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いつかまた、女川で会いましょう。 BiS、大森靖子など出演「女川町復幸祭2014」レポート(後編)

宗像明将音楽評論家
「女川町復幸祭2014」でライヴをするBiS(写真:フチザキ)

「いつかまた、女川で会いましょう。 BiS、大森靖子など出演「女川町復幸祭2014」レポート(前編)」から続く

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(写真:フチザキ)

続いて、電撃ネットワークのギュウゾウによるDJに。ももいろクローバーの「走れ!」で一気に盛り上げる。女川町のアンセム「サンマ de サンバ」を流したのは、女川町を愛するギュウゾウらしい心憎い選曲だった。

そしてBiSからヒラノノゾミを「DJ nozomi」として招いてBiSの楽曲も流し、「Give me your love 全部」が流れている間ステージ袖で見ていた他のメンバーも「Hi」で登場してBiSのライヴが始まるという趣向だった。DJブースをステージ奥に移動し、音出しをギュウゾウが担当するという初めての試みもあった。

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(写真:フチザキ)

プー・ルイは最初のMCで「女川の皆さん、ただいまー!」と言った。最初に女川町で出演した2012年9月23日の「おながわ秋刀魚収穫祭2012」からメンバー構成も大きく変わってしまった。そして、2014年7月8日に解散するBiSにとってこの日は最後の女川町だった。

「女川とBiSをつないでくれた曲をやります」。そうプー・ルイが告げて歌われたのは「太陽のじゅもん」だった。BiSが女川町に招かれるようになったきっかけは、津波で友達をなくした女の子が、女川さいがいエフエムから流れてきた「太陽のじゅもん」の歌詞に友達の言葉を重ねたことがきっかけだった。「いたいいたいの飛んでこい」、という歌詞の曲を聴いて泣いてしまった、誰の曲ですか……と女川さいがいエフエムにその女の子が問い合わせたことが、女川町とBiSの関係の始まりだった。

「太陽のじゅもん」は、女川町でだけはメンバーへのコールが入らない。女川町では鎮魂歌だからだ。しかし東京と同じように、あえてコールすべきだったろうか……と内心で葛藤しつつ、オレンジのサイリウムを折った。研究員がこの楽曲のために大量に用意し、東京から持ち込んだサイリウムだった。

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(写真:フチザキ)

「primal.」では、研究員が振り返るタイミングで「女川愛」のタオルが一斉に掲げられた。その光景に、須田善明町長も涙したという。

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(写真:フチザキ)

須田善明コミュニケーションサイトZENMEI.NET: 4年目に入ってからのここまで2週間

スクール水着の女の子がいたり、サンマのコスプレの男性がいたりと、BiSらしい馬鹿馬鹿しい光景も展開されたが、そのサンマコスプレには、座席で見ている背後の人にもわかるよう前後に「女川愛」と書いてあった。後で写真を見直すと、女川町の皆さんも笑っていた。

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最後の「レリビ」でステージを降りたメンバーと研究員が体育館を走り回り、目の前を走り去ったファーストサマーウイカの風圧を感じながら、BiSの女川町での最後のライヴは終わった。

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(写真:フチザキ)

BiSの女川町での最後のライヴとして本当に、本当に最高だったと言えるのか? そんな疑問を抱えたりもしたが、女川町にBiSを導いた前述の女の子が、Twitterで「もう泣かない」と感想をツイートしていたのを見たとき「これで良かったのだ」とすべてを受け入れる気持ちになった。彼女が今年の3月11日に、亡くなった母親と友達のことを思い出してしまうとツイートしていたのも読んでいただけに、なおさらそう思ったのだ。女川町に立った歴代のBiSメンバー全員に感謝したい。

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(写真:フチザキ)

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(写真:フチザキ)

今回の写真撮影を担当してくれた友人、フチザキの車で仙台駅まで送ってもらい、新幹線で東京まで戻った。あっという間に日常に戻る。翌日には、女川町で買って宅急便で送っておいた蒲鉾本舗高政のカマボコが3箱届いた。

女川町と東京。遠すぎず、近すぎでもない土地に、大きく異なる別々の日常が存在している。だからこそ、被災地と身構えなくとも私たち部外者を受け入れてくれる女川町の人々に感謝することがこれまでも多々あった。

秋に開催されるであろう「おながわ秋刀魚収穫祭2014」のとき、もうBiSは解散して存在していない。しかし、毎回のレポートのかなりの文字数を女川町の変化の記録に費やしているように、「おながわ秋刀魚収穫祭2014」が開催されるときも女川町を訪れて変化をレポートしたい。BiSが解散するので女川町へ行く理由がひとつ消えてしまったとき、改めて女川町を好きであることに気づいたのだ。

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(写真:フチザキ)

だから、いつかまた女川で会いましょう。

音楽評論家

1972年、神奈川県生まれ。「MUSIC MAGAZINE」「レコード・コレクターズ」などで、はっぴいえんど以降の日本のロックやポップス、ビーチ・ボーイズの流れをくむ欧米のロックやポップス、ワールドミュージックや民俗音楽について執筆する音楽評論家。著書に『大森靖子ライブクロニクル』(2024年)、『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』(2023年)、『渡辺淳之介 アイドルをクリエイトする』(2016年)。稲葉浩志氏の著書『シアン』(2023年)では、15時間の取材による10万字インタビューを担当。

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