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米大統領選挙と宗教の動向

中岡望ジャーナリスト

一般的に先進国では宗教の衰退の傾向が見られる。アメリカもその例外ではない。2008年に行われた宗教調査では、どの宗教にも属していないと答えた比率は1990年の8%から16%へと倍増している。しかし、それでもアメリカ人の80%以上が何らかの宗教に所属しており、「アメリカ人は信念においても、行動においても極めて宗教的な国民であることに変わりはない」(マーク・シャベス・デューク大学教授)。アメリカの宗教を理解せずして、アメリカの政治はもとより、社会や文化を理解するのは難しいのである。

またアメリカは単に“宗教国家”であるだけでなく、“キリスト教国家”でもある。2011一年12月23日に行われたギャラップ社の調査では、成人の78%がキリスト教徒であると答えている。宗派的な内訳はだ、プロテスタント教徒52.5%、カトリック教徒は23.5%、モルモン教徒は1.9%である。

またギャラップ社が2011年6月3日に行った調査では、92%が神の存在を信じていると答えている。信じないと答えた者はわずか7%に過ぎない。1940年代に行われた最初の調査では96%であり、当時から比べれば若干低下しているものの、大多数のアメリカ人が神の存在を信じていることに変わりはない。

党派的に見ると、さらに興味深い事実が見られる。保守的な共和党支持者の98%が神の存在を信じていることだ。リベラル派の民主党支持者の九90、無党派層の89%が神の存在を信じると答えている。政治的信条を越えて宗教はアメリカ人の心を占めているといえる。

アメリカの政治の最大の問題は共和党と民主党の両極化で、両党の間には越えがたい溝が生まれている。それが政治的な停滞を招いている。オバマ大統領が“超党派政治”を訴えたのも、そうした背景があったからだ。だが、オバマ政権の元で政治の両極化は解消されるどころか、さらに深刻な状況を招いている。

こうした政治の両極化の背後には、宗教的な保守化の進行がある。穏健な立場を取ってきた主流派プロテスタント教会の衰退と、キリスト教原理主義と呼ばれる保守的傾向を強めた非主流派プロテスタントであるエバンジェリカル(福音派)の急速な台頭が見られることだ。さらに付け加えれば、カトリック教徒とキリスト教徒から異端と見られてきたモルモン教の伸張も見られ、キリスト教の世界に大きな地殻変動が起きている。伝統的なプロテスタントのアメリカ社会での衰退は、たとえば、最高裁の判事の構成の中にも見て取れる。現在、9名の最高裁判事のうち6名がカトリック教徒、3名がユダヤ教徒である。

教会別に見ると、現在、アメリカで最大の教会はカトリック教会である。国勢調査によると、2008年のカトリック教会の教徒数は5729万人(1990年比で120万人増)で、主流派プロテスタントのバプティスト教会の3615万人、メソディスト教会の1136万人を大きく上回っている。五番目に教徒が多いのがモルモン教で316人(同67万人増)である。なお、国勢調査ではエバンジェリカス・クリスチャンの数は215万人(同161万人増)と推定されている。この統計を見る限り、エバンジェリカル・クリスチャンの数は多くはないが、実際にはアメリカ人の25%から35%がエバンジェリカル・クリスチャンだとみられている(『クリスチャン・サイエンス・モニター』2009年3月10日)。

エバンジェリカル・クリスチャンの増加はアメリカの保守化と軌を一にし、1970年代の保守的な宗教運動の中で急速に影響力を強めてきた。保守主義者に乗っ取られた共和党と急接近することで、アメリカのさらなる保守化を推し進める役割を果たした。現在では共和党の大統領候補の指名を得るためにはエバンジェリカル・クリスチャンの支持は不可欠で、候補者は公開討論会で一様に神の存在を信じ、進化論を否定し、同性婚や中絶の非合法化を主張する異様な光景が日常化している。

今回の大統領選挙で政治と宗教の新しい展開が見られる。それはモルモン教の急速な台頭である。正統派のキリスト教徒はモルモン教を異端あるいはオカルト宗教と見ている。それは政治の世界にも大きな影響を与えている。ピュー・リサーチ・センターが行った調査では、アメリカ人の25%はモルモン教徒の大統領候補を支持しないと答えている。その比率は、共和党だと23%、白人のエバンジェリカル・クリスチャンだと53%と高くなっている。共和党のミット・ロムニー大統領候補が大統領選挙で勝利するためには、エバンジェリカル・クリスチャンの支持が不可欠となっている。

2008年の共和党大統領予備選挙に出馬したロムニー候補は、2007年12月に「信仰告白の演説」を行い、「私は大統領選挙に立候補した一人のアメリカ人であり、自分の宗教によって立候補を決めたわけではない。人は宗教によって選ばれるべきではないし、また宗教によって拒否されるべきでもない」と、自らの立候補と宗教が無関係であると語っている。

今回も同候補は2012年5月にエバンジェリカルの影響下にあるリバティ大学の卒業式で演説を行うなど、エバンジェリカル・クリスチャンとの融和を積極的に図っている。大統領選挙で“モルモン・ファクター”がどの程度影響するか予測するのは困難だが、リベラル派のシンクタンクのブルッキングス研究所は「ロムニーの宗教によって白人のエバンジェリカル・クリスチャンの支持が減ることはないかもしれない」(『ロムニーは“宗教問題”を抱えているか』、2012年5月)と指摘している。そうした指摘の背景に、政治と宗教の新しい展開が見られる。

ロムニー候補は副大統領候補にポール・ライアン下院議員を指名したが、ライアン議員はカトリック教徒であり、強硬は保守派でティーパーティ派にも近い。もし同候補が大統領に当選すれば、モルモン教徒の大統領とカトリック教徒の副大統領が誕生することになる。こうした組み合わせは、従来のアメリカ社会では想像すらできなかったことである。ブリンガム・ヤング大学のロバート・ミレット教授は「モルモン教徒とカトリック教徒がエバンジェリカルと手を携えて保守的な理念を共有し、中絶や同性婚社などに反対するために立ち上がった」と指摘する。すなわち宗派的な相違よりも、保守的な社会理念を共有することで、新しい連携が誕生しつつあるのかもしれない。

これは同時にアメリカ社会でモルモン教が次第に認知されつつあることも示している。5月に発表された「2012年宗教の教会と信者調査」によれば、過去10年間でモルモン教は26州で他の宗派を凌駕する最大の増加を示しており、たとえばカリフォルニア州カリフォルニア郡では55%も増えている。また信者は200万人、教会は295教会増加していると指摘している。

こうした信徒の増加は、当然、モルモン教の社会的な影響力の増加に結びつく。政治の世界では、現在、14名の連邦議会議員がモルモン教徒である。今年の議会選挙でモルモン教徒の議員が増えるのは間違いない。ユタ州選出のマイク・リー上院議員は「共和党政府で多くのモルモン教徒が要職に就いたとしても驚かない」と語る。ビジネスで成功したモルモン教徒も多く、大口の政治献金者としてロムニー候補を支援している。

イギリスの『ガーディアン』紙は「モルモン教は世界で最も急速に拡大している宗教で、現在、信徒の数は世界で1440万人に達している。さらに海外に5.5万人の宣教師を擁している。モルモン教は急速にアメリカの主流派の一部になりつつある」(2012年8月18日)と指摘している。

今回の大統領選挙は、アメリカの宗教勢力の変化を示す大きな転換点になるかもしれない。

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

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