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イスラム国による日本人人質殺害予告-背景とタイミング

六辻彰二国際政治学者

人質殺害予告の衝撃

1月20日、イスラム国(IS)が日本人の湯川遥菜氏と後藤健二氏の殺害を予告するメッセージをYouTube上に掲載しました。湯浅氏は昨年7月後藤氏は昨年10月に、シリアでISに捕まったとみられています。

覆面姿のISメンバーは、安倍首相が1月17日にイスラム国対策としてイラクなどに2億ドル程度の支援を行うと表明したことを踏まえて、「十字軍に進んで参加した」「ムスリムの女性や子供が暮らす街を破壊するために資金を協力した」と述べ、同額の2億ドルを2人の釈放の条件としました。

これに対して、まさに中東歴訪中の安倍首相は、「人命を盾に脅迫することは許し難いテロ行為で、強い憤りを覚える。ただちに(2人を)解放するよう強く要求する」と述べたうえで、2億ドル支援は「避難民のための人道支援」として予定通り実施する方針を示しました。

タイミングと金額

ISはこれまでにも、米国人をはじめ外国人のジャーナリストや援助関係者を処刑する様子をYouTubeで公開してきました。また、『国境なき記者団』によると昨年1年間で、シリアでは27人のジャーナリストが誘拐されました。また、シリアでの援助関係者への襲撃は、2013年だけで44件発生しています

公開されている映像からみる限り、これまでのケースとの類似性が高く、ISによるものとみて間違いないと思います。とはいえ、二人が昨年誘拐されてから、既に数ヵ月が経っています。なぜ、このタイミングでの映像公開なのでしょうか。そして、これに関連して、もう一つ注目すべきは「2人で2億ドル」という身代金の金額です。人の命に値段がつけられるものではありませんが、他のケースと比較して、ISはずいぶん吹っかけているように思われます。

2つ目の問題から手を付けますと、以前にも述べたように、最近ではISに限らず、テロ組織が一種の「ビジネス」として民間人を誘拐することも珍しくありません。しかし、例えば2009年11月に、イスラム・マグレブのアル・カイダ(AQIM)によって、モーリタニアで3人のスペイン人援助関係者が誘拐されたケースでは、700万ユーロ(約9億8,000万円)の身代金によって解放されました。また、米国CNNによると、誘拐されている26歳の米国人女性の釈放に関して、ISは660万ドルを要求しています。これらに鑑みると、今回の「2人で2億ドル」は―再三言うように値段をつけられるものでないとしても―いわゆる相場より、ずいぶん高く設定したといえます。

これは単純に、先のイラクでの援助金額と合わせただけとも見えますが、見方によっては最初から身代金目的でないとも映ります。最近では、自国の人間が人質になろうとも「あくまでテロリストとは交渉しない」と強調する米英と、場合によっては身代金を支払ってきたフランスその他の西側先進国の間で、温度差が浮き彫りになっています。言い換えれば、ほとんど表ざたにならないにしても、ISが身代金と交換で人質を返した事例があるわけですから、今回の場合も身代金だけが目的なら、極秘裏に、しかもいわば相場の金額で取引ということがあり得えたはずです。つまり、これまでに日本政府にコンタクトがなかったとすれば、今回の場合ISは最初から公の場で、かなり法外な要求を吹っかけてきているといえます。

テロリストの宣伝

もし、身代金が目的でないとすれば、何が目的なのでしょうか。大きな目的としては、宣伝効果があげられます。ISの言い分は言いがかりもいいところですが、今回の日本の人道支援が、その他の多くの開発援助と同様に、米国との同盟関係を補完する側面があること自体は否めません。かつてアル・カイダを率いたビン・ラディンが、米国、英国、スペイン、ポーランドなどとともに、イラク攻撃を承認した日本をも「敵」と名指ししたように、少なくともテロリストや中東諸国政府からみた場合、日本が決して中立的な存在でないことは確かです。それを踏まえれば、安倍首相の中東歴訪を狙いすましたかのように殺害予告を出し、首相を陣頭指揮にあたらざるを得ない状況に引きずり込んだことは、テロリストとしては大きな宣伝といえるでしょう。

ISをはじめとするテロ組織にとって、宣伝は自らの組織の維持・拡大に重要な意味をもちます。特にISの場合、広く知られているように、欧米諸国をはじめとする海外に居住する若年層ムスリムを、SNSなどを通じてリクルートしてきました。それは人員の確保であると同時に、新たな活動領域を広げる手段となっています。

その一方で、米国などの空爆やクルド人勢力の猛攻もあり、昨年末からISは一時の勢いを失いつつあります。外部から参集した戦闘員の士気低下も指摘されており、昨年12月20日には、イスラム国の「首都」ラッカで、逃亡しようとした外国人戦闘員100名が処刑されたと伝えられています。このような状況下で、それまで生かしておいた日本人の人質を宣伝材料に使うことで、ISにとっては、外部に対してだけでなく、内部の統制を強める効果をも狙えるといえるでしょう。

日本の立場と課題

いずれにしても、今回の件について日本政府には難しい対応が求められることも確かです。2013年1月のアルジェリアでの事件では、人質のなかに日本人もいましたが、現地アルジェリア政府が軍事的手段を用いるなか、日本政府は事実上蚊帳の外に置かれました。しかし、今回の場合、ISは日本政府に向かって要求を出しているわけですから、名実ともに日本政府が当事者となります

とはいえ、日本政府にとれる手段は、さほど多くありません。米国や英国のように、部隊を派遣して人質を救出することは実際問題として不可能ですし、居所すら正確に把握できているか、怪しいところです。その意味では、身代金の支払いを含む、何らかの交渉しかなくなりますが、同盟国であり、安倍政権がその蜜月ぶりを強調してきた米国は、先述のように「テロリストとは交渉しない」が原則です。実際、日本はヨルダン政府やパレスチナ暫定自治政府を通じてISとコンタクトをとろうとしているようですが、これまた先述のように、ISの目的が身代金とも思えないなかで、交渉ができるかすら悲観的にならざるを得ません。

アルジェリアの事件の際にも書いたのですが、今回のようなケースは、今後とも増えこそすれ、減ることは考えにくいといえます。その意味で、日本政府には、まず今回の事件に全力で取り組んでもらうことは言うまでもありませんが、中長期的には情報収集能力を含めた危機管理能力の、より一層の向上が求められるといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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