「Fly / Hi」の勢いとともに

午前9時30分、「おながわ秋刀魚収穫祭2013」が始まった。サンマが焼かれはじめたので、さっそくいただく。相変わらず美味い。

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ステージへ行ってみると、女川小学校による「さざなみ太鼓」「踊り おらが江島」が披露されていた。女川町を守る正義のヒーローである「リアスの戦士イーガー」のショーを見て、「女川港大漁獅子舞 まむし」のお囃子のリズムに心地良く酔った。そしてBiSのライヴ、つまりミッチェルの脱退ライヴの時間は確実に近づいてきた。

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1年前の「おながわ秋刀魚収穫祭2012」のとき、女川町まで来たBiSのファンは20~30人ほどだったのではないかと思う。それが今年の「おながわ秋刀魚収穫祭2013」では、その10倍はいるのではと思うほどBiS関連のTシャツを着てる人が多かった。2013年9月18日発売の「Fly / Hi」はオリコンのシングル週間ランキングで8位となるが、その勢いはこの場にも表れており、ミッチェルのラスト・ライヴを前に、この1年の変化を目の当たりにするライヴになる予感が強烈にしていた。

「物語」という魔物

2013年3月24日の「女川町商店街復幸祭2013」は、その約1週間前の3月16日にワキサカユリカが脱退したばかりのBiSによる最初のステージだった。さらに5月26日にBiSは「BiS 4」「BiS 48」というライヴを同日に開催し、「BiS 4」ではテラシマユフが脱退、「BiS 48」ではカミヤサキ、テンテンコ、ファーストサマーウイカが加入するという衝撃的な展開をした。そしてこの日の「おながわ秋刀魚収穫祭2013」ではミッチェルが脱退だ。

「女川町商店街復幸祭2013」の終演後の握手会で、テラシマユフにいつものように冗談めかして「辞めないでね!」と言ったところ、いつも「わかりません!」とやはり冗談めかして返す彼女が、その日不意に「私が辞めても、誰が辞めてもBiSは続きます!」と言葉を続けたことを思い出す。今にして思えば、彼女はあのとき脱退を決めていたのだろう。

そうしためまぐるしいメンバーチェンジは、BiSというグループがそうしたストーリーそのものを魅力のひとつにしていることを静かに物語っている。これはBiS独特のもののようであるが、脱退劇や加入劇を含めたストーリーを魅力にすることは、日本のアイドルの頂点に立つAKB48グループをはじめとして、どこでも多かれ少なかれ行われていることなのだ。BiSは、松隈ケンタのサウンド・プロデュースのもと音楽性がしっかりしているぶん、メンバーチェンジの激しさがエクストリームな要素として目立ってしまう。しかし実はそれは、「物語」という魔物にとりつかれた日本のアイドルシーンを濃縮しているのだ、と言ったほうが正しいだろう。

『また、女川で会いましょう!』と彼女は言った BiS出演「おながわ秋刀魚収穫祭2013」レポート後編へ続く)

音楽評論家

1972年生まれ。「MUSIC MAGAZINE」「レコード・コレクターズ」などで、はっぴいえんど以降の日本のロックやポップス、ビーチ・ボーイズの流れをくむ欧米のロックやポップス、ワールドミュージックや民俗音楽について執筆する音楽評論家。著書に『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』(2023年)、『渡辺淳之介 アイドルをクリエイトする』(2016年)。稲葉浩志さんの初の著書『シアン』(2023年)では、15時間の取材による10万字インタビューを担当。

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