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米大統領選挙徹底分析(8):第3回公開討論会=なぜトランプの「選挙結果を受け入れない」発言が問題か

中岡望ジャーナリスト
ラスベガスでの最後の討論会、繰り返されるトランプ候補の問題発言(写真:ロイター/アフロ)

■波乱もなく、従来の議論の来り返しに終わった討論会

3回目の二人の大統領候補者による公開討論会が終わった。公開討論後のCNNの調査では、ヒラリー・クリントン勝利が52%、ドナルド・トランプ候補が勝利は39%という結果で、クリントン候補が圧倒的に勝利する結果となった。筆者が討論を見ていた得た印象から言えば、その結果は十分に予想できた。当初予想されたようなお互いのスキャンダルを攻撃し合う場面はほとんど見られなかった。「どちらが大統領にふさわしいか」との問いに、59%がクリントン候補、35%がトランプ候補と答えている。ただ54%の有権者は、公開討論会を見た後も、候補者に対する評価は変わらないと答えている。クリントン候補に傾いたが23%、トランプ候補に傾いたが24%と、拮抗している。クリントン候補が勝利したと判断された割には、クリントン候補支持が増えていないということになる。アメリカの有権者の党派性、党に対する忠誠心は強く、共和党支持者が途中から民主党の候補に投票するということはまずないし、その逆もしかりである。したがって中間層や無党派の有権者が公開討論会をどう判断するかが選挙の結果に影響を与えることになる。その点では両候補者はイーブンの結果であった。公開討論の勝敗が必ずしも選挙結果には結びつかないかもしれない。

司会者の誘導で議論は政策に焦点が当てられた。司会者の最初の質問は「最高裁」に関するものであった。現在、最高裁では空席がひとつあり、オバマ大統領が公認を指名したにもかかわらず、上院はまだ承認していない。共和党は、新最高裁判事は新しい大統領によって指名されるべきだと強硬な立場を維持している。最高裁の問題は人事に留まらない。9名の判事が重要な案件に関して憲法判断を下す。判決は判事の投票で決まるため、リベラル派の判事が多いか、保守派の判事が多いかで、判決の内容が変わってくる。たとえば、2015年6月、最高裁は同性婚は合憲であるとの判断を下した。その時の判事は保守派が5名、リベラル派が4名であった。その党派性を反映すれば、同性婚は合憲との判断は出てこなかっただろう。だが、保守派の判事一人が同性婚は合憲であると主張を変えたことで、合憲の判断がくだされた。要するに、次期大統領が新しい最高裁判事を任命するなる可能性が強く、大統領選挙の大きな争点の一つなのである。

さらに最高裁に関連して問題になるのが、「中絶の問題」である。1973年の最高裁のロー対ウエイド裁判で女性の中絶権が認められて以降、保守派はその判決を覆すことに躍起になっている。公開討論会でも中絶に関する質問が出た。クリントン候補はプロチョイス(女性の中絶に関する選択権を認める立場)に立って、国がこの問題に介入すべきではないとロー対ウエイド判決を支持した。これに対してトランプ候補は、中絶の是非の判断は州に任せるべきだとの立場を主張した。現在、幾つかの州では中絶を禁止あるいは制限する動きが出ている。州政府に判断を委ねるという主張は、言い換えれば、そうした保守的な州で中絶を禁止することを容認することを意味する。また中絶問題では「後期中絶(late-term abortion)」に議論に及んだ。後期中絶は妊娠後期になって中絶することである。ロー対ウエイド判決では妊娠期間を3つに分け、一期は女性の判断で、二期は医者のアドバイスで妊娠中絶を合法的と認めたが、三期での中絶は禁止する判断を下した。その後の幾つかの最高裁判決で後期中絶も合法とされた。しかし保守派は三期の中絶は残酷であると批判。後期中絶を行った医者が殺されるという悲惨な事件も起きている。ブッシュ政権では後期中絶を規制するのは合憲であるとの判決が出ている。これに対してクリントン候補は「妊娠の最後の期間に中絶を決定するのは家族にとって最も悲惨は決断である」とし、「政府はそうした個人的な決断を規制すべきではない」と主張。これに対してトランプ候補は「母親の胎内から赤ちゃんを取り出すのはおぞましいことだ」と応じた。共和党の政策綱領には後期中絶に留まらず中絶そのものを禁止する項目が含まれている。

もうひとつ憲法に関連する質問は銃規制の問題である。アメリカの憲法修正第2条は国民の銃を携帯する権利を認めている。修正第2条には「規律ある民兵団は、自由な国家の安全にとって必要であるから、国民が武器を保有し携帯する権利は侵してはならない」(米大使館訳)と書かれている。アメリカでは銃を使った殺人事件が頻発している。その件数は2014年で1万2000件に達している。1993年には2万人近かったが、その頃と比べれば減少しているものの、大きな数であることは間違いない。銃を使った事件が発生すると、銃規制の議論が蒸し返される。リベラル派は規制の必要性を主張する。これに対して、保守派は憲法修正第2条を盾に規制に反対する。公開討論会でも、同様な議論が繰り返された。クリントン候補は「修正第2条は尊敬し、個人に銃を携帯する権利はある」としながらも、「銃を携帯する権利と常識的な規制は矛盾するものではない」と、銃規制の正当性を訴えた。さらに「人々の命を守ることと憲法修正第2条を守ることの間に矛盾はない」と主張した。

不法移民問題も再び取り上げられた。トランプ候補は「彼らは違法に入国している。国境を越えてドラグが流れ込んでいる。国境がなければ、もはや国家ではない。ヒラリーは不法移民に恩赦を与えようとしている。彼女は国境を開放したがっている」と、クリントン候補を批判。さらにトランプ候補は「不法移民を追い出せ」と、いつもの主張を繰り返した。他方、クリントン候補は「不法移民だがアメリカで生まれた子供たちがたくさんいる。不法移民の親を強制送還することで家族をバラバラにしたくはない。ドナルドが主張するような強制送還は望まない」と切り返し、さらに「ドナルドは税金を払っていないが、不法移民は払っている。彼らは低賃金で働かされている」「アメリカは移民と法の国であり、それにふさわしい行動を取るべきだ」と主張した。

そのほか経済政策や中東政策が取り上げられ、クリントン候補はロシアが情報をハッキングしてウフィキリークの情報を漏らし、大統領選挙に影響を与えようとしていると批判し、トランプ候補にプーチンに対する見方を正す場面もあった。だが、全体として特に目新しい議論はなかった。お互いに従来から行っている主張を繰り返したに留まる。ジャーナリストのジョアン・ウォルシュは、「トランプはごみ収集車で討論会場に乗り付け、選挙で先行するヒラリー・クリントンの前にぶちまけた」と第3回の公開討論会の印象を語っている(「Donald Trump Just Destroyed Himself」、『The Nation』2016年10月19日)。そして「トランプは既に危うくなっていた大統領当選の可能性を想像できない方法でぶち壊してしまった」と書く。ウォリッシュは、「トランプは(女性蔑視発言に関して)妻に謝罪したことはないと言い張っていたが、彼の妻はCNNのインタビューで『私は彼の謝罪を受け入れた』と答えている」とトランプ候補の“嘘”を指摘している。さらに司会者が社会福祉予算に関して“グランド・バーゲン”が必要ではないかと提案すると、トランプ候補は「彼女(クリントン)は非常に嫌な奴だ」と呟いたことを指摘して、「劇的な瞬間だった」と書いている。

■最大の焦点はトランプ候補が選挙結果を受けいれないと発言したこと

今回の公開討論の最大の焦点は別のところにあったというのが筆者の意見である。民主主義は政権交代が選挙によって行われるところにエッセンスがある。選挙の敗者は選挙の正当性を認め、速やかに勝者を受け入れる。他方、勝者は敗者の生存と次の挑戦を認めるところにある。かつて政権交代は投票ではなく、銃弾によって、血を流す形で行われていた。だが、アメリカ民主主義のもとでは、大統領候補者は敗北が決定的になった時点で「敗北宣言(concession speech)」を行い、勝者を祝福するのが普通である。だが、公開討論会でトランプ候補は「選挙結果を必ずしも受け入れると約束できない」と発言した。さらに続けてクリントン候補に向かって、「この場で言っておくが、あなたをずっとハラハラさせてやる(I will tell you at the time. I will keep you in suspense)」と、威嚇的とも思える発言を行った。NPR(ナショナル・パブリック・ラジオ)は、「驚くべき瞬間(stunning moment)」と、その時の驚きを表現している。2回目の公開討論会でトランプ候補は、自分が大統領になったらクリントン候補を告発し、投獄するという趣旨の発言も行っており、その発言と今回の発言が重なって、アメリカの多くのメディアは「トランプ候補がアメリカの民主主義を破壊している」と一斉に報道した。

トランプ候補は、このところ盛んに選挙は不正に操作(rigged)されていると発言していた。これは敗北が間違いないとの思いからの発言だと想像される。今回の討論会の発言も、そうした発言の延長線上にあるといえる。あるメディアは「240年にわたってアメリカ人は議会制民主主義を保障する重要な柱を享受してきた。それは、すべての政府のレベルにおいて、特に大統領のレベルで平和裏に権力の移行が行われているということだ」と書いている。共和党のスタッフは「民主主義が機能するために最も必要なことは平和的な権力の移行であり、アメリカでは1800年の大統領選挙以来、それが一度も滞ることなく行われてきた。平和的移行とは、敗者が選挙結果を受け入れることだ」と語っている。しかし、トランプ候補は支持者に向かって「選挙の不正工作で彼らに勝利を盗ませてはならない」と主張し、支持者の喝さいを浴びている。

トランプ候補の選挙で不正が行われているという主張に、同候補の支持者の多くは同調している。ピュー・リサーチの調査(2016年8月19日)によれば、トランプ候補の支持者のうちの38%が票は「正確に集計されている(very confident)と確信」していると答えている。しかし、「少しだけ確信がある(somewhat confident)」が31%、「ほどんと、あるいはまったく確信が持てない(little or no confident)」が30%であった。この結果とは対照的に、クリントン候補支持者の67%が「極めて確信している」と答えている。トランプ候補は、民主党とメディアが共謀して選挙の不正工作をしていると繰り返し主張しており、それが支持者の考え方に大きな影響を与えている。また、選挙の不正工作の主張はトランプ候補の大好きな“陰謀論”のひとつである。いずれにせよ、選挙結果を受け入れないというのは、民主主義を否定する以外のものではない。公開討論会でクリントン候補は、「トランプ候補は自分に都合が悪くなると必ず不正が行われていると主張し始める」と逆襲していた。

トランプ候補のように選挙結果の正当性に疑問を提起した大統領候補はいない。2001年では、民主党のアル・ゴア候補は「敗北宣言」をし、共和党のジョージ・W・ブッシュ候補を祝福している。だが、その後、大統領選挙はフロリダ州の票の集計に間違いがあると主張された。この時の大統領選挙は、ゴア候補が総得票数でジョージ・W・ブッシュ候補を上回ったが、選挙人の数で下回り、ブッシュ候補が当選した選挙である。ブッシュ候補の勝利を決めたのはフロリダ州の投票結果であった。異議申し立てで同州選挙委員会は票の再集計を行ったが、それでも決着せず、最終的に最高裁の判決で票が確定し、ブッシュ候補はフロリダ州の選挙人を獲得した。その時、ゴア候補は最高裁の判決に異議を申し立てることはしなかった。

選挙は不正工作が行われていて、選挙結果を受け入れないというトランプ候補の発言は、同候補にとって致命傷になる可能性がある。女性蔑視の発言よるも、はるかに重い発言である。アメリカ民主主義を根底から否定する意味合いを持っているからである。

■“1800年革命”で確立した権力の平和的移行、なぜトランプ候補の発言が問題なのか

アメリカは建国後、2つの政党が血で血を洗う争いを展開してきた。2つの政党とは、アレキサンダー・ハミルトン財務長官に率いられるフェデラリスト党とトーマス・ジェファーソン国務長官(後の第3代大統領)に率いられる民主共和党である。両党の間で激しい覇権争いが展開された。1796年の大統領選挙はジョージ・ワシントン政権の副大統領だったジョン・アダムスとジェファーソンの戦いとなった。アダムスはフェデラリスト党の候補者で、ジェファーソンは民主共和党の候補者であった。両党の主義主張は異なり、大統領選挙は血で血を洗う過酷なものであった。1796年の大統領選挙はアダムス候補の勝利に終わり、負けたジェファーソンは副大統領に就任した。この時点では、選挙人の得票が2位の候補者が副大統領に就任することになっていた(憲法には副大統領候補の選出方法が規定されておらず、1804年に憲法修正第12条によって正式に正副大統領の選出方法が確定した)。こうした血なまぐさい経験を経て行われた1800年の選挙では、ジェファーソン候補が現職の大統領のアダムス候補を破って3代目の大統領に就任した。1800年の選挙は現在の大統領選挙の規範を作り、「1800年の革命」と呼ばれている。後にジェファーソン大統領は「1800年の大統領選挙は政府の原則の革命であった(a revolution in principle of our government)」と述べている。「1800年の革命」とは、どんなに政党がお互いに政策や原則に不信感を持っていても、選挙結果を受け入れ、政党間で政権移譲が行われるようになったことを意味する。「1800年革命は銃弾に訴えるのではなく投票によって政権交代を行うようになった人類歴史上、初めてのことだった」(「From Bullets to Ballots: The Election of 1800 and the First Peaceful Transfer of Political Power」、TeachingAmericanHistory.orgより引用)。

トランプ候補の「選挙結果を受けいれない」という発言の重みを理解するには、こうしたアメリカの歴史を知る必要がある。だからこそ、アメリカのメディアは競って、トランプ候補の発言を報道しているのである。筆者は、この発言で、大統領選挙の決着はついたと判断している。

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

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