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安倍自民党総裁の金融政策はなぜ間違っているのか!

中岡望ジャーナリスト

自民党の選挙公約「経済を取り戻す」に掲げられている経済政策は2003年3月に行われた現代経済研究グループの「日本経済復活への提言」とウリ二つであることに気がつく。同提案では、デフレ脱却のためには「マネタリーベースの適切な形での供給増加が不可欠である」とし、「非伝統的な(金融)手段」を用いて、「2年程度の期間、『物価水準』上昇の程度(たとえば3%)と、その後のインフレ目標(たとえば2%プラスマイナス1%)をただちに設定すべきである」と書かれている。自民党の公約も「明確な物価目標(2%)を設定」し、「名目3%以上の経済成長率を達成する」としている。こうした考えを背景に安倍晋三自民党総裁は、日本銀行に債券買い取りなど無制限の金融緩和策の発動を求めている。

最近、あるシンポジュームに参加したが、そこで一部の経済学者は「景気回復のためにはジャブジャブ通貨を供給すればいい」と主張していた。政治家だけでなく、いわゆるリフレ派の経済学者は、日本銀行の政策は慎重過ぎると批判し、“インフレ目標政策”の導入を主張している。では、彼らの主張は正しいのだろうか。

こうした議論には、金融政策のプロセスに対する理解の欠如があるようだ。「ジャブジャブ通貨供給」することは簡単にはできないのである。まず、「通貨供給」とは、「マネーサプライ供給」を意味する。日本銀行はゼロ金利政策と量的緩和政策を取っているが、それはマネタリーベース(日銀当座預金残高と現金)を増やすものであって、直接マネーサプライの供給量を増やすものではない。通常、マネタリーベースが増えれば、信用乗数が働き、マネーサプライが増える。それは過剰準備を抱えた銀行が貸出しを増やすからだ。預金額の一定を銀行は日銀当座預金に預けなければならない。これを「必要準備」という。日本銀行がゼロ金利あるいは量的緩和で目指している政策は、過剰準備を作り出すことである。準備には金利が付かないため、銀行にとって過剰準備を持っていることは、資金運用に伴う収益機会を失うことになる。そのため、貸出しを増やす行動を取ると考えられる。この貸出増が、マネーサプライの供給である。理論的に言えば、マネタリーベースとマネーサプライの間に一定の関係が存在すると考えられている。それは「信用乗数」と呼ばれる。

しかし、現在、そうした信用乗数が働いていないのである。日本銀行が懸命に公開市場操作を通してマネタリーベースを増やしても、マネーサプライは思ったように増えない。白川日銀総裁は、日銀の量的緩和政策にもかかわらず「信用乗数理論に基づくマネタリスト的なチャネルは観察されなかった」と自著『現代の金融政策』の中で指摘している。

また、「マイナス金利論」も、安倍総裁は主張しているが、仕組みは同様である。過剰準備を持つと、その分に“マイナスの金利”が掛かることになる。すなわち、銀行は中央銀行の金利を支払わなければならない。とすれば、収益機会の喪失どころか、過剰準備を持つことで、コストが掛かることになり、ダブルの負担を強いられる。とすれば、銀行は否が応でも貸出しを増やすなどの行動を取らざるを得なくなる。それがマネーサプライを増やすことになる。というのが、その主張である。もし、マイナスの金利が課せられるのであれば、銀行は最初から中央銀行のオペレーションに応じることはないだろう。業界用語で言えば、銀行の募集額が中央銀行の買いオペ額に達しないという事態が起こるはずである。要するに、中央銀行は過剰準備を作り出すことができないだろう。持っていれば、利払いなどが期待できる債券を売却して、金利を払わなければならない過剰準備を受け入れる合理性は存在しない。

短期国債を使って公開市場操作ができなくなると、次に長期国債を使った操作が行われるようになる。銀行が保有する長期国債を購入することで、マネタリーベースを増やし、過剰準備を作り出すことである。これは同時に長期金利を引き下げる効果も期待できる。日本銀行が行っている操作は、短期国債の売りオペと長期国債の買いオペである。このことを“ツィスト・オペレーション”という。そのことによって、市場は日本銀行がゼロ金利政策を長期的に継続させるという予想を京成し、それが景気刺激に結びくという論理である。

では、日銀のマネタリーベースの増大策にもかかわらず、なぜ信用乗数が期待されたように働かないのだろうか。まず、企業の資金需要が低迷していることが上げられる。さらに、銀行は不良債権を抱えることを懸念して、慎重な貸出し姿勢を崩していないからだ。成長性が高く、雇用効果の大きい中小企業へは、リスクが高いから資金が流れていかないのである。また、実体経済の側からも旺盛な資金需要があるわけではない。銀行は借りたくない企業に貸すことはできないのである。不良債権を抱え、利払いが滞る事態にでもなれば、金融当局は強制的に銀行の償却を要求する。そうすれば、銀行の自己資本比率は低下し、場合によってはBIS(国際決済銀行)が定めて自己資本比率を割り込むかもしれない。

要するに中央銀行であっても、勝手に「通貨をジャブジャブ供給する」ことはできないのである。

インフレ目標政策に効果はあるのか

次にインフレ目標政策のポイントは、中央銀行の“政策コミットメント”と“アナウンスメント効果”を通してインフレ予想に影響を与えることにある。これも白川総裁の著作から引用すれば、「“言葉”が予想に働きかけるうえで有効なのは、中央銀行が物価上昇率を高めるうえで有効な政策手段を有しており、その政策手段を“言葉”と整合的の動かすという予想を民間経済主体が抱いている場合である」。では、日銀にインフレ目標をピンポイントで達成する“有効な手段”はあるのだろうか。日銀にとって有効な手段とは、マネタリーベースを増やすことしかない。それ以上の強権的なやり方は禍根を残す。

バブルの時、日銀と大蔵省は不動産バブルを押さえ込むために、不動産会社や建設会社に対する“融資の量的規制”を導入した。市場原理を逸脱した政策であり、その効果は絶大であったが、その結果、長期にわたる不動産不況と地価低迷を招いた。そのコストは甚大であった。具体的な目標実現のための政策手段がないのに、象徴的に目標を掲げるのは賢明な政策とはいえない。繰り返すが、中央銀行がインフレ目標を設定することで、市場の予想に影響を与えるというのが、この政策の特徴であり、限界なのである。

また、安倍総裁は、建設国債を含む国債を“無制限”に、インフレ目標を達成するまで購入することを主張している。もし日銀が無制限に長期国債を購入した場合、何が起こるのだろうか。ますます政府の財政規律は失われ、国の債務が増加する懸念がある。だが、さきのリフレ派経済学者が言う「通貨をジャブジャブ供給」を行う唯一の方法は、日銀が“無制限”に長期国債を購入することである。当初、安倍総裁は「建設国債の日銀引き受け」という発言を行っていたが、途中でさすがに気が引けたようで、「日銀引き受けなど言っていない」と前言を翻し、市場からの購入と言い換えている。だが、結果は同じである。

白川総裁は11月21日の記者会見で「日本銀行による大量の長期国債の買い入れは、財政ファイナンスであるという誤解が生じると、長期金利が上昇し、財政再建だけでなく、経済全体にも大きな悪影響を与えることになる」と答えている。直接引き受けであろうが、市場からの“無制限”な購入であろうが、それは“財政ファイナンス”に変りはない。結果的には、この政策は日銀による“国債価格維持政策”以外の何者でもなく、また政府は低利での日銀融資を受けているのと変らないのである。

は、何もしなくても良いのかという疑問が提起されよう。現在の物価動向をどう評価するかが、まず問われなければならない。日本銀行の『金融経済月報』(11月号)では、物価動向を「物価の先行きについてみると、国内企業物価は、当面、横ばい圏内で推移するとみられる。消費者物価の前年比は、当面、ゼロ%近傍で推移するとみられる」と指摘している。現在、物価情勢は決して“悪性デフレ”の状況にあるわけではない。“デフレ・スパイラル”で日本経済が底なしの沼に引きづり込まれるほど差し迫った状況があるわけではない。デフレの原因を明確に理解しながら、着実な政策を取っていくことが必要である。それは金融政策だけでは、無理なのである。

デフレは基本的には需要不足から発生している。現在、日本経済は大きなGDPギャック(供給力と需要の差)を抱えている。その不均衡はどこに現われるかというと、輸出増加か、物価下落である。もともと日本経済は輸出でギャップを埋めてきた。だが、現在の日本は膨大な輸出を計上するほど強いわけではない。さらに円高が加われば、2重の負担がかかる。ひとつは輸出競争力の低下であり、もうひとつは輸入物価の下落である。当然、それはデフレ圧力となる。サプライサイドの問題ではない。設備投資を拡大すれば、GDPギャックはさらに拡大するかもしれない。

とすれば、GDPギャックを解消するには、GDPの60%以上を越える個人消費が増えるしかない。個人消費が動かない限り、本格的な景気回復とデフレ脱却はありえない。だが、政治と財政は個人消費を抑制する方向に動いている。ゼロ金利、量的緩和という“非伝統的”金融政策に個人消費を刺激する効果は期待できない。なぜ消費者が消費しないのか考えるべきである。最近の経済学者はサプライサイドに偏った分析をしがちである。すなわち、「投資を促進すれば、経済は成長する」という考え方である。すなわち、サプライサイドの経済学は古典派の「セーの法則(供給が需要を作り出す)」に依拠したもので、この法則は長期理論であり、景気政策論に無批判に適用するのは間違いであろう。ましてや、デフレ政策としては使えない議論である。百歩譲って、投資が成長の景気の決定的な要因であると認めたとしても、期待収益率が長期金利を上回らない限り企業は設備投資をしないだろう。また、期待収益率を決めるのは消費動向である。

実体経済が必要とする以上の通貨供給は投機的バブル、あるいはハイパーインフレを引き起こすことは歴史が示している。問題は、全ての政策の責任を金融政策に負わせ、自らの果たすべき役割を果たしていない財政と政治にあると言っても過言ではない。最後に中央銀行の独立性に関していえば、政治家は常に選挙で勝つことを最優先している。そのために、政治的コストの掛からない金融政策を使おうとする傾向が強い。中央銀行は独自の立場に立って金融政策を運営すべきである。もちろん、政府と常に対立する必要はない。共通の目的(完全雇用達成)に向けて協力すべきところは協力すべきである。ただ、政党の利害とはあくまで一線を画すべきであろう。

最後にひとつ付け加えるなら、金融経済を研究したことのある者なら、「金融政策の効果が発揮されるまでの時間は不安定で、ばらつきがあり、その効果は長期に累積的に及ぶ」ということは知っているはずである。安倍総裁は「インフレ目標に達成したら通貨供給を止めればいい」という趣旨の発言をしていた。「かつてインフレこそが国民の最大の敵(Public enemy No.1)」と言われていた。インフレを抑制することが、デフレ克服と同様に容易な仕事ではないのである。金融政策は場合によっては劇薬になることも認識しておく必要があるだろう。生半可な知識は国を誤らせることになるだろう。

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

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