論理的文章に「箸休めワード」は要らない!?
ちょっと前のことになりますが、大学院生の論文指導をしているときに、気になったことが1つありました。
それは、何かと申しますと、
彼らの書いている論理的文章(要するに論文)の中に、いわゆる「箸休めワード」が散見すること
なのです。
「箸休めワード」と申しますのは、ワンセンテンスで申し上げますと「前後のつながっていないロジックを強引につなげる接続語」です。
具体的には、
「話をもとに戻すと・・・」
「このトピックの途中ではあるが、いったん・・・の話題にふれておくと・・・」
「ところで・・・の話題ではあるが・・・」
とか、そういうセンテンスになるのでしょうか。たぶんもっとも強引なワードは「閑話休題」でしょう。「閑話休題」をおくことで、「これまでの論理」をぶっちぎり、別のロジックをそれ以降で展開することができます。自戒をこめて申し上げますが、私たちを「箸休めワード」を「あまりつながりのよろしくない前後の文脈」に挟み込むことによって、何とかロジックをつなげようとするものです。
やや戯画的に描き出しますと、こんな風になります。
ーーー
Aは・・かくかくしかじか、にょろにょろ、ほにゃらら・・Bである
Bは・・かくかくしかじか、にょろにょろ、ほにゃらら・・Cである
ところで話を元に戻すと
ところで、AにはDも関連していることは言うまでもない
ーーー
わかるかなぁ(笑)。
ここでは、前段では三段論法を用いて、A=Cであるという論理展開を行っているのですが、筆者は「そういえば」AにはDも関連していることを思い出しました。しかし、文章は進んでしまっているので、Aの話に戻るのはなかなか難しいものがあります。そこで用いられるのが「箸休めワード」です。無理矢理「ところで話を元に戻すと」というワードを挟み込むことによって、Aに戻ります。
こうした論理展開は、多くの学術論文では、分野にもよるでしょうが、まず用いられることはありません。レトリックを駆使する分野もあるのでしょうが、少なくとも僕の研究分野では「皆無」といってよいと思います。
なぜなら、一般に
論文とは「1ミリのロジック破綻」も許されない精巧な「論理のブロック」のようなもの
だからです。
一概にはいえませんが、論文とは、
「あー、こんなに、論理が流れちゃってかしら。気づいたら、仮説提示から結論まで、いつのまにか、ボートがたどり着いちゃっておりましてよ、ウフ」
という感じの1ミリも無駄やスキもない文章なのです。
論理に論理を積み重ね、問題関心から結論までを「一筋の線」でつないでいきます。「気づいてみれば、いつのまにか、結論にたどり着くがごとく」論理をスムーズにつないでいかなくてはなりません。
だから、論文を書いていて「箸休めワード」があったら、その前後を読んでみてください。100%ではないですが、そこに論理展開の危うさが隠されていることがままあるものです。
また、論文を書いていて箸休めワードを用いたくなったら、逆にご用心です。そこには筆者は薄々感じているような「論理の破綻」「論理のつながりの薄さ」が見え隠れすることが多いものです。しょうもない知識ですが、これが僕がご紹介できる実践知のひとつです。
閑話休題!(笑・・・これも箸休めワード)
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今日は「箸休めワード」のお話をしました。このことについては、かつて「論文とビジネス書の違い」という記事で紹介したことにゆるく関連している内容です。
ビジネス書の文章構造を考える:「ビジネス書」と「論文」は何が違うのか?
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nakaharajun/20140109-00031378/
ここでも書きましたように、論文とは「One Paper, One Conclusion(1つの論文には、1つの結論のみが許されます)」。
べつの言葉で申し上げますが、論文は「、「フォーカスを徐々にしぼりながら、最後の結論の1点に至ること」が求められます。
一方、ビジネス書は、僕の私見ですが「いくつかのクラスター」を寄り道しながら「ノンリニア」に進行する文章に見えます。
まぁ、ブログも後者ですね、圧倒的に。
というわけで(箸休めワード)
論文に「箸休めワード」があったらご用心!
そして人生はつづく
(本記事は、中原の個人ブログ「NAKAHARA-LAB.NET」に掲載された2015/09/25の記事に、加筆・修正を加えたものです)