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「他人のミス」に「なぜ〜しなかったんだ!?」と叱っても「無意味」な理由!?

中原淳立教大学 経営学部 教授
(写真:アフロ)

先だって、長く臨床の現場でカウンセリングにあたってきた非常に高名な臨床心理士の先生とお話する機会を得ました。

僕の専門は人材開発。僕自身は、カウンセリングも、よもや、臨床心理も、全くのズブのドシロウトでしたので、非常に学ぶことが多く、興味深くお話をうかがいました。

臨床心理学の先生とのお話は、どのお話も面白いものでしたが、最も印象的だったのは、

他人のミスを叱るときに「なぜ〜しなかったんだ!」と迫っても「意味がないよ」

というお話しでした。

先生は、

「なぜ〜しなかったんだ?」

という言葉の「意味」について説明してくださいました。

胸に手をあてて我が身を思い返してみると、「なぜ〜しなかったんだ」という言葉は、部下がミスをしでかしたとき上司がついつい口にしてしまう言葉です。あるいは、子どもが悪いことをしたとき親が用いて、理由を問い詰める言葉でもあります。僕もふくめて、一般に、よく使われるのではないでしょうか。

文字通り解釈いたしますと

「なぜ〜しなかったんだ?」

という言葉は、「上の立場」や「管理監督する側」の立場から「理由」を聴いていると解釈できます。

「なぜ?」と問うているので、それは「理由」を聴いていると文体上は考えられるからです。

しかし、これを「言われる立場」や「叱られる立場」の方から見ると、それは、全く異なる見え方をしてしまいます。

結論を申し上げますと、「なぜ〜しなかったんだ?」という言葉は、

「理由を聞かれている」のではなく「追い込まれている」だけ

のように知覚されるのです。

もう少し具体的に申しますと、

「叱られる立場」の側からすると「なぜ〜しなかったんだ」という言葉は、

「もし仮に理由があったとしても、おいそれと、理由を答えてはいけないような無条件の叱責状況に追い込まれている」

に感じる、というお話が、非常に興味深いことでした。

「なぜ?」と問われていることは「理由」を問われているのではなく、むしろ「〜しなかったこと」を無条件に責められていると感じるということですね。

要するに「理由を答えてしまっては怒られそうだし、理由を答えなくても怒られる」

そういう八方ふさがり、逃げどころのない状況に追い込まれていると感じるということです。

それでは、なぜこのようなかたちで、「叱る側」と「叱られる側」には認識の違いが起こるのでしょうか?

よく考えてみると、「なぜ〜しなかったんだ?」という言葉には、「二重拘束=にっちもさっちもいかないような八方ふさがりの論理」が含まれているのです。

どういうことかって?

もし、仮に、叱られている側が「なぜ〜しなかったんだ?」という問いに対して、簡単にすらすらと「理由を答えて」しまえば、どうなるでしょう。叱る側はさらに激怒します。

「なぜ、理由がわかっているのに、やったんだ!オマエは脳ミソがついてるのか!」

とさらに怒られそうです。

じゃあ、反対はどうか。

今度は「なぜ〜しなかったんだ?」の問いに、叱られている側が「理由を答えなかった」とすれば、どうでしょうか

やはる叱る側は激怒しそうです。

「おまえ、なぜ?答えない!本当に反省してるのか、言ってみろ!」

と、さらに怒られるのです。

要するに、どっちにしても、

「さらに怒られるだけ」

なんです(泣)。

だから「二重拘束=どっちにしても、八方ふさがり」です。

そして、こうなることをわかっているからこそ、人は、「なぜ〜しなかったんだ?」という言葉に怯え、すくむ。

そして、怯え、すくんだ状況では、人はパニックになります

要するに「思考停止」です。

思考停止してしまった人には、内省が回りません。

本来ならば、「何が悪かったのか?」「今後どうしたらよいのか?」をロジックをもって考えることが重要ですが、そうした論理をおう作業が難しくなります。

よって、また同じ過ちを繰り返します。

だって「考えてないんだから」(笑)

あべし(泣)。

今日は臨床心理学の先生との対話を通して「人を叱るとき」のことを考えてみました。このようなことは、僕は、これまで一度も考えたことがないことでした。

'''

「何気なく用いている言葉ひとつで、相手を追い込んでしまうんだな・・・追い込んでしまうと、人は学べないし、同じ過ちを繰り返してしまうんだ・・・」'''

と思いました。

そして人生は続く

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(この記事は 2013年7月12日にNAKAHARA-LABで掲載された記事を再掲しています)

立教大学 経営学部 教授

立教大学 経営学部 教授。経営学習研究所 代表理事、最高検察庁参与、NPO法人カタリバ理事など。博士(人間科学)。企業・組織における人材開発・組織開発を研究。単著に「職場学習論」「経営学習論」(東京大学出版会)、「駆け出しマネジャーの成長論」(中公新書ラクレ)「フィードバック入門」(PHP研究所)、「働く大人のための学びの教科書」(かんき出版)などがある。立教大学経営学部においては、リーダーシップ研究所・副所長、ビジネスリーダーシッププログラム(BLP)の主査(統括責任者)をつとめる。

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