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米大統領選挙徹底分析(1):クリントンか、トランプか、かつてない激論が予想される公開討論会のポイント

中岡望ジャーナリスト
遊説中のヒラリー・クリントン候補(写真:ロイター/アフロ)

米大統領選挙も終盤に差し掛かった。終盤戦の最大の焦点は大統領候補による公開討論会である。民主党のヒラリー・クリントン候補と共和党のドナルド・トランプ候補はメディアを通して、激しい人格攻撃を繰り返してきたが、いよいよ一対一の公開討論会で相間見えることになる。今回の公開討論会は「大統領候補討論会委員会(CPD)」の主催で3回行われる。初回の公開討論会は9月26日(現地時間)にニューヨーク州ロングアイランドにある小さな町ヘムステッドにあるホフストラ大学で行われる。司会者はNBCのニュース番組キャスターのレスター・ホルト氏が務める。公開討論会ではホルト氏が大統領候補に質問する形式で行われる。なお今回の公開討論会はクリントン候補とトランプ候補の二人が招かれており、リバタリアン党から立候補しているニューメキシコ州知事のゲーリー・ジョンソン候補は招待されていない。ちなみに1992年の大統領候補の公開討論会は、民主党のビル・クリントン候補、共和党のブッシュ候補、無所属のロス・ペロー候補の3人で行われた。

■質問内容は事前に知らされず、知識や能力が問われる

従来の公開討論会では「社会政策」「経済政策」「外交政策」の3つの分野で討論が行われてきた。今回の討論会は「アメリカの進むべき方向」「アメリカの繁栄を実現する」「アメリカの安全保障を守る」の3つ分野で行われる。ただ、主催者によると討論のテーマは状況によって変更される可能性もある。質問内容は候補者には事前に教えられることはないので、候補者は答弁の準備はできない。候補者の知識や能力が直接問われる仕組みになっている。ちなみにブッシュ前大統領は公開討論会の際にイヤホンをしていたことで、舞台裏からスタッフの支援を得ていたのではないかと疑われたこともあった。3回の公開討論はいずれも午後9時から10時半(東時間)が予定されている。

2回目は、10月9日にミズリー州セントルイスのワシントン大学で行われる。第1回と違い、公開討論の前半は司会者と候補者の間で質疑応答が行われ、質問に対して候補者は2分の回答時間を与えられ、さらにそれに対して司会者が追加質問をする形式が取られる。後半はタウンミーティング形式で行われ、公開討論会に出席している市民が直接候補者に質問することになる。討論に参加する市民は主催者が選んだ党派性のない人たちである。司会者はCNNのキャスターのアンダーソン・クーパー氏とABCの国際問題担席記者のマーサ・ラダッツ氏が務める。3回目は、ネバダ州ラスベガスにあるネバダ・ラスベガス大学で10月19日に行われる。公開討論は第1回と同じ形式で行われる。司会者はフォックス・ニュースのキャスターのクリス・ウォリス氏である。なお、副大統領候補の公開討論会も1回行われる。日時は10月4日、場所はバージニア州ファームビルのロングウッド大学である。討論時間は90分で、討論は9つのセッションに分かれ、各10分で行われる。討論はまず司会者が最初の質問をし、各候補者がそれに対して2分で答える。それを受けて司会者がさらに質問をすることになっている。

■公開討論会の歴史と選挙結果に対する影響

公開討論会は大統領選挙の結果に大きな影響を与える。有権者は候補者を直接比較でき、政策だけでなく、候補者の大統領としての能力と資質について判断できる。大統領候補による公開討論会の“原型”は、1858年にイリノイ州で行われた連邦議会の上院議員選挙での討論会である。このときの共和党候補者はエイブラハム・リンカーン、民主党候補者はスティーブン・ダグラスで、両候補が直接奴隷制度と連邦の将来を巡って議論を行った。討論時間は3時間に及んだ。リンカーンとダグラスは、後に二人とも大統領候補となり、再び争うことになるが、1860年の大統領選挙の際に公開討論会での議論が出版され、選挙結果に大きな影響を与えた。この選挙では奴隷制度廃止を訴えたリンカーン候補が大統領に選出された。

その後、何度か大統領候補による公開討論会が開催されたが、最も有名なのは1960年に行われた副大統領リチャード・ニクソン候補(共和党)と上院議員のジョン・F・ケネディ候補(民主党)の討論会である。この討論会はシカゴのCBSテレビのスタジオで行われ、初めてテレビでライブ放送されたことでも知られている。当時、1934年通信法で放送局はすべての候補者に対して同じ時間放映を提供することが義務付けられていた。だが、ニクソン候補とケネディ候補の一騎打ちを可能にするために議会が法律の適用を除外する措置を取り、公開討論会の“テレビ放送”が実現した。このテレビ公開討論会が現在の公開討論会のフォーマットとなっている。

公開討論会後、ケネディ候補とニクソン候補の支持率が逆転した。最初の討論会の12日前に行われたギャラップ社の調査では、ニクソン候補が支持率でケネディ候補を1ポイントリードしていた。だが討論後の調査ではケネディ候補の支持率がニクソン候補を3ポイント上回る結果となった。最後の討論後、ケネディ候補はニクソン候補に支持率で4ポイントの差をつけている。世論調査での支持率でケネディ候補はずっとニクソン候補の後塵を拝してきたが、討論会後、初めてニクソン候補をリードしたのである。そして、ケネディ候補は、その勢いを最後まで維持した。討論会の前は、現職の副大統領であるニクソン候補が圧勝すると見られていた。公開討論会でも政策論争ではニクソン候補が優勢であったと評価されている。だが、体調不全で陰鬱な顔をしていたニクソン候補に対してハツラツとした若さを発揮していたケネディ候補が視聴者に好印象を与えたのである。このことが両候補の支持率に大きな影響を与えたと見られている。著名なジャーンリストのウォーター・リップマンは「テレビ討論は素晴らしい革新であり、将来の選挙運動で必ず行われることになるだろう。今後、重要な公職に就こうと思う候補者は、こうした討論会を避けることはできないだろう」と述べている。だが、その後、ニクソン対ケネディ討論の結果に恐れをなした大統領候補はテレビ討論を回避し、1976年の大統領選挙(共和党は現職の大統領のジェラルド・フォード候補、民主党はジミー・カーター候補)まで行われなかった。それ以降の大統領選挙では公開討論会が定期的に行われている。

公開討論会が選挙結果に大きな影響を与えた例としては、1980年のカーター大統領(民主党)とロナルド・レーガン候補(共和党)の公開討論がある。このとき、レーガン候補は聴衆に向かって「4年前と比べて生活は良くなっているか(are you better off?)」と問いかけた。討論後の調査では支持率は一気に7ポイント上昇し、選挙では地滑り的な勝利を得た。もうひとつが、1992年の大統領選挙である。その時の参加者はブッシュ候補、クリントン候補、ペロー候補の3人であった。ブッシュ候補は現職の大統領で2期目を目指して立候補していた。前年の1991年の湾岸戦争で圧倒な勝利を収めことで、ブッシュ大統領の支持率は90%に達していた。通常で考えれば、再選は難しくないと思われた。討論会の勝者はペロー候補で3度の討論会後の調査では支持率は17ポイントも伸びていた。クリントン候補の支持率も5ポイント上昇した。これに対してブッシュ候補の支持率は6ポイント下落した。討論会で市民の質問に官僚的に答えることに終始したブッシュ候補と市民の質問に同情と共感をもって答えたクリントン候補に対して有権者が明確に判断を下し、最終的に選挙ではクリントン候補が勝利した。経済情勢の悪化も選挙結果に影響を与えたのは間違いないが、明らかに公開討論会の影響もあった。

2000年の民主党と共和党の候補者がいずれも新顔(ブッシュ・テキサス州知事とゴア副大統領)の公開討論会では、討論会前の支持率はブッシュ39%に対してゴア47%だった。最初の討論会が終わった後の調査では支持率は43%対43%と拮抗し、3度目の討論会後の調査ではブッシュの支持率は45%、ゴア支持は42%と逆転している。3度の公開討論会で明らかに有権者の候補者に対する評価が変わったのである。

■今まで以上に重要な討論会、問われる両候補の「信頼」と「資質」

世論調査機関のギャラップは2016年9月22日のレポート(「It’s All About the Debate Now」)で、世論調査の専門家で同機関の役員であるランス・タランス氏は、「今年の討論会はケネディとニクソンの支持率が逆転した1960年の公開討論会と同じ程度重要な公開討論会になる可能性がある」と指摘している。公開討論会は、平均視聴者の数が1億人を超えるアメリカン・フットボールの優勝決定戦スーパー・ボールに匹敵するイベントである。タランス氏は「ほんのわずかな仕草や、ちょっとした言葉使いで、選挙で勝利するか、敗北するかが決まるかもしれない」と付け加えている。

では、クリントン対トランプの公開討論会は、どうなるのだろうか。討論のテーマは、テロ対策や景気政策、外交政策であるが、同時に試されるのはクリントン候補の場合、「信頼性のおける指導者」かどうかである。メディアと有権者がクリントン候補に関して最も大きな関心を抱いているのは、国務長官時代に私的な電子メールのアドレスを用いて国家機密を漏洩したのではないかという疑惑と、クリントン・ファンデーションを巡る様々なお金の疑惑、リビアで米大使が暗殺されたベンガジ事件での国務長官としての対応に関する疑惑などである。ギャラップの調査(2016年9月23日)によれば、クリントン候補が「正直で信頼に値する」と答えた人の割合はわずか33%であった。大半のアメリカ人がクリントン候補に疑問を抱いているのである。またトランプ候補を「正直で信頼に値する」と答えた比率は35%とクリントン候補と大差はないが、それでも若干上回っている。両候補とも国民の信頼度は極めて低いが、この問題はクリントン候補にとってより深刻である。クリントン候補が公開討論会でこうした疑惑を晴らして、信頼を勝ち得るかどうかが最大の焦点となる。さらに民主党支持者に明確なメッセージを送り、どう2008年の大統領選挙でみられたオバマ支持のような熱気を回復するかも大きな課題である。特に予備選挙を争ったバニー・サンダース候補を支持した若者層をどう取り込むことができるかも問われている。

これに対してトランプ候補は、粗暴な行動や発言で顰蹙を買うことが多く、「本当に指導者としての資質があるのか」、「指導者として感情を制御できるのか」、また政策や発言がどんどん変わっていくことに対して「政策立案と遂行能力があるのか」が問われるだろう。たとえば最近までトランプ候補はTPP(環太平洋パートナーシップ協定)を批判しながらも、同協定に中国が参加していないことさえ知らなかった。一対一の討論の中で、そうした知識不足や経験不足が露呈する懸念もある。共和党の大統領予備選挙でも公開討論会があったが、それは複数の候補者によるもので、パフォーマンスが優先された。だが一対一の討論では具体的な政策も問われてくるだけに、トランプ候補にとって厳しい状況も想定される。

■両候補の討論会での戦略

クリントン候補は、トランプ候補が指導者にふさわしくない“狂人”であるとの印象を植え付けようとするだろう。また、トランプ候補と共和党の分断を図ろうとするだろう。これに対して、トランプ候補の利点は、クリントン候補と違ってワシントン政界のエスタブリッシュメントでなく、挑戦者であり、改革者であるとの立場を強調してこよう。過去と大統領選挙では、ワシントンのアウトサイダーを強調することは極めて有効な戦略であった。

公開討論会の前哨戦が9月6日に開催された。NBCテレビ主催のフォーラム、クリントン候補とトランプ候補が別々に演壇に登場し、直接顔を合わすことはなく、別々に司会者や参加者の質問に答えた。最初に登壇したトランプ候補は、司会者から最高司令官としての資質を問われたとき、「自分は偉大な会社を作り上げてきた。自分には判断力がある。イラク戦争に反対した」と答えている。また、「テロとの戦いで勝つチャンスはある」と答えたものの、具体的な政策の説明をすることはできず、「敵に私の計画を正確に知らせることだ」と答えるに留まった。また、ロシアのプーチン大統領が82%の支持率を得ていることに言及し、プーチン大統領を礼賛し、もし同大統領が「私のことを素晴らしと言うなら、感謝する」と付け加えた。また、プーチン大統領と同一視されることを嫌がるのではなく、逆に強い指導者であることを強調したのである。またイラク戦争に関して自分は反対したが、クリントン候補は上院議員の時にイラク侵攻に賛成したと批判する場面もあった。

他方、クリントン候補は、司会者から電子メール問題、イラク戦争問題で厳しい質問を浴びせかけられた。同候補は、電子メール問題では「個人のメールアドレスを使うべきでなかった」と陳謝した上で、「そのことで国家安全保障に脅威を与えたことはない」と反論。だが、フォーラムに出席していた一人の退役軍人が「自分は元軍人だったが、もし機密漏洩をすれば、起訴され、投獄されるだろう」と強い口調でクリントン候補に迫る場面もみられた。また、イラク戦争に賛成したことについて問われたクリントン候補は、「賛成したことは間違いであった」と答える一方で、「トランプ候補はイラク戦争に反対したと主張しているが、ちゃんと自分の過去の発言をチェックすべきだ」と反論している。さらに「イスラム国を打倒することは自分の最優先政策である。トランプ候補は地上軍の派遣を主張しているが、私はイラクにもシリアにも地上軍を送るつもりはない」と主張している。そして最高司令官の資質は「絶対的な安定性と一貫性」にあると、暗にトランプ候補を批判した。ただ、全体の印象として、『ニューヨーク・タイムズ』(2016年9月8日)は「クリントン候補は守勢に立たされた」と書いている。おそらく公開討論会でも同様な議論が展開されるであろう。

■民主党、共和党の党派の垣根を越えた混戦へ

今回の公開討論会では、かつてないほど激しい議論が展開される可能性がある。クリントン陣営は、トランプ候補の過去の発言を詳細に調べ上げ、攻撃を加える作戦を練っている。トランプ候補の嘘や事実誤認、主張の根拠薄弱さを指摘する戦略である。そのためクリントン陣営は事前に数日を使ってクリントン候補の予行演習を綿密に行っている。クリントン候補は支持者に送ったメールのなかで、「今まで多くの討論会を行ってきたが、26日の討論会は最も重要なものである」と書いている。それほど最初の討論会を重視しているといえる。

これに対して、トランプ候補は過剰な予行演習は逆効果だと、対照的な態度を取っている。また討論会は仕組まれたもので、司会者は偏見を持っていると、討論会自体に懐疑的な姿勢を示している。さらに「クリントン候補が敬意をもって自分に接するなら、私も敬意をもって彼女に接する」とクリントン候補の攻撃を抑えにかかっている。同時に「私はクリントン候補の電子メール問題やイスラム国問題を取り上げる」と攻撃の姿勢も崩さない。ある専門家は、クリントン候補は厳しい討論に直面すると予測する。なぜなら「トランプ候補が何を主張するか予想しがたい」からだと説明している。従来の公開討論会は候補者同士にある程度自制する気持ちがあったが、今回はまったく感情的かつ異質な討論会になる可能性もある。また、今回の選挙は、共和党のブッシュ元大統領がクリントン候補を支持し、民主党幹部がトランプ候補を支持するなど、従来のような民主党対共和党という党派の対立を越えた次元で行われている。それだけに、今回の公開討論の持つ意味は大きいといえよう。

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

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