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ウクライナ危機の前時代性と国際秩序の揺らぎ

六辻彰二国際政治学者

3月1日、ロシア上院はプーチン大統領が示した、ウクライナ領クリミア自治共和国への軍の派遣の方針を承認し、これを受けてロシア軍がクリミア一帯で展開し始めました。2日の段階で、ロシア軍はクリミアを完全に掌握したとみられています。今回のウクライナ危機は、冷戦終結後のヨーロッパにおいて最大の危機であると同時に、冷戦後の国際秩序そのものの大きな転換点になる可能性をもつといえます。

ウクライナ危機の経緯

ことの発端は昨年12月に行われた、EUと旧ソ連圏6ヵ国との、EU加盟を見据えた「東方パートナーシップ首脳会合」でした。この際、ロシアは禁輸措置や金融支援など、アメとムチを織り交ぜたアプローチで、ウクライナ政府にEU加盟を断念させようとしました。その結果、ウクライナのヤヌコーヴィチ大統領は最終的にEU加盟を事実上放棄し、ロシアとの友好関係を選択。これに対して、EU加盟の道を放棄したことに抗議する親欧米派の市民が各地で抗議デモを展開。警官隊との衝突の末、デモ隊が政府庁舎などを占拠するなどして無政府状態に陥った結果、ヤヌコーヴィチ大統領は国外に亡命。時をほぼ同じくして、ヤヌコーヴィチ氏の政敵で、汚職の嫌疑で収監されていたティモシェンコ前首相が釈放されました。大統領代行に就任したトゥルチノフ国会議長は、一連の混乱でウクライナ経済が壊滅状態と発表し、EU、米国、IMFが金融支援の用意を進めています。

ところが、もともとロシア系の住民が圧倒的に多いクリミアでは2月27日、逆にロシア派の武装組織が議会を占拠して、ロシア国旗を掲げました。ウクライナが分断され、極度に混乱するなか、「クリミアに暮らすロシア系人の安全を保護する権利」を掲げてロシア軍が動き始めたのです。3月3日、安保理でロシアの国連大使はヤヌコーヴィチ前大統領やクリミア自治共和国から派兵要請があったとも述べています。とはいえ、既に国外に逃れた前大統領からの要請に、どれだけの法的根拠があるかは疑問です。

東西の陣取り合戦の最前線

今回のロシア軍の行動に対してヨーロッパでは、1968年にチェコスロバキアの民主化運動「プラハの春」にソ連軍が介入し、これを潰したことを引き合いにする向きもあります。しかし、冷戦後に限ったとしても、旧ソ連圏でロシアが軍事行動を起こすのは、今回が初めてではありません。2008年8月には、グルジアの南オセチアで、オセット人たちが分離独立を求めてグルジア軍との衝突に至ったとき、その要請を受けてロシア軍はグルジアに攻撃しています。しかし、この際のグルジアは(ロシアの影響下に置かれることに対する反動として)親欧米的だったにせよ、欧米諸国自身はロシアとの仲介などで関与したにとどまりました。それと比較して、今回の危機ははるかに大きなインパクトをもちます。

もともと、旧ソ連圏の東欧、カフカス地域は冷戦終結後、西欧とロシアの勢力争いの場となってきました。ポーランドやチェコといった、かつてソ連の衛星国に位置づけられていた諸国が1990年代に相次いでEUNATOに加盟していくことで、「東西の境界線」は徐々に東、つまりロシア側にずれていきました。その結果、ウクライナはポーランドやルーマニアなど「西側」とロシアの境界に位置付けられたのです。また、ウクライナは旧ソ連圏でロシアに次ぐ規模の経済力と人口をもちます。いわば、ロシアからみてウクライナは絶対に譲れない「最終防衛圏」なのです。

その結果、他の旧ソ連圏にも増して、ウクライナでは親欧米派と親ロシア派の対立が激しく、これまでにも東西対立の最前線になってきました。2004年大統領選挙で与党代表だったヤヌコーヴィチ氏の勝利が発表されると、これに不正選挙の疑惑があるとして、主に西部地域で親欧米派市民の大規模な抗議デモが発生。抗議デモに押される形で再選挙が実施され、親欧米派のユーシチェンコ氏が当選しました(オレンジ革命)。この際、ヤヌコーヴィチ氏を支援していたのがロシアで、ユーシチェンコ氏は欧米諸国から支援を受けていました。この経緯からも、グルジアの際のような微温的な反応でなく、欧米諸国が正面からロシアと対立することになっているのです。

レトリックと対立の構図の先祖返り

今回のウクライナ危機で最も目立つのは、ロシアによるレトリックと主張が、非常に時代がかったものであることです。

先に触れたように、ロシアは「クリミアのロシア系人がウクライナ国内の混乱のなかで、安全など基本的人権が侵害されている」と主張し、その保護を名目に軍事行動を起こしています。ウクライナの人口の約17パーセントはロシア系人で、その多くはクリミアなどロシアに近い東部に居住しています。クリミアのロシア系人の多くが、文化的、民族的にはともかく、国籍上ロシア人なのか、ウクライナ人なのかは定かでありません。しかし、いずれにせよ「同胞の保護」を前面に掲げて軍事行動を起こすロシアの手法は、相当程度、旧時代的です

今からちょうど100年前の1914年、第一次世界大戦が発生しました。第一次世界大戦は帝国主義列強の衝突といえますが、この時代は「自国民の保護」を名目に列強は各地に軍隊を派遣し、どさくさに紛れて権益を確保するといった手法が定着していました。

冷戦終結後、あるいはソ連崩壊後の世界では、1999年のコソボ内戦へのNATOの軍事介入に象徴されるように、欧米諸国は軍事介入において少なくとも公式には、「人道、人権」を大義に掲げることが多くなりました。対テロ戦争の高まりとともに、その錦旗は「テロ対策」となりましたが、以前に述べたように、2011年のリビア介入の頃から、再び「人道・人権」への揺れ戻しがみられます。

ただし、欧米諸国は人道や人権といった、国境にとらわれない、いわば非常に「高尚な」理念を掲げる一方で、自分たちの利益は踏み外さないという行動パターンをとってきました。リビアへの介入は、その象徴です。これを称揚するものではありませんが、少なくとも巧みといえば巧みなやり方です。いずれにせよ、これと比較すると、今回のロシアの行動はあくまで「ロシア人の保護」が大義であり、全てのベクトルがあからさまに自国に向かう、きわめて前世紀的な主張であることは確かです。

ただし、先祖返りしているのはレトリックだけではありません。今回の対立の中核にあるのは、いわば剥き出しの経済的利害関係です。以前にも述べたとおり、グローバル化が進むなか、そして金融危機以降、世界経済の不透明感が払拭されないなか、各国が「手堅い利益」を求めてFTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)の乱発に向かうことで、グローバル市場はその広がりが有限のゼロ・サム・ゲームとしての色合いを強めています。先述のように、ウクライナはEUとロシアの狭間で、その陣取り合戦の対象となってきました。いわば、二つの勢力がイデオロギーや理念の波及は後回しで、自らの経済的利害を隠しもせずに特定の地域を奪い合うという、これまた冷戦以前に一般的だった状況が、今回の対立の背景には顕著にみられます。

ロシア有利の状況と米国のジレンマ

ウクライナを舞台に、いわば非常に古典的な対立劇が繰り広げられる状況は、ロシア有利のペースで進む公算が高くあります。ロシアのプーチン大統領は欧米諸国からの批判に全く譲る気配はみせていません。ウクライナが「最終防衛圏」である以上、ロシア政府が相当の覚悟をもって臨んでいるとみて間違いないでしょう。

他方で欧米諸国も批判のトーンを強めています。既に、ソチで開催される予定だったG8サミットはほとんどの国が欠席を表明しており、国連安保理でも批判が相次いでいます。しかし、西側諸国がロシアを抑制することは、かなり困難です。特に西欧諸国はロシアとの相互依存関係が深く、例えばドイツは輸入する天然ガスの約40パーセントがロシア産といわれます。また、仮に軍事的な緊張が高まったときに、西欧諸国だけでロシアに対抗するのは、やや荷が勝ちすぎています。これらに鑑みれば、米国の反応が状況を大きく左右することは確かです。

しかし、米国政府は深刻なジレンマに直面しているといえます。つまり、「ロシアに負けるわけにはいかないが、あからさまにロシアに勝つわけにもいかない」のです。

「今回のロシアの行動はこれまでの米国とそれほど差異がないではないか」と言われようとも、同盟国である西欧諸国が深くかかわっている以上、米国政府にとってこれは看過できない状況です。エネルギーを通じた影響力だけでなく、いまやポーランドと隣接するロシアの飛び地カリーニングラードに配置された、核弾頭搭載可能な短距離弾道ミサイル「イスカンダル」(射程500キロメートルは、イランの弾道ミサイル以上に、西欧諸国にとって直接的な脅威となっています。その意味で、結局腰砕けになったシリアの際とは違います。

のみならず、今回のロシアの行動を指をくわえてみていることは、(いずれの政権であれ)米国政府にとって米国主導の国際秩序を放棄することになりかねません。ロシアからみれば「冷戦終結後の25年間は欧米諸国のペースでコトが進められてきた」という不満が強いでしょう。1999年に「人道的な危機」を強調してNATOがセルビアに軍事介入し、結果的にコソボに親欧米政権を樹立させたことが、セルビアと友好的だったロシア側からは「うまいことを言いながら欧米諸国が自分たちの縄張りを切り取った」と映ることは確かです。しかし、今回のロシアの主張と行動が国際法上問題の多いことは、それと同じくらい確かです。米国政府にとって、今回のケースを認めてしまえば、同様の事態を今後再び招きかねないという危惧は大きいでしょう。

しかし、何らかの手段でロシアを抑制するとしても、同国をやり込めすぎることは米国も避けたいところでしょう。昨年から、イランの核開発やシリア内戦の問題をめぐって、米ロは協議を重ねてきました。つまり、米国はロシアに「へそを曲げられては」困る問題をいくつも抱えているのです。

米国がとれる手段は

そのうえ、さらに問題なのは、仮にロシアに行動を変更させるとしても、米国がもつカードが必ずしも強くありません。オバマ政権は外交的非難に加えて、ロシアとの金融取引の規制などの経済制裁を検討しており、さらにシェールガスなどを西欧各国に回すことも検定しているといわれます。また、経済制裁が発動されれば、直接投資の減退により、ロシア経済に大きな打撃になるとみられます。

とはいえ、経済制裁の発動は欧米諸国にも少なからずダメージとなります。仮にロシアとの取引が停止した場合、先ほど述べたように、多くの西欧諸国はロシアから燃料が入ってこなくなります。米国からの補充があったとしても、国際市場におけるロシア産原油の流通量が激減すれば、不透明感のただよっている世界経済にさらなる冷や水を浴びせることになりかねません。少なくとも自らが少なからずダメージを受けるとなれば、あとは「覚悟」の問題ですが、ロシアのウクライナに対する思い入れほどに、欧米諸国のそれは大きくありません。したがって、経済制裁を長期に渡って行うことは困難といえます。

他方、少なくともこれまでの公式の発表からは、オバマ政権が軍事的オプションを選択するとは伝えられていません。昨年のシリアでそうであったように、自国の経済、財政状況もあって、オバマ政権はできるだけ軍事衝突を回避する選択をしてきました。また、西欧諸国と違って、米国にとってウクライナは遠い土地であるため、良かれ悪しかれ米国政府の行動を決定づける世論の後押しも期待しにくいといえるでしょう。何より、米ロが正面から衝突することは、冷戦時代から一貫して避けなければならない事柄としてあったことです。まして、経済的な相互依存関係が発達した現代にあって、大国間の軍事衝突がもたらし得る負のインパクトは、冷戦期と比較になりません。

もちろん、ロシア側にとっても米国との正面衝突はリスクが高すぎます。そのため、クリミアのウクライナ軍に投降を呼びかけながらも、それが欧米諸国の本格的介入の契機になり得る以上、ロシア軍は仮に戦闘行動を起こすにしても、タイミングを慎重に選ぶとみられます。実際、プーチン大統領も4日の時点で、「現段階での武力行使は不要」と述べています。少なくとも実際に火の手があがらないなかでは、「世界の警察官」もNATO加盟国でもないウクライナのために心中はできないというのが、正直なところでしょう。

東西間の考えられる着地点と、それがもつ意味

オバマ政権が直面するジレンマや手持ちのカードについては、プーチン大統領もよく認識しているでしょう。そのうえでロシア政府は、いわば「米国の足元をみている」と考えられます。そして、それがまた米国政府のフラストレーションを高めているとみることに、大きな無理はありません。いずれにせよ、オバマ政権はロシアと全面的に対立することも、あるいは逆に全く傍観することもできない状況にあるのです。

このなかで考えられるシナリオとしては、冷戦時代にそうであったように、大国間が自らの勢力圏を確定して妥協する、というパターンがあります。

もちろん、帝国主義時代のようにあからさまな「ウクライナの分断」はどの国も言えませんし、ウクライナ暫定政府も受け入れないでしょうし、EU加盟国の中でも周辺大国に分断された歴史をもつポーランドなどからも異論が出ることは、想像に難くありません。ゆえに、主権国家としてのウクライナを保持することは、全ての当事者の前提になるでしょう。

他方、ロシア政府は派兵期間を「クリミアの安定が回復されれるまで」としています。どの状況を指して「安定が回復した」と言えるかに客観的な基準はなく、いわばロシアやロシア系住民の意向によるところが大です。言い換えれば、納得できない限りロシア軍は引かないということにもなります。

これらを考え合わせると、ロシアと欧米諸国の妥協点になりやすいものと考えられるのは、クリミア一帯の自治権を大幅に強化して、モスクワが影響力を行使しやすい状態を生みだしたうえで、ロシア軍が撤退する、というパターンです。その場合、ロシアとの直接対決を回避したい欧米諸国が(それをしぶるであろう)ウクライナの暫定政府に憲法修正などを働きかけたとしても、不思議ではありません

もちろん、この想像が当たっているかどうかは、今後の経過を注視しなければなりません。しかし、一つ確かなことは、ロシアと欧米諸国はいまや降りられないチキンレースを始めたのであり、しかもそのオッズは少なからずロシア有利ということです。

そして、この状況が示唆しているのは、冷戦終結後の国際秩序が、いよいよ揺らぎ始めたということです。

冷戦終結と共産主義体制の崩壊後、「市場経済と自由民主主義」の理念と政策がある種のスタンダードとなり、それは翻って欧米諸国が中心となる国際秩序を支えてきました。しかし、新興国なかでも中国が台頭し、金融危機後の対応では米国型市場経済より新興国型の国家資本主義が高いパフォーマンスを発揮し、他方でヨーロッパ諸国の世界全体のGDPに占める割合が低下し、さらにイラク戦争などで「自由」や「民主主義」といった理念があからさまに政治的な道具に利用されて米国のソフトパワーが損なわれたなか、以前に述べたように、欧米諸国なかでも米国中心の国際秩序は1990年代のような頑強さを失ってきました。

今回のロシアの行動は、冷戦終結後の国際秩序が揺らぎ始めた結果であると同時に、これをますます促す契機になり得るといえます。その意味で、今回と同様の、帝国主義時代を彷彿とさせる、あからさまな利害関係に基づく危機や緊張は、世界の他の地域でもより起こりやすくなると考えられるのです。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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