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「新しい働き方」をしている人は「新しい働き方を目指した人」ではない!?

中原淳立教大学 経営学部 教授
(写真:アフロ)

かなり前のことになりますが、某所から「新しい働き方」についてのインタビュー(対談だったかな?)を、お願いされたことがあります。

僕に、きちんとお役に立てるかどうかを判断しようと思い、

「新しい働き方とは何ですか?」

と電話で伺ったら、「組織に所属しない働き方」とか「組織に所属していながらも、自分で事業をもっている働き方」とか、そういうイメージを「新しい働き方」とおっしゃっていることがわかりました。

その上で、僕はこう質問させて頂きました。

「この記事のターゲットは、今、全く"新しい働き方"をしていない人で、"新しい働き方"をめざす人に、内容をお届けしたいのですか?」

と伺ったら、「そうです」とおっしゃいました。

おそらく、これは僕にお役に立てないだろうなと思い、インタビューのお申し出を丁重にお断りさせて頂きました。

なぜ、僕が丁重にこのご依頼をお断りさせていただいたのか。

まず誤解を避けるために申し上げますが、「組織に所属しない働き方」とか「組織に所属していながらも、自分で事業をもっている働き方」とかいう「新しい働き方」が「ダメ」だと申し上げたいわけでは「断じて」ありません。

「働くこと」は「国民の義務」であり、「働き方」を選ぶことは「個人の自由」なのだから、あとは、それぞれが「判断」なさればよろしいのかな、と思うのです。要するに「好きにしようよ」ということですね。僕も「好き」にしますので。それに関して、他人の僕が、とやかくいう気持ちはございません。

まぁ、正直にいうと「自分の働き方」を考えていくだけで頭がいっぱいで、他人の働き方まで目がまわらないというのが本音かもしれませんが(笑)。僕、今のままの働き方でいいんだろうか・・・

とにかく、どんな働き方でもいいんじゃないでしょうか。「組織に所属しなくても」「組織に所属しながら、自分でも事業を回していても」そういうの、すごいなと思います。

実際、僕のまわりには、ここでいう「新しい働き方」をなさっているんだろうな?と思われる?人がたくさんいらっしゃいます。

それぞれ皆さん働くことを楽しんでいらっしゃいますが、なかには悪銭苦闘している方もいらっしゃいます。

そんな彼らを見ておりますと、「新しい働き方」は「理想」として語ることには僕にはできません。それなりの「エグさ」や「辛さ」が反面にあり、「たのくるしい」くらいが実際のところかなと思えます。だってさ、簡単に申し上げますが、

「人の2倍以上働いてるんだよ」。

しかし、話をもとに戻して、先の記事のご依頼に失礼ながらも、もっとも違和感をもったのは、このことではありません。

もっとも違和感をもったのは、

「新しい働き方」というものは、「それ自体をめざすべき」ものなのか?

ということです。

といいますのは、少ないサンプルながらも、僕の周囲にいる「新しい働き方」をしていると思われる人々は、

「新しい働き方」をしようと思って、「今の働き方」になっている人ではない

のです。

そして、彼ら自身は、

''' 自分の働き方を、「新しい働き方」だと表現しません。

聞いたことない、そんな一言を、彼らの口から。

'''

このことがどの程度の「一般性」のあることかは承知していません。ただ「他人の働き方」をどうこう述べることには僕には興味がわかないので、「一般性」があるかないかを検証することは、これまでも、これからもしないでしょう、と申し添えます。

僕の周囲にいる「新しい働き方」をなしていると思われる人は、むしろ、「組織に所属するかしないかはどっちでもいい人」のように僕には見えます。プロセスは、下記のような感じです。

'''1.「組織」で当初は働きながら、自分のやりたいことやってたら、だんだんと「組織の枠」を少しずつはみだしていってしまった。

'''

'''2.それも、だんだんチョロまかせなくなってきて、「Xさん、最近、外で活躍してるみたいだね!すごいなぁ!」なんて嫌みを組織の内部の人からそれとなく言われる

'''

3.時には、軽くいなしたり、時には「死んだふり」しながら、気づいてみたら、「自分の働き方」が、赤の他人から「新しい働き方」と呼ばれるようになった

4.自分のあずかり知らないところで、「新しい働き方」というラヴェルを張られちゃった

という感じなのかな、と思います。

これは僕のまわりだけかもしれませんが(笑)。

要するにワンセンテンスで申し上げますと、 

今、僕の周囲にいる「新しい働き方」的な人々は、「新しい働き方をめざした人」ではない

のです。

むしろ、

今、僕の周囲にいる「新しい働き方」的な人々は、「新しい働き方」かどうかなんて、あまり気にしていない人

のように思います。

そして

''' 自分の働き方を「新しい働き方」として表現し、それを他人にすすめることをしないこと''

の方が多いんじゃないかな・・・・。

むしろ、ちょっぴり「組織の枠」をはみだしちゃって、「やばいな、ダマでどこまでいけるかな?」と思っているくらいの人のように思うのです。

くどいようですが、彼らが、「新しい働き方」なるものを、他人に「よきもの」として語ったり、推奨したりしているところを僕は見たことがありません。「Xさんは、新しい働き方だね」と言われちゃうと、どこかで「気後れ」や「違和感」を感じたりする人のようにも思います。

新しい働き方をしているように見える人とは、

「組織に所属するかしないか」とか「ノマドか、ノマドじゃないか」なんて、そもそもあまり意識のなかには入っていなくて、ただ「自分のやりたいこと」や「自分のやらなければならないこと」をやっている人

だと僕は思います。

ですので、「新しい働き方めざす記事」というのが、僕にはピンときませんでした。

しかし、世の中には「新しい働き方産業」というものがございます。

面白いですね。

「新しい働き方産業」は、熱心に「新しい働き方」を「新しい働き方に憧れる人」にすすめるのですが、本当に、その方向性で、「新しい働き方」に人を導けるのかなと思ってしまうのです。

ま、僕が心配することでもないけどね(笑)

今日は「新しい働き方」について書きました。

要するに申し上げたいことは「新しい働き方は、個人の自由なんだから、どうぞお好きになさればいいのではないか」、と思う一方で、「新しい働き方=それ自体をめざすもの」として掲げる言説の問題の切り取り方が、腹に落ちなかった、ということです。

それにしても、みなさん、「働き方」を語るのがお好きなんですね。

僕は「自分の働き方」だけで精一杯で、「他人の働き方」まで気がまわりません。

組織に所属してようが、してまいが、

オシャレなカフェで仕事をしようが、しまいが、

働くことを楽しみたいものです。

そして人生は続く

立教大学 経営学部 教授

立教大学 経営学部 教授。経営学習研究所 代表理事、最高検察庁参与、NPO法人カタリバ理事など。博士(人間科学)。企業・組織における人材開発・組織開発を研究。単著に「職場学習論」「経営学習論」(東京大学出版会)、「駆け出しマネジャーの成長論」(中公新書ラクレ)「フィードバック入門」(PHP研究所)、「働く大人のための学びの教科書」(かんき出版)などがある。立教大学経営学部においては、リーダーシップ研究所・副所長、ビジネスリーダーシッププログラム(BLP)の主査(統括責任者)をつとめる。

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