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米大統領選挙徹底分析(7):なぜヒラリー・クリントンは嫌われるのか、その真相を探る(Part 2)

中岡望ジャーナリスト
ミレニアム世代と若い女性は反クリントン(写真:ロイター/アフロ)

■見えにくいヒラリー・クリントンの“本当の姿”

おそらくヒラリー・クリントンは最も誤解され、最も多くの批判を受けている政治家の一人であろう。人の本当の姿は外部の人間には見えにくい。その分だけイメージが先行することになる。クリントンを理解するには、自伝を読んでみると良い。まず『リビング・ヒストリー:ヒラリー・ロダム・クリントン自伝』は自分の生涯を振り返った本で、彼女の育ってきたプロセスを知る上で役に立つ(翻訳はハヤカワ文庫に収録)。もう1冊は『困難な選択』(日本経済新聞刊)である。これは国務長官時代の回顧録で、ヒラリーが外交で実際に経験したことを書いたものである。さらに自らの政治信条も綴られている。そこではヒラリーがいかにユーモアに富み、外国の指導者を鋭い観察力で分析しているかが生き生きと語られている。筆者は、この本の書評を『週刊東洋経済』(2015年6月)に書いているので、以下に引用してみる。

《書評の引用》

「米大統領選挙は、民主、共和両党の候補者を決める予備選挙に向けての選挙活動が加速している。共和党はまだ有力候補者が正式に名乗りを上げていないが、民主党はヒラリー・クリントン前国務長官が世論調査では圧倒的なリードを保っている。よほどの波乱がない限り、クリントン氏が民主党の大統領候補になる可能性が強い。そうした雰囲気の中で問われているのが、クリントン氏の大統領としての資質である。本著は、彼女の能力を評価する最適な本である。

クリントン前国務長官は聡明な女性である。09年、国務長官として最初の訪問国に選んだのは日本であった。その際、評者は国務省の依頼で日本での同行取材をし、単独インタビューを行い本誌に掲載した。彼女のインタビュー記事は発言を書き起こすだけで、何の編集をする必要もないほど簡潔かつ完璧なものであった。かつ極めて謙虚な人柄が印象に残っている。本書の中にも随所で同じ印象を得た。

本書は二つの部分から構成されている。国務長官として海外の指導者と会った時の状況や彼らに対する印象を綴った部分と、政策課題について語った部分である。前者に関して言えば、その驚くべき詳細な記憶に感嘆する。交渉相手の小さな表情の変化まで詳細に語り、辛辣な印象を述べている。たとえば、ある交渉の場で、『彼(プーチン)はほとんど耳を傾けようともしなかった。私は怒りを抱えながら、話題を変えてみた。シベリアのトラを救うために何をしているのですかと聞くと、彼は驚いて顔を上げた。さあ、これで彼の注意を引くことができた』。

コペンハーゲンでの気候変動の会議で中国の温家宝首相はアメリカを排除してインドやブラジルなどと秘密会議を開催していた。その場所を捜し出し、オバマ大統領とクリントン国務長官は警護の阻止を振り切って会議の場に強引に入って行った。秘密会議の出席者は『我々を見た時、皆の口はあんぐりと開いていた』と、ユーモアたっぷりに表現している。 

政策担当者が回顧録を書くのはアメリカの政治的伝統である。クリントン、ブッシュ両大統領、オルブライト国務長官、パネッタ国防長官、ポールソン財務長官と列挙に暇がない。それぞれが貴重な歴史的記録となっている。その中で本書はその内容の濃密さで他を圧倒している。

政策に関する部分で、クリントン氏は自らを『理想主義的な現実主義者』とし、『人権を保護するという一線から一ミリも引きさがりはしない』と書く。もし彼女が大統領になったら、最初の女性統領であるだけでなく、最も知性のある大統領であることは間違いないだろう」(『週刊東洋経済』書評より引用)

書評の中では触れていないが、本の最後の章でヒラリーは母親に対する熱い思いを語っている。極めて感動的な文章で、筆者は大学のゼミの学生に読んで聞かせた。理知的だけでなく、ヒラリーの人間としての情感が溢れた姿が、そこに描かれている。その文章を以下に引用する。

《ヒラリー・クリントンの『困難な選択』より引用》

「国務長官に就任した時、母はちょうど90歳になるところだった。国立動物園を見下ろすコネチカット通りのマンションに一人で住むのが難しくなったので、母はこの数年間は私たちとともにワシントン市内で暮らしていた。同世代の米国人の多くがそうであるように、私は年老いた親と一緒に暮らせる歳月をありがたいと思うとともに、母が日々を心地よく過ごし、しっかりと面倒を見てもらえるようにする責任を強く感じていた。パークリッジでの子供時代、母は私に限りない無償の愛を注ぎ、手を差し伸べてくれた。さあ、これからは私が彼女を支える番だ。もちろん、母にはこのようには説明しなかった。ドロシー・ハウエル・ロダムは猛烈に独立心の強い女性だ。自分が誰かの負担になるという考えには、とても耐えられなかった。

母がそばにいてくれることは私にとっても大きな慰めとなった。とりわけ、2008年の大統領選挙後の難しい時期にはそうだった。上院や国務省で過ごした長い一日の終わりに帰宅し、食卓の朝食コーナーにある小さなテーブルで母の隣に滑り込むように座り、心の中にあるわだかまりをすべて吐き出したものだった」(『困難な選択(下巻)』430~431ページ)

もうひとつヒラリーを理解できる場所がある。彼女が学び、卒業したウェルズリー・カレッジである。そこでヒラリーは政治に目覚めていく。筆者は2007年9月にボストン郊外にある同カレッジを取材で訪れた。同大学はスミス・カレッジと並ぶ名門女子大である。両校ともにマサチューセッツ州にある。ウェルズリー・カレッジはボストンから車で30分ほどの郊外にある。行きはホテルからタクシーで向かい、帰りはシャトルバスでボストンに戻ってきた。シャトルバスは無料でウェズリー・カレッジとハーバード大学、マサチューセッツ工科大学を結んでいる。これらの大学は単位互換制度で、学生はどの大学でも授業を履修し、単位を取ることができる。ヒラリーは1969年に同校を卒業している。まるで公園のような広大なキャンパスのなかに大学はある。大学のちょうど中心に大きな池がある。威厳のある教会がキャンパスを見下ろすように聳え立ち、小さな庭を囲んで何棟かの学生寮が建っている。筆者は学長にインタビューした後、学生寮の中を見たいと頼んで、案内してもらった。女子学生の部屋を見るのは気が引けたが、部屋にいた学生は笑顔で筆者を部屋の中に招き入れてくれた。校舎では学生の研究展示が行われていた。アメリカの大学は基本的に全寮制で、教員はキャンパスの中か、近所に住んでいる。学生に話を聞くと、授業後も教員と一緒に勉強会や研究会をするとのことであった。何人かの学生にインタビューしたが、全員非常に素直で、良い印象であった。学長によると、同大学では卒業生の90%以上は専門的な勉強をするために大学院に進学するという。学長によると、教育の理念は「社会の指導者になり、社会に奉仕できる人材を養成すること」だという。同大学のリベラルな雰囲気がヒラリーの人格形成に大きな影響を与えたことは想像に難くない。事実、大学生の時に政治的な薫陶を受けている。ヒラリーも卒業後、イエール大学法科大学院に進学し、夫となるビル・クリントンに出会っている。

個人に対するイメージは、政敵やメディアによって作られる。それはヒラリーに限らない。一度出来上がったイメージはなかなか変わらない。それどころか、イメージが独り歩きするようになる。保守派は実像とは関係なくヒラリーを嫌い、批判する。政治家は政策において評価されるべきである。ただ大統領選挙は公開討論会を見るまでもなく、候補者は詳細な政策分析よりも、“キャラクター”で評価される傾向が強い。今回の大統領選挙は従来の選挙以上にそうした傾向が強い。共和党の保守派にとってヒラリーは忌むべきリベラル派を代表する政治家なのであある。彼女が人間として優れた理性と優れた感性を持っていることは関係ない。

■すべてのクリントン候補の好感度調査で「嫌い」が「好き」を上回る

日本から見ていると、“初の女性大統領”が誕生するかもしれないと、アメリカの女性たちが盛り上がっているのではないかと思われるが、様子は少し違うようだ。若い女性はヒラリーに距離を置き、冷淡な反応を示している。ベビーブーマーの高齢世代の女性はそれなりに盛り上がっている。同じ女性でも世代によって反応が異なっている。また女性に限らず、“ミレニアム世代”と言われる若い世代もヒラリーを冷めた目で見ている。ミレニアム世代は2008年の大統領選挙でオバマ候補を熱狂的に支持し、“初のアフリカ系大統領”誕生の原動力となった。だが今回の選挙では“初の女性大統領”を誕生させようという熱狂的な雰囲気はあまり感じられない。2008年の大統領選挙の何が違うのだろうか。

手元にある調査ではクリントン候補の好感度が非好感度を上回っているものはない。性別、世代別の調査も興味深い。少し古いデータ(8月31日発表)だが、ABCと『ワシントン・ポスト』紙の共同調査の関する記事には「クリントン、過去最高の不人気を記録」という見出しがついている。調査結果では、「嫌い」が56%と「好き」の41%を大きく上回っている。特徴的なのは、女性の回答で「嫌い」が多いことだ。「好き」と答えた女性45%に対して「嫌い」が52%と半分を超えている。白人女性で見ると、「好き」が34%に対して、「嫌い」が64%に達している。学歴が大卒の場合、「好き」が43%、「嫌い」が55%であった。高卒では「好き」が42%、「嫌い」が55%である。支持層が高いと思い割れる大学院卒の知識層でも「嫌い」が51%、「好き」が47%と予想外の結果がでている。ヒラリーに対して高い好感度を持っているのは黒人だけで、80%が「好き」と答え、「嫌い」は19%に過ぎない。ヒスパニック系では「好き」が55%、「嫌い」が40%であった。イデオロギー的にみると、リベラル派の人では「好き」が63%、「嫌い」が34%である。問題は穏健派ですら「嫌い」が56%と「好き」の41%を大きく上回っていることだ。

もちろん「好感度」がそのまま投票行動に結び付くわけではない。2016年7月7日に発表されたピュー・リサーチの調査では、今、選挙が行われるとしたらクリントン候補とトランプ候補のどちらに投票するかという問いに対して、次のような結果がでている。全体では51%がクリントン候補、42%がトランプ候補であった。女性だけだと、クリントン候補59%、トランプ候補35%と過半数の女性はクリントン候補に投票すると答えている。この比率はトランプ候補の女性蔑視発言や性的なスキャンダルが出たことでトランプ候補を強力に支持していた保守派の女性や保守的なキリスト教徒であるエバンジェリカルの女性がトランプ候補に距離を置き始めており、おそらくクリントン候補に投票すると答える比率は高まっていると想像される。

■なぜ多くの女性はクリントン候補を嫌うのであろうか

保守派の人々がクリントン候補を嫌うのは理解できるが、一般の女性が彼女に好意を抱いていないのはなぜなのだろか。しかし、嫌いだからと言って多くの女性が女性大統領の誕生を願っていないというわけではない。9月13日に発表された『ニューヨーク・タイムズ』紙とCBSニュースの共同調査では、多くのアメリカ人は女性大統領の誕生を歓迎していると答えている。同調査を解説した『ニューヨーク・タイムズ』紙(2016年9月16日)の記事には「世論調査で大半の有権者は女性にとって一里塚と歓迎しているが、それは必ずしもヒラリー・クリントンでなくてもいい」という見出しがついている。女性大統領の誕生は歓迎するが、クリントン候補である必要はない、ということだ。

同調査によれば、アメリカの女性にとって最大の問題は「性差別」である。「性差別」とは、具体的に言えば、男性との賃金格差、“ガラスの天井”といわれる昇進格差、さらに職場での性的なハラスメントである。48%の女性は、社会では女性よりも男性のほうがが有利な立場にあると考えている。ちなみに男性のほうが有利と考えている男性は35%にすぎない。男女のパーセプション・ギャップは大きい。また女性にとって最大の問題は性別による賃金格差で、女性の4人のうち3人は男性と同じ仕事をしているのに賃金は少ないと感じている。また25%の女性は職場で性的な多くのハラスメントがあると答えている。同じように感じている男性は18%に過ぎない。

クリントン候補に関しては、56%の女性が彼女は優れたロール・モデルであると考えている。この比率は高いが、ただ前回の民主党大統領予備選挙に出馬した2007年の調査では、その比率は70%であった。それから比べれば、クリントン候補のイメージは低下している。それは、多くの女性がクリントン候補は結婚し、大統領夫人になり、子供を産み、上院議員、国務長官を経験するなど一般の女性が思い浮かべる人生のキャリアとは程遠いと感じているからだ。クリントン候補はすべてを持った女性なのである。ちなみに、アメリカの女性にも結婚願望があり、47%の女性は結婚が人生で非常に重要であると答えている。

また多くの女性は性差別を解消することを願っている。女性大統領の誕生は男女平等の社会に一歩近づくことになる。しかし、その願いは必ずしもクリントン候補を大統領にしなければならないという燃え上がる情熱には結びついていない。逆にクリントン候補が「女性カード(Woman Card)」を利用していると批判する声も聞かれる。ただ正確を期していえば、クリントン候補は女性であることを理由に女性に支持を訴えたことはない。ジャーナリストのゾーイ・ヘルラーは「Hillary & Women」と題する記事(『New York Review of Books』2016年4月7日)で、「彼女はジェンダーに特別な意味を与えることを拒否している。彼女が求めているのは将軍たちの支持である。彼女は女性としての暖かさや感情、女性的な面を犠牲にして“力強い”最高司令官として自分を打ち出している。その結果、彼女は最初の女性大統領になるという感動的なアピールを活用できないでいる」と、「女性カード」批判は的外れであると指摘をしている。だが、ジャーナリストのエリザベス・プレザは「今回の大統領選挙ではクリントン候補が“女性カード”を切っているという批判が浸透している」(「In Politics, Who Really Holds the Gender Card」『Alternet』2016年9月26日)と書いている。プレザは、「保守派やトランプ陣営がクリントンは『女性カード』を使って自分に投票するように求めている」と、この批判は政治的な色合いで行われていると指摘している。たとえば、トランプ候補は「クリントンが持っている唯一の物は女性カードだ。もし彼女が男性だったら票はまったく獲得できないだろう」と語っている。要するに、トランプ候補はクリントン候補が健闘しているのは、彼女が女性であるからだと主張しているのである。いずれにせよ、アメリカの多くのメディアがクリントン候補の「女性カード」をテーマに取り上げ、有権者に有形無形の影響を与えている。ただ、問題は、クリントン候補が「女性カード」を切っているかどうかとは別に、彼女が若い女性層の支持を得るのに苦戦していることは事実である。

60年代、70年代のフェミニスト運動を担ってきた古い世代の女性にとって、夢が実現する瞬間が迫っている。初の国務長官のマデレーン・オルブライトや1970年代のフェミニスト運動を代表し、雑誌『Ms』を創刊したグロリア・スタイネムなど古い世代のフェミニストたちは、若い世代に向かって「ヒラリー・クリントンのもとに結集せよ」よう訴えている。だが、若い女性たちは、母親や祖母たちとは違った感じ方をしている。民主党の大統領予備選挙の際、女性票の53%はバニー・サンダース候補に投じられた。クリントン候補の得票率は46%に留まった。30歳以下の女性の82%がサンダース候補を支持している。若い女性たちは、74歳の老政治家に未来を託そうとしたのである。結論から言えば、多くの若い女性は「女性であるというだけで支持できない」と考えている。言い換えれば、それは「女性カード」批判に通じるものがある。ハーバード大学のある女子学生は、「ヒラリーは女性だけど白人で、金持ちで、性的にストレート(同性愛者ではない)だ。もし平アリーが黒人か同性愛者か貧しかったら、彼女に投票しただろう」と語っている(「Hillary’s Woman Problem」Politico, 2006年2月12日)。要するに、彼女たちにとってクリントン候補は“エスタブリッシュメント(特権階級)”を代表する白人候補者に過ぎない。事実、彼女はウォール街の金融機関の経営者や富裕層から多額の政治献金を得ている。従来の政治家と変わるところはない、というわけである。

作家でヒラリー・クリントンの評伝を書いているゲール・シーヒーは次のように書いている。「私は多くのミレニアム世代の女性と話をした。多くの女性は『クリントンは男を利用して権力を得た』と彼女をはねつける。彼らはヒラリーの歴史をしらない。彼女は大統領を育てたのであり、夫のビルは彼女を共同大統領にした。夫婦は常に権力のなかでパートナーであり、経済的、社会的正義のために一緒に戦ってきた。その共生関係によって25年にわたって民主党の政治を支配することができた。その期間はエレノアとフランクリン・ルーズベルト大統領夫妻が支配した期間よりも長い」。ヒーシーはさらに続けて、「若い女性がヒラリーの大統領としての可能性を十分に理解できないのは、ヒラリーが非常に幅広い考え方をする人物で、許容度が大きいからだ」、「ヒラリー・ロダム・クリントンは大統領選挙では長距離ランナーだ。若い女性はいつか彼女のビジョンの幅の広さを理解できるようになるだろう」と分析する。

ジャーナリストで、『ニューヨーク・ブック・リビュー』誌のコラムニストであるエリザベス・デュリューは「女性たちはヒラリーが女性だから彼女を支持すべきだと言われるのが好きではない」、「他の有権者と同じようにヒラリーの政策に対する立場や個性などに基づいて支持するかどうかを決めたがっている」と指摘する。問題は男性か、女性かということではない。女性に限らず、若い世代がクリントン候補にあまり興味を示さないのは、彼女の演説は嘘っぽく、政策も空虚だと感じているからだ。

■ミレニアム世代もヒラリー・クリントン候補に背を向ける

若い女性たちはクリントン候補ではなく、サンダース候補に希望を託した。大統領予備選挙で敗北したサンダース上院議員は、現在、クリントン候補支持を明らかにし、自分を支持したミレニアム世代にクリントン候補に投票するように呼び掛けている。だが、若者の間でクリントン人気が盛り上げる気配は感じられない。世論調査では、サンダース議員を支持した若者層はリバタリアン党のゲーリー・ジョンソン候補に流れているという結果が出ている。大統領選挙はトランプ候補の自滅でクリントン候補の勝利が濃厚になっているが、選挙は水物で、最後まで結果は分からない。クリントン候補にとって、最大の課題は、女性票とミレニアム世代の票をいかに獲得するかだ。そうした有権者が第3党の候補者に投票したり、棄権すると、選挙結果に影響が出かねない。特に選挙に決定的な影響を与える激戦州ではわずかの票差で結果が左右される。

加えて2016年4月時点でミレニアム世代(18歳から35歳)の推定人口は6920万人で、ベビーブーマー世代(52歳から70歳)の6970万人とほぼ同数になっている。ミレニアム世代は有権者の30%以上を占めるまでになっている。「ジェネレーションX世代」(36歳から51歳)は有権者の25%を占めている。「ベビーブーマー世代」は2004年に7290万人とピークを付けたが、その後、減少し続けている(数字は国勢調査に基づくピュー・リサーチの推計)。やがてミレニアム世代が最大の有権者数になるのは間違いない。単に今回の大統領選挙だけでなく、将来にわたってアメリカの政治に大きな影響を与え続けると思われる。今回の大統領選挙でキャスティング・ボートを握るかもしれない。

アメリカでは選挙年齢に達しても、自動的に投票できるわけではない。日本のように選挙の入場券が送られてくるわけではない。各人が選挙登録をして初めて投票できるようになる。選挙登録をした数が問題となる。民主党の調査機関Project New Americaの調査では、2012年の大統領選挙ではミレニアム世代で選挙登録をしたのは2000万人であったが、今回の大統領選挙では5300万人が選挙登録をしている。その数は、今後、さらに増えると予想される。それだけに彼らが誰に投票するかは選挙結果に大きな影響を与える。ただトランプ候補に投票する可能性は低い。なぜならミレニアム世代の多くはトランプ候補を人種差別主義者であり、女性を侮蔑する人物と考えているからだ。トランプ候補の最大の支持者は白人の高卒ブルーカラーであるが、ミレニアム世代の白人の高卒ブルーカラーの70%はトランプ候補に批判的である。彼らは第3の政党の候補者に投票するか、棄権する可能性が強い。それはクリントン候補の得票数が減ることを意味する。それだけにクリントン候補はミレニアム世代対策に苦慮を強いられている。

ミレニアム世代はクリントン候補に懐疑的である。さらに問題なのは、彼らの支持率が低下していることだ。クイニピアック大学の調査では、18歳から34歳の若者層のクリントン支持率は8月25日の調査では48%であったものが、9月15日の調査では31%にまで落ち込んでいる。これとは対照的にリバタリアン党のジョンソン候補の支持率は16%から29%に増えている。トランプ候補の9月の調査の支持率は26%で、ジョンソン候補よりも低い。同様にフォックス・ニュースの調査では、ミレニアム世代のクリントン候補の支持率は37%であった。デトロイト・フリー・プレスの35歳以下の若者の支持率調査では、8月のクリントン候補の支持率は44%であったが、9月には31%にまで低下している。この1か月間でミレニアム世代はクリントン候補から離れてジョンソン候補に流れている。2012年の大統領選挙ではオバマ大統領は30歳以下の有権者の60%の支持を得ている。対抗馬のミット・ロムニー候補は37%であった。オバマ大統領は激戦州であるミシガン州やオハイオ州で30歳以下の有権者の63%の票を得て、勝利を確かなものにした。

こうした状況にクリントン陣営だけでなく、民主党本部も危機感を抱いている。オバマ大統領とミシェル夫人はクリントン候補支持を鮮明にし、有権者にクリントン候補支持を訴えている。9月中旬、バージニア州のジョージ・メイソン大学を訪れたミシェル夫人は学生に向かって「選挙は誰が投票したかというだけでなく、誰が投票しなかったかも問題だ。特に若い人についていえる。2012年の大統領選挙では30歳以下の有権者が4つの激戦州でバラクに投票し、大勝利を得ることができた」と演説を行っている。

ミレニアム世代の支持を得られないというのは、クリントン候補の最大の弱点となっている。2008年の民主党の大統領予備選挙では全予備選挙の出口調査の結果、オバマ候補はミレニアム世代の58%を獲得、クリントン候補は38%であった。2016年の全予備選挙の累積結果では、プミレニアム世代の71%がサンダース候補を支持したのに対して、クリントン候補支持は28%に留まった。クリントン候補が強いと見られているニューヨーク州やペンシルバニア州でも、クリントン候補はミレニアム世代の支持という点では、サンダース候補の後塵を拝している。2016年の本選挙でクリントン候補がミレニアム世代の票を獲得できるかどうか、まったく不透明である。少し古いデータだが、6月に行われてブルームバーグの世論調査では、サンダース候補を支持するミレニアム世代の55%が本選挙ではクリントン候補に投票しないと答えている。その理由として、クリントン候補の政策は基本的にタカ派であること、金融界など企業との結びつきが強く、企業もクリントン候補を支持していることを上げている。あるサンダース候補の支持者は「クリントンが私の票を得る可能性はゼロだ」と語り、別の支持者は「絶対にクリントンには投票しない」とブルームバーグの調査スタッフに語っている。この調査後、サンダース候補は正式にクリントン候補を支持すると発表し、彼の支持者にクリントン候補に投票するように呼び掛けた。しかしクイニピアック大学の調査で明らかになったように、現在でもミレニアム世代はクリントン候補支持に態度を変えていない。

■ミレニアム世代がクリントン候補を支持しない本当の理由

『The Atlantic』誌の記事(2016年9月19日、「Millennial Voters May Cost Hillary Clinton the Election」)は、「若い有権者に対するクリントンの問題は(クリントンの)政策ではなく、(クリントンの)人格評価に根差している」と指摘している。すなわちミレニアム世代の大多数は、クリントン候補は信頼に値しないし、計算高く、無原則であると考えているのである。既に指摘したが、「クリントン候補は信用できない」という問題が、ここでも顔をだしている。ジョージワシントン大学の調査では、ミレニアム世代の66%がクリントン候補は政治的に“ご都合主義”だと答えており、彼女が「信頼できる」と答えた比率は22%にすぎない。またクイニピアック大学の調査でも、77%がクリントン候補は正直でなく、信頼に値しないと答えている。皮肉なことに、そうしたクリントン像はサンダース候補が予備選挙中に若者に植え付けたものでもある。調査担当者は「若者たちは1年間にわたってサンダース候補からクリントン候補が不誠実だと聞かされてきた。いまさら手のひらを返すようにクリントン支持に変わるのは難しい」と語っている。

もちろん政策に対する厳しい評価もある。『The American Prospect』誌(2016年9月23日)に掲載された記事「Why Millennials Don’t Like Hillary」(筆者はデビッド・アトキンス)を引用しながら、筆者の解釈と解説を付け加えながら説明する。アトキンスは「ミレニアム世代はアメリカで最も進歩的な世代(the most progressive generation)である」と指摘する。彼らは2008年のリーマンショックに始まる世界大不況(the Great Recession)の最大の被害者である。大学は出たけど職にありつけない。大学の授業料は高騰し、学生ローンに頼らざるを得ない。その結果、巨額の負債を抱え込む。家賃も高騰している。親の住む家の地下部屋に住み続けるしかない。アメリカでは若者は早く家を出て自立するのが普通だったが、AFL・CIO(米労働総同盟産業別組合会議)に調査によれば、現在ではミレニアム世代は30代半ばまで親と同居しないと生活できない状況に置かれている。昨年、ハーバード大学が行った調査は、ミレニアム世代の半分の若者にとって「アメリカン・ドリームは達成が困難なのではなく、もはや死んでいる(American dream isn’t difficult to achieve but actually dead for them)」と指摘している。アトキンスは「ミレニアム世代は怒りと絶望の時代」に生きているという。この結果、「資本主義よりも社会主義を支持するようになっている」。アメリカ社会では伝統的に“禁句”であった「社会主義」が最近では決して悪い意味では使われなくなっている。

ミレニアム世代は「プログレッシブ」と言われる。少し説明を付け加えれば、「プログレッシイズム(進歩主義)という言葉が出てきたのは19世紀後半のこと。産業革命と“泥棒貴族”と呼ばれる大企業集団(“trust”と呼ばれている)の出現、信じられないような貧富の格差拡大、劣悪な労働環境と労働条件のなか苦境に置かれた労働者や、市場経済の浸透で農産物価格の大きな変動と機械化に伴う負債の重圧に直面した農民を守ろうと“進歩主義運動”が登場する。1900年から1920年の20年間は「進歩主義の時代」と呼ばれ、労働者や消費者、農民を守り、環境を保全する一連の政策がとられた。この間の代表的な政治家はセオドーア・ルーズベルト大統領とウードロー・ウィルソン大統領である。「進歩主義」は、後のフランクリン・ルーズベルト大統領の「ニューディール(New Deal)政策」の原型となった。ちなみにセオドーア・ルーズベルト大統領の政策は「スクエアーディール(Square Deal)政策」と言われている。「スクエアー」は「平等」という意味である。共和党のセオドーア・ルーズベルトは、自分の後を継いだウィリアム・タフト大統領が進歩主義の理念を離れて企業寄りになるのを見て、再度、共和党の大統領候補の指名を得ようとするが、共和党全国大会で現職のタフト大統領に敗れ、自ら「進歩党」を結成して立候補している。選挙は共和党のタフト大統領、進歩党のルーズベルト前大統領、民主党はウードロー・ウィルソン候補で争われ、共和党の票が割れ、漁夫の利を得てウィルソン候補が当選している。

「プログレッシイズム」という言葉は長い間使われなかった。その代わり「リベラリズム」という言葉が一般的に使われるようになった。だが最近では「リベラリズム」が手垢のついた悪いイメージの言葉になり、それに代わる言葉として「プログレッシイズム」という言葉が復活してきた。

ミレニアム世代は貧富の格差拡大と金融資本が暴利をむさぼっていると「ウォール街占拠運動(Occupy the Wall Street)」を始める。アトキンスは、この運動を「伝統的な民権運動は人種差別に反対する運動であったが、ウォール街占拠運動は階級意識を持った金融エリートに対する反乱であった」と書く。古い世代のリベラリズムを代表するのがクリントン候補である。ミレニアム世代がサンダース候補の元に結集したのは、同候補が社会を基本的に変革する“革命”を訴えたからである。だが、クリントン候補は“革命”という言葉を決して使わず、「オバマ政権の政策を継承し、それを“進化”させる」と主張した。ミレニアム世代にとって現状肯定を主張するクリントン候補は魅力のない存在であり、体制派の人物でしかない。ましてや大手金融機関で巨額の謝礼を得て、講演をしているクリントン候補の姿は、ミレニアム世代にとって受け入れがたい。オバマ大統領がミレニアム世代の支持を得たのは「変化」を訴えたからだ。クリントン候補には、そうした強烈なアピールは存在しない。

さらにアトキンスは、ミレニアム世代が重視するものに「中東での戦争」「気候変動」「性的多様性(同性婚、LGBTの権利擁護など)」であると指摘する。まず戦争に関していえば、ミレニアム世代はクリントン候補が上院議員のときイラク戦争に賛成したことを問題にする。さらに2008年の民主党大統領予備選挙でオバマ候補との討論の中でイラク戦争を支持したことの謝罪を拒否したことが、彼らの間に反クリントン意識を作り出した。ただ、後にクリントン候補は自らの過ちを認めている。同性愛の問題も、軍隊で同性愛者を兵士として受け入れるかどうかが問題になったとき、夫のビル・クリントン大統領は軍当局と兵士に対して「質問するな、言うな(don’t ask, don’t tell)」という政策を打ち出す。すなわち「軍当局に対して同性愛かどうか質問するな、同性愛者に対して自分が同性愛であると語るな」という曖昧な政策を取った。それがミレニアム世代の反クリントン候補につながっている。ちなみに、その政策を転換したのはオバマ大統領である。

また、ビル・クリントン大統領はリベラル派や労働組合、環境保護団体などの反対を押し切って、共和党の支持を得てNAFTA(北米自由貿易協定)を批准している。またクリントン候補はオバマ政権のTPP(太平洋自由貿易協定)に賛成したことを取り上げ、ミレニアム世代はクリントン候補を厳しく批判している。こうした状況を受け、クリントン候補はTPP(環太平洋パートナーシップ協定)反対を明らかにしている。民主党内で最左翼の立場を取り、ミレニアム世代にも人気のあるエリザベス・ウォーレン上院議員はテレビ番組に出演して、「クリントンの提案は歴史上最も進歩的な政策である。彼女はTPPに対して明確な立場を取っている。大統領になればTPPを阻止すると彼女は言っている。そのことに一点の曇りもない」と、クリントン候補を擁護している。

本稿は長くなったので、ヒラリー・クリントン候補がミレニアム世代の支持を獲得するにはどうしたらいいのか。さらに、仮に大統領に当選した場合、ミレニアム世代とどう折り合いをつけていくかが重要な問題になる。それは稿を改めて議論する。

最後に一言付け加えれば、様々なスキャンダルにも拘わらずトランプ候補とクリントン候補の支持率の差が思ったほど開いていない。現段階で、クリントン候補勝利の確率は高いが、“地滑り的勝利”を予想するのはまだ早すぎるだろう。

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

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