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「留学して英語がペラペラになる人」と「留学しても一言もしゃべれない人」は一体「何」が違うのか?

中原淳立教大学 経営学部 教授
(写真:アフロ)

昨日、海外の仕事経験の長い方と、ひょんなことから、お話をする機会を得ました。

その方曰く、

海外で長いこと仕事をしていると、比較的短期間海外赴任してくる日本人、海外に学びにくる学生(高校生、大学生)をたくさん見ることになり、いろいろなことを思う

のだそうです。

その方とは、「海外にでたときの日本人の学び」について、いろいろなことを伺いました。

僕の研究分野は「人材開発」。僕の研究は、人材開発の数多くの分野にまたがっていますが、細々とではありますけれども(すみません)、これまで海外赴任する日本人マネジャーが、いかに現地に適応し、成果を出せるのかについての研究を続けています。

そのような海外赴任の研究をするなかで、僕には、いつも疑問に思っていたことがありました。その問いは、しかしながら、あまりに基本的なものだったので、敢えて口にだすのは憚られるようなものでした。

しかし、過去数十年にわたり海外での仕事をなさってきた先達を前に、今一度、確認してみたいことがございましたので、これを機会に、その筋の経験をよくお持ちの方に伺ってみることにしました。

僕の密かな問いとは、こういうものです。

「留学して語学をものにできる人と、できない人がいますよね。留学して英語がペラペラになる人もいれば、留学しても一言もしゃべれない人もいます。あなたの経験からみて、その差は、ワンワードでいうと、何によって生まれますか?

この問いは、いろいろ要因をあげていけば、キリがないと思うんですよ。でも、いろいろあるんだろうけど、敢えて敢えて1つだけにしぼって、1つだけあげるのだとすると、それは、何ですか?」

皆さんは、答えは何だと思いますか?

その方曰く、答えはシンプルなものでした。

「目的です」

「つまり、英語を道具として使って、何をしたいのか。何をしたくて、外国にきたのか。大きな目的があるか、ないかで、語学の習得精度は大きく変わってくると思います」

あまりにシンプルなお答えでしたが、しかし、そのお答えは、僕が長年思っていることと、重なるところが多いような気がしましたので、「やっぱりな」と思いました。

ちなみに、僕がおそらくこうだろうと思っていた仮説は、

「(英語を道具として使って)成し遂げたい何かがあるか、どうか」

でした。

「成し遂げたい何か?」の部分を「目的」と言い換えれば、先ほどの方の答えに相当近くなるような気がします。

つまり「語学を習得すること」や「英語を学ぶこと」が「目的」なのではなく、その英語をいわば「道具」として使って「何」をしたいのか、そういう「目的」が明瞭で、かつ、そこに関する思いの強い人は、語学に習熟できる可能性が高いのではないかと思っています。

僕は英語が専門ではないので、これらは「わたしの教育論」でしかないですけれども、自分の周囲にいる人達で、語学に精通している人を見ていると、そんな風な仮説を持ってしまいます。

というのは、僕の、あまりに個人的な私見によれば(わたしの教育論ですので、気に入らない方は読み飛ばして頂いて結構です)、

「語学を習熟する」というのは、「勉強」というより、むしろ「筋トレ」に似ている

と思うのです。

つまり、

「筋トレ」は、よほどの「筋肉フェチ」「マッチョ願望の強い人」でない限り、それ自体を目的にすることは、あまりありません。そういう人もいるんだろうけど、大多数は「筋トレ」は何かの目的を達成するために為されるのだと思います。

たとえば「何かのスポーツに勝ちたい」「健康になりたい」という「大きな目的」があって、人は「筋トレ」に励むのではないかという仮説が成り立ちます。

まったく個人的な意見で恐縮ですが、「語学を習熟」するということも、「筋トレ」に似ているような気がするのです。

つまり、「語学」それ自体を習熟するというよりも、その延長上に「大きな目的」があって、「大きな目的」を成し遂げようとするときに習熟できるものではないか、と。

そして「大きな目的」はそうそう達成できないがゆえに、人は「語学」と長くつきあい、学び続けるがゆえに、結局、語学を習熟した状況が生まれるのではないか、と。

ちなみに「語学の習熟」と「筋トレ」を喩えるのは、もうひとつ含意もあります。

途中で投げ出してしまったあとの「末路」もそっくりなんです。

これまで激しく「筋トレ」していたのに、それを途中で放り出してしまうと、筋肉がおちてすぐに「ブヨブヨ」になっちゃうでしょう?

語学も日々学び続けることをやめたら、すぐに「ヒアリング力」とか落ちちゃうのではないかと思います。

ちょうど「風呂」の栓を抜くように、湯船には何も残りません。

今日は「英語を習熟すること」について書きました。

今日の記事は「英語の非専門家」が述べる「わたしの教育論」なので、軽く読み飛ばしていただいてまったく結構です。

答えは、あげつらえば、いろいろあるんでしょうし、その多くが正解でありうるのでしょう。その判断は、読者の方々に任せます。まぁ、中には、目的をもたなくても、スポンジが水を吸うがごとく語学を習熟できちゃう天才肌の人もいるんでしょうから、実際、リアルワールドは千差万別なんでしょう。

しかし、これに関して、先だって、ある会社の採用担当者、新人育成担当者の方と話していて、伺った話が忘れられません。

「今は、留学が"ブーム"だから。でも、留学して何を得たかは千差万別。中には外国に出かけただけの人もいる。留学して何かしてきた人もいる」

「留学は、みんなデフォルトでしている場合が多い。だから、留学したってだけで、就職のウリにはならない。それに、留学の質も千差万別。留学して英語をペラペラしゃべれる人もいれば、留学したからといっても、一言もしゃべれない人もいる。」

願わくば、「成し遂げたい何か」をもって、外国に出たいものです。これから出られる方は、ぜひ、そのことを意識なさるとよいのかもしれません。

そして人生は続く

(本記事は、中原の個人ブログ「NAKAHARA-LAB.NET」に2014年10月23日掲載されていた記事を、加筆・修正したものです)

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立教大学 経営学部 教授

立教大学 経営学部 教授。経営学習研究所 代表理事、最高検察庁参与、NPO法人カタリバ理事など。博士(人間科学)。企業・組織における人材開発・組織開発を研究。単著に「職場学習論」「経営学習論」(東京大学出版会)、「駆け出しマネジャーの成長論」(中公新書ラクレ)「フィードバック入門」(PHP研究所)、「働く大人のための学びの教科書」(かんき出版)などがある。立教大学経営学部においては、リーダーシップ研究所・副所長、ビジネスリーダーシッププログラム(BLP)の主査(統括責任者)をつとめる。

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