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サウジとイランの断絶がもつ意味と影響-中東をめぐるサウジの巻き返し

六辻彰二国際政治学者
イランのサウジ大使館前での抗議活動(2016年1月3日)(写真:Raheb Homavandi/TIMA/ロイター/アフロ)

1月3日、サウジアラビア政府はイランと外交関係を断絶することを発表しました。これはテヘランにある在イラン・サウジアラビア大使館とマシュハドにあるサウジアラビア領事館がそれぞれ群衆に襲撃され、放火されたことを受けてのものでした。この襲撃は、同月2日にサウジアラビア政府が、2011年に逮捕されていた国内のシーア派指導者ニムル・ニムル師の処刑を発表したことがきっかけで発生したものです。放火に関わった罪で44人が逮捕され、イランのロウハニ大統領も大使館襲撃を非難していますが、両国関係は悪化の一途をたどっています。

サウジアラビアとイランは、どちらも世界有数の産油国。さらに、サウジの絶対君主制に対してイランのイスラーム共和政と、政治体制は異なるものの、厳格なイスラーム国家という点で共通します。その一方で、両国はそれぞれ、スンニ派とシーア派の中心地です。二つの宗派の因縁は7世紀にまでさかのぼるもので、両者の反目はイスラーム世界の大きな対立軸であり続けてきました。

しかし、それが大きな背景であるにせよ、大使館の襲撃や国交断絶といった外交問題にまで発展した今回の出来事は、それだけでは説明できません。そこには、現在の中東情勢や外部なかでも米国との関係をめぐる、サウジアラビアとイランの角逐を見出すことができます。

中東情勢をめぐるサウジとイランの立ち位置

大前提として、現在の中東をめぐる、サウジとイランの立ち位置を整理しておきます。

中東をめぐっては、イスラーム圏諸国だけでなく、米国、ヨーロッパ諸国、ロシアといった外部の国、さらにイスラーム過激派が複雑な対立と協力の関係にあります。このなかでサウジとイランはほとんどのシーンで対立し続けてきましたが、現在ではシリア情勢をめぐって、その対立は抜き差しならないものになっています。

サウジは石油を国有化した1970年代以降、最大の顧客である米国と安全保障・経済の両面で、基本的には協力関係を維持してきました。イラクがクウェートを占領した湾岸戦争(1991)で米軍主導の多国籍軍に参加したことや、国内に米軍の駐留を認めたことは、その象徴です。

現代でも、シリア情勢や「イスラーム国」(IS)をめぐる対応で、サウジは欧米諸国とほぼ足並みを揃えています。シーア派の一派アラウィー派で政府の要職を固めるアサド政権に対して、サウジは欧米諸国やトルコとともにその退陣を求め、シリアやイラクでのIS空爆にも当初から参加しています。そのうえ、サウジを含むスンニ派の湾岸諸国は、シリア軍を攻撃するために、アルカイダ系を含むイスラーム過激派にすら資金協力を行ってきたといわれます。

これに対して、イランは1979年のイスラーム革命以来、米国と長く対立し続けてきました。その背景には、イスラーム革命で打倒された、世俗的なシャー(国王)による専制支配を、ソ連への防波堤として米国が支援していたことがありました。そして、イスラーム革命のさなか、テヘランの在イラン・米国大使館が群衆によって占拠されたことで両国の対立は決定的になり、米国はイランを「テロ支援国家」に指定し、経済制裁を敷いてきたのです。

それ以来、イランは「反米」で一致するソ連/ロシアと友好関係を築いてきました。シリア情勢をめぐってもロシアとともにアサド政権を支持し、独自にIS空爆を行っている他、シーア派民兵やレバノンのシーア派過激派組織ヒズボラなどをシリアに送り込んできました。アサド政権の処遇をめぐって、グローバルレベルでは米ロの対立が目立ちますが、イスラーム圏ではサウジとイランがお互いに譲れない関係にあるといえます。

イランの「国際社会復帰」がもつインパクト

ところが、以上の関係は、この数年で変化の兆しを見せ始めています。米国とイランの緊張が緩和したことと、ISに対する国際的な包囲網の形成が緒に就いたことは、その典型でした。

このうち、米国とイランの緊張緩和に関しては、昨年7月に成立したイラン核合意があげられます。イランが核開発を抑制(停止ではない)することと引き換えに、米国などが経済制裁を段階的に撤廃する取り決めは、ペルシャ湾で高まっていた軍事的緊張を緩和しただけでなく、西欧諸国にとっては「イランの核弾道ミサイルの脅威」からの解放の希望をもたせるものでした。それだけでなく、この合意は長く対立し続けてきた米国とイランの関係改善の転機としても注目されたのです。

核合意は、イランにとって、いわば「国際社会への復帰」の象徴にもなりました。イランはWTO(世界貿易機関)に加盟していない国のなかで、最大の経済規模をもちます。経済制裁の解除にともない、イラン政府はWTO加盟に前向きな姿勢をみせるなど国際市場に本格参入する兆しをみせ、日本企業も昨年後半から相次いでイラン進出を目指し始めていました(ただし、WTOドーハラウンドそのものが昨年12月に次回開催を決定しないまま閉幕したことで、一部からは「安楽死」とさえ呼ばれる状態にある)。

ところが、サウジアラビアはこの合意が「譲歩しすぎ」であると批判。この点に関しては、パレスチナ問題などをめぐって立場が大きく異なるイスラエルと同じ立場に立つことになりました。

シリア情勢をめぐる不協和音

サウジにとって、イランが欧米諸国と対立し、「干される」状態の方が好ましいことは確かです。その意味で、イランの「国際社会復帰」に警戒感を強めるとともに、これを進めた欧米諸国なかでも米国への不信感が募ったことは、想像に難くありません。

同様のことは、シリア情勢とIS対策についてもいえます。昨年11月13日のパリ同時テロ事件以降、フランス政府はIS対策のために、米ロを結び付けることを試みています。これにより、9月末から既にアサド政権を支援する形で、IS以外の反アサド勢力に対しても空爆を行ってきたロシアの国際的認知は、結果的に向上したことになります。それは、ロシアやアサド政権と連なるイランにとっても、悪い話ではありません。

しかし、これはサウジにとって、IS対策とは別の次元で面白くない話です。先述のように、シリア内戦の当初、サウジなどとともに欧米諸国は、「アサド政権の退陣こそ内戦終結に繋がる」と主張していました。しかし、状況の変化とともにヨーロッパ諸国はアサド政権の容認に舵を切りつつあり、米国としても難しい判断を迫られています

このような環境のもと、核開発問題だけでなくシリア情勢なども念頭に、米国がイランとの関係を見直し始めたことに、以前からサウジは警戒感を強めていました。2013年10月にサウジが、選出されていた国連安保理の非常任理事国のポスト就任の辞退という異例の行動に踏み切ったことは、その象徴でした。つまり、欧米諸国から敵視され、排除されていたイランの立場が好転したことは、入れ違いにサウジの危機感につながり、欧米諸国なかでも米国に対して不快感を隠さなくなっていたといえます。

米国とサウジの隙間風

先述のように、イランが欧米諸国と関係を改善し、国際社会に復帰するだけでなく、シリア情勢をめぐってロシアとともに影響力を増すことは、サウジにとって警戒すべきことです。なかでも、対イラン強硬派という点で一致していた米国のシフトは、サウジにとって認めにくいものです。

一方で、米国のサウジ離れは加速しているようにもみえます。先述のように、サウジは世界最大の産油国であり、長年米国はその最大の顧客でした。しかし、昨年12月に米国は40年ぶりに原油を輸出することを発表。これは、いわば米国がサウジにエネルギー戦争を挑んだものともいえます。

2014年の半ばから、原油価格は既に下落し続けています。2014年11月のOPEC(石油輸出国機構)総会で、中小の産油国が反対するなか、サウジが事実上値下げを意味する「生産量維持」の方針を押し切ったことは、これをさらに加速させました。サウジのこの判断は自らにとっても減収を意味しますが、やはり石油・天然ガスの輸出に収入を依存するIS、ロシア、イランなどにとっても痛手となり、それは引いては米国の安全保障上の利益につながります。この観点からすると、サウジの行動は米国の利益に適うものでした。

しかし、他方で原油価格の下落は、米国で本格化していたシェールオイル生産に、コスト割れの危機をもたらすものでもありました。つまり、サウジによる原油価格の引き下げは、安全保障上は米国をアシストするものでしたが、シェール開発にブレーキをかけることでエネルギー面における米国の中東依存を維持させ、米国の独走を許さないものだったといえます。

ところが、これに対して米国はシェールオイルの輸出で応えたのです。市場に供給される原油の量が増えることで、原油価格はさらに押し下げられます。この状況は米国にとっても、シェール輸出から短期的に利益を期待できるものではありませんが、他方で石油産業以外にこれといった産業のないサウジにとっては、さらに痛手となり得ます。つまり、米国はあえて攻勢に出ることで、将来的に原油市場のシェアを確保する足場を作っただけでなく、自らの首に鈴をつけようとしていたサウジの手に噛みついたといえます。

シーア派指導者の処刑が米国にもつ意味

そんななか、冒頭で触れたように、サウジ政府は反政府の抗議活動を行った罪で逮捕されていた国内のシーア派指導者ニムル・ニムルの処刑を発表しました。

今回、処刑されたのはニムル・ニムルだけでなく、合計で47名に及び、その大半はスンニ派のアルカイダ系過激派組織メンバーだったとみられています

とはいえ、シーア派指導者の処遇次第で、宗派対立を過熱させる恐れがあることは、以前から懸念されていたことです。国連なども自制を働きかけていたなかで、あえて処刑が行われたことには、少なくともサウジ政府、あるいはサウジ国王の確たる意思を見出せます。

つまり、今回のシーア派指導者の処刑は、単純な法的手続きの結果や、国内の反シーア派、反イラン感情への配慮という側面だけではなく、意識的にイランとの関係を悪化させたものとみることができます。それは、両国の関係を悪化させることで、イランとサウジのいずれにつくかを米国に迫る効果があります。そして、それは当然、ロシアを含むIS包囲網の形成などに関する判断を迫られている米国に、「サウジ国王の機嫌を損ねることのないように」というメッセージになってくるのです。

ターンは米国に

日本のメディアでは、サウジアラビアは「穏健派」と呼ばれることがあります。それはイランと異なり、米国と正面から対立するシーンが少ないことによります。実際、繰り返しになりますが、サウジは安全保障と経済の両面で米国と足並みを揃えることも珍しくありません。

しかし、自らの目標や利益のためには、いかに友好国であろうとも、相手に主導権を握られるのを避けようとすることは、国際政治の常です。サウジと米国の場合、サウジによる原油価格引き下げ、米国による安売り競争、サウジのシーア派指導者の処刑ときて、また次は米国のターンということになります。次の米国の一手が何であれ、これまでの展開に鑑みれば、少なくとも両国間だけにとどまらない影響をもたらすことだけは確かといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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