Yahoo!ニュース

周回遅れの「保育の質」議論 待機児童問題の抜け落ちた視点

中野円佳東京大学特任助教
保育士はプロの仕事で、決して誰でもできるものではない(写真:アフロ)

「保育園落ちた、日本死ね」ブログをきっかけに、待機児童問題が取りざたされています。私自身、この4月に向けては、下の子(0歳児)とこれまで2歳児までの無認可保育園に行っていた上の子(3歳児)のダブル保活となり、他人事ではありませんでした。上の子の0歳児のときに加えて2回の保活をして、気になったことがあります。それは「保育の質」のことです。

「保育の質」には構造の質、過程の質 がある

OECDは2012年に幼児教育・保育について「質を考慮せずにサービスの利用を拡大しても、子どもによい成果はもたらされず、社会の長期的な生産性が向上することもない」「質の低い幼児教育・保育は子どもの発達に好影響をもたらすどころか長期的な悪影響を及ぼしかねない」と報告しています(日本語サイト)。

ここで言う生産性とは、政策に対する費用対効果ということでしょう。昨年、日本でも『幼児教育の経済学』が出版され話題になりましたが、ノーベル経済学者であるジェームズ・ヘックマン教授らが、貧困削減など社会全体の経済的効果を上げるには特に乳幼児期 に投資することが有効だと指摘しています。

これに対して、日本の保育政策はまず「量」の確保で躓いていて、質の議論は二の次にされているように見えます。鈴木正敏・兵庫教育大准教授 の論文によると、保育の質には「構造の質」や 「過程の質」があり、他の先進国では後者に重点が移ってきているとのことです(「過程(プロセス)の質」の具体的項目については最近、訳書が出版されました)。

今、メディアなどで待機児童問題の議論の俎上にあがっているのは、施設条件や保育士の配置などの「構造の質」についてが中心。その構造の基準すら、どちらかというと緩められる方向にあるわけですが、保育者と子どもや保育者同士、保護者や地域などのどうかかわり、どのように日々保育を実践しているかという「過程の質」はあまり注目されていないように思います。

9カ所の保育所見学で感じたこと

我が家の場合、保活の結果、第一希望だったきょうだい同園は叶いませんでしたが、認可保育園には入ることができました(これまで認可を利用していない「新規」、既に認可外に預けて復帰している「待機」、未就学児のきょうだいがいる「きょうだい」ポイントなどが積み上がったためで、困窮度合いを区役所にアピールしにいったなどの都市伝説的方策は駆使していません)。

下の子は2歳児までの園に入ったため、来年度以降も保活をする可能性がまだありますが、2度の保活で合計9カ所の保育園に見学に行ったり利用したりして、気になったことが2つあります。

子どもが安心し、没頭できる環境

1つ目は、保育園を訪れた大人に対する子どもたちの反応です。

上の子を0歳児である保育園の一時保育に預けていたときのこと。16時ごろに迎えに行くと、子どもたちが何人か、わらわらとこちらに寄ってきて、「なーんだ、ぼくのママじゃないのか」とでもいうように、がっかりした顔をしました。見学に行くと大人のことをチラチラと気にしていて、園長が「いつもはこんなに静かじゃないんですよ~」と説明する園もありました。

これに対して、見学者がいても子どもたちは気に留めず走り回ったり、見学者に親しげに話しかけてきたりするところもあります。うちの上の子が3年間通うことになった保育園は、子どもたちが遊びに夢中で、誰が迎えに行っても気が付きませんでした。我が子は私の姿を認めてからも「もっと遊びたい」となかなか帰らないこともあり、子どもにとって安心でき、遊びに没頭できる環境で過ごさせてもらったことを感謝しています。

上記の鈴木准教授の論文では、ベルギーの取り組みで保育者たちが子どもたちの「安心度」と「夢中度」を評価し、保育者同士で議論し質を向上する 枠組みが紹介されています。子どもが保護者のことを「早くこないかな」と首を長くして待っていると思ったら、復帰した親だって気が気じゃありません。政府の目指す「女性活躍」のためにも、子どもが安心して過ごし、親が安心して働ける環境が必要です。

保育士の余裕ない対応

2つ目は、保育士の子どもに対する接し方です。

今回のダブル保活で、ビル内保育園を見学していたときのこと。2歳児の子どもたちが、ちょうど散歩にでかけるところでした。その保育園は園庭がなく、近くの公園に散歩に行きます。外出準備をしていた2歳児の子に、若い保育士の先生が、「ねー、○○ちゃん、なんで靴下はかないかなぁ」とイライラと声をかけるのが聞こえました。

わかります。もう何をするにも超時間がかかる2歳児。それを何人も連れて外にでかけるのは非常に神経を使うと思います。イライラするのはわかる。でも、これまで私は上の子が通っていた保育園の先生に「子どもが何かしたがらないときは、子どもなりの理由があるんです。その気持ちを私たちは受け止めたいし、お母さんも受け止めてあげてください」と諭されたことがありました。

また別のある幼稚園を取材したとき、靴を左右反対に履いている3歳くらいの子がいて指摘したら、「自分で気づいたらいいの」「分かっててやってみてるのかもしれないから」と見守る先生たちに止められたこともありました。

保育士さんや幼稚園の先生たちは、決して誰でもできるようなことをしているわけではなく、本来、発達心理などの研究をもとに保育を実践しているプロです。時には、保護者が「親」になっていくプロセスをも、ともに歩み、育ててくれるような存在です。そういう保育士の方々にお世話になってきただけに、何人も見学者がいる真横で子どもにイライラと接する様子を見て、残念な気持ちになりました。

保育分野へのリスペクトを

個別に保育士さんを責めたい気持ちはありません。いま話題になっているように、保育士の賃金は全産業平均と比べても低く、離職者も多いです。ベテランが若手に子どもとのかかわり方を教える時間や機会がない場合や、処遇が余裕のなさにつながっている場合もあるかもしれません。

園庭であればさっさと支度を終える子と、のんびり外に出る子の時間差を許容できても、外の公園にでかけるので一斉に支度をしないといけないという、環境面の状況も追い打ちをかけていたと思います。量的な待機児童問題解消の裏腹で犠牲にされているものがどうしても出ているように感じます。

もちろん、日本総研の池本美香・主任研究員らがご著書等で指摘されるように、保護者もサービスの「お客様」をしているだけではなく、保育者と一緒になって保育の質の向上にかかわったほうがいいと思います。費用がかかる点についてはすべて税金で、というわけではなく高所得世帯については応能負担でもっと保育料を払ってもいいかもしれません。

ただ、そもそもの子育てに対する国全体の予算の少なさ、保育士の待遇の悪さの背景には、国全体として、子どもへの投資の重要性や保育の専門的な知見へのリスペクトがされていないと思えてなりません。

量、安全 その先の議論へ

たかが、子どもたちが迎えに来る親や見学者に見せる反応。たかが、靴下を履く履かないの声掛け。そうかもしれません。確かに、決して危険な目に遭っているわけではありません。ワーキングペアレンツを取材していると、子どもが遊んでいる様子を事前に見学できないばかりか、通わせている親が一切目にできない構造にある保育園、子どもを預けてみたら無理やり寝かせるなど事故につながりかねない保育をしている保育園などの話も聞きます。

その中で、子どもの様子を丁寧に観察し、気持ちを受け止め、保護者とも存分にコミュニケーションをとってほしいというのは、贅沢なことでしょうか。そうかもしれません。でも、その子どもたちが、日本の未来を背負います。

保育の質には、まず安全が守られるという最低限の段階、それから安心して過ごせる、さらに夢中になって遊ぶことができて発達が促される、という3段階 があるように思います。でも、今は「入れたら万歳」という状況で、質の議論をしたとしても構造の質、安全の話止まりで、第2、第3段階の議論は専門家限りとなっていないでしょうか。

とは言っても、足元で今年度入れなかった子どもたちをどうするのか?政策実現プロセスは?と、問題解決を進めていく上では、悩ましい点があるのは承知です。でも、せっかく専門家の研究や海外の事例が蓄積されています。待機児童が社会問題としてようやく広く注目され、政治の争点となりつつある今なので、子どもたちのため、日本の未来のために、各政党は長期的視野を持ったうえでの議論を展開してほしいです。

東京大学特任助教

東京大学男女共同参画室特任助教。2007年東京大学教育学部卒、日本経済新聞社。14年、立命館大学大学院先端総合学術研究科で修士号取得、15年4月よりフリージャーナリスト。厚労省「働き方の未来2035懇談会」、経産省「競争戦略としてのダイバーシティ経営の在り方に関する検討会」「雇用関係によらない働き方に関する研究会」委員。著書に『「育休世代」のジレンマ~女性活用はなぜ失敗するのか?』『上司の「いじり」が許せない』『なぜ共働きも専業もしんどいのか~主婦がいないと回らない構造』。キッズラインを巡る報道でPEPジャーナリズム大賞2021特別賞。シンガポール5年滞在後帰国。

中野円佳の最近の記事