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フィリピンに対するロシアの軍事協力の提案-21世紀版「海のグレートゲーム」

六辻彰二国際政治学者
フィリピンに寄港したロシア海軍の艦船(2017.1.4)(写真:ロイター/アフロ)

1月4日、ロシア海軍の艦船2隻がフィリピンに寄港しました。ロシアはフィリピンに対して、共同軍事演習の実施と、必要ならば武器を提供することを提案。海賊対策やテロ対策のため、というのが公式の説明ですが、そうであったとしても、冷戦期から東南アジアで米国と最も深い関係にあるフィリピンに対して、ロシアが共同演習の提案を行うこと自体、時代の大きな変化を感じないではいられません

19世紀、中央アジア一帯をめぐり、大英帝国とロシア帝国が覇権を競いました。これは「グレートゲーム」と呼ばれます。現代の南シナ海をめぐっては、米国、日本、中国、さらに中国のインド洋進出を警戒するインドなどの大国が関心を強めていますが、そこにさらにロシアが参入してきたことになります。21世紀版「海のグレートゲーム」にロシアはなぜ参入してきたのでしょうか

南シナ海をめぐる米中関係

これまで関係がほとんどなかったフィリピンに、ロシアが突然アプローチし始めた大きな背景には、ドゥテルテ大統領のもとで同国が米中の綱引きの主戦場になったことがあります。

広く知られているように、フィリピンのドゥテルテ大統領は、麻薬犯罪に関わっていると目される者を「超法規的に」処刑しているとして、欧米諸国から「人権侵害」の批判を浴びてきました。これに対して、ドゥテルテ大統領は米国との軍事協力を見直すと発言するなど、強気の姿勢をみせています。

以前に取り上げたようにドゥテルテ大統領の強気の姿勢は、米国のグローバルな影響力の衰退と、中国の台頭を大きな背景とします。独立以来、安全保障と経済の両面で米国に依存せざるを得なかったフィリピンでは、そのなかで大きな基地負担だけでなく、ヴェトナム戦争に付き合わざるを得なかったことに代表されるように、常に米国の強い影響下に置かれ続けてきました。

そのなかで中国の習近平体制は、中国からヨーロッパに至る広大な経済圏「一帯一路」構想を掲げており、その海上ルートにあたる南シナ海の領有をめぐって、フィリピンと対立してきました。しかし、ドゥテルテ氏は大統領選挙の段階で既に、中国と対話する用意があると明言し、実際に中国政府との会談も行っています。つまり、中国から少なくとも経済面での協力が期待できるなか、フィリピンにとって米国は「唯一の選択肢」ではなくなったのです。そのなかでドゥテルテ氏は、敢えて中国に接近することで、米国に対して発言力を強めてきたといえます。

その効果は、トランプ氏の言動からもうかがえます。11月の米国大統領選挙で勝利したトランプ氏は、12月のドゥテルテ氏との電話会談で、その「麻薬戦争」を「正当」と評価しました。また、トランプ氏はドゥテルテ氏を2017年中にホワイトハウスに招待したとも伝えられています。両氏の行動パターンが似ていることから、これは不思議でないようですが、少なくともオバマ政権のもとで悪化したフィリピンとの関係がトランプ新政権のもとで修復が図られることは確かとみられます

これらに鑑みれば、ドゥテルテ氏の強気の態度は、競合する大国に対して、世界全体が「売り手市場」になりつつあることを象徴するといえるでしょう

トランプ新政権はどこまで世界への関与を控えるか

この状況の下、このタイミングでロシアがフィリピンにアプローチし始めたことには、大きく二つの目的が考えられます。

第一に、トランプ新政権の出方を探ることです。

「米国第一」を掲げ、米国にとって利害のない問題への関与を控えるというトランプ氏の方針は、米国が「世界の警察官」であることを止める、言い換えれば「超大国の座を降りる」ことを意味します。実際、シリア問題などをめぐり、トランプ氏は米国の関与を減らせるなら、ロシアとの協力も厭わない考えを示しています。米国が世界への関与を弱めることは、ひいてはロシアや中国にとって、活動領域を広げやすくします。

ただし、大統領選挙で言いたい放題だったトランプ氏の発言が、大統領就任後に、どのポイントがそのまま実行されるか、どのポイントが「現実的なもの」に調整されるかは不透明です。つまり、トランプ新政権が実際にどこまで世界への関与を控えるかは未知数です

その出方を探るためには、南シナ海はうってつけといえるでしょう。

トランプ氏やそのチームは貿易面で中国を脅威とみなしていますが、その人権問題や海洋進出については、さほど言及していません。「米国第一」のトランプ氏が、中国の「脅威」を、米国に直接かかわる部分(つまり経済関係)に特化して捉える傾向が強かったとしても、不思議ではありません

とはいえ、米軍の中枢からすれば、東南アジア最大の拠点を放棄することが、この地域におけるプレゼンスに関わるものであることは確かです。

このような葛藤があるなか、新政権のもとで米国が、どの程度世界への関与を控えるかを見極めるためには、米国と中国がつばぜり合いを繰り広げてきた南シナ海は、格好のポイントといえます。すなわち、これまで関係の薄かった、しかしホットスポットとなってきた南シナ海に敢えて進出することで、トランプ新政権がオバマ政権の「アジアシフト」を転換するか否かを判断することが、プーチン大統領にとって大きな目的の一つと考えられるのです。

「一帯一路」構想へのクサビ

第二に、第一のものと一見したところ部分的に矛盾するようですが、中国の独走を阻止することです。

ソ連時代から、ロシアと中国の間には、時に協力しながらも反目する関係があります。2016年6月、プーチン大統領は旧ソ連圏だけでなく、中国やインド、イランなどを含む「大ユーラシア経済圏」構想を打ち出しました。これは中国の「一帯一路」構想を取り込もうとするものに他なりません。

しかし、軍事力ではともかく、経済力ではもはや、ロシアにとって中国に追いつくことは困難で、その間にも「一帯一路」構想は進んでいます。

1月4日、浙江省義烏からロンドンに向けて、最初の大陸横断鉄道が発車しました。カザフスタン、ロシア、ベラルーシ、ポーランド、ベルギー、フランスを経て英国に至る約1万2000キロ、日数にして18日間の鉄道の稼働に関して、ロシア政府は表面的には好意的ですが、これまでの関係に鑑みれば、その態度を額面通りに受け止めることもできません。

つまり、中国が着々と推進する「一帯一路」構想に、多少なりともロシアの影響力を反映させるためには、「現状において中国に対するロシアの優位性」のある分野で、「一帯一路」のルート上で存在感を示す必要があります。その優位性とは軍事力に他ならず、先述のように中国軍は陸上兵力と比べて海洋・航空兵力でいまだに米ロから大きく引き離されています。この観点からしても、米中が綱引きを繰り広げてきた南シナ海は、ロシアが割って入り、中国に「貸し」を作るのに好都合といえるでしょう。

こうしてみてきたとき、プーチン大統領は21世紀版「海のグレートゲーム」に敢えて参入することで、米中を向こうに回して、今後の布石を打ったといえます。それはドゥテルテ大統領にとって、新たなスポンサーが登場したことを意味し、「売り手市場」もここに極まったといえるかもしれません。

ただし、ロシアとフィリピンの軍事協力がどの程度進展するかは、トランプ新政権や中国の反応によるところもあり、予断を許しません。いずれにせよ、これによって南シナ海での緊張が、これまで以上に高まることは確かといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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