「ホワイト企業」の「ブラック職場」に巣くう「ブラックマネジャー」!?
昨今「ブラック企業」「ホワイト企業」という「二分法的なコンセプト」が人々によく用いられています。
経験の浅い若年層をこき使い、使い捨てにするなどのことは、「人材開発の専門家・研究者」として断じて許すことはできません。
まことに微力ながら、ブラック企業の早期の根絶の試みに、御協力させていただきたいと思います。
そのことは、まず最初に表明させて頂きます。これは強調しすぎても、しすぎることはない。
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しかし、敢えて申し上げるのだとするならば、
「ブラック企業」「ホワイト企業」という「二分法的な企業分類」が果たして妥当なのかな
という思いを、専門家として、どうしても持ってしまうことも「否めぬ事実」です。
世の中の企業は「ブラック企業」か「ホワイト企業」の2つに1つなのでしょうか?
それって少し単純化しすぎじゃない
とどうしても思ってしまいます。
といいますのは、僕が企業を対象に組織調査を行うときには、職場ごと、ラインごとにデータを集計します。
そのような職場事のデータを眺めておりますと、
「同じ組織であって、職場が違えば、別組織」
と思えるような「組織内の、職場間の、とてつもない違い」を目にすることが多いのです。
働きがい、モティベーション、組織の風土は、職場やマネジャーの力量や資質によって、大きくかわります。
会社・組織はたとえホワイト企業として有名であっても、職場レベルでは、その労働、生活は、ブラックにも、グレーにも、ホワイトにもなりえる
ということがわかります。
単純に調査データから現実はなかなか推し量ることはできませんが、データを見詰めておりますと
「同じフロアにある職場なのに、こちらは天国、3メートル先は地獄」
「同じ敷地内にある職場なのに、あっちはパラダイス、こっちはデスマ(デスマーチ)」
という状況が起きていることを、ついつい想像してしまいます。
つまりは、職場ごと、マネジャーによって、職場メンバーの働き方が相当変わってくるということです。
ここで妄想力を高めて、ひと言で申し上げますと、
「一見、ホワイト企業に見えても、ブラックな職場は存在する」
ということになります。
ま、要するに、「ホワイト企業のブラック職場」ということですね(泣)。
大学ですと「ホワイト大学のブラック研究室」ですか?(泣)
つまり、ブラック、ホワイト、ないしはグレーという分類は、「組織レベル」ではなく、「職場レベル(職場単位)」や「マネジャーレベル」で分類することもできるということですね。皆さんのまわりにもあるでしょう?
ブラックな職場、ホワイト職場、グレー職場、ダークグレー職場が・・・(笑)
ブラックマネジャー、ホワイトマネジャー、グレーマネジャー、限りなくブラックに近いマネジャーとかも(笑)
くどいようですが、組織ぐるみで「ブラックな人材活用」をする企業は、断じて許されることではないことは、言うまでもありません。
それに加えて、私たちは「ホワイト企業のブラック職場」や「ホワイト企業のブラックなマネジャー」にも目配りが必要なようです。
そういうのは、早急に仕事を振り返って頂き、改善していただきたいものです。
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今日は、「ブラック」「ホワイト」という分類が、組織レベルではなく、職場ごとに変わってくるよね、という話をしました。
こういう話をいたしますと「何を今さら!考えてみれば、あたりまえ」のように感じますと、その分類が組織レベルで認識されることを「是」といたしますと、ともすれば見過ごされがちなのかもしれません。
結局、職場とは「ブラックボックス(暗箱)」なのです。
中で何が行われているか、どのような力学や権力が作動しているか、そしてどんな出来事が起こっているかは、ともすれば、外から見えにくいものですし、介入も難しいものがあります。
人事・経営といえども、職場の成果(プロダクト)はわかっていても、そこで何が起こっているか(プロセス)は、なかなか見えにくいものなのでしゃないでしょうか。
本来昇進させてはいけない人をマネジャーにしたり、定点観測・観察・ヒアリングなどを行わず、職場をブラックボックスのままにしておいたり、またマネジメントの基礎ややってはいけないことをきちんと「教育訓練」する機会を省いていたりすると、職場の風土は荒れていく可能性が高くなっていきます。
結局
クオリティチェックのない権力は、必ず腐敗する。
プロセスモニタリングのない権力は、もれなく腐敗する。
ということです。
「組織ぐるみのブラックさ」は言うまでもなく根絶するべきものですが、「職場レベルのブラックさ」も、個人的には、大きな問題であると感じています。
そして人生は続く
(本記事は、中原の個人ブログ「NAKAHARA-LAB.NET」に掲載されていた記事を、加筆・修正したものです)