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マネジャーとは「グレー」を生きること:「白黒つかない世界」へようこそ!

中原淳立教大学 経営学部 教授
(写真:アフロ)

今日の記事の要点は、

マネジャーとは「グレーを生きる」ことである

というワンセンテンスにつきます。

「グレー」という言葉は、悪い意味で、言っているわけではありません。まして、マネジャーが「腹黒さん(ハラグロ)」だと言っているでもありません。

そうではなくて、

マネジャーのところには、常に「白黒はっきりつかない案件」しかあがってこない。

だから、マネジャーの行う意志決定とは、いつだって「グレー」にしかなりようがない。

このことをもって、

マネジャーとは「グレーを生きる」ことである

と言いたいのです。

以下、それをくわしく考えてみましょう。

まず、一般的に、マネジャーが意思決定するさいには、判断の根拠となるような情報が必要です。しかし、ここに「ねじれ」があります。

マネジャーは、多くの場合、実務担当者よりも多くの「現場粘着情報」を得られることは「希」なのです。

現場とは「現在進行形」「具体性」「複雑性」「予測不可能性」「即興性」の支配する場所。そこには「現場にぴったりと張り付いている情報で、現場にいかなければわからない情報」、すなわち、実務担当者としてそこにいあわせなければ獲得できないような「現場粘着情報」がたしかに存在します。

実務担当者は「現場粘着情報」を持ち合わせますが、多くの場合、マネジャーはそれを持ち合わせません。実務担当者とのコミュニケーションを通じて、「現場粘着情報」を「間接的」に確保するしかありません。

もちろん、マネジャー自ら現場にいくこともできるのですが、多くの場合、彼 / 彼女の時間には限りがあります。多くの場合は、「間接的な情報」をもとに意思決定をしなくてはなりません。

しかし、そうした「情報の間接性」にもかかわらず、意思決定を行い、さらには「責任」をとらなくてはならない。この「判断に必要な現場観は、なかなか持ち合わせられないのにもかかわらず、一方で、責任をとること」が求められることに、マネジメントの難しさが、あらわれます。

そして、マネジャーが「グレーな世界を生きる」といわざるをえない最大のポイントは、意思決定を即時に求められる、その内容にあります。

すなわち、マネジャーのもとに寄せられる問題の多くは、本質的に「白、黒はっきりしない」、そもそも「グレー」なものであることが多いのです。

「白」とも「黒」とも、一意に答えが求められない。まさに「正解」がなく、正しさが担保できない。

そうした実務担当者では判断がつかない「グレーな問題」が、マネジャーのところにまで「上がってくる」のです。

だって、白黒はっきりつく問題であったら、現場で現場の担当者が、すでに意志決定を行っているだろうから。

そんなわかりやすい案件を上まであげてくることは希だから。

かくして、マネジャーのもとには、

「あっちをたたせれば、こっちがたたない」

「こっちがたてば、あっちがたたない」

あるいは、

「半分」は賛成しているけれど、「半分」は反対している

「押し切れないこともない」が、押し切ったら、何が起こるかわからない

あるいは、

短期的には、こうやればいいけど

中長期的には、このままでは破綻する

あるいは、

「やったらダメ」とは書いてないけど、「やってよい」とも書いてない

「やってよいか、ダメ」かは、やってみないとわからない

あるいは、

「リスク満点だが、目標達成できる選択肢」を選ぶのか、

「リスク極小だが、惨敗する選択肢」を選ぶのか

という問題ばかりが押し寄せます。

マネジャーのもとに、こうした「グレーな選択」が押し寄せるのは、もし「白黒」がはっきりしているのなら、「正しさ」がはっきりしているのなら、担当者レベルで「現場粘着情報」をもとに、即時に意思決定され、実務担当者の仕事の範囲内で、実行される可能性が高いからです。だから、そこでは「判断つかない、ややこしい案件」だけが、上に上がってくるのです。

かくして、マネジャーは「グレーを生きること」になります。

マネジャーになることとは「比較的白黒はっきりした世界」から「グレーな世界」への移行なのです。

しかも、この「グレーっぷり」を、なかなかマネジャーは口に出せないことがあります。場合によっては、部下には「グレーな世界」を「白黒のはっきりした世界」のように「見せ」なくてはなりません。

現場で自信をもって仕事をしてもらうためには、部下には「グレーな世界」をそのまま見せてはならない局面が、ないわけではありません。「グレーな世界」を「クリアな世界」に演出することも、時には求められます。

悲観することでは、なんら、ありません。

マネジャーとは、そもそも「そのようなもの」なのです。

それでは、グレーを生きなければならないマネジャーにとって、必要なことは何でしょうか。

それは僕は3つだと思います。

ひとつは、とにもかくにも、

なるべく可能な限り「正確な情報」をあつめること

です。

なるべく、現場に足をはこび、現場に粘着しているような情報を集め、判断の確からしさを向上させること、さらには、それを多角的な観点から考えぬくこと。これが、まずは求められる事でしょう。

つぎに、ふたつめは、「ブレない判断基準」を自分のなかにもつことです。

マネジャーのところにあがってくる案件は、どのみち、グレーなものばかりです。グレーな案件というのは、要するに、「何をやっても、どう決めても、賛否両論である」ということです。どんな意志決定をおこなっても、それがよかったかどうかは、のちのちになるまで、わかりません。

そのようなときは、やはり明確な判断基準を自分のなかに持っていなければなりません。

たとえば

顧客と従業員のあいだに挟まれたときには、どちらの方を優先して意志決定を行うか?

従来のサービス運用と、新規のサービス開発は、どの程度の割合でリソースを投入するか?

そのようなややこしい命題に対して、いくつかの判断基準をブレずに持ち続ける事が求められます。

最後に求められるのは、やはり内省(リフレクション:ふりかえり)です。

行った意志決定が本当によかったのかどうかは、やってみたあとにしかわかりません。おりにふれてでもよいので、その意志決定とはどのようなものであったのかを振り返ることは、やはり必要な事でしょう。

振り返りは3つのプロセスから成立します。

What? : 何がおこったのか? 何がもたらされたのか?

So What? : 何がよくて、何が悪かったのか?

Now what? : 今後、どうするのか?

このような内省を通して、ときおり判断基準を見なおしていくことも、求められる事なのでしょう。

今日はマネジャーの行う意志決定について書きました。

あなたは「白黒はっきりした世界」を生きていますか?

それとも

あなたは「グレーな世界」を生きていますか?

グレーな世界で、自らも「灰色」にまみれないためには、あなたは何をしますか?

そして人生はつづく

立教大学 経営学部 教授

立教大学 経営学部 教授。経営学習研究所 代表理事、最高検察庁参与、NPO法人カタリバ理事など。博士(人間科学)。企業・組織における人材開発・組織開発を研究。単著に「職場学習論」「経営学習論」(東京大学出版会)、「駆け出しマネジャーの成長論」(中公新書ラクレ)「フィードバック入門」(PHP研究所)、「働く大人のための学びの教科書」(かんき出版)などがある。立教大学経営学部においては、リーダーシップ研究所・副所長、ビジネスリーダーシッププログラム(BLP)の主査(統括責任者)をつとめる。

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