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サントメ・プリンシペの台湾断交と中国との国交樹立-「大国」中国とアフリカの「小国」の力関係

六辻彰二国際政治学者
国交回復の調印式での王毅外務大臣とトロボアダ首相(2016.12.26)(写真:ロイター/アフロ)

12月21日、アフリカの島嶼国サントメ・プリンシペが台湾との国交を断絶すると発表。そして12月26日には、中国と国交を結ぶことが発表されました。

今回の件に関して、台湾政府は「サントメ・プリンシペが1億ドルという法外な資金協力を求めてきた」と明らかにしました。これを受けて、「『一つの中国』の原則から中国がサントメ・プリンシペに圧力をかけた」という見方が西側メディアで広がっています。これを中国政府は「事実無根」と否定。そのうえで、「サントメ・プリンシペが『一つの中国』の正しい原則に戻ったことを歓迎する」とも述べています。

2016年1月の総統選挙で、中国と距離を置く姿勢を鮮明にした蔡英文候補が勝利したことで、中台関係には緊張が走っています。この背景のもと、中国が台湾と国交を結んでいるサントメ・プリンシペに「猛烈に」アプローチしていたことは確かですが、それが今回の台湾断交の全てではありません。そこには、中国の周到な準備とともに、アフリカの小国の生き残り戦略も無視できない要素としてあります。

サントメ・プリンシペと中国

ギニア湾に浮かぶサオトメ・プリンシペは、1975年にポルトガルから独立しました。面積は約1,000平方メートルで東京都の約半分、人口は約19万人に過ぎない、アフリカのなかでも極小国と呼べる国です。独立後、この国では社会主義体制が成立しました。しかし、冷戦終結後の1990年には新憲法が導入され、選挙が定期的に行われるようになりました。

冷戦期、社会主義陣営から支援を受けていたサントメ・プリンシペは中国と国交を持っていましたが、1997年に当時のトロヴォアダ大統領は台湾との国交を樹立。しかし、それから約20年後の2016年選挙で当選したカルヴァリョ大統領は、台湾との外交関係を断絶したのです。

アフリカの小国にとっての中台問題

振り子のように、中国と台湾の間で外交関係を往復することは、アフリカでは珍しくありませんでした。

冷戦期から中国と台湾は「一つの中国」の原則をめぐり、自らの正当性を主張するため、世界中で国交樹立のレースを展開してきました。なかでも、貧困国が多い一方、国の数で国連加盟国の約4分の1を占めるアフリカは、その熾烈な援助競争の舞台となってきたのです。その結果、1971年に中華人民共和国が国連代表権を獲得した時、これを支持した76ヵ国中26カ国はアフリカの国でした

一般に、「援助する側」と「される側」では、前者の発言力が強いようにみえます。しかし、複数の主体が競合してアプローチしてくる時、「援助される側」がその「選択権」を利用して利益を確保しようとすることは珍しくありません。つまり、貧困国の多いアフリカには、中台に限らず、競合主体の争いの対立軸に大きな関心や利益がない場合、「もらえるものの多い方」に着く傾向があります。言い換えると、「援助する側」が自らの政治的利害を念頭に援助するのと同様に、「される側」も「援助を受け取る」こと自体を政治的手段として用いているのです

この観点からすると、サントメ・プリンシペのように、一定の期間をあけて中台の間を往復することがアフリカのなかで珍しいものでないことも、冷戦期と比較にならないほど中国が発展した現代、中台間のレースが完全に中国ペースとなったことも、不思議ではありません。1998年、南アフリカが台湾との長年の関係を断ち、中国と国交を結んだことは、それまで台湾と関係を維持していたアフリカ諸国を大挙して中国に接近させる契機となりました。

近年では、残っていた小国も相次いでこれと断交してきています。アフリカ大陸54ヵ国(これに加えて日本を含むほとんどの西側諸国が「国家」として承認していない西サハラがある)のうち、2008年にマラウィが、2013年にガンビアが、そして2016年にサントメ・プリンシペが、それぞれ台湾との関係を断交。残るは、ブルキナファソとスワジランドのみとなりました

中国のアウトリーチ活動

ただし、いかに有利な状況にあるとはいえ、中国は台湾支持のアフリカ各国が北京に向かうことを、懐手で待っていたわけではありません。政府間の公式の関係がなくても、中国は台湾支持派の国に対して、さまざまなルートを通じて働きかけを行ってきました。

中国のアウトリーチ活動のポイントには、政党間の外交、経済交流と外交の連動、そして共通の友好国による架橋があげられます。これらの各点からサントメ・プリンシペの場合をみていきます。

まず、政党間の外交から。冷戦時代から、中国共産党と他国の政党の間の非公式ルートを通じた人的交流は、政府間の公式ルートの外交をカバーするものとして機能してきました。もちろん、政党間外交は中国の専売特許ではありません。しかし、政府と党がほぼ一体である(というより党が政府を統括する)中国では、それがとりわけ活発といえます(例えば、日本の国会議員も議員連盟を通じて各国の議会・政党関係者と交流しているが、特にアフリカの小国相手の場合、議員本人がどこの国を対象とする議連に所属しているか覚えていないことすらある)。

先述のように、サントメ・プリンシペは1997年に中国と断交し、台湾と国交を樹立しました。そこには、サントメ・プリンシペの国内政治が影響していました。

1990年の新憲法導入を受けて、翌1991年に実施された大統領選挙では、中道系のADI(独立民主行動)出身のミゲル・トロヴォアダ元首相が勝利。独立以来、MLSTP(サントメ・プリンシペ独立運動)の一党制のもとで権力を握り続けていたダ・コスタ氏が敗れました。

トロヴォアダ氏とダ・コスタ氏はポルトガルからの独立運動で一時は協力しながらも、独立後に関係が悪化。トロヴォアダ氏は首相時代の1979年にクーデタ容疑をかけられて亡命した経緯もあります。キーパーソン同士の個人的確執を背景に、台湾の「小切手外交」は加速し、これが1997年の中国断交につながったのです。

ところが、ADI系大統領による国交断絶を受けて、中国政府が全ての経済協力を停止した一方、中国共産党はMLSTPとの関係を維持MLSTPが議会多数派を占めていた2005年2月には、共産党関係者が通常議会に招聘されました(ポルトガルやフランスと同じく、サントメ・プリンシペには国民に直接選出される大統領と議会に選出される首相の両方のポストがあり、大統領と議会多数派の党派が異なる場合、いわゆる「双頭制」となる)。

このように政党間のルートを通じた関係は、2011年の大統領選挙でダ・コスタ氏が返り咲きを果たした後、サントメ・プリンシペが台湾と距離を置き始める下地になったといえます。メンツを損なわれた場合、経済協力の全面停止など、わかりやすく対抗的な措置を即座に講じるため、そちらに眼が行きがちですが、非公式のルートを通じた多層的な人的交流を通じたしぶとさも、中国外交の大きな特徴なのです。

経済交流を通じた一挙両得

次に、経済交流について取り上げます。中国のアフリカ進出には、中台問題をはじめとする外交的な足場固めという政治的背景とともに、市場や資源の確保という経済的な目的もあります。実際、相手国別の対アフリカ貿易額で、中国は米国やヨーロッパ諸国を上回り、第1位の座にあります。

貿易や投資だけでなく、開発協力や人の移動の爆発的な増加は、相手国における中国の存在感を否が応でも高めていますが、それは相手が国交のない国であっても、ほぼ同様です。つまり、国交のないアフリカ諸国に対しても、中国企業が進出することは稀でなく、その経済的な影響力は、相手国政府に翻意を促すテコとなるのです。

サントメ・プリンシペの場合、先述のダ・コスタ氏が返り咲いた大統領選挙の前年である2010年段階でみても、対中貿易額は227万ドルで、これは台湾との貿易額70万ドルを大きく上回っていました(IMF, Direction of Trade Statistics)。つまり、国交がない間にも、そして自らに必ずしも好意的でない大統領の在任中にも、中国が経済進出を加速させたことによって、サントメ・プリンシペでは「外交関係は台湾、通商関係は中国」という状況ができあがっていたのです。

貿易とともに、石油開発は、その主軸となるものでした。サントメ・プリンシペ沿岸では、隣国ナイジェリアとの間で2003年に海底油田の共同開発案がまとまり、それに沿って外資の参入が相次ぎました。2006年、中国の巨大国営企業SINOPEC(中国石油化工集団)が第2鉱区の開発権28.7パーセントを獲得。さらに2009年にはスイス企業が第1鉱区の42.4パーセント、第2鉱区の14.3パーセント、第3鉱区の51パーセント、第4鉱区の45.5パーセントの開発権を、それぞれSINOPECに売却(永世中立国であるスイスは他の西側諸国と異なる行動パターンをとることが珍しくない)。これにより、中国企業による投資は、この共同開発区で最大規模になったのです。

10億人を養うためにエネルギー調達に血道をあげる中国にとって、アフリカの油田開発は、それ自体が重要な目的です。しかし、その爆発的な進出には、一方で相手国における中国の存在感と政治的影響力を高める効果があることも確かといえるでしょう。

共通の友好国による架橋

最後に、共通の友好国を巻き込んだアプローチです。

ポルトガルやブラジルをはじめとするポルトガル語圏の各国は、CPLP(ポルトガル語圏諸国共同体)を結成しており、アフリカのポルトガル語圏5ヵ国もここのメンバーで、そのなかにはサントメ・プリンシペも含まれます。

一方、やはりポルトガル語圏のマカオを擁する中国は、2003年にポルトガル語圏諸国との間で、投資をはじめとする経済協力について協議するフォーラム・マカオを設立。他のポルトガル語圏諸国との関係を強化することを通じて、中国は間接的にサントメ・プリンシペへのアプローチを維持してきました。その結果、2013年のフォーラム・マカオ閣僚会合に、サントメ・プリンシペはオブザーバー資格で初めて参加しました。

一対一(バイ)の関係ではなく、複数国の間(マルチ)の関係で中国がサントメ・プリンシペへのアプローチを強める際、一つのキーになったのがアンゴラでした。アンゴラは大陸有数の産油国で、アフリカのポルトガル語圏諸国のなかで大きな影響力をもつ一方、その石油の多くは中国向けに輸出されています。

そのアンゴラの国営石油は、2008年にSINOPECなどとともにジョイント・ベンチャーSINOANGOLを設立して、サントメ・プリンシペの油田開発に参加。これに関して、マカオの報道は「アンゴラが中国-サントメ間の関係回復を支援」と、いかにも「アンゴラが『好意で』中国とサントメの橋渡しに努めている」というトーンで報じていましたが、アンゴラにはアンゴラの利益があり、この報道には宣伝に近い要素があるといえます。とはいえ、お互いに友好関係のあるアンゴラを「かませる」ことにより、中国のサントメ・プリンシペへのアプローチが加速しやすくなったことは確かです。

「王手」は詰むか?

こうしてみたとき、中国が何らかの「圧力」をサントメ・プリンシペに加えたにせよ、それだけで今回の台湾断交が実現したわけでなく、そこに中国の周到な下準備と、アフリカの小国ならではの事情があったことを見過ごすことはできません。

いずれにせよ、先述のように、今回の決定により、残るアフリカの台湾支持派は2ヵ国となったことで、アフリカをめぐるレースで中国は「王手」一歩手前にまでこぎつけたことは確かです。

周知のように、中国はユーラシア大陸をカバーする経済圏「一帯一路」構想を掲げていますが、アフリカ大陸もその一環に組み込まれています。2015年、中国の国営企業CHEC(中国港湾工程)は、サントメ・プリンシペで1億ドル相当の港湾開発プロジェクトを行うことを発表しました。これは、インド洋から喜望峰を経て大西洋に抜ける航路上にあるサントメ・プリンシペの立地条件を考えれば、中国の海上交通路の拡大を見据えたものといえます。この観点からしても、残る2ヵ国が中国支持に切り替えるかは定かでないものの、今後ますます中国がアフリカで勢力を大きくすることはほぼ確実といえます。

ただし、仮に「王手」が詰んだとしても、そのうえでなお中国が一方通行でアフリカにおける勢力を広げられるかは未知数です。

先述のように、アフリカの小国からみて、中台問題は大きな関心のあるものではなく、単純なコストとベネフィットの計算で割り切りやすいテーマです。つまり、中国との関係が深くなることで得られる利益が大きくとも、それにともなう悪影響が無視できないものになれば、国交を維持したとしても、中国一辺倒とはいかないことになります。

サントメ・プリンシペ政府は、台湾断交の直前の2016年12月8日、先述の中国とアンゴラのジョイント・ベンチャーSINOANGOLの契約を取り消しました。契約に反して、必要な情報を政府に伝えず、収益をごまかしていた、という理由でした。

SINOANGOLの契約取り消しは、台湾断交が秒読みに入っていたサントメ・プリンシペ政府が、それでも中国に対して独立性を誇示しようとしたものと理解できます。

アフリカの小国にとって中国は、既に大きな力をもっている欧米諸国に対してバランスをとるうえで価値を見出しやすい存在です。しかし、ほとんどのアフリカ諸国にとって、欧米諸国に支配されることと同じく、中国に取り込まれることは避けたいところです。つまり、弱者なりに独立を保つために、強い力を利用しながらも、その力が大きくなりすぎたときには距離を置く、というのがアフリカの小国の行動パターンといえるでしょう。そして、小国がこのような態度をとったとき、「大国」を自認する中国は概して、黙して語らず、という態度に終始せざるを得なくなります。

これに鑑みれば、「大国」であることによって強気一辺倒になれない中国と、「小国」であることをテコに自らの存在を認知させるアフリカ各国の間の、微妙な力関係が、今後の中国のアフリカ進出の行方を左右するといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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