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パリが戦場になった日-ISによる犯行声明が世界と日本にもつ意味

六辻彰二国際政治学者
(写真:ロイター/アフロ)

2015年11月13日にパリで発生した連続テロ事件では、少なくとも129人が死亡し、352人が負傷しました。8人の実行犯らは3班に分かれ、コンサートホールなどで同時多発的に犯行に及びました。翌14日、「イスラーム国」(IS)が犯行声明を出し、フランスのオランド大統領は一連のテロを「戦争行為」と呼んだうえで、ISの犯行と断定しました

今回の事件は、これまでにヨーロッパで発生したイスラーム過激派によるテロとしては、殺傷の規模で2004年3月11日にマドリードで発生した列車爆破テロ事件(死者191名、負傷者2000名以上)に次ぎます。しかも、イラク戦争から間もない当時のスペイン以上に、テロへの警戒が厳重になっていた現代のフランスで発生したことからも、その事態の深刻さがうかがえます。これを受けて、フランス政府は来週まで様々なスポーツイベントや集会を中止することを発表しました。

今回の事件は、なぜ発生したのでしょうか。約100人が死亡したコンサートホールに居合わせた生存者は、実行犯らが「フランス軍によるシリアへの軍事介入」を理由にあげていたと証言しています。

今年1月の新聞社シャルリ・エブド襲撃事件でもみられたように、フランス国内では移民の増加への反感などを背景に、根深い宗派対立が生まれています。そして、これは対テロ戦争の過程で増幅しています。ただし、どんな出来事の発生にも、遠因と近接因、つまり大きな背景と直接的な引き金になる原因があります。今回の場合、この証言にあるように、その近接因が「シリアでの軍事活動」だったとみることは、大きな無理のないものといえます。

シリア内戦に対する消極姿勢

2011年3月から本格化したシリア内戦は、シリアのアサド政権と、これに対立する世俗派や少数民族クルド人を中心とする「自由シリア軍」、そしてアルカイダ系のヌスラ戦線の三者が三つ巴の争いを繰り広げ、そのなかでイランやロシアはアサド政権を、欧米諸国や湾岸諸国、トルコなどは自由シリア軍を、そして湾岸諸国の一部が陰でヌスラ戦線を支援する構図ができました。

この、ただでさえ複雑な構図に割って入ったのがISでした。混乱に乗じて油田を制圧し、勢力を拡張したISは、イラク北部からシリア東部にかけての領域で、2014年6月に「建国」を宣言。米国主導の有志連合は、同年8月からイラクで、9月からシリアで、それぞれISへの空爆を開始し、さらにトルコ領内の基地で反体制派への訓練などを加速させました。

ただし、イラクへの空爆にフランスを含むヨーロッパ各国は当初から参加していましたが、シリアではその限りではありませんでした。そこには大きく二つの理由があり、

  • IS台頭を受け、当該国政府が介入を公式に求めたイラクと異なり、シリアのアサド政権は外部(欧米諸国、湾岸諸国、トルコなど対立する国を暗に指す)からの介入を拒絶してきた。そのため、シリアでの軍事活動には国際法上の問題が発生しやすい
  • IS対策として空爆を行うことは、自らが敵対し、「その退陣こそがシリア内戦を終結させる道」と強調してきたアサド政権を、結果的に利することにもなる。

そのため、イラクと異なり、シリアでのIS空爆は主に米国と湾岸諸国が担うことになったのです。

方針転換としてのIS空爆

しかし、その後フランスを含むヨーロッパ諸国は、シリアでのIS空爆へと方針転換を迫られることになりました。

その大きな要因としては、内戦が長期化するなか、IS打倒のためにはアサド政権との関係を見直す必要があるという意見が、スウェーデンなどEU中小国から出始めたことがあります。

特に今年の8-9月には、これを加速させる出来事が相次ぎました。

  • (やはりイラクと異なり)IS掃討に必要な地上部隊のシリア派遣に制約があるなか、今年9月16日の連邦議会公聴会で、米中央軍司令官が「米軍が訓練したシリア反体制派のうち、ISとの戦闘に参加している者は4-5名だけ」と証言したこと、
  • 今夏、シリア難民のEU流入(2015年10月までに約68万人)が注目されるにつれ、「その根本原因である」シリア内戦を早期に終結させるべきという考えを、欧米諸国の間でますます強めたこと、
  • 欧米諸国の間に動揺が広がるなか、9月末にロシア軍が「アサド政権との協力のもとに」シリア空爆を開始したこと。

その結果、こうした動きと並行して、当初アサド政権の責任を追及していた各国の間からも、トルコ(7月)英国(8月)オーストラリア(9月)など、シリアでのIS空爆に加わる国が増えていき、フランスも9月27日からこれに加わるようになったのです。これがISやその支持者を刺激したことは、間違いないでしょう

ヨーロッパのなかのフランス

もちろん、ISが敵意を抱いた対象国の全てで、今回と同様の大規模なテロがすぐに発生するとは限りません。

ヨーロッパのなかでもフランスは、戦後復興の過程でアルジェリアなど当時の中東、アフリカの植民地から多くのひとを労働者として招いたことに端を発して、数多くのムスリムがいます。2010年段階で、全人口に占めるムスリムの割合は7.5パーセントにのぼり、ヨーロッパのなかで1位です。

ムスリムのコミュニティが大きいことは、もちろんそれだけを意味するわけではないものの、少なくとも他のヨーロッパ諸国と比較しても尚フランスではムスリムとの摩擦が大きくなりやすいとしても、不思議ではありません。それは、フランス社会に不満を抱く者や外部の過激派と結びついた者が、仲間を集めたり、物資や情報を集めたりしやすい環境であることをも意味します。

先述の難民の増加は、これに拍車をかける可能性があります。今回の事件では、死亡した容疑者の遺体のそばでシリア難民のパスポートが発見されています。

一方、ヒトの自由移動は、「外から内へ」だけでなく、「内から外へ」も向かっています。昨年のIS建国宣言を受け、フランスからは少なくとも412人がシリアに渡っています。これはヨーロッパのなかで、英国(488)に次ぐ規模です。いわゆる「シリア帰り」は、戦闘の経験を積み、人的ネットワークも構築され、さらに思想的にも先鋭化している点で、ほぼ共通します。

以上を要するに、ヨーロッパ諸国のなかでもフランスには、イスラーム過激派によるテロが発生しやすい環境があるといえます。その意味で、フランス当局はこの数ヵ月間、警戒を強めていたのですが、今回の事件はその懸念が現実のものになったものといえます。

日本人とテロ、そして「非常事態」

とはいえ、程度の差はあっても、ヒトの移動が自由な社会にとって、特にIS空爆に参加している、あるいは有志連合を支援している国の全てが、今回の事態を他人事とは受け止められないこともまた、確かでしょう。有志連合を支持・支援している日本も、その例外ではありません。

いたずらに危機感を煽るつもりはありません。また、そもそも国内にムスリムが少ない日本では、欧米諸国に比べてイスラーム過激派によるテロが発生する危険性は、少なくとも当面はずいぶん低いといえるでしょう。

ただし、イスラーム過激派からみて、日本あるいは日本人を標的から外さなければならない理由は何もありません。今回の事件でも、観光客が足止めをくったという報道がありましたが、現場が観光地パリであることを考えれば、チュニスの博物館での事件と同様、犠牲者が出ていたとしても不思議ではありませんでした。その意味で、縁遠いと思われがちだったイスラーム過激派によるテロも、多くの日本人にとって無縁でない時代がきたと言わざるを得ません。

そのなかで考える必要がある一つのポイントは、非常時における政府のあり方です。

今回のテロ事件で、オランド大統領は非常事態を宣言しました。戦争や大規模な災害など、まさに「非常事態」において最高指導者に一時的に権力を集中させることは、いくつかの先進国でも認められていますが、フランス第五共和制憲法でも認められています。これに基づき、事件後のフランスでは国境が封鎖され、先述のように各種のイベントも中止されました。

一方、日本国憲法では、この「非常大権」の規定がありません。東日本大震災の際、政府の対応が後手後手に回った一つの要因には、非常時における権力行使のあり方が決まっていなかったことがあるといえます。戦前の歴史もあり、一時的とはいえ政府に強い権限を集中させることには慎重な意見もあるでしょう。その一方で、平時と異なる状況が発生した場合に備えた対応を平時から決めておくこと自体は、欠かせないといえます。そうでなければ、「想定外」の名のもとに、ただ既成事実を追認することに終始することになり得ます

もちろん、そこには、「個別の政権や責任者に対してでなく、『今の我々の社会や体制』に対する信頼感が、多くのひとに共有されている」という前提が必要です。そうでなければ、恣意的な権力行使、言い換えればただの独裁を認めることにもなります。つまり、一時的に特定の個人に一時的に権力を集中させたとしても、それが恒久化しないことへの信頼があるからこそ、自由で民主的な社会において非常大権が認められるのです。

今回もフランスをはじめ、欧米諸国の各地では連帯を訴えるデモが相次いでいます。いかなる理由であれ、丸腰の民間人を無差別に殺傷する行為は認められるべきでありません。それは誰にとっても共通する価値であり、その点で生きている我々と今回の犠牲者の間に違いはありません。その意思表示ができる社会のあり方を守ることは、テロに屈さないことでもあります。

イスラーム過激派だけでなく、極左団体や北アイルランドなどにおける民族主義者など、各種の勢力によるテロが発生してきた第二次世界大戦後のヨーロッパ各国で、しかし中国やロシアなどのような強圧的な締め付け一辺倒でなく、表現の自由や移動の自由などが極力規制されなかったことは、自由な社会を皆で守るという理念が普及していたことによります。

もちろん、新聞社シャルリ・エブド襲撃事件のときに書いたように、その「表現の自由」には二面性があり、無制限にそれが認められれば、社会の主流が傍流の発言力を実質的に抑え込むことにもつながります。したがって、そこには一定の「慎み」が必要で、ただ憂さをはらすように少数派を否定する主張を展開することは、社会全体の亀裂を深めるだけに終始します。その意味では、自由や民主主義を守るということは、制度さえ整えばそれで可能なわけでなく、常に意識的にそれを実践する必要があるといえるでしょう。

欧米諸国の事例は、非常時に最高指導者に強い権限を付託することを認めることが、自由で民主的な社会であろうとすることと、原理的に一致することを示しています。ここから、憲法改正が俎上に登りつつあるいまの日本を振り返ったとき、将来的に「非常大権」を認めるか否かは、その社会や体制に対する信頼が幅広く共有されているかによるといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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