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ヒラリー・クリントン前国務長官の私的メール使用で「謝罪」の背景

中岡望ジャーナリスト

ヒラリー・クリントンの「謝罪」

9月9日、アメリカのメディアは、民主党の大統領候補指名の最有力候補であるヒラリー・クリントン前国務長官が長官時代に公的な通信に私的な電子メール・アカウントを使って公文書のやり取りをしたことについて“謝罪”したことを一斉に報じた。クリントン前国務長官は8日の夕方に行われたテレビ局ABCの「World News Today」でインタビューに答えて、「この問題が人々を」当惑させ、多くの疑問を引き起こしたことに申し訳ないと思っている。しかし、こうしたすべての疑問に対する答えはある。私に責任があり、それは最善の選択ではなかった」と正式に謝罪した。さらに「上院議員時代から私的なメール・アカウントを使っており、国務省に移ってからも、同じように私的なアカウントを使い続けた」と、惰性で使い続けただけで、他意はないと弁明している。番組はまだ放送されていないが、メディアはこの謝罪のコメントを取り上げ報道した。また、同時にクリントン前国務長官は電子メールで支持者に対して同様な謝罪のメールを送付している。

アメリカの大統領選挙では、公的な場で自分の弱さを露呈したり、謝罪することは、大統領になる資格がないとみなされる。アメリカの政治では、大統領は常に強い存在でなければならないからだ。従来から「謝罪する必要はない」と主張してきたクリントン前国務長官が、なぜ、今になって大きな政治的リスクを犯してまで一転して謝罪をした理由は何なのか。また、それが今後の民主党の大統領を選ぶ予備選挙の動向にどのような影響を与えるのであろうか。それを分析する前に、クリントン国務長官が支持者に送った謝罪メールを見てみよう。謝罪文は電子メールで支持者に送付されたものである。その内容は以下の通りである。

「友人へ

私は皆さんに直接私の話を聞いてもらいたい。

確かに私は2つのメール・アドレスを使うべきであった。ひとつは私的な事柄に関して使うアドレスであり、もうひとつは国務省の仕事で使うアドレスである。そうしなかったのは、間違い(mistake)であった。私は、そのことに関して反省し、その件に関してすべての責任を負っている。

皆さんに幾つかの重要な事実を知ってもらうことが大切である。まず、私が私的なメール・アカウントを使っていたことは公然の事実であり(aboveboard)、それは国務省の規則上、認められていることであった。私が政府の職務にあるときに通信した人は全員、そのことを承知していた。在任中に私が送ったり、あるいは受け取ったメールの中に機密指定されたものはない。

この問題が明らかになる中で私は可能な限り情報を公開することを望んでいる。これが、業務上の全ての電子メールを一般に公開するために政府に提供した理由である。また、これが来月末に開催されるベンガジ委員会に出席して公の場で証言する理由である。

私は、これには複雑な経緯があることを理解している。もっと早く疑問に答えることでより良く職務を果たすことができたし、またそうすべきであった。私は皆さんのご支援に感謝し、皆さんのご支援を当然のことだとは思っていない。

私は皆さんがもっと多くの疑問を抱いていることは理解している。私は全力で皆さんの疑問に答えるつもりである。皆さんが私の電子メールを含めもっと読みたいと思われるなら、次のサイトをご覧ください(http://www.hilaryclinton.com/emails/)

感謝します。

ヒラリー」

上に指摘されたサイトはクリントン国務長官の選挙活動を支援する団体のサイトである。そこには、「Hillary’s emails in 4 sentences」と題して、次のようにクリントンの主張が要約されている。

「国務省に在職中にヒラリー・クリントンの電子メールの使用について知らなければならない4つの事柄がある。

1. ヒラリーは個人アカウント使う決定をしたことと、それによって生じた問題に対して責任を負う

2. 彼女が私的な電子メール・アカウントを使用することは国務省の規則で認められている

3. 彼女が送ったり、受け取ったメールの中に機密文書に指定されたものはない

4. 彼女は、業務に関連するすべての電子メールを国務省に提出している」

さらに続けて、以下の説明が加えられている。

「国務省が確認しているように、ヒラリーが国務省に在職中に使っていたような私的な電子メール・アカウントを持つことを禁じるルールは存在していなかった。通常、政府のメール・アカウントを持つ政府の役人に電子メールを送るのがヒラリーのやり方であり、彼女が送ったメッセージは電子メールのアーカイブの中に保存されていた。彼女が国務省の職を辞した後に、規制が変更されたものである。

ヒラリーが自分のメール・アカウントを使って送ったり、受け取ったりしたメールには、当時、“極秘”と指定されたものはなかった。彼女の電子メールが公開される前に、国務省は他の政府機関が電子メールをリビューすることができる手続きを詳細に調査した。新しい記録が初めて公表されるときいつも起こるように、各機関は何を機密にすべきかに関して意見が一致せず、その時点で機密に区分されていなかった資料が、この段階で他の機関によって“機密”に格上げされることがある。

透明性は重要である。それが、ヒラリーが業務に関する全てのメール(3万通以上、ページ数で5万5000ページ)とメール・サーバーを政府に提出した理由である。彼女は協力を惜しまず、一般の人々が提起した重要な疑問に答えるためにあらゆる努力をし、彼女の公聴会を公開することを求めているベンガジ委員会に協力することで、アメリカ国民は委員会の質問と、それに対する彼女の回答を聞くことができる」

クリントン前国務長官が「謝罪」に踏み切った背景

ヒラリー・クリントン前国務長官の謝罪の書簡と支援グループの解説から明らかなように、問題はクリントンが国務長官時代に承認を得ず、私的なメール・アカウントを使って政府役人と通信をしていたことが国務省の規則に反する可能性があること。また、機密に属する情報が私的なメール・アカウントを通して交信されたのではないかという疑惑があること。言い換えれば、機密情報が流出した可能性があり、安全保障上の問題が生じる可能性があることである。これに対して、クリントン国務長官は、当時、国務省に私的なメール・アカウントを使うことを禁じる規則はなかったし、彼女が私的なメール・アカウントを使って公的な通信をしていたことは周知の事柄であったと反論。さらに通信した業務に関するメールはすべて国務省に提出されており、その中には機密情報に区分されるものはなかったと説明している。また機密情報と区分される情報は、国務長官を辞任した後に格上げされたもので、批判の対象にはならないとしている。

クリントン前国務長官の説明を聞く限り、何の問題もないように思われる。しかし、なぜここまで深刻なスキャンダルになったのであろうか。共和党やメディアの厳しい批判に対して、謝罪文に書かれているように、クリントン前国務長官は3万通を超えるメールを国務省に提供している。しかし、それとは別に3万1000通のメールを削除したことも明らかになっている。クリントン前国務長官は、削除したのは個人的なメールであると説明しているが、そうした行為も疑惑を強める結果となっていた。また、FBIも犯罪調査に乗り出しており、クリントンに対して機密情報漏洩疑惑で刑事告発される可能性も否定できない状況にある。ある民間の著差機関は、電子メールの中に少なくとも2件の“トップ・シークレット”情報が含まれていたと報告している。また調査は終わっていないが、FBIは今までのところ4件の機密情報を発見したと伝えられている。共和党のジョン・ベーナー下院議長は「クリントン前国務長官の機密情報は持っていなかったという今までの証言は真実ではないのは明らかだ。彼女の機密情報に対する誤った取り扱いは十分に調査すべきである」と、大統領選挙を控え攻撃のトーンを強めている。

こうした時期に“謝罪”に踏み切った理由は、世論調査での支持率の急速な低下があった。共和党の候補者は、このスキャンダルを使って反クリントン・キャンペーンを行っており、有権者の間にクリントン前国務長官は「嘘つきである」「信用できない人物」であるとのイメージができつつある。また一時は民主党内でも圧倒的な支持を得ていたが、ジョー・バイデン副大統領や左派のバーニー・サンダース上院議員、マーチン・オマリー前メリーランド州知事などが急速に追い上げてきている。オマリー前知事は「クリントン前国務長官の電子メール問題に関する疑問は当然のことである」と語るなど、民主党内部からの批判も強まっている。

8月26日に行われた記者会見で、クリントン前国務長官は既に私的なメール・アカウントを使ったことが間違いであったことを認めていた。クリントン陣営は、記者会見のビデオを来年1月に最初の予備選挙が行われるニューハンプシャー州のフォーカス・グループに見せたところ、参加者の反応はもっとクリントンから説明を聞きたいというものであった。さらに、現状が続けばクリントン前国務長官の他の主張や政策が埋没してしまう懸念が出された。こうした動きを受けて、ABCのインタビューで「間違い(mistake)」認めると同時に、支持者に対して謝罪のメールを送付することになった。クリントンは「間違い」という言葉を使うのは抵抗した。彼女は自著『ハードチョイス』のなかで「間違いを犯したということを言うことは弱さと受け取られる」と書いている。だが、最終的に“間違い”という言葉を使うことを受け入れている。なぜなら、支持者の信頼を回復するかが当面の最大の課題であったからだ。ABCのインタビューの最後にクリントン前国務長官は「この選挙戦の最後に人々は私が信頼でき、私が人々の側の人間であり、彼らと彼らの家族のために戦うということが分かってくれるだろう。しかし、その前に、疑問に答えるという仕事をすることができるし、そうしなければならないと思っている」と答えている。電子メールのスキャンダルで傷ついてイメージをいかに回復するかが、クリントン国務長官の最大の課題になっているのは間違いない。9月7日に行われたAP通信とのインタビューでは「この夏、私はアメリカ国民に自分自身を再紹介(reintroduce myself)したいと自分のゲーム・プランに従って懸命に働いてきた」と述べている。ただ、クリントン国務長官の「謝罪」が、彼女のイメージを高めることになるのか、さらにダメージを与えることになるのかは、まだ判断できない。

最近の世論調査の結果

選挙分析の専門家のバージニア大学のラリー・サバト教授によると、民主党の大統領候補は、ヒラリー・クリントン前国務長官がリードし、次に付けているのが、バーニー・サンダース上院議員、第3グループにマーチン・オマリー前メリーランド州知事、ジム・ウエブ前上院議員、リンカーン・チェイフィー・ロードアイランド州前知事、ワイルド・カードでジョー・バイデン副大統領を挙げている。なお、バイデン副大統領はまだ立候補表明をしてない。また、上記の候補者以外では、9月6日に立候補宣言をしたローレンス・レッシング・ハーバード大学教授がいる。

9月8日に行われたマンモス大学の世論調査(民主党の党員登録者339名が対象)では、クリントン前国務長官の支持率が大幅に低下している。クリントン前国務長官の支持率は42%と、バイデン副大統領の22%サンダース上院議員の20%を大きく引き離しているが、8月に行われた調査と比べると、クリントン前国務長官の支持率は10ポイント低下している。これに対してバイデン副大統領は逆に10ポイント上昇、サンダース上院議員は4ポイント上昇している。4月の結果と比べれば、クリントン前国務長官の支持率の低下はさらに顕著である。4月の時点で、クリントン前国務長官の支持率は60%、バイデン副大統領は16%、サンダース上院議員はわずか7%でしかなかった。好感度でみると、昨年12月のクリントン前国務長官の好感度率は82%であったが、今回の調査では71%にまで低下している。逆にバイデン副大統領は46%から71%へと上昇。サンダース上院議員も22%から41%へと上昇している。年初に見られたような、ヒラリー・クリントン圧勝ムードは確実に薄れつつある。とはいえ、クリントン前国務長官が他の候補を圧倒している事実に変わりはない。

同大学の調査担当責任者のパトリック・マーレイ氏は「私的な電子メールの使用を巡る論争が尾をひているせいで支持率が低下した」と分析している。

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

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