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評価面談時の困ったちゃん達:「フィードバック慣れした人」と「フィードバック恐怖に震える人」!?

中原淳立教大学 経営学部 教授
(写真:アフロ)

評価面談の季節でしょうか。

最近、ここかしこで、フィードバックの話題をうかがいます。

さて、ここ数年、様々な場所で、フィードバックの現場に立ち会う機会があります。

ここでいう「フィードバック」とは、いわば「鏡」のような行為です。

「自分では気づいていないけれど、他者には気づいてしまうような行為・思考の癖などを他人が語り、相手に返してあげる行為」です。もちろん、理想的には、十分に「心理的安全」と「信頼」を確保したうえで、このような作業は行われます。

「僕には・・・XXさんの・・・・は・・・・のように見える」

「で、どうします?」

フィードバックの実務の場面は、研修での360度フィードバックの場面や、評価面談でしょうか。前者では、相互にフィードバックしあうグループでの話しあいのプロセスということになるでしょうし、後者では上長ー部下のあいだで1対1でフィードバックがなされます。

一般に、年齢があがればあがるほど、本人には「言いにくいこと」が増え、かつ、「褒められること」が減ってくる傾向があります。

しかし、本人がそのことを知らないままでは、本人のためになりません。ポジティブも、ネガティブも含めて、フィードバックは、見えたものを「鏡」のように本人に返します。

比喩的な言い方が許されるのならば、それは「贈り物」のようなものです。

まー、スパイシーな贈り物でしょうけれど・・・(笑)

さて「フィードバックの現場」を拝見していて、時折気になることがあります。それは「妙にフィードバック慣れしている人」と「フィードバック恐怖症に陥っている人」が時折散見されることです。

前者は、フィードバックを何度も経験していて、もう、言われることに慣れっこになっている方によく見受けられます。どんなフィードバックを返そうとも、

「そうだよね、、、わかってるんだけどね、デヘ」

「とはいいますけどね、、、デヘ」

みたいなかたちで、てんで聞く気がありません。

これはこれでフィードバックが「刺さらない」ので、困った者です。

一方、「フィードバック恐怖に打ち震えている方」もいらっしゃいます。

こちらは、何を他人から言われるか怯え、貝のように自分を守っています。腕組みをして、自分の身体を抱きしめていることから、その様子はすぐにわかります。

先ほどの「フィードバック慣れ」も困るのですが、こちらもこちらで、せっかく貴重なフィードバックが、あまりにも強固な鎧にはばまれ「刺さらない」ので問題です。

フィードバックは、「正しく進む」ために存在します。

その背後には、

「どんな推進力(イニシアチブ)でも、フィードバックのないものは絶対的に方向性をあやまる」

という「古からの智慧」があるのかもしれません。

実際、みなさんのまわりを見回してみてください。

フィードバックループが機能していないものからは、

方向性があさって向いているものないですか?(泣)

オマエは、もう死んでいる!?(死語)

自戒をこめて申し上げますが、しなやかに、しかし、確実にフィードバックを「受け止めること」ができたとしたら、幸せなことのように思います。

ポジの意見には喜び、ネガには一次的には心理的葛藤を覚えるのだけれども、「言いにくいことが自分に届くうち」は、まだまだ幸せなことなのかもしれません。

そして人生は続く

(この記事は、中原の個人ブログ「NAKAHARA-LAB.NET」の2015年4月8日の記事に加筆・修正を行ったものです)

立教大学 経営学部 教授

立教大学 経営学部 教授。経営学習研究所 代表理事、最高検察庁参与、NPO法人カタリバ理事など。博士(人間科学)。企業・組織における人材開発・組織開発を研究。単著に「職場学習論」「経営学習論」(東京大学出版会)、「駆け出しマネジャーの成長論」(中公新書ラクレ)「フィードバック入門」(PHP研究所)、「働く大人のための学びの教科書」(かんき出版)などがある。立教大学経営学部においては、リーダーシップ研究所・副所長、ビジネスリーダーシッププログラム(BLP)の主査(統括責任者)をつとめる。

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