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面白い人が作る街って面白い プラニメなど出演「女川町復幸祭2015」レポート(後編)

宗像明将音楽評論家
「女川町復幸祭2015」で歌うプラニメ(写真:がすぴ~)

「面白い人が作る街って面白い プラニメなど出演『女川町復幸祭2015』レポート前編」から続く)

「女川町復幸祭2015」の開会式と復幸男

午前10時、「女川町復幸祭2015」の開会式が始まった。女川町の須田善明町長が、前日祭の「津波伝承 女川復幸男」で「復幸男」となった男性を表彰した。復幸男とは、海とともに生きることを選んだ女川町の人々が、津波が来る際には全力で逃げることを「伝承」として伝えるために行っている祭事だ。

「津波が来たら高台へ逃げる」という津波避難の基本を、何かの形で後世へ伝え続けたい…、一過性のイベントではなく年中行事として続けていき、100年続けて貞観、慶長の大津波伝承と同じく、女川町の民族伝承となるように育てていきたい

との思いから、この「祭」を企画いたしました。スタート時間も、伝承をきちんと伝えていくために、敢えて女川に津波が到達した午後3時32分に設定し、ゴールへの一番乗りを競います。

出典:前日祭―津波伝承 女川復幸男

今年の復幸男は、千葉県の中学校の先生である高田将さん。瓦礫の中から見つかった「希望の鐘」を彼が3回鳴らして「女川町復幸祭2015」はスタートした。

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潮騒太鼓の演奏が始まると、3つある巨大な太鼓からの振動が腹部にまで響くかのようだ。そして須田善明町長は、女川町へと戻ってきた元研究員たちを歓迎してくれた。「女川町商店街復幸祭2013」で研究員が須田善明町長をリフトしたことも懐かしい。

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そして、女川町を守る正義のヒーローが活躍する「リアスの戦士 イーガーショー」が終わる頃、私は内心でかすかに緊張しはじめた。プラニメのライヴが海ステージで始まるからだ。

ももいろクローバーZのファンは、すでに入場のために山ステージへ向かっていた。ももいろクローバーZは7,000人を動員したそうだが、女川町へ来ているプラニメイト/元研究員の人数はその100分の1以下だ。どうなるのだろうか……とやや不安になっていると、会場アナウンスが流れた。「11時40分からプラニメのステージとなります。元研究員の皆さん準備はいいですか?」。このアナウンスには笑ってしまった。完全に私たちの出自は見抜かれていたのだ。

プラニメのライヴで掲げられたタオルたち

プラニメイトがステージ前につめかけた。そしてアナウンスでプラニメが紹介された後、1曲目に流されたのはまさかの「さんまDEサンバ」だった。女川町の祭りのフィナーレでいつも地元の中学生らによって踊られる楽曲だ。

それと同時に、カミヤサキがBiSのメンバーとして「おながわ秋刀魚収穫祭2013」に出演した日のことも一気に思い出した。その日はミチバヤシリオのBiS脱退ライヴだったが、セットリストの最後の定番曲である「レリビ」がなく、熱のやり場を失った研究員たちが、フィナーレの「さんまDEサンバ」でサークルモッシュを起こしたのだ。

その「さんまDEサンバ」でプラニメが登場して踊る。そこにいきなりMIXやコールを入れるプラニメイトたち。名現場の予感がしたのはこの瞬間だった。

「who am I?」以降はプラニメ自身の楽曲に。ステージだけではなく、そこから延びた通路も使って後方の観客も盛りあげた。

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(写真:がすぴ~)

「UNIT」では、プラニメとプラニメイトが肩を組んでひとつの塊のようになって揺れている光景が圧巻だった。「ここにいる連中は今日女川まで来ただけのことはある少数精鋭のプラニメイトだ」と思うほどに。

そして暴発は「Plastic 2 Mercy」で起こった。イントロから起きる熱いケチャ。そしてカミヤサキが歌詞を変えて「女川セイハロー」と歌った瞬間、歓声が湧き起こった。

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(写真:がすぴ~)

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(写真:がすぴ~)

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(写真:がすぴ~)

落ちサビでは、リフトされたプラニメイトが「がんばっぺ女川」のタオルを高く掲げた。

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そしてプラニメイトのひとりが「BiS NEVER FORGET ONAGAWA」のタオルをカミヤサキに渡し、彼女はそれを振り回した。「BiS NEVER FORGET ONAGAWA」のタオルは、「おながわ秋刀魚収穫祭2013」の際、東京から女川町へ向かった研究員バスツアーの参加者に配布されたものだ。ミズタマリはプラニメイトが脱ぎ捨てた青のハッピを振り回した。

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(写真:がすぴ~)

客席では、プラニメイトが「女川愛」のタオルを掲げる。「女川愛」のタオルは、「おながわ秋刀魚収穫祭2012」のとき、雨が降る中で研究員たちが買ったタオルだ。やがて「女川愛」のタオルはステージ上のカミヤサキに手渡され、彼女はそれを掲げた。

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客席の最前部でリフトもクラウドサーフも起きる熱狂のなか、プラニメのライヴは終了した。彼女たちがステージを去った後も、プラニメイトがNATURE DANGER GANGの「オレたち!」を大合唱するほど、彼らは熱を持て余していた。

私はプラニメのライヴを多く見ているとは言い難い。しかし、自分が見たプラニメのライヴの中では間違いなく最高のライヴだった。女川町という場とプラニメとプラニメイトが共振したライヴだったからだ。

プラニメのライヴが終わると、ももいろクローバーZのライヴ後の交通の混雑を避けるために、私たちは早めに帰路に着くことにした。そして、再び蒲鉾本舗高政の女川本店万石の里に寄り、かまぼこをおみやげに買うことに。すると発送するときに、レジの女性から不意に「宗像様は前回も女川にいらっしゃいましたか?」と聞かれたのだ。予想外の人とのつながりが生まれる土地が女川町なのだ。

女川町における「熱」のローカルルール

女川町とBiSとの関わりは、カミヤサキがBiSに加入する以前の「おながわ秋刀魚収穫祭2012」にまでさかのぼる。友達を津波で亡くした女の子が、女川さいがいエフエムから流れてきたBiSの「太陽のじゅもん」を聴いて友達を思い出し、「曲名を知りたい」と女川さいがいエフエムに連絡してきたことがきっかけだった。

「おながわ秋刀魚収穫祭2012」から解散までBiSは女川町に招き続けられたが、それは同時に女川町の人々と研究員が、女川町での独自のルールを築いてきた歴史でもあった。ステージ担当者でもある高橋正樹さんは「ボロフェスタ2011」でBiSを初めて見たとき、「研究員の熱に衝撃を受けた。この熱を女川の人たちにも見せたいと思った」と言う。その「熱」をいかにして女川町という場で展開するのかの試行錯誤は研究員の中でもあった。それゆえに、この日のプラニメイトは女川町におけるローカルルール上で「熱」を届けることができた、と私は安堵した。

しかし、このライヴから10日ほど経った2015年4月1日、プラニメからミズタマリが脱退することが発表された。

私、ミズタマリはプラニメを脱退することが決まりました。

出典:お知らせ―ミズタマリのタマリば

「最高のライヴ」を見た後だっただけに、エイプリルフールだろうと信じたくなかったが、日付が変わっても発表が撤回されることはなかった。一期一会とはこのことだ。女川町で現行体制による最高のプラニメを見ることができたことは唯一の救いである。

面白い人が作る街

2015年4月5日、NHKで「明日へ――支えあおう―― おだづもっこの“復幸祭”~宮城県・女川町~」が放映された。「おだづもっこ」とは、地元の言葉で「お調子者」という意味だという。番組では高橋正樹さんのほか、実行委員長の阿部淳さん、実行委員の佐藤広樹さんらにフォーカスを当て、彼らが「女川町復幸祭2015」のために奔走するようになるまでの経緯を紹介していた。

それに対して、私のこの「女川町復幸祭2015」のレポートは、2012年から女川町と縁があったBiSの流れを汲むプラニメを軸としたものだ。時間的な制約で全容をレポートすることができなかったのは私自身も残念であるが、NHKの番組を補うものとしてもこのレポートが役立てば幸いだ。もちろん、NHKの番組も機会があればぜひ再放送を見てほしい。

「女川町復幸祭2015」にはさまざまな人々が関わり、その人数のぶんだけそれぞれの人生の喜怒哀楽が隠されている。「哀」と「怒」はあまりにも深く、しかし女川町の祭りでは「喜」と「楽」が一気に表出されるのだ。

最後に、NHKの番組での高橋正樹さんの発言を紹介したい。

このイベントやった人間が街作ってるんですよ。面白くないわけないですよ。やっぱね、面白い人が作る街って面白いと思うんですよね。もしこのイベントが面白いなと思った人が、どういう街になるんだろう、また来たいなと思ってくれたら、僕はそれだけでこのイベントは成功だなと思うんですよね。

出典:明日へ――支えあおう―― おだづもっこ の“復幸祭”~宮城県・女川町~

元研究員の友人のひとりは言う。「BiSが残した最大のものは女川との縁だ」と。「おながわ秋刀魚収穫祭2012」から「女川町復幸祭2015」まで、6回女川町の祭りへ行った私は、とっくに「どういう街になるんだろう、また来たいな」と考える人間になっていたのだろう。蒲鉾本舗高政の女川本店万石の里で、私の名前を覚えていてくれたレジの女性に別れ際に言った言葉は「また半年後に」だった。

だから、また半年後に女川で会いましょう。

音楽評論家

1972年、神奈川県生まれ。「MUSIC MAGAZINE」「レコード・コレクターズ」などで、はっぴいえんど以降の日本のロックやポップス、ビーチ・ボーイズの流れをくむ欧米のロックやポップス、ワールドミュージックや民俗音楽について執筆する音楽評論家。著書に『大森靖子ライブクロニクル』(2024年)、『72年間のTOKYO、鈴木慶一の記憶』(2023年)、『渡辺淳之介 アイドルをクリエイトする』(2016年)。稲葉浩志氏の著書『シアン』(2023年)では、15時間の取材による10万字インタビューを担当。

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