「粒揃い」になっていく教育機関、「粒が揃わなく」なっていく仕事世界!?
これは首都圏だけの現象なのでしょうか・・・僕のような仕事をしておりますと、さまざまな入学試験関係の話題を、いろいろな方からうかがいます。
とりわけ、人々は「中学受験」というものが、どうにも好きらしく、そこそこの年代をもった親からは、そのような話題を持ちかけられることが多いものです。これは、僕が彼らと「同年代」ということも背景にあるのかな、と思います。
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「ねー。そろそろお子さん、お年頃ですよね。中学受験、どうします?」'''
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この問題に関して、僕のスタンスを最初にお話しますと、まず、僕は、現段階で、中学受験に対して「ネガ」でも、「ポジ」でも、ありません。
そんなものは「個人の選択の問題」です。
それぞれの親御さんが、自分の子どもと、じっくり対話して決めればよろしいのであって、赤の他人が、とやかくいうことではありません。
我が家に関しても、それに対して、現段階で「確固たる意見や展望」をもっているわけではありません。
一時期「やってみようかな的機運」が高まったときがありましたが、ブームがただちに終わりました。
しかし、またブームが再燃?するかもしれません。
今のところは、
「受けたきゃ受ければいいんじゃない」
「でも、さっぱり、受けたいとも受けたくないとも、明確な答えをもってないね」
「どうしたもんかね」
みたいな感じです。
かくして、今日も愚息は、自分の好きな習い事にシコシコと精を出しています(笑)。
ま、好きにおやりなさい。
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繰り返しになりますが、受験は「個人の選択」の問題なので、あまり僕がとやかくいうことはございません。
ただし、自分と同年代の親御さんの話を伺っておりますと、1点だけ、どうしても気になることがございます。
それは、その会話のなかに
「中学受験するのは、”粒揃い”のなかで、育って欲しいため」
というような趣旨の言葉を伺うことが多いことです。
一応、人材開発・人材マネジメントの研究者として、この「粒揃い」という言葉が大変気になるのです。
敢えて、親御さんたちの趣旨の詳細を確認することはしないものの、「粒揃い」という言葉の指し示すところは、
受験という「フィルター」を通過した
同じような境遇にそだち
同じような学力があり
同じようなキャリア展望をもっている
同じような子どもたち
そして
同じような社会階層に所属する親御さん
という意味でおっしゃっているのでしょう。
程度の差こそはあれ、そういうことです。
そうか・・・なるほどね。
一般に、「粒が揃わない状況」は、多くの場合、違和感や社会的葛藤を生み出す可能性が高まるので、そういうご主旨も、痛いほど、わかります。
親であるならば、何も、我が子に、「過剰な違和感」や「社会的葛藤」を経験させたくはありません。
「粒揃いにいるほうが、安心だ」という気持ちは、一瞬、分かる気がします・・・話を「教育機関」に限るのであれば。
しかし、一方で、思うのは
教育機関は「粒揃い」でいいかもしれません。
しかし、教育機関を出たあと、ご子息が生きていく「仕事の世界」は、ますます「粒が揃わない状況」が増していく
別の手垢のついた言葉で申しあげるなら、
今後、ご子息が生きていく「仕事の世界」は、グローバルに多様なヒト・モノが異動し、ダイバーシティあふれる場になっていく
ということなのかな、と思います。
そこでつい思ってしまうのです。
「粒揃いの環境(均質化された教育機関)から、粒が揃わない環境(ダイバーシティあふれる死後と世界)へのトランジション」は、本当に「安心」と言えるのか?
僕は、仕事の世界の研究者として、
「粒揃いの教育機関と、粒が揃わない仕事世界の強烈な段差」
が気になって仕方がありません。話を教育機関だけに限って言うのならば「粒が揃っていること」はリスクヘッジにもなりえるのかもしれませんが、視野をより広くもち射程を長くすると、「粒が揃っていること」から「粒が揃わない現場」への強烈な落差は、それなりのハードシップも生まれます。
将来、グローバル化・ボーダーレス化が進んでいく仕事の世界では、業種・業態の差はあれど、「職場の多様性がさらに増していく=粒が揃わなくなっていくこと」が予想されます。
様々な雇用形態の人
様々な異なる年齢の人
様々な価値観、信条、思想をもっている人
場合によっては、国籍も文化的背景も異なる人
兼業や副業など、さまざまな場所で働く人
時空間を異にしていても、ネットワークだけで同じ仕事をしている人
テレカンでしかあわない人
とにもかくにも、これから10年ー20年の「仕事の世界」を展望したとき、僕には「職場の多様性」はさらに増していくものと思われます。
つまり、かつては「日本人・正社員・みんな同じ方向をむいて仕事をする」という「粒揃い」の集団だったものが、どんどんと「粒が揃わなくなってくる」ということです。
そのような中で、ご子息が、どのように生きぬくか。
教育機関でどのような準備をへて、仕事の世界に向かうのか。
「教育機関における仮初めの粒揃い」を称揚する前に、仕事の世界の「粒の揃わなさっぷり」についても、一寸だけ思いを馳せてみることも、また一計かもしれないなと思います。
くどいようですが、受験に関しては個人の選択の問題なので、僕は何も申し上げる事はありません。
じっくりご子息と話されてお決めになればよろしいのかな、と思います。
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今日は「早期受験」を手がかりにしつつ、「教育機関の粒揃い」と「仕事の世界の粒の揃わなさっぷり」についてお話をしました。
これからの社会を生きぬくことは、なかなかに大変なことです。
知的にタフであれ!
どのような場所で学ぶ場合においてもも、これからを生きぬく子どもたちには、そう声をかけたいものです
そして人生はつづく