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ガーナは「チョコレートの国」か? チョコレートにみる「矛盾との向き合い方」

六辻彰二国際政治学者
ガーナで取れたカカオ豆(写真:アフロ)

日本では一般的に、アフリカの国は、その国名すらほとんど知られていないことが珍しくありません。そのなかで、「ガーナ」は例外的に、少なくとも国名に関しては、知名度のある国の一つです。その「功績」が、あの製菓メーカーの商品名にあることは言うまでもなく、バレンタインが近づくにつれ、あちこちの広告でその名を目にする機会が増えます。

しかし、アフリカ研究を専攻し、ガーナを題材に博士論文を書いた身からすると、ガーナが「チョコレートの国」としてのみ認知されていることには、やや複雑な思いがあります。現在、ガーナの最大の輸出品は原油で、カカオ豆ではありません。そのうえ、ガーナは確かに世界第二のカカオ豆生産国ですが、現地ではチョコレートもココアもあまり消費されていません。

そのスウィートさと裏腹に、チョコレートにはビターな影がつきまといます。それは誕生から現在に至るまで、形を変えながらも一貫しているといえます。

なぜヨーロッパでチョコレート生産が盛んなのか

授業でよく学生に問いかけることの一つに、「ベルギーやフランスでチョコレート生産が盛んなことを、おかしいと思わないか」という質問があります。カカオ豆は熱帯性の作物で、寒冷地の多いヨーロッパではほとんど生産されていません。それにもかかわらず、これらの国でチョコレート生産が一大産業となっているのは、植民地主義の遺産に他なりません

カカオ豆はもともと中南米原産の作物で、15世紀の大航海時代にスペイン人によってヨーロッパに伝えられ、チョコレートは18世紀頃までに貴族や富裕層、中間層にまで広まっていました。しかし、チョコレートがヨーロッパの庶民レベルで大量に消費されるようになった転機は、19世紀の産業革命にありました。

近代以前のヨーロッパは、世界的にみて貧しい土地だったといえます。寒冷地が多く、土地がやせているため、大量に商品を生産するための原料となる農作物は多くありませんでした(実際、ヨーロッパ原産の農作物は数えるほどしかない)。さらに、人口も多くなかったため、大量に商品を売りさばくために必要な消費者の頭数にも限界がありました(現在でも人口が1億人を超えるのはドイツだけ)。そのなかで、資本主義経済と科学技術だけが発展したために、ヨーロッパ諸国は原料の供給地および独占的な市場として植民地を確保するため、海外進出を加速させたのです。

軍事力をもって支配したうえで、それらの土地から農作物や天然資源を輸入し、そして自分たちが作った工業製品を独占的に売りつける。これが植民地支配の基本的な構図でした。もっとも、「自分たちの利益のために外の土地を支配する」というのは、いくらなんでも聞こえが悪いため、そのためにヨーロッパ人たちは高尚な理屈をひねり出しました。「『未開・野蛮な』アジアやアフリカを『文明化する』ことが『文明人たる白人の責務』である」と、半ば本気で語られるようになったのも、この頃でした。もちろん、これは外聞の悪さを覆い隠すための、理論武装以外の何物でもありませんでした(これは日本と同様ヨーロッパでも「植民地支配は悪いことばかりでなかった」という言い分の源流になっている)。

ともあれ、植民地支配はヨーロッパ発展のステップとなり、それにともない華麗な文化が花開くことになりました。英国といえば紅茶の国ですが、これは茶葉の生産地だったインドを支配し、ケニアなどアフリカの植民地でもその生産を奨励した結果、可能になりました。現代の日本で、特に2月14日前後にスポットがあたるベルギーやフランスのチョコレートも、植民地主義の遺産という意味では、ほぼ同様といえます。補足すれば、紅茶やチョコレートに付き物の砂糖も、アメリカ大陸において奴隷制のもとで大量に生産され、輸出されたことで、ヨーロッパで普及していきました。

チョコレートが結ぶガーナとベルギー

ベルギーでは1894年に「カカオが成分の35パーセント以上を占めること」を定めた法律ができ、産業としてのチョコレート生産がほぼ確立されました。その後、1912年には、現在ベルギーを代表するチョコレート企業の一つであるノイハウスが、焙煎したナッツ類を混合させたプラリネを初めて世に送り出すなど、花形となる企業や商品も誕生。ベルギーは一躍チョコレート王国となったのです。

ただし、ベルギーは国力が小さく、英仏などとの植民地獲得競争にも出遅れたため、アフリカでの植民地はルワンダやコンゴなど、ごく少数にとどまりました。また、これらの土地は、カカオ豆生産に必ずしも適しません。そのため、ベルギーは英仏などの植民地からカカオ豆を輸入することで、チョコレート生産を活発化させたのです。

ベルギーのカカオ豆の輸入元の一つが、英国の植民地だったガーナ(英国人の当初の目的は金の採掘だったため、植民地名は「ゴールドコースト(黄金海岸)」というミもフタもないものだった)でした。ガーナでのカカオ豆生産も、やはり19世紀からの英国による植民地支配のもとで本格化しました。逆に言えば、それ以前のガーナの人々にとって、カカオ豆は全くといっていいほど馴染みのないものでした。

外から持ち込んだカカオ豆を生産させるため、英国は巧妙な仕組みを作り出しました。まず、現地人に人頭税などの税金を課します。しかし、植民地化以前のアフリカでは貨幣がほとんど使用されていなかったため、現地人は税金の支払いに困ります。払わなければ、逮捕・投獄されるのは、目に見えています。そのなかで英国人はカカオの苗木などを現地人に提供し、生産されたカカオ豆を買い上げることで、現地社会に貨幣を流通させていきました。これによって、英国は税金を集める一方で、カカオ豆の生産を促していきました。そして、現地人が生産したカカオ豆は、英国が設立した専売公社(マーケティング・ボード)が独占的に買い上げ、輸出していったのです。

こうしてガーナでは、現地人がカカオ豆をほとんど消費しないままに、その生産だけを行い、しかし利益の多くを英国が吸い上げる仕組みが完成しました。これはガーナ以外のアフリカの国でも、カカオ豆以外の農産物でも、ほとんど同様でした。

こうしてみたとき、チョコレート生産が植民地主義の遺産の象徴であることは確かで、そこには数多くの人々の苦難が凝縮されています。チョコレートは、それ自体に負けず劣らず、黒い歴史を背負っているといえるでしょう。

チョコレートと現代の「奴隷制」

現代でも、チョコレートには黒い話がつきまといます。なかでも、チョコレート産業は児童労働と人身取引の温床として、しばしば取り上げられます。

2014年段階で、コートジボワールとガーナのカカオ豆生産は、世界全体約60パーセントを占めます。しかし、これらの国のカカオ栽培の現場では15歳以下の子どもが数多く働いており、そういった子どものうちコートジボワールでは40パーセントが、ガーナでは10パーセントが、それぞれ学校に通っていないとILO(国際労働機関)は報告しています。

そのなかには、親の仕事を手伝っている子どもだけでなく、親の借金のカタとして、あるいは誘拐されて、売り飛ばされてきた子どもも含まれます。とりわけ、世界最大のカカオ生産国であるコートジボワールでのそれは深刻で、米国務省は同国のカカオ産業で10万人以上が無給労働や性的虐待などをともなう「最悪の形態の児童労働」のもとにあり、このうち約1万人を人身取引の犠牲者と試算しています。その「調達先」は国内だけでなく、マリやブルキナファソなどの周辺国からも、日本円に換算して一人当たり5000円ほどで売られてきているとみられます。アフリカはかつて白人により奴隷貿易の憂き目に遭いましたが、現代ではむしろアフリカ自身によって人間の商業取引が盛んに行われているのです。

ただし、外部もこれと無縁ではありません。2015年、スイスに本社のある世界的な食品メーカー、ネスレの系列に属する、コートジボワールの260のカカオ農園で、18歳未満の労働者が56名いることが発覚し、このうち27名は15歳未満でした

カカオ栽培はもともと人手が頼りで、児童労働が蔓延しやすい環境にあります。そのため、ネスレをはじめとする世界のチョコレートメーカーは、米国議会の呼びかけに応じる形で、2001年に「最悪の形態の児童労働」をなくすために努力することを申し合わせました。しかし、申し合わせに法的拘束力はないため、その後もチョコレート産業では児童労働がしばしば報告されており、ネスレの件は一つの例に過ぎません。また、現地政府がこれに加担する、あるいは少なくとも見て見ぬ振りをすることも稀でなく、コートジボワールでは2010年にカカオ産業をめぐる汚職を報じた3人のジャーナリストが当局に逮捕されています

矛盾を「断つ」のではなく「ほぐす」忍耐

こうしてみた時、チョコレートは世界の矛盾の縮図とさえ映るかもしれません。

ただし、チョコレートそのものを忌避しても、拒絶しても、その暗い歴史が覆ることは決してありません。また、目立つ特定の企業や業界の商品をボイコットしたとしても、それは必ずしもチョコレートにまつわる問題を解決するとは限りません。開発途上国に蔓延する貧困や政府の汚職、企業活動に対する規制などの問題がそのままであるなら、人身取引や児童労働の現場が他の企業・業界に移動するだけで終わりかねないのです。つまり、複雑に入り組んだ問題に直面するなかで、万能の特効薬はないと言えるでしょう。

そのなかで重要なのは、言い古されたことではありますが、まず知ることしかありません。逆に、問題の複雑さにしびれを切らして、一気呵成に問題を解決しようとすれば、副作用だけが大きくなりがちです。フランス革命で「反革命的」とみなされた人々が「貧者に対する哀れみのために」相次いで断頭台の露と消えたことも、世界のあらゆる問題を一刀両断に解決する方法として「イスラーム国家の樹立」という処方箋を示した「イスラーム国」も、そして「安全のためなら何をしても許される」と豪語するトランプ氏も、この点では同じです。

「一刀両断」を目指す人々に欠けているのは、「万能でない人間が考えることに100パーセントの正解がない」ことを認める謙虚さと言えるでしょう。人間社会につきものの矛盾と向き合うためには、無理やり「断つ」のではなく、「ほぐす」努力が必要なことを、甘くてほろ苦いチョコレートは語っているのかもしれません。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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