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抗日ドラマ? けっこう楽しんで見ているわ

中島恵ジャーナリスト
中国で放送されている抗日ドラマのワンシーン

「抗日ドラマ? ええ、毎日のように見ていますよ。私はもう定年退職して、ひまを持て余していますからね。どうしても見たいっていうわけじゃないけど、テレビをつけると放送しているので、つい見ちゃうのよ」

こう屈託なく語るのは、上海に住む元教師の女性(58歳)だ。私は取材でしばしば中国を訪れるが、ホテルでテレビをつけるたびに放送しているのが抗日ドラマ。職業柄、仕事半分、興味本位半分で私もテレビに釘づけになってしまうが、日本では、「中国人の反日感情を高めている。けしからん」と報じられている中国独特の番組だ。

実のところ、中国人は抗日ドラマのことをどう思っているのだろうか? 私は拙著'''『中国人の誤解 日本人の誤解』(日経プレミアシリーズ)'''の取材のため、複数の中国人にこのテーマを投げかけてみたところ、意外な答えが返ってきた。

前出の女性はこう続ける。「別に日本が嫌いっていうわけじゃないんですよ。じゃあ、どうして見ているのかって? だって若い人が見るようなテンポの速い視聴者参加番組にはついていけないんですもの。こういう昔を題材にしたドラマのほうが安心するっていうのかしら。中国が貧しかった頃のことも描いているので、なんとなく懐かしいし、習慣で見てしまっているのかもしれないわね」

確かにこの女性は日本人の私と向き合っても、とくに日本に嫌悪感を抱いているようには見えなかった。気のいいおばちゃんという雰囲気で、定年後はゆっくりテレビを見たり、娘の家に遊びに行ったりという平凡な日々を送っている。彼女の同年代の友だちもみんな抗日ドラマを見ているというが、日本への憎悪など微塵も持っていないという。番組は日本との戦争をテーマとしているが、それはあくまでも「ドラマの題材のひとつ」と思い割り切っているのだそうだ。

抗日ドラマは中国のテレビ界で不動の地位を築いている

抗日ドラマとは、主に日中戦争を時代背景として、中国人の日本軍に対する抵抗がテーマ。通常、日本軍や日本人は“極悪非道”に描かれ、中国でどれほどの悪事を働き、中国人をどのように痛めつけたかを、さまざまな演出で見せるものだ。ドラマには「あり得ない名前の日本人」や、「変な色柄の着物を着た日本人」も登場する。もともとは中国国民が経験してきた苦難の戦争の歴史を再認識させ、愛国心を育てるプロパガンダ(政治宣伝)が目的とされている。

正確な数字は把握できないが、英「エコノミスト」誌によると、2004年には年間15本の配信しか認可されなかったものの、2011年と2012年には合計180本が認可されたというから、近年急増していることがわかる。中国「南方週末」紙の報道でも、1949年~2004年までに制作された抗日ドラマは150本だが、05年以降、その数は増えているという。中国のメディアはすべて政府の検閲を受けているので、番組数の増加には、政府の意向が働いているといえる。

私の個人的な印象でも、中国でテレビをつけると、毎朝毎晩、どこかのチャンネルで放送しているように感じていた。中国のドラマをジャンル分けすると、恋愛ドラマ、ホームドラマ、抗日ドラマの3つだ。抗日ドラマは善人(中国人)と悪人(日本人)がシンプルでわかりやすい勧善懲悪の構造となっている。日本人にとっては驚くことだが、それほど中国のテレビ界で、抗日ドラマは“不動の地位”を確立している。

統計があるわけではないが、視聴者のかなりの部分が中高年を中心とした層だと思われる。日本と同様、中国でも若者はあまりテレビを見なくなっているからだ。ちなみに、北京や上海に住む20~40代の私の友人にも聞いてみたが、抗日ドラマを見ているという友人はひとりもいなかった。

だが、中高年の視聴者が多いからといって、彼らすべてが抗日ドラマの内容を信じ、日本への憎しみを募らせているのかといえば、もちろん、そんなことはない。

私は取材を進めていくうちに、むしろ「あんなもの、茶番よ」と思っている人のほうがはるかに多いのではないか、と感じるようになった。

ねえ、明智光秀って有名な人なの?

同じ上海に住む別の女性(50歳)も抗日ドラマをよく見ているひとりだ。大学生の娘が日本に交換留学したことがあり、私はその娘から母親の話を聞いて興味深く思い、話を聞き出した。娘によると、母親はごく普通の専業主婦。娘を訪ねて日本旅行に行ったこともある。彼女もまた、抗日ドラマは単なる娯楽だと思って楽しんでいるという。現在の日本と、過去の日本を結びつけて考えるようなことはないそうだ。

だが、あるとき娘は母親からびっくり仰天するような質問を受けた。それは、「ねえ、明智光秀って誰? 日本では有名な人なの?」という突拍子もない素朴な疑問だった。

残念ながら、母親はその番組名を忘れてしまったそうだが、ある抗日ドラマの中に出てくるスパイが使う暗号に「明智光秀」という単語が出てきて不思議に思い、日本通の娘にたずねてきたのだった。

そのドラマは日中戦争の混乱の最中、捨て子だった中国人(主人公)が日本人に拾われ、養育されて日本軍人になるが、のちに日本軍内の中国共産党スパイになるというストーリー。怪しげな美女も出てきて、恋愛もからむドロドロの場面もあるという。母親は、血が流れる戦争の場面よりも、美女と軍人の恋愛や、スパイが登場するスリルのあるシーンに胸がワクワク、ドキドキするのだそうだ。ドキドキ感を求めるという点では、日本の中高年女性が韓流ドラマにはまるのと、どことなく似ている部分があるのかもしれない。

娘は「まったくお母さんの質問にはびっくりしましたよ。私は日本の歴史も勉強しているから、ちゃんと正しいことを教えてあげましたけど、なんでこんなところに明智光秀? 時代が全然違うじゃない、と思わず噴き出してしまいました」と笑う。

昨今の抗日ドラマは粗製乱造で、時代考証などまったく行っていない作品が多い。この母親が見た番組のように、脈絡もなく日本の歴史上の人物が突然登場することもあるようだ。そんなとき、日本に馴染みのない視聴者にとっては大いに疑問が残り、変な誤解をしてしまう。ドラマの内容自体、もちろん架空のものだが、題材はあくまでも抗日戦争という史実であり、時代は1930~1940年頃に設定されている。時代背景だけは「正しい」ものであるため、返って混乱してしまう人もいるのではないだろうか。

そして、その誤解がどんどん大きくなり、「日本人はなんて残虐なんだ」と信じて疑わない人も中にはいる。とくに内陸部の農村などでは、都会に比べて情報量が圧倒的に少なく、生身の日本人を見たこともないので、盲目的に信じてしまう傾向があるようだ。

日本のいいところもちゃんと知っている

だが、昨今では、さすがにネタが尽きてきたのか、あまりにも突飛なアクションシーンや暴力シーンが多すぎるという理由で、今年5月、政府が過度な描写を制限すると発表した。抗日ドラマの娯楽化が進み過ぎているとの批判がネット上に殺到したからだ。いくら日中関係が悪化しているからといっても、さすがに素手で日本人を真2つにしたり、人が空中を飛んだりするシーンには、みんな白けてしまうだろう。まさしく抗日ドラマを制作し過ぎたことによる逆効果、というものだ。

私は「今後、過激なシーンは減るとしても、抗日ドラマを見て、やはり日本や日本人を誤解する中国人がいるのではないですか?」と元教師の女性にたずねてみた。すると、彼女は笑い飛ばしてこういった。

「確かに日本との関係がギクシャクしていると、日本人をやっつけるシーンにスカッとする人はいると思うわ。それは確か。でも、多少、客観的に物事を見られたり、常識的な考えができる人間ならば、最初から茶番劇だとわかって見ているから大丈夫よ。だって、私たちの世代は、日本の高倉健や山口百恵のすばらしいドラマをたくさん見て大人になったんですからね。日本に行ったことはないけれど、日本のすばらしいところも、本当はちゃんとわかっているんですよ」

ジャーナリスト

なかじま・けい ジャーナリスト。著書は最新刊から順に「中国人が日本を買う理由」「いま中国人は中国をこう見る」(日経プレミアシリーズ)、「中国人のお金の使い道」(PHP研究所)、「中国人は見ている。」、「日本の『中国人』社会」、「なぜ中国人は財布を持たないのか」「中国人の誤解 日本人の誤解」、「中国人エリートは日本人をこう見る」(以上、日経プレミア)、「なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?」、「中国人エリートは日本をめざす」(以上、中央公論新社)、「『爆買い』後、彼らはどこに向かうのか」、「中国人富裕層はなぜ『日本の老舗』が好きなのか」(以上、プレジデント社)など多数。主に中国などを取材。

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