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多くの中国人にも愛された高倉健さん

中島恵ジャーナリスト

俳優の高倉健さんが亡くなったというニュースは、中国にも瞬く間に広まり、微博(中国版ツイッター)や微信(中国版ライン)などに、現在も膨大な追悼コメントが寄せられ続けている。

「男の中の男。カッコよかった!」(60代、上海、男性)

「初めて見た外国映画が高倉さんの映画だった。渋くて素敵でした。日本人の男性とはこういうふうなのかと憧れたものでした」(60代、北京、女性)

「部屋にポスターを貼っていた。こういう男になりたいと思ったものだった」(50代、広州、男性)

「日本人の男だけど、こういう素敵な人もいたんですね。ご冥福をお祈りします」(30代、北京、女性)

名優・高倉健さんは日本のみならず、中国で最も名前を知られた日本人のひとりであり、多くの中国人にとって憧れの存在だった。

日中合作映画にも出演していた
日中合作映画にも出演していた

中国で高倉さんの名前を一躍有名にしたのは映画『君よ憤怒の河を渉れ(中国語題:追捕)』だ。サスペンスアクション映画で、日本での公開は1976年。中国では79年に公開され、爆発的大ヒットとなった。中国ではその数年前まで文化大革命の嵐が吹き荒れており、映画を見るどころではなかったが、この映画は文革後初めて上映された外国映画であり、暗い時代を生きてきた中国人たちを熱狂させた。

日中国交正常化(1972年)後、日本文化に興味を抱き始めていた中国人の胸を熱くさせたのが、他ならぬ「健さん」だったのだ。

今も、50代以上の中国人の間で圧倒的に知名度が高い日本人俳優といえば、高倉健さん、中野良子さん、小林綾子さん(『おしん』の子役)、山口百恵さん(ドラマ『赤い疑惑』主演)らであり、彼らの名前はすぐに挙がる。

高倉さんはもう1本、日中合作映画にも出演している。『単騎、千里を走る(中国語題:千里走単騎)』(2006年)だ。これは『紅いコーリャン』や『HERO』などで知られる、中国で最も有名な張芸謀(チャン・イーモウ)監督からのラブコールによって実現した映画だった。

張監督は20代の頃、『君よ憤怒の河を渉れ』を見て感動し、いつか一緒に仕事をしたいと切望していたという。そこで、ようやく夢が叶ったのがこの映画だった。日中合作映画で、このときの日本側監督は、高倉さんの最後の映画となった『あなたへ』でもメガホンをとった降旗康男監督だった。

余命いくばくもない息子との約束を果たすため、単身、雲南省・麗江に渡った父親(高倉さん)が、そこで出会った中国人の少年と心を通わせていくというストーリーだ。美しい中国の自然の中で、寡黙でありながら、ときにユーモアのある高倉さんの演技が光っている。この映画にも多くの中国人が魅了された。

奇しくも最初の映画が公開された1979年は、中国の改革・開放が始まり、中国が世界に向けて開かれていくというエポックメーキングの年だった。2006年は中国経済が急拡大している時期であり、中国人たちが心の豊かさを失ってきている頃だ。不思議な偶然だが、中国にとって節目となる重要な時期に、日本人である高倉さんは中国人の心に大きなものを残した。

中国でも今、多くの人が高倉さんのご冥福をお祈りしていることでしょう。

ジャーナリスト

なかじま・けい ジャーナリスト。著書は最新刊から順に「中国人が日本を買う理由」「いま中国人は中国をこう見る」(日経プレミアシリーズ)、「中国人のお金の使い道」(PHP研究所)、「中国人は見ている。」、「日本の『中国人』社会」、「なぜ中国人は財布を持たないのか」「中国人の誤解 日本人の誤解」、「中国人エリートは日本人をこう見る」(以上、日経プレミア)、「なぜ中国人は日本のトイレの虜になるのか?」、「中国人エリートは日本をめざす」(以上、中央公論新社)、「『爆買い』後、彼らはどこに向かうのか」、「中国人富裕層はなぜ『日本の老舗』が好きなのか」(以上、プレジデント社)など多数。主に中国などを取材。

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