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インテルのクラブ売却に想う サッカー界におけるロマン

中村大晃カルチョ・ライター

新しい駅ができ、その近辺が栄える。利便性が高まり、人が集まって、経済は発展する。通勤通学が楽になり、生活は豊かになり、さらに人が集まる。一方で、古くからあった個人商店のシャッターは次々に閉まり、周囲はビルばかりになっていく。そんな経験をした方はいないだろうか。

そんなとき、センチメンタルになる人も少なくないはずだ。だが、時の流れは変わらない。経済優先の現代社会において、一度始まった発展への道を引き返すことは難しいからだ。

長友佑都が所属するインテルが、事実上のクラブ売却を発表した。インドネシアの実業家エリック・トヒル氏らに、株式の約70%を手放すことになったのだ。1960年代に2度の欧州王者に輝いた「グランデ・インテル(偉大なるインテル)」の会長、アンジェロを父に持つマッシモ・モラッティ現会長が、1995年から率いてきたクラブを手放すのである。

2010年にイタリア勢として初となる3冠を達成したインテルだが、以降は低迷が続いている。それだけに、インドネシアのメディア王のオーナー就任は、経営改善や補強への投資など、サポーターに夢を与えるはずだ。だが一方で、ファンは18年にわたるモラッティ体制の終焉に寂しさも感じているだろう。

ユヴェントスが不正スキャンダルで覇権を失うまで、モラッティ会長は毎年、湯水のように莫大な資金を補強に投じては、タイトルを逃していた。日本のファンの間でも、「バカ殿」と揶揄する声があったほどだ。

だが彼は、インテリスタのみならず、多くのサッカー関係者から愛された人物でもあった。どの選手も口をそろえ、「彼は紳士だ」と人柄をたたえてきた。悪く言えば“お坊ちゃん”だが、例えばミランのシルヴィオ・ベルルスコーニなど、たたき上げのやり手会長にはない気品があった。何より、彼ほどクラブや才能ある選手を愛した会長は、なかなかいない。

その彼が、インテルを売った。すべては、インテルの未来のために。葛藤に苦しんだことは想像に難くない。だが、現在のビジネス重視のサッカー界において、ロマンだけで戦い続けるのは難しいのだ。自らの愛よりもクラブの未来を優先し、断腸の思いで決断したのだろう。

下町の面影が消え、高層ビルが立ち並んでも、かつての風景は人々の心に残る。そんな古き良き時代を少しでも忘れず、新たな時代をさらに良いものにしようと努めるのが、周囲や後に続く者の義務ではないだろうか。

新生インテルがどのようになっていくか、今は誰にも分からない。確実なのは、モラッティを愛したインテリスタと、モラッティが信じたトヒル氏は、モラッティが愛したインテルのために動かなければいけないということだ。そこにある愛こそが、サッカー界に残された最後のロマンなのだから。

カルチョ・ライター

東京都出身。2004年に渡伊、翌年からミランとインテルの本拠地サン・シーロで全試合取材。06年のカルチョーポリ・W杯優勝などを経て、08年に帰国。約10年にわたり、『GOAL』の日本での礎を築く。『ワールドサッカーダイジェスト』などに寄稿。現在は大阪在住。

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