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問題解決の質を左右する、たった「ひとつのこと」とは何か?

中原淳立教大学 経営学部 教授

問題解決にとって本当に大切なことは、問題解決の手法ではありません。

問題解決にとって本当に本当に大切なのは、

「どのような事柄を、自らが解く”問題"として見定めるか」ということ

にあります。

このことを考えさせる事例に、エイコフの著書「問題解決のアート」の中に掲載されている「エレベータの話」というのがあります。

少し長くなるが、下記に引用してみましょう(一部筆者により加筆・修正)。

ぜひ、自分自身だったら、このオフィスビルの問題解決をどのように行うかを考えながら、読んで頂きたいと思います。

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話の舞台は、ある大きなオフィス・ビルである。

そのビルの支配人は、最近、「ビルに設置されたエレベーターの待ち時間が長い」と店子からクレームを受けることが多くなっていた。

何人かの店子は、

「エレベーターが改善されなければ引越もやむをえない!」

と支配人を脅した。

困った支配人は、エレベーター・システムの設計の専門家をよんで、「事情」を調べさせた。

専門家たちは、エレベータシステムの動作やキャパシティを子細に分析し、シミュレーションを行った。その結果、下記の解決策を見いだした。

1)エレベータを増設する

2)エレベータの機種変更を行う

3)新たに開発されたエレベータ制御装置を新設する

要するに、専門家たちは、大幅なコストをかけて、エレベーターを増やすか、取り替えるか、関連する装置を新設しないかぎり、店子から寄せられたクレームの問題解決は行えないことを明らかにした。

また、同時に彼らは損益分岐計算を行い、そのためにかかる費用は、このビルの収入からすると大きすぎることを発見した。

かくして、エレベータシステムの改善を行うという問題解決は、完全に「デッドロック」したかにみえた。

絶望的になった支配人は、やけになって、部下を招集し、事態を相談した。

早速ブレインストーミングの会議が開かれ、多くの代案がだされた。しかし、結果として、満足のいく解決策は提案されなかった。

議論のペースが落ち、話の切れ間にきたとき、それまで口を開かなかった人事課の新人で若いアシスタントが、おずおずとひとつの提案を行った。

「各階のエレベータの前に、大きな鏡を置きましょう。それで問題は解決するのではないでしょうか」

支配人はじめ、ブレインストーミングのメンバーは、皆、その提案に同意した。

2~3週間後、エレベータシステムに対するクレームは、一件もなくなった。

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さて、ここで、皆さんに、考えていただきたいのです。

なぜ、「エレベータの前に鏡を置くこと」で、「エレベータの待ち時間が減らす」という「問題」が「解決」したのか。

そして、この新人アシスタントは、「何」を問題とみなしたのか?

話の冒頭には、まず「専門家たち」がでてきます。

専門家たちは、エレベータシステムの動作やキャパシティを子細に分析にしましたが、彼らが「問題」とみなしたのは、すなわち解決しようとしたのは「ビルに設置されたエレベーターの待ち時間を物理的に短くすること」でした。

彼らは、その結果、

1)エレベータを増設する

2)エレベータの機種変更を行う

3)新たに開発されたエレベータ制御装置を新設する

というコスト的に見合わない解決策しか提案できませんでした。

しかし、それに対して新人アシスタントは、「ビルに設置されたエレベーターの待ち時間を物理的に短くすること」をめざしませんでした。

むしろ、

「ビルに設置されたエレベーターの待ち時間」はそのままでいい。

むしろ、待っている人が、待ち時間の長さを「気にしなくなること」

をめざしました。

要するに、新人アシスタントにとって問題は「待ち時間の長く感じてしまうこと」だったのです。

かくして新人アシスタントは、「エレベータの前に置いた鏡によって、エレベータを待っている人が、そこを覗き込み、身だしなみを整えたり、後ろにいる魅力的な異性に目をやったりする時間が増やすこと」という解決策を提案しました。

その結果として、「エレベータの待ち時間」- 正確に言うならば、「エレベータの待ち時間として認識される時間」は、激減することになりました。

つまり、「鏡をおくこと」で、「エレベータの待ち時間は何一つ変わっていない」のにもかかわらず、その時間を「待ち時間」として認識しなくなった、ということですね。

かくして「問題」は解決されたのです。

これをやや抽象的に申し上げるとこういうことです。

まず、システム設計の専門家が行った問題解決とは、「エレベータシステムのキャパシティやスペックが不足しているので、それに対する解決策をさぐること」でありました

つまり、彼らは「エレベータ」の内部に、「問題の定式化」を行うことになりました。

その背後には、彼らが、システム設計の専門性、経験、知識を有しているということがあります。

専門性、経験、知識、技能は「諸刃の剣」です。

それは「問題解決のための重要な資源」であると同時に、問題の定式化を行う際に「活用されなければならないもの」にも転化してしまう可能性を孕んでいるのです。

彼らにとって、定式化される問題とは、彼らの専門性や経験や知識をもって、「解決されるべきもの」でなくてはならなかった、ということですね。

一方、エレベータの前に鏡を置くことを提案したアシスタントの行った問題の定式化は、それとは一風変わっていました。

彼は問題をエレベータの側に定式化するのではなく、「待ち時間が長い」と認知してしまう人々の側に問題をおきました。彼には、とりわけテクノロジカルな専門性はなかった。このことが問題を曇りのない目で見つめさせたのかもしれません。

「エレベータを待つ人々に、エレベータの待ち時間が長いことを何とか認識させない方法はないだろうか?」

アシスタントは、このように問題を定式化し、「鏡」の提案を行いました。

エレベータホールに「鏡」を置けば、多くの人々は、そこをのぞき込む。身だしなみを整える人もいれば、後ろを観察する人もでてくるだろう。

かくして、ビルの収入のすべてを奪ってしまうほどの「難問」は、数百ドルで解決することになったのです。

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嗚呼、問題解決といえば、我々はともすれば、「問題解決のプロセス」に目がいきがちです。

世の中は、問題解決の手法にあふれている。

そのプロセスをいかに円滑にまわし、エレガントな解をだすか。そこに関心があつまりがちです。

しかし、自戒を込めて申し上げm須賀、問題解決でともすれば無視されやすいのは、「問題の定式化」です。

問題の定式化とは、ひと言でいえば、「何を問題とみなすか?」である。

今日の事例は、そのことを僕たちに、思い出させてくれるのかな、と思います。

あなたの問題、それは本当に「解決するべき問題」なんですか?

そして人生はつづく

本記事は、中原の個人ブログ「NAKAHARA-LAB.NET」に掲載されていた記事を、加筆・修正したものです)

立教大学 経営学部 教授

立教大学 経営学部 教授。経営学習研究所 代表理事、最高検察庁参与、NPO法人カタリバ理事など。博士(人間科学)。企業・組織における人材開発・組織開発を研究。単著に「職場学習論」「経営学習論」(東京大学出版会)、「駆け出しマネジャーの成長論」(中公新書ラクレ)「フィードバック入門」(PHP研究所)、「働く大人のための学びの教科書」(かんき出版)などがある。立教大学経営学部においては、リーダーシップ研究所・副所長、ビジネスリーダーシッププログラム(BLP)の主査(統括責任者)をつとめる。

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