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東欧・旧ソ連圏をめぐるロシアー欧米関係:700年の相互不信の現在形

六辻彰二国際政治学者

西欧対ロシア 21世紀バージョン

12月17日、EUは旧ユーゴスラビア連邦の中心地であったセルビア共和国の加盟交渉を、来年1月にスタートさせると発表しました。セルビアは、歴史的、文化的にロシアに近く、1990年代にはユーゴスラビアでの一連の内戦、なかでもコソボ内戦でアルバニア人を支持する欧米諸国と敵対しました。そのセルビアがコソボ独立を事実上承認し、のみならずEU加盟交渉に臨むことは、東欧における最有力の親ロシア国家の一角が崩れたことを示唆します。

さらに、EUの東方進出は、旧ソ連圏にも及んでいます。11月28日、29日と、アルメニア、アゼルバイジャン、ベラルーシ、グルジア、モルドヴァ、ウクライナの旧ソ連構成国とEUの間で、経済のみならず、政治的、経済的な関係強化を目指す東方パートナーシップ首脳会合が開催されました。このうち、グルジアとモルドヴァはEU加盟の前段となる連合協定(AA)に仮署名しています。

このように「西欧」が東へ拡張しつつあるなか、「ロシア圏」からの反発も強まっています。AAに仮署名したモルドヴァでは、東方パートナーシップ首脳会合開催前日の27日、親ロシア派の共産党系市民による大規模な抗議デモが発生。さらにウクライナでは12月8日、ヤヌコビッチ大統領がロシアからの外交圧力によりAA締結を見送りました。すると、これに抗議する35万人規模のデモが発生し、そのうち一部が暴徒化。首都キエフの独立広場にあるレーニン像を破壊しました。これを受けて、治安部隊がブルドーザーなどを用いてデモ隊の強制排除に乗り出したため、双方から数十人の負傷者を出す事態となったのです。

西欧とロシアの間の相互不信は、今に始まったことではありません。しかし、12月17日には、ロシア国防省が核弾頭搭載可能な短距離弾道ミサイル「イスカンダル」を、ポーランドなどと隣接するカリーニングラードに配備したことを認めるなど、ここにきて両者の関係には相当の軋轢があると言わざるを得ません。ロシアと西欧の間に位置する東欧、旧ソ連圏は、その陣取り合戦の舞台となっているのです。では、なぜいま、西欧とロシアは対立するのでしょうか?

冷戦後のロシアと欧米:蜜月から対立へ

冷戦終結後の1990年代、ロシアと西欧の間には、それまでになかった蜜月が訪れました。計画経済が事実上破綻し、1991年にソ連が崩壊した後、高いインフレ率などに苦しんだロシアでは、当時のエリツィン大統領が欧米諸国の協力のもと、規制緩和と対外開放を推し進めました。当時の米国クリントン政権を初め欧米諸国は、ロシアの混乱が核技術の流出を招きかねないことを懸念したのです。

ところが、少なくとも結果的には、これがロシアの根深い反西欧感情を広げることになったのです。欧米からの対ロシア投資は石油、天然ガスにも及び、これは天然資源から得られる利益が欧米に流出するという危機感を醸成したのです。のみならず、市場経済化のなかで現れた、欧米資本と結びついた新興財閥(オリガルヒ)はエリツィン政権と癒着し、政治の腐敗に拍車をかけました。これらの背景に鑑みれば、欧米諸国への敵対心を隠さず、「強いロシア」の復活を掲げるプーチン大統領が登場したことは、いわば必然だったと言えるでしょう。

2000年にエリツィン氏の後を受けて大統領に就任したプーチン氏は、首相時代にその名を知られる契機となった、チェチェンなどでのイスラーム過激派に対する強硬な取り締まりと鎮圧を加速。強面ぶりをいかんなく発揮した一方で、脱税などの嫌疑でオリガルヒを次々と逮捕。それらの傘下にあった企業は、段階的に国営企業に吸収されていきました。

2005年、オリガルヒの代表格ミハイル・ホドルコフスキー氏は脱税の有罪判決を受けて収監されました。同氏の所有する石油企業ユコスは翌2006年に280億ドル以上の追徴課税を求められ、破産申し立てに追い込まれたのです。その結果、ユコスのほとんどの資産は、政府系石油企業ロスネフチに買収されました。そして、2000年代半ばからの原油価格高騰は、ロシアの財政改善と景気回復を促し、プーチン体制を強化する一因となったのです。

一つの契機としてのミサイル防衛問題

ロシアにおける反欧米感情がプーチン体制に結晶化した後、ロシアと欧米の対立はより鮮明になっていきました。この背景としては、かつてソ連の軍事的・経済的な衛星国だった東欧諸国が相次いでNATO、EUに加盟し、「西欧」に組み込まれていき、ウクライナで2004年に発生した「オレンジ革命」と反ロシア派のユーシェンコ大統領の就任のように、旧ソ連圏でも反ロシア的な政権が誕生することが稀でなくなったことに加えて、米国によるミサイル防衛網(MD)の整備でした。

飛来する弾道ミサイルを迎撃するMDは、1972年の弾道弾迎撃ミサイル制限条約により、当時の米ソ間で保有や配備が制限されていたものでした。周知のように、冷戦時代の米ソは、極めてデリケートな核ミサイルのバランスの上にありました。いわばお互いに相手を一撃で倒せる「矛」を持つなか、そのうえお互いにそれを防げる「盾」を持つことは、お互いにとって危険すぎるという認識が、この条約締結をもたらしたのです。

ところが、2001年の同時多発テロ事件以降、米国ブッシュ政権は「テロリストやテロ支援国家による核攻撃を防ぐため」に、同条約からの脱退を宣言。MD整備を推し進めたのです。日本のMDもこれによって整備されたものであり、北朝鮮のミサイルの脅威から(命中率が必ずしも100パーセントでないにせよ)幾ばくかの安心感を得ている身としては複雑な感情を抱かないではありませんが、いずれにせよロシアからみたとき、弾道弾迎撃ミサイル制限条約の破棄が「対テロ戦争」を錦旗に、ドサクサに紛れて一方的に優位に立つ行動に映ったとしても、不思議ではありません。なかでも、「イランの核ミサイルの脅威からNATO同盟国を守るため」に、2008年に米国が(ロシアと西欧の中間に位置する)ポーランドなどにMDを配備したことで、ロシアの警戒感と不信感は決定的になりました。実際、2011年11月にロシア政府は、NATOのMDへの対抗措置として、カリーニングラードへのミサイル配備を警告していました。

グローバル市場経済の副産物

西側からみてロシアがヴェールに覆われた「油断のならない国」であるのと同様、ロシアからみて西欧は、歴史を通じて「信用ならない相手」でした。古くは13世紀、モンゴル族が西進した際に西欧のローマ・カトリック圏は、キリスト教世界という意味で共通するロシア、当時のキエフ公国とともにこれと戦うことはありませんでした。むしろポーランド、リトアニア、ドイツ騎士団は、いわばどさくさにまぎれてロシア南西部に進出し、占領することで、ロシアをモンゴルと自らの緩衝地帯として利用したのです【山本 新(1985)『周辺文明論:欧化と土着』刀水書房、91-93頁】。さらに、ナポレオンであれヒトラーであれ、近代以降のロシアにとって、外敵は全て西からきました。そのロシアからみた時、冷戦終結後に中欧、東欧へ西欧の影響力がます状況は、縄張りがじわじわと侵食される事態に他なりません

ここで重要なことは、冷戦終結後の世界で市場経済がグローバル化したことです。「通商が増加するほど国家間の相互依存関係が深まる」という見解は、1970年代に米国のJ.ナイとR.コヘインによって打ち立てられました。ナイとコヘインは、通商の増加が日常的な接触を増やし、トラブルや摩擦は増えるものの、国家間の決定的な対決(つまり戦争)は回避されると論じました。つまり、ナイとコヘインは、通商の増加が戦争の回避をもたらす、という側面を強調したと言えるでしょう。

確かに、貿易だけでなく、投資や労働力移動を含めて、国境をまたいだ経済交流が増えるほど、通商相手との対決は翻って自らへのダメージとなりやすくなります。ゆえに、合理的な判断に基づけば、国家間の決定的な対決は避けられることになります。日中間でいかに摩擦が広がろうとも、コストとベネフィットの観点からして、戦争がお互いにとって割に合わないことは明らかです。

ただし、戦後なかでも冷戦後の世界の歴史に鑑みれば、通商の増加が国家間の戦争を防ぐ重要な要素になったことは確かとしても、経済圏の奪い合いが従来以上に深刻化していることもまた確かです。

市場経済は「皆が同じスタートラインで勝負する」という「機会の平等」原則に立脚します。その意味で、市場取り引きのルールを世界全体で一元化するため、冷戦終結から間もない1995年にWTO(世界貿易機関)が設立されたことは、当然の成り行きでした。しかし、「皆が共通の土俵で勝負する」という理念はあっても、これまた当然のことながら、基本的にどの国も自国の利益を最大化しようとします。160カ国以上が加盟するWTOは、その加盟国数の多さとともに、守備範囲が広すぎることから、議論が停滞しがちでした。その結果、2000年代に入る頃から多くの主要国は、グローバルな単一市場ではなく、二国間あるいは地域レベルで、相手を選んで経済交流を加速させるFTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)に軸足を移すようになったのです。

ところが、これは結果的に、主要国の間での「経済圏の奪い合い」をもたらすことになりました。FTAやEPAは締約国同士で関税の撤廃や市場参入を容易にするものであり、枠組みの内にある国にとっては、枠組みの外にある国より、締約国との貿易や投資で、相対的に有利な扱いを受けることができます。言い換えれば、FTAやEPAにはグローバル市場の変動による悪影響が及ぶのを緩和し、確実な利益を確保するという側面があるのです。

しかし、これは政治的な勢力圏を確保しようとする大国の行動原理に容易に結びつきます。1997年のアジア通貨危機以降、東南アジア10カ国と日中韓の通貨・経済協力を目指すASEANプラス3会合が開かれるようになり、中国はこの枠組みを推進しようとしました。これに対して、自らが東アジア経済から排除されるという危機感を募らせた米国が難色を示すと、その意を反映した日本の主導で、2005年にはASEANプラス3にオーストラリア、ニュージーランド、インドを加えた東アジア首脳会議が開かれ、最近では米国やロシアも含めた「開かれた地域主義」が模索されています。とはいえ、日中、日韓の関係悪化もあり、経済連携の推進という観点でいえば、TPPの陰でかすんでいることは否めません。いずれにせよ、どのような枠組みで経済協力を進め、経済圏を生み出すかは、それ自体が大国間の攻防の手段となっているのです。

ロシアーEUの経済圏をめぐるつばぜり合い

この観点から、ロシアと西欧の狭間に目を転じれば、 日本(および米国)と中国が東南アジアで経済的秩序の構築を巡って競うように、ロシアと西欧が旧ソ連圏や東欧を舞台に、市場や経済圏をめぐる争奪戦を展開しているといえるでしょう。

EUは当初、加盟国の財政規律などにかなり厳しい条件を設け、新規加盟を制限する姿勢をとっていました。しかし、ギリシャやスペインの財政危機を経てなお、EUは拡大路線を加速させており、それは必然的に東欧や旧ソ連圏など東方への進出となります。さらに、今回はグルジアやモルドヴァなど、人権保護や民主主義といったEUが共有する価値観からみて問題のある国ともAA締結をしたように、加盟に関するハードルはずいぶん低くなった印象が拭えません。ウクライナの場合も、その財政再建のためにIMFからの融資を受け入れ、財政収支を改善することを勧告していました。わざわざ財政収支のプログラムまで提示してAA締結を進めようとしたところから、EUは「西欧的」な共同体という理念より、経済圏の確保を優先させていると言えるでしょう。

そして、これがロシア側からすれば、自らの経済圏が侵食されると映ります。ウクライナに対しても、EUとの協議に先立って輸入制限を行って圧力をかけてきたことは、その危機感の現れです。さらに、AA締結を見送ったウクライナに対して、12月12日に親ロ派のベラルーシ、カザフスタンとの間で計画されているロシア主導の関税同盟への参加を呼びかけ、さらに12月17日には150億ドル(約1兆5400億円)を融資し、おまけに同国向けの天然ガス価格を、1000立方メートルあたり400ドルから268.50ドルに引き下げることを約束するなど、露骨といえば露骨、分かりやすいといえば分かりやすい対応を、矢継ぎ早に行い、自らの経済圏につなぎとめるのに必死です。

これらに鑑みれば、グローバルな競争が激化し、一方で外部から負の影響も受けやすくなるなか、各国が少しでも確実な利益を確保するために経済圏を確保しようとすることで、ロシアと西欧の陣取り合戦が激しさを増し、摩擦を大きくしていると言えるでしょう。その意味で、ロシアと西欧の対立には、歴史的な確執だけでなく、グローバル市場経済の産物という側面も拭えないのです。

ロシアー欧米の政治的対立

そして、両者の相互不信は政治的な対立にも発展しており、先のミサイル問題はその象徴です。それだけでなく、ロシアの人権問題をめぐっては、以前から欧米諸国から批判が寄せられていましたが、近年でいえば、ロシア大聖堂で反プーチンの曲を演奏したとして逮捕されていた女性パンクグループ「プッシー・ライオット」のメンバーが、2012年8月に禁固3年の判決を受けたことが、火の手を大きくしていました。

さらに、今年6月には同性愛を規制する法律が発効したことで、対立はエスカレート。ウクライナとのAA締結が流れた後の12月16日、ドイツに続いてフランスのオランド大統領が、さらに17日にはオバマ大統領夫妻が、それぞれソチ五輪開会式の欠席を表明し、両者の摩擦は広がりを見せています。

従来、これらの批判に対してロシア政府は、「抗議は政治的なもの」と一蹴してきました。しかし、対立のエスカレートが止まらないなか、12月18にロシア下院は「現行憲法制定20周年を記念して」恩赦法を制定。これに基づき、翌19日にはプッシー・ライオットのメンバーや、ホドルコフスキー氏も解放されました。これがソチ五輪を目前にしたロシア政府あるいはプーチン大統領の、欧米諸国からの批判を和らげる意図に基づくものであったことは、想像に固くありません。

「冷戦的思考」は必ずしも危険と限らない

とはいえ、これらの恩赦でロシア側が一定の譲歩を示したり、イランの核協議シリア問題の解決を目指した「ジュネーブ2」の開催などでロシアと欧米諸国が協力するシーンがあったとしても、上述のように、経済圏をめぐる争いが起こりやすい構造に鑑みれば、ロシアと西欧の間で対立がなくなるとは想像しにくいと言わざるを得ません。

重要なことは、自らの理念や利益を主張することは当然としても、相手側の公式発言だけを捉えて反応するのではなく、非公式のサインを見落とさず、さらにーそれがいかに肌合いの合わない相手でもー協力できるところは協力してお互いの利益を図ることです。冷戦時代の米ソは、少なくともスターリン没後の1960年代以降は、1980年のアフガン侵攻などいくつかの波はあったにせよ、相互の予期せざる衝突を回避するための信頼醸成を継続的に行い、亀裂の拡大を防ぎました。相互に最終的に理解しあえないという前提に立つならば、その意味での「冷戦的思考」を、むしろ歓迎すべきかもしれません

好きや嫌いやでやっていけないのは、地域社会だけでなく、国際社会も同じです。それができなければ、不毛な争いにエネルギーを費やす危険性が大きいだけでなく、相互不信が再生産され、世界がより危険な状態に陥っていくと言えるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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