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西アフリカ・ガンビアの「独裁者」はなぜ退陣したか:周辺国による介入の条件

六辻彰二国際政治学者
ガンビアの新大統領バロウ氏の帰国を祝う看板(2016.1.26)(写真:ロイター/アフロ)

「民主主義の勝利」?

1月21日、西アフリカの小国ガンビアのジャメ大統領は、赤道ギニアに亡命しました。26日、入れ替わりにバロウ新大統領がセネガルから帰国。支持者から熱狂的な歓迎を受けました

ジャメ氏は1994年のクーデタで政治の実権を握って以来、22年に渡ってガンビアを支配してきました。しかし、昨年12月の大統領選挙でバロウ氏に敗北。当初、ジャメ氏は敗北を受け入れる立場を示していたのですが、後に「選挙結果は無効」と主張し、大統領の座に居座り続ける方針に転じたのです。

大統領の座をジャメ氏からバロウ氏に実質的に引き渡すうえで、最も重要な働きをしたのは、西アフリカの周辺国でした。西アフリカ諸国が加盟する地域機構、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)はジャメ氏に権力移譲を迫り、実際にセネガル、ナイジェリア、ガーナ、マリ、トーゴの部隊がガンビア国境に展開。軍事介入も辞さない姿勢をみせました

ECOWASの方針を国連、アフリカ連合(AU)、EUなども支持。当初、ジャメ氏は「いかなる外国の介入も拒む」と強気の姿勢をみせていましたが、大きな兵力差を前にガンビア軍の司令官はECOWAS部隊との戦闘を拒絶。この背景のもと、モーリタニアやギニアからの説得に応じる形で、ジャメ氏はしぶしぶ権力を手放したのです。

今回の危機の顛末に関しては、欧米メディアだけでなく、アフリカのメディアでも「独裁者に対する民主主義の勝利」といった論調で伝えられることが珍しくありません。アフリカでも、冷戦後の1990年代以降、民主的な政治体制の国は増えています。少なくとも自由かつ公正な手順で行われたなら、全ての参加者がいかなる結果をも受け入れることで、選挙は成り立ちます。自ら最高責任者でありながら「選挙管理委員会の不手際」を理由に選挙結果の無効を主張したことが、周辺国にとってジャメ氏を半ば強制的に排除することを正当化させたのであり、その意味で「民主主義の勝利」と言ってもよいかもしれません

ただし、西アフリカ諸国はジャメ氏が民主的な手続きを無視しようとしたことだけをもって、介入したわけではありません。また、アフリカにはジャメ氏と同様「独裁者」と目される最高責任者が数多くいますが、ガンビアで生まれた周辺国による介入劇が、他の国でも発生するとは限りません。つまり、民主主義という原理が、国家主権を常に超越するわけではありません。そこには、ガンビアおよび西アフリカに特有の事情があったといえます。

ガンビアへの介入が実現した三つの要因

アフリカには、90歳を超えてなお今年の大統領選挙で7選を目指すジンバブエのムガベ大統領や、「人道に対する罪」で国際刑事裁判所(ICC)が逮捕状を発行しているスーダンのバシール大統領、北朝鮮より報道の自由度が低いといわれるエリトリアのイサイアス大統領、選挙管理委員会がない状態で「出来レース」以外の選挙が行われていないカメルーンのビヤ大統領など、「独裁者」が多くいます。しかし、選挙に不正があった、あるいは選挙が行われないことをもって、近隣諸国が軍事介入をも辞さない姿勢をみせることは、ほとんどありません

ガンビア危機の場合、主に三つの要因が、周辺国による政権移譲を実現させたといえます。

第一に、ガンビアがアフリカのなかでも小国であることです。同国の国土面積は1万1300平方キロメートルで岐阜県とほぼ同じサイズ、人口は199万人に過ぎません。さらに、ナッツ類の輸出と観光業以外に目立った産業もなく、世界銀行の統計によると一人当たり国民総所得(GNI)は460ドル。例えば、植民地時代から白人入植者のもとで資本主義経済が発達していたジンバブエの830ドル、産油国スーダンの1840ドルと比較しても、貧困国の多いアフリカでも極貧国に近い水準の小国であることは、ガンビアに対する周辺国による介入を実際に可能にした条件といえます。

第二に、ガンビアの政情不安が周辺国にとっても悪影響を及ぼし始めていたことです。ジャメ氏が「居座り」を始めた昨年12月以来、ガンビアでは支持派と反対派の対立が激化。混乱を恐れて、多くの人々が国外への脱出を試みるようになりました。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、2017年1月の最初の10日間だけで数千人がセネガルとの国境に押し寄せたと報告しています

一般的にアフリカ諸国は、植民地支配の歴史的経験から、「内政不干渉」の原則を重視する傾向が強く、基本的に隣国の内政に口を出すことは滅多にありません。ジンバブエのムガベ大統領やスーダンのバシール大統領に対して、米国や英国が国連安保理で経済制裁を主張した際、内政不干渉の原則に基づき、これらを常任理事国である中ロとともに擁護したのは、非常任理事国のアフリカ諸国でした

とはいえ、周辺国への悪影響が大きくなった場合は、その限りではありません。特に、ガンビアのような小国であれば、なおさらです。先進国よりはるかに多くの難民を受け入れ、しかも彼らを支援する資金に乏しい開発途上国では、先進国以上に難民受け入れが政治問題化しがちです。そのため、平素は「隣近所に寛容な」アフリカ諸国が、「混乱を輸出する」ジャメ氏に好意的でなくなったとしても、不思議ではありません。この点で、反対派を抑え込みながらも、周辺国に大きな「迷惑」をかけていないカメルーンのビヤ大統領が、中ロやアフリカだけでなく、欧米諸国とも大きな摩擦を抱えていないことは示唆的です。

介入の「事前承認」

第三に、そして最後に、非常時における周辺国の介入が、西アフリカ諸国の間でお互いに承認されていることです。これは、アフリカの他の地域ではみられない特徴です。

冷戦終結後の1990年代、アフリカでは内戦が相次いで発生しましたが、とりわけ西アフリカではリベリア、シエラレオネ、コートジボワールなどで全面的な内戦が相次ぎました。折しも欧米諸国がアフリカから手を引き始めていたこともあり、西アフリカ諸国は「自前の解決」に向かわざるを得ませんでした。その結果、例えばシエラレオネ内戦では、ナイジェリア軍を主体とするECOWASの部隊がシエラレオネ政府を支援し、内戦終結に道筋をつけたのです。

しかし、これはECOWASの規定に明文化されていない活動で、西アフリカ最大の地域大国ナイジェリアのイニシアチブで進められたものでした。西アフリカではナイジェリアやガーナなどの英語圏と、セネガルやコートジボワールなどの仏語圏の間にライバル関係があります。ナイジェリア主導で進められる紛争解決に仏語圏から批判が高まり、他方で英語圏からは仏語圏の不参加に対する不満が噴出するなかで、1999年に制度改革が行われ、メンバー国内で発生した人道危機に介入する権限がECOWASに与えられました。つまり、例え国内問題であったとしても、無視できない状況になった場合、ECOWASに介入する権限を認めることに、各メンバー国が同意したのです

ヒト、モノ、カネの移動が国際化した現代では、一国内の出来事が国外に影響をもたらすことが少なくありません。しかし、近代以降の国際秩序の基本原則である「内政不干渉」は、今も国家間の関係の柱であり続けています。このギャップは、例えば難民が多数発生するシリアに対して、国際的に一致した介入ができない根本的な原因でもあります。非常時において介入されることがあると、メンバー国が事前にお互いに承認することは、国連でも実現できていないことです。アフリカといえば課題しかないように思われがちですが、ECOWASのシステムは、混迷する世界で他に類のない、先進的な内容を含んでいるといえるでしょう。

ただし、それはあくまでECOWAS加盟の西アフリカ諸国に限定されたもので、同じアフリカでも、他の地域はその限りではありません。先述のように、アフリカ諸国は基本的に国家主権を重視する傾向が顕著です。南部アフリカ諸国が加盟する南部アフリカ開発共同体(SADC)、東部アフリカ諸国が加盟する政府間開発機構(IGAD)などでは、そういった権限は認められておらず、ECOWASのそれはメンバー国で内戦が相次いだ1990年代の経験から生み出された、例外的なものなのです。

今回の場合、ガンビアは英語圏ですが、地理的に隣接し、歴史的に深い関係がある仏語圏のセネガルと、英語圏で共通するナイジェリアが揃って介入の意思を示した点も、これまでにない特徴です。

ともあれ、こうしてみたとき、ガンビア危機の顛末には同国および西アフリカに特有の事情が大きく作用していたのであり、単純に「民主主義の勝利」とはいえないでしょう。

ガンビア危機のパターンは広がるか

それだけでなく、ガンビアのケースが、他のアフリカの「独裁者」にとって不安材料になるともいえません。

例えば、ジャメ氏が亡命した赤道ギニアでは、1979年のクーデタで実権を握ったンゲマ大統領が現在6期目で、国内の反体制派はガンビア以上に抑圧されており、その首都マラボは世界で唯一新聞スタンドがない首都ともいわれます。しかし、ンゲマ大統領の支配に対して、国際的な働きかけは皆無です。先述の観点からすれば、赤道ギニアがアフリカ有数の富裕な産油国で、難民の輩出などで外国に負のインパクトをほとんど与えておらず、さらに赤道ギニアがECOWAS加盟国でもないないことなどが、その要因として挙げられます。

しかし、これに加えて、ガンビアと異なり、赤道ギニアが石油取引を通じて欧米諸国と友好的な関係にあることと、ンゲマ体制のもとで自由かつ公正な選挙が行われていない以上、ジャメ氏を追い詰めた「選挙で敗れた独裁者が居座る」という構図すら生まれないことも看過できません。

つまり、経済的に富裕で、周囲に「迷惑」をかけず、反体制派を隙なく押さえ込んでいる限り、「独裁者」が国際的に注目されることも少なく、外部からの批判にさらされることは稀なのです。ガンビアのケースは、内外に対する抵抗力の低い「独裁者」の末路を示しているのであり、ジャメ政権の崩壊が、いわばエース級の「独裁者」にとって、深刻な警告になることはないといえるでしょう。言い換えるなら、民主主義が「普遍的原理」として強調されながらも、それが実際には絶対のものでないことを、ガンビア危機の顛末は逆説的に示しているのです。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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