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マネジャーに求められる「部下から現場を学ぶ力」!?

中原淳立教大学 経営学部 教授

ちょっと前のことになりますが、現場の第一線で働いておられる現場のマネジャーの方々9名に、一時間ずつヒアリングをさせていただく機会をいただきました(2日間で合計9時間!さすがに、この2日間は体力的にシビアでした!・・・最後は気絶しそうでした、笑)。

貴重な時間をいただいたマネジャーの方々、仲介をいただいた人事ご担当の方々、またアレンジいただいたJPCの矢吹さんには、この場を借りて、心より感謝いたします。ありがとうございました。

今回のヒアリングは、「職場学習の探究」以来、ここ最近、行っている試みの一環であったわけですが、もっとも印象に残ったことのひとつに「部下から学ぶ力」というものがあっります。

わかりやすいので敢えて「力」という概念を鋳造しましたが、それを用いずにあらわさないのだとすると、「マネジャー赴任時に、謙虚に部下から情報をひきだし、現場の情報の流れ / 現場で働く力学を学ぶことの大切さ」とベタにいえるのかもしれません。

問題は、マネジャー赴任後のマネジャーの行動です。

「部下から現場を学ぶこと」ができる人と、できない人では、その後のマネジメントのクオリティが大きく異なるのではないか、と思いました。そういうことを示唆する語りが、数多く得られたことは「収穫」でした。

ところで、以前にも引用させていただきましたように、現場とは「現在進行形」「具体性」「複雑性」「予測不可能性」「即興性」などの、5つのキーワードで彩られる場所だといいます(小田 2010)。

要するに、現場とは「現在進行形で、個別具体的な物事・出来事が進行し、その様相は複雑きわまりなく、かつ予測不可能である場合」が多いということです。

そして、そういう場所で流れている情報(現場粘着情報)や、その場で働いている力学(現場作動力学)は、その場にいる人(多くは実務担当者)の「肌感覚」でしか、なかなか把握することが難しい傾向があります。

しかし「たたき上げでの昇進」ならともかく、多くのマネジャーは、実務担当者よりも「現場」を知りません。

なぜなら、「マネジャーになる」とは「現場的世界」から一定の距離をとり遊離しつつ、「管理者的世界」と「現場的世界」を往還することであり、二つのコミュニティのあいだを、矛盾を抱えながら生きることだからです。いい悪いの問題ではなく、そういうものなのです。ですので、マネジャー赴任時には、必要に応じて「部下などから現場を学ぶ力」が求められることになります。

なぜなら、あたりまえのことですが、現場を把握することができないと、その後の行動や意思決定がままならないからです。

マネジャーが、方針やビジョンや目標をかかげるにしても、はたまた、職場を動かすにしても、まずは「現場」を十分に熟知していなくては、十分に根拠や自信をもった意思決定はできないでしょう。

今回のヒアリングでは、マネジメントのための「ものさしをつくる」というメタファで、「部下から学ぶこと」が語られていました。要するに、意思決定の判断基準となるような現場粘着情報、現場作動力学を「ものさし」というメタファで表現なさっているのだと思います。非常に興味深いことですね。

逆にいうと

自分の「ものさし」がないマネジャー

というのが、もし万が一いらっしゃったとしたら、僕が部下だったら、やはり辛いな、と思いました。ものさしがないということは、「定規をつかわず、ノートに直線をひくようなもの」です。描いた線はブレブレでしょう。判断がブレる。意思決定のクオリティが下がるリスクが高まる、ということを意味するのではないでしょうか。

ここまでの話を総合いたしますと、このように「部下から学ぶことは、マネジメントにとって大切な要素」であることがわかります。しかし、ここからが「ややこしい」のですが、ただ一方で、「部下から学ぶこと」を手放しで「称揚すること」も難しいのも、また事実です。

なぜなら、「第三者を媒介して情報を取得すること」は、常に「難しさ」がともなってしまうからです。つまり、第三者を媒介してがマネジャーが得られる情報には、そもそも「第三者のつくりだしたフィルタ」がかかっているからであり、それは、「第三者のサバイバルストラテジーの行使の結果」である場合があるからです。

場合によっては、「過去の先例を温存するための情報が意図的に選別されていること」「変革を阻害する情報の取捨選択が行われていること」もないわけではありません。

先ほどの話を踏まえていうならば、

マネジャーには

部下から現場を学び、その本質を見抜くこと

が求められることになります。

いやー、難しい。

このあたりの「矛盾」をいかに解消するのか。そこで現場のマネジャーは、いかなる実践知を遂行しているのか。このあたりが、興味深いところです。

今日のお話は、一連の試みの一部なので、まだ整理がついてないとは思いますが、もう少したったら、さらにデータとストーリーをともなったかたちで、皆さんに、様々なまとまった知見をお届けできるものと思います。

そして人生は続く

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追伸.

今日のお話し「ちゃぶ台」をひっくりがえすようで、すみません。

でもね、「マネジメントを語ること」は「矛盾を語ること」なのです。それを語ることの奥には、どこかで「ニヒリズム」がつきまとうのです。

そのたびごとに、「ちゃぶ台がえし」をしていたら、本当に、僕のまわりは「ちゃぶ台」だらけになっちゃうけどね(笑)。いつかは、ちゃんと片付けないとね。もう少し時間がかかりそうですね。すみません、とっちらかってて。

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この記事はNAKAHARA-LAB.NET(2013年3月22日)再掲記事です。NAKAHARA-LAB.NETは、人材開発・人材育成に関する記事が毎日投稿される中原淳のブログです。Yahoo「個人」の方には、NAKAHARA-LAB.NETの過去記事の中でアクセスが多かったものをのせていきます。

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立教大学 経営学部 教授

立教大学 経営学部 教授。経営学習研究所 代表理事、最高検察庁参与、NPO法人カタリバ理事など。博士(人間科学)。企業・組織における人材開発・組織開発を研究。単著に「職場学習論」「経営学習論」(東京大学出版会)、「駆け出しマネジャーの成長論」(中公新書ラクレ)「フィードバック入門」(PHP研究所)、「働く大人のための学びの教科書」(かんき出版)などがある。立教大学経営学部においては、リーダーシップ研究所・副所長、ビジネスリーダーシッププログラム(BLP)の主査(統括責任者)をつとめる。

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