「マネジャーになる」とは「水戸黄門的世界」からの離脱である!?

(ペイレスイメージズ/アフロ)

僕の専門は「人材開発」です。

最近は「マネジャー(管理職)」の育成についての研究が多くなっています。特に、興味をもっているのは「実務担当者から管理職への役割転換をいかにすすめるか」ということ。今日も、さまざまなデータを見ながら、このことを考えています。

データを分析していて、心から思うのは、実務担当者(プレーヤー)と管理職(マネジャー)の「本質的な違い」についてです。

多くの会社組織において、マネジャーになる人は、「辞令一枚」でプレーヤーからの転換をはかることになります。が、その役割の転換には実に、多くの「挑戦課題がある=かなり大きな段差がある」な、と思います。

管理職になったとき、マネジャーがぶちあたる数多い挑戦課題の中でも、もっとも印象的なのは「非勧善懲悪的な世界への移行」です。

別の言葉でいえば、

マネジャーになるとは「あっちがたてば、こっちがたたない問題」に出会う

ということでもあります。

「あっちがたてば、こっちがたたない問題」とは、要するに、「簡単には、白黒つけることのできない問題」ですね

要するに、

マネジャーになるとは「簡単には白黒つかない問題」の課題解決を行うことであり、

その意志決定とは

「どこかに正解があるわけではなく、どこかでエイヤッと決めて、やってみることでしか解決つかないこと」

とまみれることなのです。

教科書にも、ビジネス書にも、正解は書いてないんだ。

それでは、なぜ、マネジャーはこのような課題に向き合う事になるのでしょうか。

それは、「誰がみても、あっちか、こっちかを、すぐに決められる問題」や「誰が向き合っても、明らかな正解がすぐに見いだせる問題」は、マネジャーのところに持ち込まれる「前」に、もっと若い人たちが、すでに「自分の裁量・権限」の中で、をもって意思決定をしちゃえる可能性が高いからです。

だから、マネジャーのところにまで上がってきて、しかも、彼が取り組み、意思決定しなければならないことは、そういうシンプルな問題ではないことの方が、割合としては多くなります。

マネジャーになったあなたの前に持ち込まれる課題とは、

「あっちがたてば、こっちがたたない問題」

「敢えてやってみることでしか解決つかない問題」

「白黒つかないグレーな問題」

であることの可能性やポーションが、徐々に増えていくのです。

かくして、マネジャーになるということは「勧善懲悪的な世界」から「非勧善懲悪的な世界」への、段階的なトランジション(移行)だともいえます。

さらに比喩的に言えば

マネジャーになることは「水戸黄門的世界からの離脱」である

とでもいえるのかもしれません。

毎回毎回「どっから見ても悪としか思えない人相の悪い悪代官」と「超越的な善の象徴たる水戸黄門」がでてきて、シンプルにシンプルに、印籠をとりだし、白黒はっきりさせることができる世界が「水戸黄門的世界」です。水戸黄門的世界では、「誰が悪くて、誰が善人か」ははっきり決まっているのです。悪代官は、やっぱり悪人面をしている(笑)

水戸黄門的世界では、毎回毎回、同じトーンで、同じようなプロットが繰り返されます。そして、番組を見るたびに、ラストシーンでは「感情浄化(カタルシス)」を感じる事ができます。

「あー、今日も悪代官が退治されてよかった」

しかし、マネジャーの世界とは「水戸黄門的な世界」ではありません。

むしろもっと複雑、魑魅魍魎。

マネジャーになるとは「一見悪いように見えて善、善に見えて悪」みたいな、非勧善懲悪的リアルワールドへようこそ!」ということなのです。

そこは、誰が悪人で、誰が善人かは簡単にはわからない世界。

どちらも、それぞれの立場からの「それぞれの正義」を闘わせる世界なのです。

白黒をつけるの、難しいですね。

嗚呼、それにしても、毎朝毎に、少しずつ作業をしていて、いつも我にかえってしまう瞬間があります。作業をしながら、つい「自分自身のこと」をいつも考えてしまうのです。

僕も、瞬きをする暇も無く、41になりました。

今の自分のところにあがってくる問題は、その多くが

「白黒つかない問題」

「あっちがたてば、こっちがたたない問題」

ばかりです。

決して「若いとは言えない年代」に、自分もさしかかり、高校・大学時代の同期の何人かが企業組織でマネジャーになりつつある今、今日、この記事で書いた感想は、とても「人ごと」のようには思えません。めちゃめちゃ「自分ごと」です。

データと向き合いながら、いやがおうでも深まるリフレクションに、時々、作業の手が止むことしばしです。

そして人生は続く