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部下をもちはじめた頃から急速に失われる「3つの肌感覚」とは何か?

中原淳立教大学 経営学部 教授
(写真:アフロ)

ある人が、ひとつの組織において偉くなり、やがて「リーダー」「マネジャー」「管理者」として、部下を指導し始めた頃に、「へた」をすれば、急速に失われ始める可能性のあるものが3つあります。

それは3つの感覚、「素人感覚」「世間感覚」「現場感覚」です。

今日はこの3つの感覚を論じてみましょう。

それらは、長い仕事人生を考えた場合、あまり失うことが得策ではない「肌感覚」です。

まず、第一の「素人感覚」とは、別名「若い人の感覚」であり、「新人の感覚」です。

ある人がマネジャーとして辣腕をふるう頃には、自分が新人時代だったころから、十数年くらいはかかっているでしょう。

その頃には、マネジャー自身は、あらゆる仕事がルーティンになり、情報処理は自動化・慣習化しています。

ここでマネジャーを襲うのは、

「若い人が、何がわからないのか、わからない」

という事態です。

なおかつ、マネジャーには、自分が自動化してできてしまうことを、言葉で説明することができなくなっています。

ここで忍び寄るのが、第一の感覚「素人感覚の喪失」です。

これに関しては、あるマネジャーがこう言っていたことを思いだします。

「彼ら(若い人)が、何がわからないのか、なぜわからないのか、僕にはわからない。そして、僕がわかっていないことが、彼らにはわからない」

第二の感覚である「世間感覚」とは、

「組織の外の社会では、何が常識であり、何が流行しているのか。一般の消費者は何を求めているのか」

ということに関する鋭敏な感覚です。

マネジャーになるにせよ、ならないにせよ、また、本人が望むと望まないとにかかわらず、ひとつの組織の中に居続るプロセスにおいて、人は、組織から「社会化」の圧力を受け続けます。

それによって、様々な作業や物事が自動化し、うまく適応できるようになるのですが、一方で、組織目標に合致した信念体系・ものの見方・思考形式をから抜け出せなくなってしまうものです。

というわけで、ひとつの組織においてキャリア上昇を果たすプロセスにおいては、「世間感覚」から遊離する可能性が高くなってくるわけです。組織の常識にからめとられ、世間が何かが見えなくなってくるということです。

これに関しては、あるマネジャーさんが、こんな印象深い言葉を残しておられます。

「昔、わたしの中では、常に2つの人間がいてた気がするんです。組織の常識で動く自分と、世間様の常識でうごく自分。(中略)でも、いつか、組織の常識で動く自分だけになっちゃっていた・・・」

第三の感覚である「現場感覚」は、

いわずもがな「働く現場で起こっている物事に対する鋭敏な感覚」です。

一般に、現場とは「現在進行形」「具体性」「複雑性」「予測不可能性」「即興性」などの、5つのキーワードで彩られる場所だといいます(小田 2010)

要するに、現場とは「現在進行形で、個別具体的な物事・出来事が進行し、その様相は複雑きわまりなく、かつ予測不可能である場合」が多いということです

しかし、「現場の人々」は、そういう刻一刻と変化する場所において、そのつどそのつど情報を収集し、適切に、インプロ的に、物事を解決していきます。

しかし「マネジャーになる」ということは、程度の差こそはあれ、「現場からの離脱」を意味します。

なぜならマネジメントの原理的定義は「Getting Things Done Through Others(他人をもってコトをなすこと)」ですので、自分は「現場で起こっていること」に触れないようにして、「他人に任せること」ことが「基本の基」だからです。

かくして、少しずつ、彼ら / 彼女が「現場から離脱する」につれ、かつては自分の中で機能していた現場の感覚が、だんだんと鈍ってきます

かくして、マネジャーは現場のことがわからず「マネジメント」しかできなくなってしまいます。

そして、外部の労働市場において

わたしには、「うちの会社の課長」ができます!

わたしには、「うちの会社の部長」ができます!

としか、自分のもつバリューを表現できない事態が生まれてしまうのです。

今日の記事では、

人が組織でキャリア上昇をはたし、マネジャーになる頃には、失われる危険性のある3つの感覚についてお話ししました。

もちろん、「マネジャーになった」からといって、この3つが必ずしも失われるわけではありません。

また、それらはマネジャーにならなくても、ないしはひとつの組織にいなくても、加齢等によって失われていくことかもしれません。

しかし、この3つの感覚「素人感覚」「世間感覚」「現場感覚」が失われた状況というのは、これからの組織を生き抜く人々の「キャリア形成」としては、あまり「ポジティブなこと」とはいえない「厳しい状況」も見えてきます。

かつては、組織が右肩上がりで、増え続ける人員に対して、何とか、マネジャー以上の上級職ポストを用意することができました。

今は、マネジャー職以上の上級職のポストが少なくなっている組織が増えておりますし、一方で、65歳まで働かなければならない社会的状況が生まれつつあります。

ということは、今、マネジャーである人にとっても、「マネジャーになったことが、必ずしも、その組織におけるキャリアのゴールとはならない」状況が生まれつつある、ということです。

そういうことになりますと、しかるべき期間を終えたあとには、現場において、一担当者や、一教育係として、後輩の指導にあたったり、現場において世間様とふたたび対峙する可能性がでてくるということです。

その際、「素人感覚」「世間感覚」「現場感覚」を失ってしまった元マネジャーには、「武器」が全くありません。全くの「丸腰」のまま、「現場」に翻弄されながら「素人」に出会い、「世間様」と対峙する可能性が増えてくるのです。

「素人感覚」「世間感覚」「現場感覚」を失わずに、いかに、マネジャーとして働けるのか?

これがわたしたちが考えていかなければならない問いのひとつです。

あなたは「素人感覚」「世間感覚」「現場感覚」、失ってはいませんか?

そして人生は続く

(この記事はNAKAHARA-LAB.NET 2014年4月12日の再掲記事です)

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立教大学 経営学部 教授

立教大学 経営学部 教授。経営学習研究所 代表理事、最高検察庁参与、NPO法人カタリバ理事など。博士(人間科学)。企業・組織における人材開発・組織開発を研究。単著に「職場学習論」「経営学習論」(東京大学出版会)、「駆け出しマネジャーの成長論」(中公新書ラクレ)「フィードバック入門」(PHP研究所)、「働く大人のための学びの教科書」(かんき出版)などがある。立教大学経営学部においては、リーダーシップ研究所・副所長、ビジネスリーダーシッププログラム(BLP)の主査(統括責任者)をつとめる。

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