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「銀シャリ」、トレードマークの“青ジャケ”を脱ぐワケ!

中西正男芸能記者
「銀シャリ」の2人。向かって左がボケの鰻和弘、右がツッコミの橋本直

青いジャケットに身を包み、ボケとツッコミがハッキリしたしゃべくり漫才を展開する。昭和の香り漂うスタイルで、関西若手漫才コンビの雄となった「銀シャリ」がコンビ結成10周年記念イベント「10周年もギンギラ銀にシャリげなく」(7月10日大阪・なんばグランド花月、8月23日東京・ルミネtheよしもと)を開催します。大きな節目を迎え、代名詞とも言える青ジャケからの“卒業”を表明。ボケの鰻(うなぎ)和弘さん(31)とツッコミの橋本直(なお、34)さんがそろって口にするのは「次の一歩」への思いでした。

“オトナの階段”をのぼる

橋本「10周年ということでイベントをさせてもらうんですけど、これまで慣れ親しんできたジャケットも、そこで新調しようかと。“オトナの階段”をのぼると言いますか、次の一歩を踏み出そうかと思いまして」

「ここらへんで、もう少しオトナっぽさが要るのかなと」

橋本「本当にありがたいことに、青ジャケを着てきたことで『銀シャリ』という名前を憶えていただきました。街でも青ジャケじゃない普通の私服を着ていると『あれ、今日は青ジャケじゃないの?』と言っていただいたり。逆に、たまたま、私服で青いパーカーとかを着てたら『うわ、私服まで青いんや!!』と笑い声が聞こえてきたり(笑)。それだけ、青ジャケというイメージを持ってもらってるんだな、と」

「あと、バラエティーで“ひな壇”とかにみんなで座っている時に、あまりにも目立ちすぎるといいますか、浮きすぎるといいますか…。期せずして、見た目の“パンチ力”が強くなるんですよね。それを今になって気づいたんかという話もあるんですけど(笑)、10年という節目もありますし、新たなステップに行くにはちょうどいい流れかなと」

橋本「もちろん、せっかく覚えてもらったことを変えるというのは、リスクを伴うことだとも思うんです。ただ、それでも、1つ階段をのぼろうと。ま、スーツを1着しか持っていない学生さんが、社会人になって、さすがに他にも持っておかないといけないと思う。その感覚に似てるのかもしれないですね」

「だから、青ジャケを完全に捨てるということではなく“新たな顔も増やす”というのが一番正確だと思います。これまでどおり着るところは着るけれども、違うバージョンも持っておくというか」

青ジャケを始めたのは…

橋本「そもそも、青ジャケを着だしたのはコンビを組んで2年目あたりからでした。それまでは、私服を軸に、黒のジャケットに赤いネクタイとか…。とにかく、試行錯誤。ま、一言で言いますと、めちゃめちゃダサかったんです…」

「当時はまだ劇場のオーディションを受けている状態だったので、ライバルが何百組もいたんです。劇場出番をもらうために吉本興業の社員さんに向けてネタ見せをするんですけど、それだけの組数がいると、ネタ見せ自体が何時間にも及ぶ。その中で、しっかりとネタを見てもらうために考えたのが、どういう服装やったら『こいつらのネタはきっちりしてそうだ』と思ってもらえるかということ。それと、繰り返しになりますけど、僕ら、とにかく私服がダサかった…。しかも、2人そろって。それやのに『お前の方がダサいやないか!!』という、それは、それは、醜いケンカもそこそこしてたんです。なので“ちゃんと見てもらえる”“私服のダサさのカバー”“無駄なケンカ防止”という一石三鳥の意味があって、青ジャケを始めたんです」

橋本「ただ、衣装を変えた当初は舞台に出ると大爆笑でした。それは、あまりいい意味ではなく、お客さんに笑われているという意味で。『なんなのこれ?今どき、2人でスーツをそろえてるの?』と。正直、先輩からも賛否両論ありました。となると、当然僕らにも戸惑いも出てましたしね」

「僕らの中では、『やすし・きよし』師匠へのリスペクトを込めてのスタイルだったんですけど、周りからは、いとも簡単に、コミックバンド的な見方もされました…」

橋本「でも、それくらいの違和感があって、ちょうどよかったのかなとも思っています。今思うと。実際、これでやり出してから1年も経たないうちに存在を覚えてもらえるようになりましたしね。今でこそ、しゃべくり漫才みたいなことも言ってもらいますけど、そういうスタイルということは、特にギャグがあるわけでもないし、キャラクターで突っ走るわけでもないし、分かりやすい武器がないということ。しかも、当時の劇場はとりわけツワモノだらけでしたしね。『笑い飯』さん、『千鳥』さん、『麒麟』さん、『南海キャンディーズ』さん、『NON STYLE』さん…。個性もあるし、おもしろい方ばっかりでしたから」

4着ある青ジャケは用途別

「あとね、裏話的なことになりますけど、今、青ジャケは全部で4着あるんです。最初に買った初代から始まり、西川きよし師匠が作ってくださった最新のものまで」

橋本「初代、二代目、三代目、そして、きよし師匠からいただいたものは四代目ではなく“師匠”と呼んでるんですけど、完全に用途別になってますね。初代は、もちろん長く使っているので、よく見ると、かなり擦り切れたりもしてるんです。なので、これはロケ用です(笑)。外でどれだけ汚れても大丈夫と。あと、日々の舞台で漫才をする時に使っているのが三代目。実は、二代目は生地が薄くてシワになりやすいのであまり使ってませんでして、“師匠”は完全に賞レース用です」

「だから、仕事の前日は互いに『明日8時10分、なんばグランド花月前。“初代”で』みたいな感じでメールを送ってます」

橋本「青で覚えてもらったんですけど“青じゃなくても分かってもらえる”。次の10年はそれが1つのテーマになると思います。そして、僕らは、なんと言っても漫才。何十年後か分かりませんが『一番おもしろい漫才師は、銀シャリ』と言っていただけるようになるのが、大きな、大きな目標です」

将来は真っ白いジャケットを着て…

「あと、将来的には、建物に映像を映すプロジェクションマッピングももっと進化しているでしょうし、何十年後かには、真っ白のジャケットで舞台に出て、そこにネタによって、いろいろな柄を映してもらうというのもいいかもしれませんね!!」

橋本「…あのね、鰻さん、そうなったら、漫才よりそっちの方が目立ちますよね…。せっかくエエ具合にまとめたところで、もう一回、ゴチャッとさせるのはできたら控えてもらえますかね?」

「基本、僕らはセンターマイクからそんなに動かないから“プロジェクションマッピング映え”すると思うんやけどな…」

橋本「…うん、…そうやな。とにもかくにも、漫才を頑張ります!!」

銀シャリ

1983年8月31日生まれで大阪府八尾市出身の鰻和弘(うなぎ・かずひろ)と、80年9月27日生まれで兵庫県伊丹市出身の橋本直(はしもと・なお)が2005年にコンビ結成。ともに大阪NSC25期生。ボケの鰻、ツッコミの橋本というコントラストがはっきりとしたしゃべくり漫才で注目を集め、NHK上方漫才コンテスト最優秀賞、上方漫才大賞新人賞など受賞多数。「M-1グランプリ2010」では決勝に進出し5位となる。MBSテレビ「ちちんぷいぷい」、NHK「週末応援ナビ☆あほやねん!すきやねん!」、朝日放送「探偵!ナイトスクープ」(橋本のみ)、「おはよう朝日です」(鰻のみ)などに出演中。トレードマークとなっている青のジャケットからの“卒業”を表明する場ともなる10周年記念イベント「10周年もギンギラ銀にシャリげなく」は大阪(7月10日、なんばグランド花月、ゲストはナイツ)と東京(8月23日、ルミネtheよしもと、ゲストはハライチ)で開催される。

芸能記者

立命館大学卒業後、デイリースポーツに入社。芸能担当となり、お笑い、宝塚歌劇団などを取材。上方漫才大賞など数々の賞レースで審査員も担当。12年に同社を退社し、KOZOクリエイターズに所属する。読売テレビ・中京テレビ「上沼・高田のクギズケ!」、中京テレビ「キャッチ!」、MBSラジオ「松井愛のすこ~し愛して♡」、ABCラジオ「ウラのウラまで浦川です」などに出演中。「Yahoo!オーサーアワード2019」で特別賞を受賞。また「チャートビート」が発表した「2019年で注目を集めた記事100」で世界8位となる。著書に「なぜ、この芸人は売れ続けるのか?」。

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1999年にデイリースポーツ入社以来、芸能取材一筋。2019年にはYahoo!などの連載で約120組にインタビューし“直接話を聞くこと”にこだわってきた筆者が「この目で見た」「この耳で聞いた」話だけを綴るコラムです。最新ニュースの裏側から、どこを探しても絶対に読むことができない芸人さん直送の“楽屋ニュース”まで。友達に耳打ちするように「ここだけの話やで…」とお伝えします。粉骨砕身、300円以上の値打ちをお届けします。

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