Yahoo!ニュース

窮迫の25年:覇権国・米国の憂鬱 2

六辻彰二国際政治学者

原理の使い分け

少なくとも公式には、ヨーロッパ諸国が概ね人権や国際法を尊重する観点から米国主導のリーダーシップに疑問を呈したのですが、これに対して中ロは米国と、少なくとも「対テロ戦争」の初期においては、極めて友好的な関係を築いたといえます。ウイグル自治区での暴動やチェチェンの武装活動を中ロが「テロリスト」と位置付けたことで、米国ブッシュ政権は両政府による苛烈な鎮圧をむしろ歓迎するようになりました。両国は1999年のコソボ内戦に対するNATOの「人道的介入」以来、米国への警戒感を強めていましたが、「対テロ戦争」が両者の蜜月をもたらしたのです。

人権侵害すら「対テロ戦争」の文脈で正当化された一方、米国政府は「人権」レトリックを用いてイスラームを批判することも稀ではありませんでした。2005年に米国政府が打ち出した「拡大中東パートナーシップ構想」では、中東・北アフリカ諸国の民主化促進が掲げられました。「テロリストが出てこないようにするためには、政治的な対立を暴力を用いずに解決できる民主主義が欠かせない」という論理です。

個人的には、この考え方そのものを支持することに吝かではありません。しかし、問題は中東・北アフリカ諸国の非民主的な政治体制の多くが、リビア、イラン、シリアなどを除いて、石油を確保するため、あるいはテロ組織の台頭を抑えるため、長く米国あるいは西側先進国によって支援されてきたということです。大量破壊兵器が発見されなかった後、米国ブッシュ政権がイラク攻撃の大義を「独裁者を倒したこと」と「中東の民主化」に強引に切り替えたことに鑑みれば、「中東の民主化支援」が自らの不手際を覆い隠すための米国政府のレトリックであったという捉え方も可能です。しかし、いずれにせよ、これがサウジアラビアなど中東・北アフリカの西側寄りの諸国政府からみたとき、米国のご都合主義としてだけでなく、いきなり「梯子を外された」と写ったとしても、不思議ではありません。

その一方で、2000年代以降の米国では、イスラームへの反感が広がりが顕著でしたが、これがイスラーム圏における反米感情をさらに加熱させる契機となりました。2012年9月にはムハンマドを侮辱的に描いた米国映画'Inocence of Muslims' に対する反米デモが、中東・北アフリカだけでなく、南アジアのパキスタン、東南アジアのインドネシア、さらにムスリム系市民の多い英国やオーストラリアなどでも発生しました。「表現の自由」を理由に米国政府が You Tube 上での規制を敷かなかったことは、反米感情の広がりに拍車をかけました

「力」は強いが「魅力」に乏しいリーダー

「人権」と「テロ対策」は両立すべきテーマです。ただし、そのブレンドあるいは配合の仕方には、当然のごとく政府や責任者の価値観が反映されるため、どうしても恣意的なものとならざるを得ません。しかし、むしろ問題は、その両立が恣意的であることより、その配合が当該国の外にある、米国政府の基準で行われる事態があまりに頻繁に発生したことです。言い換えれば、どこまでなら「テロ対策」として認められる、何をすれば「人権侵害」かという基準を、米国政府が声を大にして世界に喧伝するようになったといえます。

この傾向は、ブッシュ政権ほどあからさまでなくとも、国際協調を旨とするオバマ政権でも無縁ではありません。パキスタンなどで行われている米軍の無人機による攻撃は、数多くの民間人の死傷者を出しており、さらには国際法に違反するという批判が寄せられています。これに対して、オバマ政権は無人機攻撃が「合法的」であり、民間人の死傷者も部隊が直接的に活動するより少ないため「倫理的」と主張して譲りませんが、国際的に広く支持されているとはいえません。

「対テロ戦争」は中東、南アジア、北アフリカなどを主な舞台とします。しかし、いまやその活動は世界の多くの人々にみられ、評価されます。そのなかで、「人権」と「テロ対策」の二つの原理を自らの都合で使い分け、さらにそれを他国に強要する米国の姿勢が、好意をもって広く受け入れられるはずはありません

先ほど確認したデータで表される経済力や軍事力は、いわば「力の源」です。しかし、力が大きいだけでは、人はついてきません。リーダーシップを発揮するには、言い換えれば自発的なフォロワーを増やすには、損得計算に働きかけたり、強制力を行使したりするだけでなく、その言葉や行動に「魅力」が必要です。米国が世界中で影響力を発揮できた背景には、経済力や軍事力の大きさだけでなく、それらに裏打ちされた豊かな生活、自由な社会、クリエイティブな文化風土などが、多くの人を引き付けてきたことがあります。文化や価値観によって、強制ではなく、支持や信頼を得られる力を、国際政治学者ジョセフ・ナイは「ソフトパワー」と呼びました。この米国の「ソフトパワー」は、「対テロ戦争」で大きく損なわれたといえるでしょう。同時に、これが米国のリーダーシップを損なった大きな要因であることもまた、疑い得ないところです。

米国の自縄自縛:市場経済と民主主義

米国のリーダーシップが損なわれた2000年代半ば以降、中ロはその間隙をつくように、これまで付き合いの浅かった、言い換えれば米国の影響の強かった地域や国へのアプローチを強めています。中国の場合は2010年のハイチ大地震に対するPKO派遣、ロシアの場合は「アラブの春」で生まれたモルシ政権を打倒したエジプト軍事政権との2013年の安全保障協力協議などが、その典型です。

多くの国にとって、投資の主体や貿易の対象が、別に西側先進国でなければならないというわけでないことは、言うまでもありません。すなわち、新興国の台頭だけでなく、米国が推し進めたグローバルな市場経済化そのものも、米国のリーダーシップを徐々に侵食する要因といえるでしょう。

画像

同時に、(時に単なるレトリックであったとしても)やはり米国が推し進めた世界レベルでの民主化は、これまた米国のリーダーシップへの懸念材料となる側面があります。図3は、中東各国で2003年に行われた調査の結果です。「イスラームには本質的に自由や民主主義を抑圧する側面があり、これらの普遍的価値を理解させることはできない」という「イスラーム本質主義」が米国で広がった、そしてイラク攻撃が行われた、まさにその年の調査からは、中東各国のムスリムには、国ごとに差はあれ、そして彼らのいう「民主主義」がどのようなものを指していたにせよ、基本的に民主主義の価値を受け入れる姿勢をみせるひとが多かったことが確認されます。

しかし、世界的に民主化を推し進めようとした歴代の米国政府の関係者たちは恐らく理解していなかったかもしれませんが、民主主義の価値観が普及することと、その国が親欧米的になることは、決して同義ではありません。インド、インドネシア、ブラジル、トルコなどにみられるように、国民の投票で選出された政府が、欧米諸国なかでも米国と距離を置いて付き合うことは、珍しくありません。

図3にもあるトルコは、政党政治が定着した、中東で稀な国と位置付けられてきましたが、同国では2002年にイスラームの価値を強調する公正発展党が選挙で政権を獲得しました。そして、トルコでもやはり、'Inocence of Muslims' に対する抗議デモをはじめ、反米デモは頻繁に起こっています。また、エルドアン首相は米国連邦予算が執行できない事態に、「我が国政府は政府職員に給与を支払わなかったことはない」と誇らしげに語ったとロイター通信は伝えています。

つまり、民主主義が普及することは、国民が意見や要望を表現しやすくなることであり、それが結果的に、従来は権威主義体制のもとで覆い隠されていた反米世論を噴出させることすらあるのです。その場合、当該国の政府は、政府間の関係としてワシントンと決定的な対立は避けるにせよ、少なくとも表面的には米国への批判を行いやすくなります。これもやはり、米国自身が推し進めた変化が、米国のリーダーシップを侵食するものといえるでしょう。

覇権国・米国の憂鬱

念のために繰り返せば、米国が世界最大の経済力、軍事力を備えた国であることに、この25年間に大きな変化はありません。一般に超大国(Super power)と呼ばれるものは、国際政治学において覇権国(Hegemon)とも呼ばれます。19世紀の覇権国は、文句なしに、「七つの海を支配した」英国でした。しかし、その英国は20世紀に入る頃、工業生産高で米国に抜かれ、やがてドイツにも抜かれました。英国の圧倒的な覇権が揺らいだことが、そして当時「孤立主義」の原則をとっていた米国が覇権国の座に就く意思をもたなかったことが、二度の世界大戦を引き起こす国際政治環境を醸成する大きな要因となりました。当時の英国と比較すれば、米国はいまだ覇権国と呼べるにふさわしい「力」を備えているといえるでしょう。その意味で、「世界大戦がすぐ発生する」などと煽る必要も乏しいでしょう。

ただし、最大の「力」をもつ米国の、リーダーとしての「魅力」が色あせつつあることもまた確かです。そして、米国のソフトパワーが衰えつつある状況は、次回の大統領選挙でどの候補が勝っても、おいそれと回復できないといえます。日本ではいまだに、米国の大統領制、二大政党制を一般的なモデルと捉えるひとが多くいますが、先進国のなかで米国と同様の政治体制を備えた国はありません。そして、厳格な三権分立に基づく大統領制と、イエス・ノーを明確にする二大政党制・小選挙区制は、社会内部の分裂を加速させる契機となります。「キリスト教徒で一定の所得がある白人」という共通項が支配的だった時代と異なり、米国社会内部の亀裂が深刻化している現代は、何らかの国際的な方針を大統領が打ち出すことは、国内政治上のリスクに容易に転化しやすい時代でもあるのです。これもやはり、米国のリーダーシップを制約する一因といえるでしょう。

その一方で、米国を取り巻く国際環境は、もはやほどくことができないほどもつれています。米国自身が推し進めた市場経済化で新興国が台頭し、米国自身が推し進めた対テロ戦争で「人権」と「テロ対策」の齟齬やユニラテラリズムが露わになり、そしてそれに対して米国自身が推し進めた民主化によって、各国における反米世論が噴出しやすくなる。このような行き詰まり、窮迫は米国のリーダーシップが構造的に揺らぎ始めていることを示しています。覇権国・米国が抱える憂鬱は根深いものであり、そのリーダーシップが衰えることに関する評価は様々あるとしても、世界が今後ますます流動化することは確かといえるでしょう。

付記

歴史家で国際政治学のパイオニアの一人と目されるエドワード・カーは、1939年に出版した『危機の二十年』において、第一次世界大戦の終結に当たってヴェルサイユ条約が結ばれた1919年からの20年間を、「危機」と表現しました。この20年間は、一方で国際連盟が創設され、戦争が国際法で取り締まられるようになったり、海軍軍縮条約で主要国間の軍備バランスが確認されるなど、世界平和に向けた取り組みが活発になった時期でした。

しかし、カーはそれらの取り組みが、基本的に'ought to' つまり「~であるべき」という理想に基づき、制度や法律を整備するのに忙しく、'be' つまり「~である」という現実認識を欠いたものであったと総括しています。実際、世界恐慌後に「生存圏」を確保するためにドイツ、イタリア、そして日本が行った対外膨張に対して、国際連盟や国際法は無力でした。そして、カーが『危機の二十年』を発行したまさに同じ年、ナチス・ドイツはポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が幕を開けたのです。

この記事のタイトル「窮迫の25年」は、言うまでもなく『危機の二十年』からヒントを得たものです。

冷戦終結後の25年間は、市場経済化と民主化が世界を覆った時代でした。先ほどもあげたジョセフ・ナイをその嚆矢として、国際政治学では「通商の増加は、国家間の相互依存関係を深めるため、戦争を抑制する効果をもつ」と考えられています。また、それほど幅広く受け入れられているとは言えないにせよ、特に米国の国際政治学の世界では、ブルース・ラセットらによって「民主的な政治体制のもとでは国民の戦争回避の欲求を政策に反映させやすいため、世界レベルで民主主義を普及することが戦争を抑制する」と考えられています。先進国なかでも米国が、冷戦終結後に世界レベルで市場経済と民主主義を広げようとした背景には、政権ごとに濃淡はあっても、これらの発想があったといえます。

しかし、世界がこれまでになく市場経済化と民主化を経験したこの25年間は、果たして世界が平和に向かうプロセスだったといえるでしょうか。それは、カーが言うところの、'ought to' の発想に基づくものでなかったと言い切れるでしょうか。冒頭に述べたように、各地で対立や摩擦が噴出し、大国間の軋轢が顕在化する様相からは、世界全体がある種の行き詰まり、窮迫に向かう趨勢を見出すことができます。これに鑑みたとき、少なくとも市場経済と民主主義に世界平和に関する万能の効能を期待することはできません。

しかし、ただの悲観主義に陥ることは、単なる楽観主義と同様に戒めるべきでしょう。後世の一般的な評価において、カーは理想を語らず、現実を直視することの重要性を説いた「リアリズム国際政治学」の始祖の一人と目されます。しかし、『危機の二十年』からは、カーの別の側面を見出すこともできます。

「リアリズムが、ユートピアニズムの繁茂するさまを抑える矯正のはたらきとして必要とされる段階があるのであり、同じように他の時点ではユートピアニズムが、リアリズムのもたらす不毛な結果を防ぐために呼び出されなければならないのである。未成年の思考は、どうしても目的にむかって走りがちとなり、いきおい際立ってユートピア的となる。とはいえ、目的を全くしりぞける思考は、老齢の思考である。成年の思考は、目的を観察および分析と化合させる。こう考えると、ユートピアとリアリティとは、政治学のもつ二つの様相である。健全な政治思考と健全な政治生活とは、ユートピアとリアリティとがともに適切な在りようをとるところにのみ見出されることになる」(日本語訳:井上茂『危機の二十年 1919-1939』、岩波書店、34-35頁)。

カーの指摘を踏まえて現代を振り返ると、市場経済や民主主義に関するアプリオリな楽観主義と、逆にこれらに対する単純な悲観主義は、いずれもとるべきでない道といえるでしょう。特に後者の場合、いかに万能でないとはいえ、市場経済や民主主義を捨てることがよいことなら、北朝鮮が世界で最も素晴らしい国となります。すなわち、市場経済や民主主義は基本的に不可避の原理であり、重要なのは、これらが社会の不安定や国家間の摩擦、さらに国際的な秩序の崩壊を引き起こすことを抑制するための規制や管理を、どこまで認めるかということです。そして、それに関する'ought to' を探るためには、'be' を知るところから始めるべきことを、現代の我々にカーは説いているように思えてならないのです。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

六辻彰二の最近の記事