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米大統領選挙徹底分析(2):第1回公開討論会の分析―ヒラリー・クリントン候補が勝った理由は何か

中岡望ジャーナリスト
クリントン候補とトランプ候補の公開討論会を見る有権者(写真:ロイター/アフロ)

討論後の世論調査ではクリントン候補が勝利

注目された9月26日のヒラリー・クリントン候補とドナルド・トランプ候補の最初の公開討論会が終わった。アメリカのメディアは一斉にどちらの候補者が討論会で勝利したかを報じている。討論会直後に行われたCNN/ORCの調査では、視聴者のうちクリントン候補が勝利したと答えた比率は62%、トランプ候補が勝利したと答えて比率は27%であった。ただCNNの解説者によると、調査は必ずしも科学的な手法で行われたものではなく、調査対象となった視聴者は民主党支持者が多かったので、結果を評価する際にその事実を考慮するように何度も指摘していた。だが、CNNの調査に限らず、多くの世論調査ではクリントン候補勝利という結果が出ている。

前回の本欄で指摘したように、公開討論会の影響は大きい。アメリカでは民主党支持者と共和党支持者はこうした討論会の影響をあまり受けないが、無党派層は討論会を見て投票する候補者を決める傾向がある。すこし古い調査だが、ギャラップ社が2015年1月7日に行った調査では、無党派と答えた比率は43%であった。これに対して民主党支持は30%、共和党支持は26%であった。無党派が最大のグループである。同調査では、無党派は着実に増加しており、2008年は30%であったが、過去4年間は40%を超えるまでになっている。昨年調査の43%は過去最高である。無党派は大統領選挙のたびに支持する政党を変える傾向がある浮動票でもある。それだけに公開討論会での候補者のパフォーマンスの影響を受けやすい。CNBCが2016年6月に行った調査では、どの候補者に投票するか決めていないと答えた比率は25%に達している。CNNは討論会が終わった直後、無党派の有権者20名を集め、討論を聞いた後、どちらの候補を支持する気になったかの問に16名がクリントン候補、4名がトランプ候補と答えている。また共和党系のフォーカス・グループを対象とする調査では20人のうち17人が、クリントン候補が勝ったと答えている。もし、こうした調査が正しければ、なぜクリントン候補優勢の理由は何だろうか。どこでクリントン候補はポイントを稼いだのだろうか。

アメリカでは政治に限らず、討論が極めて重視されている。学校の人気のある授業に「debate(討論)」の授業がある。あるテーマを与えられると賛成派と反対派に分かれて議論を行うのである。いかに論理的に相手を説得するかを競い合う。また、アメリカ人は日本人と違い政治好きで、日常的にも政治問題などを巡って議論することが多い。日本とは違い、自らの支持政党も明確に語る。したがって討論会の結果は、人々の判断に大きな影響を与えることになる。また、大統領選挙候補者の討論は政策の内容以上に、どちらの候補者が大統領にふさわしい人物かどうかを判断する材料になる。

両候補の討論会でのパフォーマンスと政策論を分析する前に、筆者あることに気が付いた。それは服装のファッションである。クリントン候補は赤色のツーピースを着ており、とてもファッショナブルとは言えない。むしろ年齢を感じさせるファッションであった。かつてアメリカのメディアでクリントン候補のファッション・センスのなさが話題になったことがある。筆者も同候補のファッション・センスのなさに気が付いていた。通常、政治家はファッションに関するアドバイザーを使うものだが、なぜクリントン候補はいつも、ここまで“ダサい洋服”を着るのか不思議に思っている。トランプ候補はどうか。ダークのビジネススーツを着ており、可も不可もないが、ネクタイはいただけない。無地のブルーのネクタイは、安っぽく、センスのなさを表していた。二人の候補者が登場したとき、まず気になった。

■大統領にふさわしい人格と品格を示したクリントン候補

まず、公開討論会でどちらの候補が大統領にふさわしい人物として評価されたのだろうか。大統領としての人格性と信頼性が問われた。アメリカでは大統領は政治家と同時に道徳的なモデルであることも求められる。討論後の評価ではクリントン候補の方が大統領にふさわしい資質を示したと評価されていた。クリントン候補の受け答えには落ち着きと余裕があったというのが、その理由である。クリントン候補の発言の最中、トランプ候補は26回にわたってクリントン候補の発言を遮った。だが、クリントン候補は動じることなく、極めてクールに対応していた。トランプ候補が神経質に何度も水を飲み、いらいらした気持ちを隠さなかったのとは対照的である。討論後、あるアメリカ人のジャーナリストが「音を消して討論を見てみると面白い」と語っていた。そうすることで、顔の表情、体の動きがより鮮明に見える。そうしたパフォーマンスに関していえば、クリントン候補の方が視聴者に良い印象を与えたことは間違いない。トランプ候補は「私は彼女よりはるかに優れた判断ができる。それに関して疑問の余地はない。私の最大の資産(asset)は私の気質(temperament)だ。私は勝ち抜く気質(winning temperament)があり、勝ち方を知っている。しかし、彼女にはそれがない」と、自分が大統領にふさわしい資質を持っていると主張する場面があった。これを聞いたクリントン候補は「ワオー、本当なの(woo, OK)」と大仰に、揶揄を込めて言い返し、会場からも失笑が漏れる場面もあった。筆者の印象を言えば、声高に主張し、額に皺を寄せ、やたらと水を飲み、しかめ面をするトランプ候補に対してクリントン候補は挑発されることなく笑顔で対応するなど、どちらかといえばクリントン候補の方が大統領の風格を感じさせた。また、あるメディアは討論会の様子を“Clinton got under Trump’s skin”という言葉を使って表現していた。この英語の熟語は「トランプをいらいらさせる」という意味である。確かにトランプ候補の声は力強かったが、クリントン候補と互角にパンチを交わすことはなかった。クリントン候補はそつなく答え、トランプ候補に反論の余地を与えなかった。

■政策論争ではクリントン候補が優勢であったか

討論会は経済問題から始まった。最初の大きなテーマは、自由貿易協定に関するものであった。トランプ候補はNAFTA(北米自由貿易協定)がアメリカから雇用を奪ったとクリントン候補を攻撃した。NAFTAを批准させたのは、クリントン候補の夫ビル・クリントン大統領である。トランプ候補はNAFTAによってオハイオ州でいかに多くの工場が閉鎖され、雇用が失われているか雄弁に語った。出だしのパンチは強烈な印象を与え、クリントン候補は守勢に立たされた印象がある。しかし、自由貿易協定に関してはクリント候補もトランプ候補も反対の立場を取っている。オバマ政権が米韓自由貿易協定を成立させたが、その時、クリントン候補は国務長官であった。しかし、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)に関しては直接関わってはいない。2008年の民主党の大統領予備選挙では、当時のオバマ候補とクリントン候補はいずれもNAFTAの見直しを主張し、新たな自由貿易協定を結ばないと主張していたが、オバマ大統領は政権の座に就くとすぐに公約を反故にし、自由貿易推進派に変わった経歴がある。ただ、トランプ候補の自由貿易批判も表面的で、クリントン候補を追い詰めることはできなかった。短い時間の中で十分に語り尽くすのは難しいが、トランプ候補の自由貿易、貿易赤字、雇用喪失といった議論はいずれも表層的で、説得力を持たなかった。

また税制政策に関しては、トランプ候補が富裕層の減税を主張した。これは伝統的な共和党の“トリクルダウンの経済理論”である。富裕層は減税で得た資金で事業を始め、結果的に雇用を増やすので、結果的に富裕層減税はあふれ出た水が滴るように雇用を生み出すという理論で、ロナルド・レーガン大統領の時に主張された政策論である。これは「供給サイドの経済学」とも呼ばれており、歴史的には失敗に終わった政策である。クリントン候補は「トランプ流トリクルダウン政策はアメリカを2008年と2009年の経済の混乱に導いた」と反論した。またトランプ候補の経済政策は中産階級や労働者階級にダメージを与えるものだと発言を続けた。そして中産階級を重視する政策の必要性を主張した。具体的には、最低賃金制引き上げや男女の賃金格差解消、大学授業料の引き下げ、学生ローンの負担軽減などを進める一方、将来への投資が必要だと説いた。さらに公共インフラへの投資やグリーン・エネルギー開発の重要性を訴えた。こうした主張は、クリントン離れをしているベニー・サンダース支持派の若者を意識した主張であった。

富裕層が事業を始めるという点に関して、クリントン候補は「ドナルドは非常に幸運だった。父親から1400万ドルの資金を借りて事業を始めた。彼は富裕層を支援すればするほど、私たちの生活が良くなり、物事は上手く進むようになると本気に信じているようだ」と指摘。この金額は従来トランプ候補が主張してきた額をはるかに上回る額である。トランプ候補は「私は父から非常に少額のお金を借り、それを世界有数の大企業に育ててきた。こうした考え方こそ、アメリカに必要なのだ」と、自分の“幸運”を正当化していた。クリントン候補は住宅危機で多くの人が住宅を失ったのに、トランプ候補は巨額の利益を得た」と指摘したのに対して、トランプ候補は「それがビジネスというものだ(That is called business)」と言い返す場面もあった。こうした議論でクリントン候補はトランプ候補が必ずしも一般国民の味方ではないことを印象付けようとしたようだ。

クリントン候補はトランプ候補に納税証明を提出すること、連邦所得税を払っていないのではないかという疑惑を提起した。トランプ候補は、納税証明はIRO(内国歳入庁)の監査中なので提出できないと拒否。逆にクリントン候補が3万3000通の電子メールをすべて公開したら、自分の納税証明を提出すると反駁している。これに対してクリントン候補は「過去40年間、すべての大統領候補は納税証明書を提出している」と指摘し、トランプ候補が納税証明の提出を渋っているのは、「彼は自分が言っているほど豊かでないか、それほど福祉に寄付をしていないか、内外の銀行から6億5000万ドルの借り入れがあるからだ。あるいはアメリカ国民に納税していないことを知られたくないからだ」と強烈なパンチを見舞っている。さらに、クリントン候補は財政赤字を問題にするトランプ候補に対して、財政赤字が巨額なのは「あなたが連邦所得税を払っていないからだ」と言い返したことだ。討論後、記者の質問に「連邦所得税は払っている。私が行ったのは政府のお金の使い方が間違っているということだ」と憮然として表情で答えていたが、クリントン候補の攻撃はトランプ候補にダメージを与えたことは間違いない。

外交政策では、トランプ候補はNATOや日本を含む同盟国は安全保障の経費を負担すべきだと、従来の主張を繰り返した。トランプ候補は「NATOが本気でテロ対策に取り組み始めたのは、自分が批判したからだ」と、その成果を誇った。これに対してクリントン候補は「大統領にとって言葉は大切である。大統領の言葉は世界に大きな影響を及ぼす」と、安全保障問題に関して軽々な発言をするのは好ましくないとクールに対応していた。世論調査では、外交政策ではクリントン候補の方が説得力があると評価されていた。

■クリントン候補は人種差別、女性差別問題でトランプ候補を批判

クリントン候補はトランプ候補の女性蔑視発言や黒人差別発言を取りあげ、「トランプ候補は長い人種差別に関わってきた記録がある」と批判を加えた。トランプ候補の親族会社はオフィスを黒人に賃貸せず、2度にわたって告発された事実を指摘したのに対して、トランプ候補は「当時はそれが普通だった」と反論し、訴訟は和解したと応じた。また、クリントン候補は、トランプ候補は黒人が悲惨な状況で暮らしているという発言に触れ、黒人のコミュニティをそうした「悲惨で否定的」に表現することを批判し、黒人教会が素晴らしい活動をしていると指摘した。銃にからむ犯罪が多発していることに対してトランプ候補が「法と秩序」の重要性を訴え、ニューヨーク州の「職務質問をして身体検査する法律(stop and frisk law)」によって犯罪が減ったと主張した。これに対してクリントン候補は「同法は憲法違反である」と指摘し、強圧的な政策は好ましい結果を生まないと反論した。討論の後に行われた事実チェックでは、同法によって犯罪が減少した事実はないと確認された。トランプ候補の「法と秩序」が具体的に何を意味するのか不明であったが、クリントン候補は治安の維持のために警察とコミュニティの協力が必要であると説いていたが、この主張はトランプ候補よりもはるかに説得力があった。

■問われたトランプ候補の発言の嘘

最近までトランプ候補は、オバマ大統領は海外で生まれ、大統領になる資格はないと批判していた。トランプ候補は、討論会の直前にこの指摘は間違いであったと認めたが、クリントン候補の批判に対して「オバマ大統領の出生証明の問題は2008年の大統領予備選挙の際にクリントン陣営が言い始めたものだ」とか、「私はオバマ大統領の出生証明書を入手したことを誇りに思っているが、クリントン候補にはそれができなかった」と強弁していたが、討論後の事実チェックで間違いであることが明らかになった。トランプ候補は何年間にもわたってオバマ大統領の出生を問題にしたことに関して、「謝罪する必要はない」と強気の姿勢を崩さなかった。こうしたトランプ候補に対して、クリントン候補は「最初の黒人大統領に対する侮蔑である」と激しくトランプ候補を批判した。クリントン候補は、こうした議論のやり取りで、トランプ候補が人種差別論者であるとの印象を与えることに成功したといえる。

イラク戦争に賛成したか、反対したかということも議論の対象になり、トランプ候補はクリントン候補が上院議員の時代に賛成したが、自分は反対したと主張したが、これも事実チェックで嘘であることが明らかになっている。またクリントン候補は「ドナルドは気候変動は中国人が作り出した冗談だと言っている」と指摘したことに対して、「私はそんなことは言っていない」と反論したが、事実チェックでトランプ候補は「気候変動問題はアメリカの製造業を衰退させるために中国人が作り出したことだ」と明確に発言していることが明らかになった。今回の討論会の特徴のひとつは、両候補の発言に対して“Reality Check”や”Fact Check”が厳密に行われていることだ。討論の中で目立ったのはトランプ候補の“嘘”だった。クリントン候補は「ドナルド、私はあなたが自分の現実の中に住んでいるのは知っている」と、トランプ候補にやんわりと警告し、さらに討論の中で何度も「事実関係については私のウエブサイトHillaryClinton.comで事実チェックを確認してください」と会場とテレビの視聴者に呼びかける場面がみられた。各メディアも、両候補の発言内容に関する事実チェックを逐一行っていた。結論から言えば、トランプ候補の多くの発言が正しくなかったことが証明された。

■公開討論の総括

アメリカのメディアは、今回の討論会は内容の濃い討論であったと評価している。だが、筆者から言えば、議論の内容に目新しいものはなく、面白い討論会とはいえなかった。90分という短い時間で政策を語り尽くすのは初めから無理なのであろう。ただ、本ブログでは触れられなかったが、経済政策や貧富の格差の問題、外交、安全保障の問題、人種差別の問題など重要な問題も表面的なやりとりに終始した感は否めない。クリントン候補が勝利したとの見方が多いが、それはクリントン候補が十分な予行演習をした成果ともいえる。民主党の大統領予備選挙でクリントン候補と戦ったベニー・サンダース上院議員はツイッターで「トランプは“ペテン師”で“偽物”である」という厳しいコメントを寄せている。

2回目の公開討論(討論会の詳細は筆者のブログの「大統領選挙徹底解説(1)」を参照)は激しい感情的なやりとりになる可能性がある。ある評論家は「このところトランプ候補に勢いがあった。しかし、今日の討論会でその勢いが止まった」と分析していた。クリントン候補は「私は準備したし、大統領になる準備もできている(I did prepare and I am prepared to be president)」と語っているが、これが最初の公開討論会のすべてを表現しているといえよう。

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

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