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若い社員に仕事を振ると「なぜですか?」と逆質問される:人はなぜイラッとくるのか?

中原淳立教大学 経営学部 教授
(写真:アフロ)

僕の専門は「企業の人材開発」です。最近、企業の方とお会いしていると、頻繁に聞かれるボヤキ(最近、ボヤキばかりですね・・・すみません)がこれです。

「最近の新人は、口を開けば、"なんでですか?"。少し仕事を振ると、"これは、なぜやるんですか?"。"なんで?""なんで?""なんで?"の応酬で困ってしまいます。おまえは、まだ若い!”理由"や"意味"なんか知らなくていい、って思うのですが」

これは、いわゆる「最近の若者・・・はダメになった論」ですので、あまり真に受けて考えるのもどうかと思うのですが、なかなか「興味深い論点」だと思われるので、少しだけ、ゆるゆる、ダラダラと考えてみましょう。

最初に断っておきますが、僕も、このボヤキには共感できるところはあります。

僕も、ミドルキャリアに片足を突っ込んでいて、そういう話を聞いて、「そうだよな、」胸がすっとなる気持ちがわかる。

けれども、敢えて、この「なんで?」に横たわる理由を考えてみると、ふだんは考えないことが見えてくる。

どっちつかずで申し訳ないけれど、僕には、もう片方の若い人の気持ちも、とても共感できる。

自分自身が、そういうアンビバレント(両義的)な思いを抱えていることを正直に吐露しつつ、今日は書きます。

今日の問いは、なぜ、このような局面で、新人に"なんで?"と意味を問われて、上の人はイラつくのか、ということです。

人は、なぜ、「なんで?」と仕事の意味を聞かれるとイラつくのか?

まず容易に思いつくのは、この理由です。

第一の理由は

「自分が新人のときには、"なんで?"と問いをもつことはなかった / 許されなかったのに・・・今の若い奴は問いをもつなど、許されん」という「職場の垂直的権力関係に関するノスタルジー」

です。

この思いには、「おれが体験したことを、次の世代も体験すべし」という「体育会的世代継承論」が裏打ちされています(笑)。

おそらく、今は一人前になってしまった方も、「なんで?」と問いたくなる局面はあったのかもしれない。

しかし、当時、職場の中の人間関係には、垂直的な権力関係が、今よりも強固であった。

かつて、あるビジネスパーソンが口にしたひと言が忘れられません。

「課長が黒といえば黒。ただし、部長が白といえば白」

そして、権力関係が強固であればあるほど、様々な自分の思いを口にだすことははばかられる。否、反面、権力関係が強固であるということは、「内部」にいれば「守ってくれる」。だから、敢えて、自分から「外部」に出ることはしない。

また、同時に、その当時は「おれの背中を見て育て論」が職場では主流だった。誰も教えてくれなかった。いろいろなことの意味や理由を、口にだしたりしなかった。なおさら、自然と、「なんで?」と問うことはなかった。

しかし、今は、変わってしまった。

ハラスメントという各種のラヴェルが生まれ、人々の監視が強まっている。職場の権力関係も相当に変化している。

信頼関係や尊敬(リスペクト)の念がたとえなかったとしても職場に色濃く残る権力関係やポジションだけで「職場を統治」できる時代は、もうすでに色褪せているのに、それをまだ上が引きずっている場合に、下の方には、あの言葉が、つい脳裏に思い浮かぶ。

「なんで・・・?」

まして「権力の内部で守られる意識」は、今はもうもてない。

脳裏に浮かんだ言葉は、つい口にでてしまう。

「なんでですか?」

そして、その言葉を上の人が聞いたとたん、昔を懐かしむ「ノスタルジー」と自分がどっぷりとかつて浸っていた「体育会系的世代継承論」があたまをもたげる。

そして、イラッとくる。

第一の理由はこんなところです。

第二に、「基礎基本の認知」に関する問題。

仕事であっても、何であっても、そうなのですが、一般に

「基礎基本が何たるか」を「本当の意味」で知ることできるのは、「基礎基本がわかったあと」である

ということです。

つまり、自分が応用問題をいくつかとき、あっ、振り返ってみれば、「あれが基礎基本だったのね」ということで、「基礎基本の本質的な意味とありがたさ」がわかる。

そのときまでは、たとえ「基礎基本が何か」は注入されていたとしても、なかなかそれが何たるかまではわかっていない。

だから、先ほどの議論に重ね合わせますと、上の世代の人が、「基礎基本」も身につけていない新人に「基礎基本の意味」を問われても、まともに答える気にならない

基礎基本が何たるかはさ。応用問題ができるようになったらわかるよ

だから、今はつべこべ言わず、やんなよ

とついつい言いたくなる。

というか、基礎基本の意味は、あとあと、わかってくるものであり、「今はとにかく、いいから、やれ」と言いたくなる。

しかし、下の世代からすれば、こう見えている。

この基礎基本を身につけたあと、どういう応用問題が解けるようになるんですか?

「なんで?」にまつわる、世代間のギャップの二つめの説明は、こんなところでしょうか。ただし、この説明は、今に特有のものではありませんね。

第3の理由。

これが最も大きい要因だろな、と思うのですが、今の若い世代は、そもそも「キャリア不安」「雇用不安」が前提になっている時代を息抜き、会社に入ってきていることを忘れてはいけません。

つまり、彼らは最初から「見通しのなさ」の中を疾走して、今に至っている。また、組織と自分との「心理的契約」は、かつてのものとは変わっている。彼らは、「組織は必ずしも、自分を完全には守ってはくれないこと」を前提に、組織に入ってきている。

そういう時代を生き抜けば、当然、

「今、自分がやっている仕事が、何につながっているのか? それでどのような見通しが生まれるのか?」

「これはハシゴをはずされた仕事ではないのか?」

「おれだけがババひいてんじゃないのか?」

ということに関心が向かないわけがありません。

そもそも、不安であり、そもそも見通しがないのであり、そもそも心理的契約が揺らいでいるのだから、そうした思いをもつことが「自然」です。

このことは裏返していえば、こうも言えます。

過去、どんな仕事を振られても、「なんで?」と問うことがなかった時代というものが、もし仮にあるとするならば、「そんなことを問わなくても、答えが自明だったから」です。

「今、振られている仕事を、きちんとこなしていけば、おまえの数メートル先の、あの先輩みたいに、いつかはなれるよ」というかたちで、長期的にめざすべき目標も、ロールモデルも、明確で見通しがもてたし、それが組織と個人とのあいだで了解されていた(心理的契約)。

だから、人は「意味」を問うことなんかしなかった。

「意味を問うこと」の意味がなかった。

なぜなら、答えは、自分のすぐ「隣」にあったからです。

だからこそ、そこには世代間ギャップが存在する。

上の世代からすれば、

「なんで、ここで、なんで?と聞かれるかわからない」

下の世代からすれば、

「なんで、こんだけ不安な時代に、意味もわからず、仕事に打ち込めるかわからない」

僕たちは今「見通しの持ちにくい時代」を生きています。そこは、頻繁に「ルールが変わる世界」であり、長期的な目標を保持することが難しい社会です。

そんな中で、仕事をしていれば、「なんでですか?」と、つい問いたくなる。その気持ちは、いわゆるロストジェネ世代の端っこにいる小生は、共感できます。

このことは、上の世代の方だって、感じるところはあるのではないでしょうか。

もし仮に、自分が40代になって、突然、突飛な部署へ異動したり、前例のない仕事をふられる。そのとき、組織からの「明確なメッセージング」はない。なぜこのような異動なのか、なぜ仕事なのか、本人も周囲も、意味も理由もわからない。

そんなとき、長期にわたる自分の見通しがもてているのなら、わかりました、とだけ伝え仕事に迎えるのかもしれない。しかし、自らにキャリア不安、雇用不安などが強まっているならば、きっと、そうはならないはずです。

「なんでですか?」

と意味を問いたくなりませんか?

つまり、「なんで?」と問うことは、「合理性」のある行為であるということです。そして、そういう行為にかられるのは、若い世代だけではないはずです。自分が置かれている社会的立場によって、自分が置かれている心理状態によって、問いが生まれるか、生まれないかは容易に変わってきます。

以上、3つだけ、「なんで?にイラつく理由」を考えてみました。

理由はこれだけではないと思いますし、僕の推測があたっているかどうかは、責任は持ちません(笑)。もちろん、若手といっても、いろんな若手もいますので、「トンデモな若手」もいるかもしれません。「トンデモななんで?」もあるんでしょう。

いずれにしても、

「なんで?」

という若い世代のひと言の背景には、今の組織・職場をとりまく、様々な問題が隠されているのかもしれません。いずれも、皆さんで、様々な理由を考えてみると面白いのではないか、と思います。

そして人生は続く

(本記事は、中原の個人ブログ「NAKAHARA-LAB.NET」に掲載されていた記事を、加筆・修正したものです)

立教大学 経営学部 教授

立教大学 経営学部 教授。経営学習研究所 代表理事、最高検察庁参与、NPO法人カタリバ理事など。博士(人間科学)。企業・組織における人材開発・組織開発を研究。単著に「職場学習論」「経営学習論」(東京大学出版会)、「駆け出しマネジャーの成長論」(中公新書ラクレ)「フィードバック入門」(PHP研究所)、「働く大人のための学びの教科書」(かんき出版)などがある。立教大学経営学部においては、リーダーシップ研究所・副所長、ビジネスリーダーシッププログラム(BLP)の主査(統括責任者)をつとめる。

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