Yahoo!ニュース

米大統領選挙徹底分析(3):なぜクリントン候補は嫌われるのか、その真相を探る(Part 1)

中岡望ジャーナリスト
”ヒラリー嫌い”に悩まされるクリントン候補(写真:ロイター/アフロ)

■なぜクリントン候補は苦戦しているのか

今回の選挙の大きな疑問は、「なぜヒラリー・クリントン候補の人気が盛り上がらないのか」ということである。“初の女性大統領”が誕生するかもしれないというのに、女性の間にも熱狂的な盛り上がりは感じられない。一時、クリントン候補の地滑り的な勝利が予想されたが、選挙戦終盤になってドナルド・トランプ候補の追い上げにあい、もたついている。2008年の大統領選挙では熱狂的なオバマ候補支持が見られたが、今回はまったく様相が違う。アメリカの著名なコラムニストのエリザベス・ドリュー氏は「おそらく世界中の人々は、ヒラリー・クリントンは競争相手であるドナルド・トランプよりもアメリカの大統領になる準備ための準備をし、大統領にふさわしい人物であるにもかかわらず、なぜ苦戦しているのか不思議に思っているだろう」と書いている。オバマ・ブームを支えたオバマ連合(Obama coalition)は跡形もなく消えている。オバマ連合とは、大統領選挙でオバマ候補を熱狂的に支持した女性、ラテン系アメリカ人、アフリカ系アメリカ人、ミレニアム世代と呼ばれる若者のことである。今回の選挙で目立っているのは、逆に“ヒラリー嫌い”である。また共和党支持者や保守主義者は長年抱いてきた“反ヒラリー”の嫌悪感をさらに強めている。“ヒラリー嫌い”は今に始まったものではない。夫ビル・クリントンが大統領になり、ファーストレディーとして活躍していたころから、“ヒラリー嫌い”の声は聞かれた。その後、上院議員、国務長官を経て、大統領候補になったが、その間、ずっとヒラリーを熱狂的に支持する人と同じくらい「ヒラリーは嫌だ」と公然と語る人がいた。なぜヒラリー・クリントンは嫌われるのか。彼女の何が問題なのだろうか。

今回の大統領選挙は従来とはやや趣を異にする。それはクリントン候補とトランプ候補のいずれもが“最も人気のない候補者”であるということだ。ワシントン・ポスト紙とABC放送の共同調査(2016年8月31日)によれば、「クリントン候補が好ましくない」と答えた比率は56%と、「好ましい」という回答の41%を大きく上回っている。他方、トランプ候補の「好ましくない」という比率は63%、「好ましい」という回答は35%であった。同調査を報じたワシントン・ポスト紙は「ヒラリー・クリントン嫌いのアメリカ人の数は過去最高」という見出しを付けている。クリントン候補の好感度は2013年の67%をピークに確実に低下傾向にある。

■筆者のクリントン候補の印象は極めて良好

筆者のヒラリー・クリントンに対する個人的な印象を述べるところから話を始めよう。ヒラリー・クリントンは2009年2月末に国務長官に就任後の最初の公式訪問国として日本を選んだ。クリントン国務長官の来日が決まった後、アメリカ大使館から筆者に電話があった。「日本滞在中、クリントン国務長官の直接取材してくれないか」という内容であった。条件は、記事を最初に筆者のブログに書くことであった。筆者はブログにも書くが、雑誌にも寄稿しても良いかと質問した。「ブログに書いた後なら雑誌に寄稿しても構わない」との返事であった。クリントン国務長官とのインタビューを記事をブログにアップし、同時に『週刊東洋経済』(2009年2月28日号)に「単独インタビュー:ヒラリー・クリントン国務長官―保護主義の動き阻止へ、最優先は世界経済回復」と題する記事を寄稿した。その時の彼女に対する印象を以下で書いてみる。

結論から言えば、直接会って得た印象は極めて良好であった。正直、なぜ彼女が嫌われるのか理解に苦しんでいる。クリントン国務長官は2月16日に来日し、18日に次の訪問国のフィリピンに向かった。東京では2泊3日の滞在であった。クリントン国務長官が日本に到着したのは16日の夜。アメリカ大使館から大使館のスタッフと一緒にバスに同乗して羽田空港に向かった。記憶では、クリントン国務長官一行を乗せた飛行機が羽田空港に着いたのは夜の9時を過ぎていたのではないかと思う。筆者はジャーナリストや大使館のスタッフと一緒に滑走路で専用機の到着を待った。猛烈に寒い風が吹き、体が震えるのを止めることができなかた。専用機が到着し、クリントン国務長官はタラップから降りてきた。タラップから降りた国務長官は随行員と一緒に羽田空港の一隅にある迎賓館に向かった。羽田空港に、こうした迎賓館があることはまったく知らなかった。大きくはないが、平屋の建物で、内装は豪華であった。迎賓館に着くと、最初に記者会見が行われた。

クリントン国務長官は挨拶の中で「日本はアメリカのアジア政策の要石(cornerstone)である」と語った。日本の多くのメディアは、クリントン国務長官が最初の公式訪問国に日本を選んだこと、到着後の挨拶で日本を「要石」と呼んだことを受けて、オバマ政権は“日本重視政策”を取っていると報じた。蛇足だが、こうしたメディアの報道の仕方にいつも疑問を抱いている。クリントン国務長官の来日は、日本、フィリピン、韓国、中国歴訪の一環であり、アジアの入り口に位置する日本に最初に来たに過ぎない。日本に最初に来たことに外交的配慮がなかったとは言わないが、過剰に評価すべきものでもない。迎賓館での歓迎式典が終わると、国務長官一行は宿泊地のホテルオークラに向かった。筆者はホワイトハウスから同行した記者団と一緒に行動を取るように指示され、バスで都心に戻った。

17日の早朝、クリントン国務長官は明治神宮を参拝した。筆者も明治神宮に行くように指示され、早朝、肌を刺すような寒さに体を震わせながら、長官の到着を待った。まだ早朝ということで、一般の人の姿はなく、メディアの取材陣が陣取っていた。その後、時系列的には明確な記憶はないが、筆者が参加したのは東京大学での学生との討論会、アメリカ大使館内での大使館スタッフに向けた演説、外務省板倉公館での外務大臣との共同記者会見などである。大使館でのスピーチでは、クリントン長官は大使館の職員の労をねぎらい、自身の外交政策の考え方について語った。記憶に残っているのは、「外交政策はハード・パワーだけではだめであり、またソフト・パワーでも十分ではない。必要なのはスマート・パワーである」と語った一節である。東京大学での学生との討論会も極めて率直かつ丁寧に学生の質問に答えていたのが印象的であった。この間、筆者はずっとホワイトハウス詰め記者とバスでクリントン長官の後を追った。2日目のお昼過ぎ、大使館員から「クリントン国務長官との単独インタビューの時間が取れそうだ」との連絡が入った。午後8時ころにホテルオークラのロビーで待機するように指示された。インタビューの準備をし、待機していたが、なかなか連絡はこなかった。11時を過ぎたころ、大使館員から「今夜は無理そうだ」との連絡が入った。後日知った事だが、クリントン国務長官と小沢一郎衆議院議員(当時、アメリカでは最も政治力のある政治家と見られていた)との会談が急遽開かれたために、予定が狂ったとのことだった。大使館員から「明日の朝8時にホテル大倉に来て、待機するように」との指示を受けた。お昼過ぎに離日する予定で、その前にインタビューの時間を取るとのことであった。早朝、ホテルオークラに向かい、大使館員の指示を待った。「長官の時間が取れました」との連絡が入ったのは、10時を回っていたと思う。「離日の準備があるので、インタビューは30分程度で終わってください」と言われ、クリントン長官の宿泊する階に向かった。

クリントン長官と筆者は同じ1947年生まれの同じ歳である。長官の身長は170センチで、これも筆者とほぼ同じである。向かい合って立つと、ちょうど目の位置になる。真正面から見た顔はやや赤ら顔でチャーミングであった。これは今から7年前のことであるが、同世代の女性よりもはるかに魅力的に見えた。ただ、最近の写真などを見ると、自分と同様に歳を取ったと感じる。最初に握手をし、簡単な挨拶を交わして、インタビューに入った。穏やかな表情で、時々見せる笑顔は魅力的であった。知的な雰囲気を感じた。今までアメリカの政府高官と何度も会い、インタビューをしてきたが、その中で一番リラックスできる相手であった。質問に対する答えも極めて簡潔で、頭のなかで十分に整理できている印象であった。インタビューをテープで取り、発言を聞き取り、発言をそのまま記事にできるほど、簡潔でポイントを射た答え方であった。インタビューが終わった後、大使館員から「一緒に写真を撮りましょうか」との申し出があり、喜んでお願いした。大使館員から出発の時間が迫っているのでとせかされ、インタビューを終えたが、長官から意外な言葉が出てきた。「ワシントンに来たら寄ってください」。もちろん社交辞令であることは分かっているが、ドライなアメリカ人からこうした言葉を聞くのは初めてであった。筆者のヒラリー・クリントンの印象は、世間で言われているほど、“冷たい”とか“傲慢”であるとか、あるいは“インテリぶっている”というものではなかった。

ドリュー氏は「多くの人はヒラリーを“知ったかぶり(know-it-all)”で、男子学生をへこます“超聡明な少女(super-smart girl)”だとみている。彼女は女性差別に遭遇している」と書いている。またドリュー氏は「ある民主党の州知事が最近『彼女はもっと微笑んだほうが良い』と語った」というエピソードを紹介している。彼女はずっとキャリアを求め続けてきた。筆者は彼女の笑顔を今でも覚えている。だが、直接、会う機会のない国民や有権者は違った印象を持っているようだ。オバマ候補を争った2008年の民主党の大統領予備選挙の時、次のようなエピソードを聞いたことがある。オバマ候補の演説会は熱気であふれていた。若い聴衆は「Yes, we can!」と熱狂的に叫んで、オバマ候補を支持した。だが、クリントン候補の演説会は静かで、演説は充実した内容であるが、退屈で、多くの聴衆は居眠りをしていたというものだ。これにはやや誇張があるが、クリントン候補は聴衆を扇動し、盛り上げるという意味では優れた政治家とはいえないのは事実である。2008年の民主党大統領予備選挙も僅差でオバマ候補に負けた。予備選挙が始まったころは、クリントン候補の圧勝が予想された。今回も春先にはクリントン候補は共和党候補を圧倒すると予想され、相手がトランプ候補なら地滑り的勝利もありうると見られていた。だが、選挙戦終盤で、クリントン候補は苦戦を強いられている。2008年のオバマ候補の熱狂を呼ぶ演説、今回のトランプ候補の聴衆を楽しませるパフォーマンスが支持者を増やしている。今回の大統領選挙でも、熱狂的な雰囲気がクリントン候補を包み込む光景は見られない。その背後には選挙運動そのものよりも、クリントン候補の個性や多くのアメリカ人が抱くクリントン像、あるいは“ヒラリー嫌い”の現象があるようだ。

■公開討論会の勝敗と、その後の“好感度”調査

民主党のクリントン候補と共和党のトランプ候補の第一回の公開討論会が終わった。討論会終了後の多くの世論調査ではクリントン候補が勝利したという結果が出た。まず表題の問題を分析する前に、2016年10月1日に発表されたギャラップ社の世論調査(『After Debate, Record Number Paying Attention to Campaign』)の結果を見てみよう。調査では、討論ではクリントン候補が勝利したという結果が出ていた。だが、クリントン勝利にもかかわらず、ギャラップ調査は「今までのところ討論が二人の候補者のイメージに与えた影響はわずかである」と結論つけている。好感度調査(favorable rating)では、討論会直前の9月19日から25日に行われた調査では、クリントン候補に好感を抱くという回答は41%で、トランプ候補に好感を抱いているは32%であった。討論後の27日から29日に行われた好感度調査では、クリントン候補が41%と変わらなかったのに対して、トランプ候補の好感度は35%と増えている。公開討論では圧倒的にクリントン候補が勝利したとみる有権者が多かったにもかかわらず、好感度調査は逆の結果が出ている。

同調査は「過去の例を見ると、討論会で圧倒的な勝利を収めた候補者がイメージや支持を高めなかったということは異例なことではない」と指摘する。討論会での勝者が選挙で負けた例としては、1984年の大統領選挙での民主党のウォールター・モンデール候補(相手は2期目を目指すレーガン大統領)、1992年の大統領選挙での無党派のロス・ペロー候補(対抗馬は2期目を目指すブッシュ大統領と民主党のビル・クリントン候補で、当選したのはクリントン候補)、2004年の大統領選挙での民主党のジョン・ケリー候補(対抗馬は現職のブッシュ大統領)などがある。討論の印象として、クリントン候補は「良く準備している」「大統領らしく見えた」と好意的な評価があると同時に、「電子メール問題」で嘘をついているという指摘もみられた。他方、トランプ候補は「粗野である」との印象を与えている。まだ討論会は2度ある。10月9日の討論会はタウン・ホール形式で行われ、会場から直接候補者に質問ができる。これは最初の討論会と違った印象を与える可能性がある。ただ支持率に関していえば、多くの調査でクリントン候補がトランプ候補をリードしているという結果がでている。

■“ヒラリー嫌い”の源流を探る

クリントン政権時代にファーストレディーに仕えたスタッフはテレビ番組に出演して「ヒラリー・クリントンの人気は1990年代半ばから低下している」と語っている(『ウォール・ストリート・ジャーナル』2014年3月2日の「Clinton White House Shaped First Lady’s Image」)。クリントン候補の元スタッフによると、クリントン政権は意識的にヒラリーを“ファーストレディー”であると同時に“有力な政治アドバイザー”であるというイメージを作り上げようとしたという。事実、クリントン政権が発足すると同時にヒラリーは医療保険制度改革プロジェクトの責任者に就任する。ホワイトハウスは「ヒラリー・クリントンを国民にアピールし、法案成立のため議会に対して説得力のある存在にしよう」とした。ヒラリー主導の医療保険制度改革は共和党や保守派の抵抗に合い、頓挫する。オバマ政権での医療保険制度改革に際にも見られたが、保守派は政府が医療保険制度に関与することを忌避する傾向が強い。ヒラリーの医療保険制度改革は保守派に強烈なマイナスイメージを与えた。また、夫の支援を得てあたかもクリントン政権の閣僚のごとく振る舞う姿も保守派は拒否反応を示した。ちなみにヒラリーは医療保険制度改革が失敗した後、直接政策に関わることを避けるようになっていく。

ヒラリーは伝統的なファーストレディーとはまったく違った存在と役割を果たそうとした。アメリカの政治的伝統では、ファーストレディーは政治の前面に出るべき存在ではない。過去に最も大きな影響力を持ったファーストレディーはエレノア・ルーズベルトである(フランクリン・ルーズベルト大統領の妻)。彼女はルーズベルト大統領の政策に間接的に大きな影響を与えた。ルーズベルト夫婦は政策について一緒に議論をすることもあった。だが、ヒラリーと決定的に違うのは具体的に政策に関わることはしなかったことだ。病弱な夫に代わって全国を遊説して政権への支持を訴え、積極的に福祉活動に携わって、政権を側面援助した。ちなみにエレノアはルーズベルト大統領に日系アメリカ人の強制キャンプ収容を中止するように求めているが、大統領はそのアドバイスを受け入れなかった。ファーストレディーは一歩下がって陰で夫を助けるというのが“理想的なファーストレディー”像である。歴代大統領のファーストレディーはいずれも良妻賢母役を見事に演じている。たとえばオバマ大統領の妻ミシェルは家庭を守り、子供を育てることを優先し、政策に関わることは言うまでもなく、目立った社会活動も行っていない。保守的派の人々にとって、目立ちがりやのヒラリーは鼻持ちならない存在であった。また彼らが忌み嫌うヒッピー文化を代表する人物であった。一部のヒラリー支持のフェミニストを除けば、多くのリベラル派や一般人もヒラリーに対して同様なイメージを抱いていた。それが“ヒラリー嫌い”の発端である。

ヒラリーは女性差別解消を訴える代表的な人物になる。その象徴的な出来事が、1995年に北京で開催された第4回世界女性会議へ出席して、「女性の権利は人権である」という有名な演説を行ったことだ。それ以降、女性人権問題の指導者と目され、“ガラスの天井”を打ち破る女性として期待された。ファーストレディーの役が終わると同時にニューヨーク州の上院議員選挙に立候補して、当選したことも保守派の人にとって鼻持ちならないことだった。リベラル派の人々も、常に権力に寄り添うヒラリーを積極的に支持したわけではなかった。ヒラリーは、多くのアメリカ人にとって、ドリュー氏のいう「知ったかぶりの超賢い女の子」であり、特別な存在であった。

2008年の民主党の大統領予備選挙でクリントン候補の圧勝が予想された。あるジャーナリストが次のような趣旨のことを書いている。「彼女は政治分野では最も有能だろう。ほとんどすべての人が、彼女は2008年の大統領選挙で勝利し、ブッシュ大統領がもたらしたダメージを回復する最大のチャンスを持っていることに異論を挟まないだろう。また彼女の傍には有能な選挙運動家のビル・クリントンがいる。しかし、アメリカ人はヒラリー(とビル)がホワイトハウスに帰ってくるということを本当に心配している。多くの人は、彼女は選挙で勝つためには何でもするし、完全に安全だと思われない限り、自分の立場を明らかにしない」。要するにクリントン候補は権力志向が強く、“日和見的”な人物であるというわけだ。

ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニストのデビッド・ブルークス氏は次のように指摘している(同紙2016年5月24日、「Why Is Clinton Disliked?」)。「幼児教育の問題から上院議員まで、彼女は疲れることなく仕事を追求してきた。そのことが彼女の不人気を説明しているわけではないが、問題はそのやり方だ」。クリントン候補は“仕事人間”で、何の趣味もない面白みのない人物であると指摘する。さらに続けて、「彼女と一緒に働いた人は彼女を称賛し、彼女は暖かく思いやりのある人物だと言う。しかし、外部から見れば、彼女の人間的な側面は見えてこない。クリントン候補のプロモーションビデオには「Fighter(戦う人)」というタイトルが付けられ、ビデオで見られる姿は完璧だが、それは「あまり人間的ではなく、企業広告のアバターのように無表情に見える」と指摘している。そして、ブルークス氏は次のように結論づける。「いかに成功を遂げた人でも、単に仕事人間ではなく、本当の人間になるには自分を曝け出せる聖域が必要である。そうした自分の聖域を見せてくれない候補者は信頼できない」。要するに、クリントン候補の問題は、仕事人間ではなく、生身の自分を人々にみせないこと、自分の弱みを見せないことにあり、暖かい指導者ではなく、冷徹な指導者のイメージを与えていることだ。ビル・クリントン大統領が愚かな行為を繰り返しても愛される指導者であった。ロナルド・レーガン大統領は決して聡明な大統領とはいえなかったが、極めて人間的な大統領であった。その人間性から最も愛された大統領の一人であり、優れた指導者として今でも尊敬されている。ヒラリー・クリントンには、そうした人間性が見えてこないのである。

ただ、クリントン候補が国務長官時代の回顧録『困難な選択』(日本経済新聞刊)を書いているが、そこでは海外の指導者との軽妙なやり取りや詳細な観察、また最後の章では母親に対する思いを綴っている。それを読む限り、クリントン候補がいかにユーモアに富み、人間性があるかが伺われる。外交の舞台裏だけでなく、クリントン候補の人柄を知る上でも、同書は最高の資料になっている。

■クリントン候補を苦しめる“信頼性”の問題

アメリカの保守派の人々とリベラル派の人々の間には越えがたい壁が存在する。それは理屈を超えた感情的なものである。保守派の人々は、理由はどうあれオバマ大統領やクリントン候補の攻撃を続けている。保守派のメディアもネガティブ・キャンペーンの旗振りをする。たとえば、保守派の人々は、オバマ大統領はアメリカ生まれでないため、大統領になる資格はないと執拗に主張し続けている。それは明らかに虚偽の主張である。トランプ候補もそうした主張に同調していた。最近になってやっと自分の誤りを認めている。同様に「ヒラリーは信用できない」という執拗なネガティブ・キャンペーンがクリントン候補にも加えられている。最初は笑って済ませることができたが、ボディーのように効き始めている。8月17日にクイニピアック大学が興味深い世論調査を発表した。同調査では回答者の61%がヒラリー・クリントン候補は「正直でなく、信頼できない」と答えている。同調査は、ヒラリー・クリントンという名前を聞いて最初に思い浮かぶ3つの単語を示すように回答者に求めている。その3つの単語とは「嘘つき(liar)」「不正直(dishonest)」「信頼できない(untrustworthy)」であった。こうした調査結果は、同調査に留まるものではなく、他の調査でも多くの人がクリントン候補を「不正直」「信頼できない」と見ている結果がでている。指導者に問われる最大の資質は“信頼性”である。多くの人がクリントン候補を不正直とみていることは、大統領選挙に少なからず影響を及ぼす懸念があるし、当選して大統領に就任してもクリントン候補を悩ませることになるだろう。

では、具体的に何が問題なのだろうか。本当にクリントン候補は嘘つきで、不正直、信頼に値しない人物なのだろうか。クリントン政権で労働長官を務め、クリントン候補と親しいロバート・ライシュ・カリフォルニア大学教授は、「この25年間にわたって常に彼女に対する非難、嫌味、調査が行われてきた。だがヒラリー・クリントンが違法行為をしたという証拠はまったくない」(「What Explains the Underlying Distrust of Hillary Clinton?」Alternet、2016年7月)と語っている。この25年間に何があったのか。ライシュ教授は、ヒラリー・クリントン候補が弁護士として土地開発に関わり、不正に利益を得たといわれる「ホワイトウォーター事件」、ホワイトハウスの旅行担当者をミスとしたとして解任し、ヒラリーの友人に業務を移管した「トラベルゲート事件」、繰り返されたクリントン大統領の不倫問題に対する態度、ヒラリーの同僚で友人だったヴィンス・フォスターの自殺など様々な事件に関わり、隠蔽工作をしたと批判されたことなど枚挙にいとまはない。ライシュ教授はさらに続けて、「大人になって絶え間なく厳しい攻撃にさらされた人が、スキャンダルや陰謀理論を生み出しかねないような調査に発展するかもしれない小さな間違いや過失を明らかにするのを躊躇するのは理解できることだ」と、クリントン候補が一般の人やメディアに対して身構える姿勢を取る状況を説明している。また、そうした彼女の防御姿勢が逆に人々の不信感を強めるという悪循環になっているとも指摘している。

現在の大統領選挙で問われている「信頼問題」は、個人アドレスを使って公務を行ったことだ。保守派の人々は、それによって機密文書が漏洩した可能性があると批判している。国務省やFBIが調査を行ったが、国務省はクリントン候補を訴追しないと決定している。保守派の人々は、それはオバマ政権がクリントン候補を特別扱いしているものだと批判を加えている。トランプ候補との第一回の公開討論会で、トランプ候補は電子メール問題に触れ、クリントン候補にすべてのメールを開示するように迫った。クリントン候補は公務に個人メールを使ったことは過ちであったと認め、謝罪している。しかし保守派の批判は収まる気配がない。ベンガジ事件もクリントン候補に対する攻撃材料になっている。これは2012年9月11日にリビアのベンガジにある米国総領事館がテロの攻撃を受け、総領事などが殺害された事件である。当時国務長官であったクリントン候補が総領事館のテロ攻撃を事前に知っていたにもかかわらず十分な対応を取らなかったと批判されている。議会で調査も行われている。

もうひとつ、クリントン・ファンデーション問題がある。同ファンデーションは1997年に設立されている。設立趣旨は「世界の健康と福祉を改善し、少女や女性の人生の機会を高め、子供の肥満を減らし、経済的な機会と成長を創出し、コミュニティの気候変動への取組みを支援するために、私たちは企業と政府、NGO、それに個人を招集する」ことである。同ファンデーションは海外から巨額の寄付を受けているといわれている(詳細は明らかにされていない)。中には独裁的な政府や不正に関連する企業も含まれているといわれ、クリントン候補は国務長官時代に同ファンデーションのために便宜を図ったのではないかと疑われている。ライシュ教授が指摘するように、いずれも不正行為が明らかになっているわけではない。クリントンを批判する保守派の評論家ピーター・シュヴァイツアーは著書『クリントン・キャッシュ』でクリントン・ファンデーションを使った錬金術を詳細に描いているが、最後に「これらのことに確実な証拠があるわけではない」と自ら書いている。クリントン攻撃はかなり意図的かつ繰り返し行われている。その主張の真偽は別にして、メディアが絶え間なく報道することでクリントン候補に対する国民の不信感が強まっていることは間違いない。

ヒラリー・クリントン候補が嫌われる理由の「Part 2」では、以下のポイントをそれぞれ分析する予定である。

■なぜ女性がヒラリー・クリントン候補を支持しないのか

■なぜミレニアム世代はヒラリー・クリントン候補から離反するのか

■オバマ連合は回復するのか

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

中岡望の最近の記事