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「若手の指導役」として働ける中高年ビジネスパーソンの特徴!?

中原淳立教大学 経営学部 教授
(写真:アフロ)

定年延長の動き、役職定年制の動きが広まるにつれ、「マネジャーになることがゴールではない」世界が生まれつつあります。

定年数年前に、マネジャーとして「一線を退いた」人が、「部下なしのマネジャー職」ないしは「部下なしの実務担当者」として働く世界が、さらに「日常の風景」になってきつつあるということです。多くのビジネスパーソンが、そのことを「肌感覚」で感じておられるのではないでしょうか。

かつて中央労働委員会(2007)が行った調査によりますと、45.7%の企業で、すでにこれらの制度が導入され、運営されているのだといいます。

その運用の難しさ、制度の是非は、至る所で指摘されており、すでに耳目を集めておりますので、ここでは再掲しません。

それらをいったん世の中の動向として受け入れたうえで、今後、中高年ビジネスパーソンがいかにサバイブすれば良いかを考えます。

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マネジャーからプレーヤーへ。

一般に、そうした場合、元マネジャーに期待されているのは、「後輩育成」や「技能伝承」など、組織の中での知識・技能を、新人・若手に伝える役割です。ワンセンテンスで申し上げますと、要するに「指導役」ですね。

もちろん、「指導役」ではなく「単独プレーヤー」に戻ることもありますが、その場合であっても、新人・若手がつけられ、指導をゆだねられることが、まま、あります。

ちょうど、「踊る大捜査線」のいかりや長介演じる「和久平八郎」のようなイメージですかね。

「正しい事がしたければ偉くなれ」

「俺たち所轄はなあ、あんた達が、大理石の階段昇っている時、地ベタ、這いずり回ってるんだ!」

「正義なんて言葉は口にするな・・心に秘めておけ」

しかし「指導役」と一口にいいますが、どんな人でも「指導役」になれるわけではありません。

みんながみんな「和久さん」になれるわけではないのです。

そこには役割転換の難しさ、モティベーション維持の難しさが存在し、かつ、この制度が抱える「深い闇」が存在することは、先に述べたとおりです。

給与が下がる可能性が高いこと

明確な部下もいなくなくなること

そして何より

マネジャーだった人がプレーヤに戻る、という急激な役割変化

こうしたものに押しつぶされてしまう元マネジャーも残念ながらいらっしゃいます。

それらのことに、心理的葛藤を憶えたり、あるいは、学習棄却できずに適応できなかったり、あるいは、モティベーションを失い腐ってしまうマネジャーは少ないわけではありません。

最近は、「再雇用をする人材」の選別も行われるようになりつつありますので、「プレーヤー」に戻ろうと思っても、それが希望通り叶わないケースも増えてきています。

マネジャーから、ふたたび、プレーヤーへ

そして後輩指導へ、知識技能伝承へ

こうした場合、どういう人が、このハードな課題を乗り越えることができるでしょうか。ここでは、下記に5つ述べてみたいと思います。

1)前向きに学習- 学習棄却- 再学習を行うことのできる人

2)現場に根ざした知識・技能・感覚を持っている人

3)教える技術・諭す技術をもっている人

4)職場に対する心配りができる人

5)新しいことを探究するマインドをもっている人

この5つです。下記に、これらについてご説明しましょう。

まず第一、1)「前向きに学習- 学習棄却- 再学習を行うことのできる人」としては、定年前の急激な役割の変化を、まずは受け入れ、必要なことを学び直すことが出来る人です。

特に「これまで」の一部を棄却し、その中で役立つ部分を後世に伝えなければ成りません。

そのために必要な第一の資質は、まず、その立場にたつ人こそが「学ぶこと / 学び直すこと / 学び捨てることのできる人」である、ということではないか、と思います。

次に、第二のポイント「現場に根ざした知識・技能・感覚」をもっている人ですね。

この場合、後世につたえるべき知識・技能は、「現場に根ざしたもの」のはずです。しかし、シニア世代は、マネジャーになってからというもの、現場を離れて数十年たっている場合もままあります。そのプロセスの中で、現場の感覚が失われていることもないわけではありません。

よく「プレイングマネジャー」と揶揄されますが、今の時代には、マネジャーになったとしても「プレーヤーであること」を放棄することは、あまりよろしくない結果をのちのち招くことになるのかもしれません。

「背中を見せよう」にも、「見せる背中がない」のなら、指導はできません。

「見せる背中」、すなわち「現場感覚」がなければ、指導はできないのです。

願わくば「見せる背中」に対して、組織内で一定のリスペクトがあることが大切です。

第三に必要なのは「教える技術・諭す技術をもっている人」です。

これがないことにはお話しになりません。「教えられない指導役」「諭すことができない指導役」は、形容矛盾であり、若い世代から見た場合、「迷惑」でしかありません。

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「意識が低く、かつ、教えられない元管理職」を「指導役」として割り当てられ、絶望し、去っていくのが「できる若手」「これからの若手」であったとしたら、もう目も当てられません。'''

しかし、そういう少なくない事例を、僕は、よく若い世代からききます。それが、どの程度、一般性のあることかどうかはわかりません。が、割り当てられているのは「教えることのできる指導役」ですか?

第四に、このような役割変化の影響は、先に述べましたように、「個人の枠」を容易に超え、職場に広がっていきます。

不適応をおこすシニアが増えていく場合、職場全体の生産性やモティベーションダウンにつながるこことも、容易に想像できます。また、「あれでもやっていけるんだ」という怠惰な指導役を職場メンバーが目にしたとき、職場自体が「ネガティブな学習」をし、やがて職場の規範が崩壊します。

特に必要なことは、自分のもっている「影響力」「権限」に対する周囲の反応に、敏感に反応し、謙虚に振る舞えることです。さらには「職場に対する心配りができること」が、大切かと思います。

最後に、5)「新しいことを探究するマインドをもっている人」です。

実は指導役として若手を育成するというときに、実際には、知識を「伝達」するだけではすまないのです。

つまり、「元マネジャーの有する古い知識」を、あたかもパイプで流し込むように「若手」にそそぎこむことだけでは、たいていの場合は、指導役の仕事はすまないということのほうが多いのではないでしょうか。

なぜなら、その方が、プレイヤーを離れていたその間、「外部環境だって、相当に変化」しているのです。つまり、過去の成功体験や、過去の経験が、直接、転移できる領域は、そもそも限られていることが予想されます。

「外部環境の変化」をまっすぐに受け止め、若手とともに「新たなことを探究していく姿」「ともに学んでいけるマインド」が必要なのです。

ともかく、このような状況は、数年ないしは10年くらいは続くものと思われます。

まさに「過渡期」に生まれている現象なのかもしれません。

僕個人は、必ずしも、こうした状況が「望ましい」とは、様々な理由から思っていません。

が、人事・組織運営には「惰性(イナーシア)」が働き、事態はすぐには改善しません。現制度を維持しつつ、何とか変化をなしていくためには、それなりの時間がかかります。

中には素晴らしい指導役、若手も惚れ惚れするような技能や知識や経験をつたえてくれる年配者も多数おられます。

そのような方が一人でも増えてくれることを願いますし、経営・人事の観点からは、そういう役割転換を促進できる人事制度のあり方、人材マネジメントのあり方を心がける必要があります。

いずれにしても、「現場の感覚をもつ指導役」「教えられる指導役」「見せる背中のある指導役」が、今、求められているように思います。

(本記事は、中原の個人ブログ「NAKAHARA-LAB.NET」に掲載されていた記事を、加筆・修正したものです)

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立教大学 経営学部 教授

立教大学 経営学部 教授。経営学習研究所 代表理事、最高検察庁参与、NPO法人カタリバ理事など。博士(人間科学)。企業・組織における人材開発・組織開発を研究。単著に「職場学習論」「経営学習論」(東京大学出版会)、「駆け出しマネジャーの成長論」(中公新書ラクレ)「フィードバック入門」(PHP研究所)、「働く大人のための学びの教科書」(かんき出版)などがある。立教大学経営学部においては、リーダーシップ研究所・副所長、ビジネスリーダーシッププログラム(BLP)の主査(統括責任者)をつとめる。

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