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トランプの研究(3):トランプ大統領がTPP離脱を指示した「大統領令」とは何か―その法的根拠と効力

中岡望ジャーナリスト
「大統領令」で不法移民強制送還に反対する人々(写真:ロイター/アフロ)

内容

1. 大統領が独自に行使できる3つの政策手段

2.TPP離脱を指示した「大統領覚書」の内容はこれだ

3.なぜトランプ大統領は“二国間通商交渉”に執着するのか

4.「大統領令」の法的な根拠と有効性

5.大統領は“暗黙の法的権限”で「大統領令」が出せる

6.「大統領令」の修正、廃棄はできるのだろうか

7.議会は「大統領令」を無効にすることはできるのか

8.大統領にとって「大統領令」は強力な政策手段である

1.大統領が独自に行使できる3つの政策手段

メディアは正確に言葉を使う必要がある。『朝日新聞』の1月24日の夕刊の第一面に「TPP離脱、大統領令」という記事が載っている。その後も、同紙は同じ用語を使って記事を書いている。ホワイトハウスのウエブサイトで「大統領令(Executive Orders)」をチェックしたところ、「大統領令」の欄にTPP離脱に関する文書は掲載されていなかった。TPP離脱に関する文書は、「大統領令」ではなく、「大統領覚書(Presidential Memoranda)」の項目に掲載されていた。TPP離脱は「大統領令」によって行われるのではない。他の新聞の記述は確かめていないが、おそらく「大統領令」という言葉を使っているのではないかと思う。大統領が取ることができる政策(presidential actions)は3つある。「大統領令」、「大統領覚書」、「大統領声明(Proclamations)」である。2009年1月に司法省は、「大統領令」と「大統領声明」は同じ法的な効果を持つという見解を発表している。

現時点(26日)ではトランプ大統領が出した「大統領令」は2件だけである。トランプ大統領が1月20日に署名した最初の「大統領令」は、オバマケア廃棄に向けたもので、タイトルは、「Executive Order Minimizing the Economic Burden of the Patient Protection and Affordable Act Pending Repeal (オバマケア廃棄に伴う経済的影響を最小限にすることに関する大統領令)」である。もう一つは24日に署名された「環境検討促進と高優先順位インフラ・プロジェクト承認に関する大統領令」である。これは石炭や石油開発に関連する環境評価を早めることと、トランプ政権の政策の柱のひとつであるインフラ投資の承認に関するものである。

「大統領覚書」は、1月20日にトランプ大統領が署名した「政府の各省と各局の長に関する覚書」と、23日に署名された「メキシコ・シティに関する覚書」、「連邦政府職員の採用凍結に関する覚書」、「TPP撤退に関する覚書」と、24日に調印された「ダコタ・アクセス・パイプライン建設に関する大統領覚書」、「キーストーンXLパイプライン建設に関する大統領覚書」、「認可の合理化と国内産業に対する規制負担の軽減に関する大統領覚書」の計6件である。ちなみに、「メキシコ・シティに関する覚書」は、妊娠中絶を促進している海外の非政府団体に対する連邦政府支援を禁止したものである。この財政支援禁止はブッシュ大統領の時に実施されていたが、オバマ大統領が解除した経緯がある。この決定は、オバマ大統領の決定を覆すものであると同時に、トランプ候補を支持した保守的なキリスト教徒の意見を受け入れたものである。

トランプ大統領はオバマ大統領が出した「大統領令」を全て覆そうとしているが、法律的には現大統領が前大統領の「大統領令」を全て覆すことは認められている。それは政策の大きな転換を意味する。「大統領令」は極めて大きな影響力を持つにもかかわらず、議会の立法手続きを必要としない。では、どんな法的な根拠で大統領は「大統領令」「大統領覚書」「大統領声明」を出すことができるのだろうか。それにどの程度の実効性があるのだろうか。「大統領令」、「大統領覚書」、「大統領声明」は何が違うのだろうか。以下で、こうした問題を詳述する。

2.TPP離脱を指示した「大統領覚書」の内容はこれだ

TPPからの離脱を指示した「大統領覚書」には何が書かれているか。その全文を紹介する。「大統領覚書」のタイトルは「Presidential Memorandum Regarding Withdrawal of the United States from the Trans-Pacific Partnership Negotiation and Agreement (アメリカがTPPの交渉と合意からの離脱に関する大統領覚書)」である。この「大統領覚書」は、米通商交渉代表部代表宛てにだされている。すなわち政府機関の責任者に対して出された内部文書なのである。

「すべての交渉においてアメリカの人々、特にアメリカの労働者を代表し、彼らの利益に役に立つような経済的恩恵をもたらす通商交渉を  行うのが、政府の政策である。加えて、成果を確実にもたらすために、今後の貿易交渉は1対1(あるいは二国間)のベースで、個別の  国と直接交渉を行うのが政府の意志である。他国との貿易は現在、また将来においても、政府にとっても、合衆国大統領である私にとっ  ても極めて重要である。

こうした原則に基づき、憲法と法律によって大統領である私に付与された権限によって、私はここに貴殿(通商代表部代表)に、TPP  条約の署名者として、アメリカがTPPから永久に離脱し、アメリカ産業を促進し、アメリカの労働者を守り、アメリカ人の賃金を引き  上げるために、可能なところから二国間の通商交渉を実現する努力を始めるよう指示する。

私は、貴殿(通商交渉代表部代表)にTPPの関係国にTPP交渉プロセルからアメリカが離脱する旨を書面で通告することを指示す   る。

貴殿は本覚書を連邦公報に掲載する権限を与えられ、掲載するように指示する」

要するに、この「大統領覚書」は、トランプ大統領がロバート・ライトハイザー通商代表部代表に対して、TPP関係国にTPP交渉からの離脱を書面通告するように指示したのである。そして、今後は多角的貿易交渉ではなく、「二国間通商交渉」に軸足を移す方針を明らかにした内容である。

3.なぜトランプ大統領は“二国間通商交渉”に執着するのか

「大統領令」の説明に入る前に、TPP離脱に関して、説明しておこう。大統領選挙中、トランプ大統領は自由貿易協定がアメリカから雇用を奪ったと主張していた。また、多角的通商交渉ではアメリカの利益を主張できないと考えている。多角的交渉をまとめるには妥協が不可避だからである。そこでトランプ大統領はアメリカの利益を最大限確保するために、アメリカの立場を強く主張できる二国間で通商交渉する方針を打ち出したのである。

二国間交渉は、過去の例を見ると、アメリカにとって圧倒的に有利である。たとえば日米通商交渉を振り返ってみると、繊維交渉で始まり、カラーテレビ、鉄鋼、自動車、半導体などで交渉が行われてきた。常に日本は貿易黒字と安全保障という2つの頚木(くびき)をはめられ、妥協を強いられてきた。自動車交渉では日本の自動車メーカーは対米輸出台数の“自主規制”を強いられた。日米半導体協定では、日本の半導体産業は製品開発、投資を制約され、その間に韓国のサムスンとアメリカのインテルが積極的な投資を行い、世界市場を席捲していった。それ以降、世界市場でトップのシェアを持っていた日本の半導体産業は衰退の道を歩むことになる。また、日本製品の対米輸出規制だけでなく、日本市場の開放も迫られ「日米構造協議(Structural Impediments Initiative)」(後に「日米包括経済協議」と改称)で国内市場の開放を迫られた。また「日米円ドル委員会」で金融自由化を約束させられた。筆者は当時、記者として日米交渉を取材していた。当時の駐日大使が「日本市場を開放することはアメリカのためではなく日本の消費者のためである」と、アメリカの要求は決してアメリカのエゴではないと主張していたことを覚えている。

日本政府はトランプ大統領の二国間交渉に激しく抵抗するだろう。ただ、トランプ大統領が貿易不均衡の是正を主張するなら日本政府も対応に苦慮するだろう。マクロ経済的に言えば、二国間での貿易均衡を主張する論理的な根拠はないが、トランプ大統領がそうした経済学的な発想をするとは思えない。加えて、安全保障でアメリカ依存を最優先する安倍首相にとっても、どこまでアメリカの圧力に耐えられるか疑問である。また、二国間交渉は戦後の世界の貿易体制に対する挑戦でもある。GATTに始まる戦後の貿易体制は多角的な通商条約を締結することで、関税引き下げや自由貿易を促進する狙いがあった。二国間交渉では、世界の貿易システムに大きな歪みがでてくるのは避けられないだろう。今回の「大統領覚書」は、単にアメリカのTPP離脱だけでなく、こうした深刻な影響を及ぼす可能性がある。

4.「大統領令」の法的な根拠と有効性

次に「大統領令」あるいは「大統領覚書」とは何かを考えてみよう。オバマ大統領は議会によって通商交渉権限(Fast Track Authorization)を与えられ、その法律に基づいて交渉を行ってきた。この権限は大統領が通商交渉を始めることを認めると同時に、成立した条約に対して議会は単に成否を決めるだけで内容に修正を加えることができないことになっている(これを“fast track”という)。だが、トランプ大統領の「大統領覚書」は議会の審議を経ることなく交渉からの離脱を宣言し、通商政策を大きく転換した。NAFTAやTPPを推進してきたのは共和党である。大統領の決定に対して共和党議員から批判の声も上がっている。だが、現状では、議会は大統領の政策転換をチェックすることはできない。大統領に大きな権限を与える「大統領令」や「大統領覚書」に、どのような法的根拠があるのだろうか。

議会調査局(CRS)の報告『Executive Orders-Issuance, Modification, and Revocation(大統領令―発行、修正、取り消し)』(2014年4月16日)と他の資料を使って説明する。CRSによれば、「大統領令、大統領覚書、大統領声明は、政策目標を達成したり、行政府の運用基準を設定したり、あるいは民間人の行動に影響を与える狙いで政策に関する政府の見解を示すために、大統領が出すことができるものである。合衆国憲法は大統領の政策手段に関して規定しておらず、大統領に命令、覚書、声明を出す権限を明確には与えていない。にもかかわらず、そうした命令は大統領に固有の権限として受け入れられている。さらに、そうした命令が適切な権限に基づいているなら、法律と同じ力と効力を持つことになる」と説明されている。

なぜ憲法に明確に規定されていない権限を大統領は行使することができるのか。アメリカは建国の際、権力が特定の部門に集中することを避けようとして相互チェックを目的とした“三権分立”の原則が打ち立てられた。三権とは、立法府、行政府、司法である。大統領には法律で権限が付与されていない政策決定を実施する権限は与えられていない。大統領権限は、憲法か議会で認められたものに限定されている。その意味からすれば、大統領は自分の政策目標を達成するために“勝手”に「大統領令」を出してはならないことになる。これが通常の解釈である。歴史的にいうと、アメリカでは議会の権限が大統領の権限より強いのが特徴である。アメリカでは、最初に議会ができ、政府は後になって制度化されたものである。

「大統領令」あるいは「大統領覚書」は、大統領が行政機関の責任者に対して行政を執行の仕方を“指示”するために出されるものである。それは日本の官庁の「通達」あるいは「行政命令」に近い。たとえば「大臣通達」が出れば、官僚は通達に従わなければならないのと同じである。

「大統領令」は政府の内部通達であるが、官報である「連邦公報」(日本の官報)に掲載することが義務付けられている。これに対して「大統領覚書」と「大統領声明」にはそうした義務は課されていない。今回のTPP離脱は「大統領覚書」として出されており、連邦公報に掲載する必要はないが、トランプ大統領は通商代表部代表に連邦公報に掲載するように指示しているのは、そのためである。「大統領令」は連邦公報に掲載されてから30日後に効力を発する。したがって、通商代表部代表がTPP関係国に書面で離脱を通告するのは、連邦公報掲載後、30日を経過してからになる。大統領が「大統領覚書」や「大統領声明」の内容が“一般的適用性”と“法的効果”があると決めた時は、それを連邦公報に掲載するよう指示することになる。トランプ大統領が通商交渉代表部代表に「大統領覚書」を連邦公報への掲載をように指示したのは、このためである。当然のことながら、「大統領令」と「大統領覚書」で違法行為あるいは違憲行為を指示することは認められない。したがって、「大統領令」の合憲性を巡って最高裁で争われることもある。

5.大統領は“暗黙の法的権限”で「大統領令」が出せる

なぜ大統領は、憲法や法律に明確に規定されていない権限を行使することができるのか。憲法に“明文化”されていないが、憲法の解釈によって「大統領令」を出すことは可能とされている。その解釈の根拠は、憲法第2章第1条の「執行権は大統領に属す」、同3条の「大統領は法律が忠実に執行されることに留意する必要がある」にある。この憲法の規定によって、大統領は議会の法的措置によらずに「大統領令」などを出す「暗黙の法的権限(implied statutory power)」が与えられていると解釈されている。議会と政府は権限を巡って争ってきた。基本的な考えは、すべての権限は議会にあるが、議会が一部の権限を大統領に移譲したというのが、アメリカの基本的な規則である。ただ、大統領は権限の拡大を常に求めてきた。その際に使われたロジックが「暗黙の権限」であり、「一般的な利益」という考え方である。「大統領令」も、そうした例のひとつである。

アメリカの法律は英米法の基本である「慣習法」あるいは「判例法」で、法律の内容が細かく条文化されている訳ではない。大陸ヨーロッパや日本の法律は「成文法」といわれ、法律の内容が条文に詳細に書かれている。合衆国憲法は日本の憲法に比べると極めて簡潔である。それだけに、どう解釈するかが重要になる。

余談になるが、アメリカでは憲法解釈が重要であり、また解釈が大きく変わることもある。1973年に最高裁は「ロー対ウエイド裁判」で女性の中絶権を認めたが、その根拠として中絶を禁止することは憲法修正第9条の「不合理な捜査、押収、抑留の禁止」と第14条の「市民権、法の適性な適用、平等権」で保障されている「プライバシー保護」に反するという理由を上げている。正直、この条文をどう読んでも中絶禁止が憲法違反になるという理解は出てこない。だが、判例主義のアメリカではこれが判例となって、基本的に中絶は認められることになった。だが、保守派のキリスト教徒や共和党議員、そしてトランプ大統領は「ロー対ウエイド判決」を覆すことを政治目的に掲げている。中絶を禁止しようということだ。憲法はどうにでも解釈できるからこそ、後になって逆転解釈も可能なのが慣習法の特徴でもある。

もうひとつ余談だが、現在、最高裁判事の1人欠員となっている。トランプ大統領は中絶反対派の判事を指名する意向を明らかにしている。最高裁判事は9名だが、1人欠員であるため、現在の勢力図は保守派4名、リベラル派4名と拮抗している。次の最高裁判事が保守派から任命されれば、勢力では保守派が多数派を占めることになる。このテーマについては、トランプ大統領が最高裁判事候補を指名した時に詳論する予定である。

6.「大統領令」の修正、廃棄はできるのだろうか

本論に戻れば、大統領が出した「大統領令」をチェックする法的な仕組みは存在するのだろうか。法律の専門家や議員の中には、大統領の一方的に決めた「大統領令」は民間人の利害に影響を与え、議会の権利を侵害するものだと主張している者もいる。繰り返して言えば、「大統領令」は行政府の責任者に対する指示であるが、結果的に一般市民の権利に大きな影響を与えるものである。極論すれば、大統領は市民の権利を一方的に制限することも論理的には可能である。では、そうした事態に対して、チェックする機能はあるのだろうか。

1952年に最高裁は「大統領令」の合法性を巡って審議を行っている(Youngtown Sheet & Co. vs. Sawyer裁判)。この時の訴訟の対象になったのは、朝鮮戦争の際にトルーマン大統領が商務長官宛てに出した労働組合のストを禁止する「大統領令」である。この「大統領令」に対してヤングタウン製鉄会社が異議を申し立てた。結論から言えば、最高裁はトルーマン大統領の「大統領令」は憲法違反であるとの判決を下した。1人の判事は「『大統領令』などの命令を出す大統領権限は議会の法律か憲法から発するものである」、「『大統領令』は立法行為であり、大統領に立法行動を認める法律も憲法の条文の存在しない」と、「大統領令」が違憲である理由を述べている。アメリカでは政府に立法権はない。しかし、「大統領令」は、政府による立法行為であるというのが、判決の論点である。さらに、最高裁は「大統領が暗黙の憲法上の権限(implied constitutional power)を持つという意見」をも拒否した。

この判決に対して一部の判事から反対意見も出された。最高裁の判決は多数決で決められるが、少数派の判事は反対意見を述べることができる。それによると、大統領権限は議会との関係で固定されたものではなく、流動的なものであり、議会が大統領に権限を与えていないか、大統領の権限を否定していない場合(要するに議会が明確な判断を下していない場合)、大統領は自らの独立した権限に基づいて行動することはできるというものであった。

別の違憲判決もある。1995年にクリントン大統領は、連邦政府機関はストライキ中の労働者に代わる労働者を採用した雇用主と契約を結んではならないという規則を作るように労働長官に命ずる「大統領令」を出した。だが、最高裁は、この「大統領令」を無根であるという判断を下した。理由は、全国労働関係法の条文に反するというのが理由であった。

最高裁が「大統領令」を全面的に支持した判決もある。1982年にレーガン大統領が出した「大統領令」である。当時、アメリカとイランと対立関係(イランの米大使館がイスラム原理主義者に占拠される事件が起こっていた)にあり、アメリカは対抗手段としてイランの資産凍結を行っていた。レーガン大統領は、イラン人の資産に対する非イラン人の権利を無効にするという「大統領令」を出した。この「大統領令」を巡る係争があり、最高裁は「1977年国際緊急経済権限法(International Emergency Economic Powers Act)」で、安全保障や外交政策、経済に重大な危機が及ぶと想定される場合、外国人の資産没収や貿易制限ができることを定められていることから大統領に広範な権限が付与されていると解釈し、同「大統領令」を合憲と判断した。

要するに、最高裁に持ち込めば、内容次第では「大統領令」が違憲だとの判決が出る余地は十分にあるということだ。もし誰かがTPP離脱を指示した「大統領令」は違法であると訴えれば、その合法性は最高裁の判決に委ねられることになる。

7.議会は「大統領令」を無効にすることはできるのか

最高裁の判断は別にして、大統領や議会がチェックすることは可能なのだろうか。CRSの報告の中に「大統領は前任者の出した大統領令を無効にしたり、修正したり、停止する自由がある」と指摘している。トランプ大統領は、オバマ大統領が出した「大統領令」の全てを無効にする意向を明らかにしている。過去において、現大統領が前大統領の「大統領令」を無効にした例はたくさんある。2009年に大統領に就任したオバマは「大統領令13528号」を出して、ブッシュ前大統領が出した「大統領令」と、「大統領令」を実施するためのルール、指針、政策をすべて無効にするように行政機関の責任者に指示している。

「大統領令」を無効にできるのは現職の大統領に留まらない。議会も権限を持っている。CRSの報告では「議会は、直接、『大統領令』を廃棄するか、あるいは間接的に大統領の行動が依拠する権限を奪うことで、『大統領令』の一部、あるいは全部を廃棄することができる」と説明している。要するに、議会が「大統領令」は法的な効果を持たないという法律を成立させれば良いのである。ただ議会が『大統領令』の廃棄に成功した例は少ない。なぜなら、議会が「大統領令」を無効にする法案を成立させても、大統領が拒否権を発動することができるからだ。大統領の拒否権を打ち破るには議会の両院で議員の3分の2の支持が必要である。議会が「大統領令」を修正したのは4%未満に過ぎない。議会には別の方法もある。それは、「大統領令」を執行するために必要な予算措置を講じない方法である。具体的には、議会は予算権を持っており、「大統領令」を執行する役所の経費や人件費を規制する、あるいは「大統領令」の特定の内容の執行に対して予算を付けないという方法である。TPP離脱やNAFTA再交渉で議会がどう動くか分からないが、チェックする道はないわけではない。

8.大統領にとって「大統領令」は強力な政策手段である

過去の例を見ると、歴代大統領は「大統領令」「大統領覚書」「大統領声明」を政府の政策実施のための強力な手段として使ってきた。最初の「大統領令」は、1789年6月にジョージ・ワシントン初代大統領によって出されている。「大統領令」が頻繁に使われるようになったのは第一次世界大戦以降である。「1917年戦争権限法」によって大統領に敵国と関連する貿易や経済などを規制する一時的な法律を作る権限が付与された。この時の大統領はウードロー・ウィルソン大統領で、同大統領は1803件の「大統領令」を出している。ウィリアム・タフト前大統領が出した「大統領令」は724件であるから、その増加ぶりがわかるだろう。フランクリン・ルーズベルト大統領も大恐慌を国家的緊急事態と宣言し、ニューディール政策を実行するために多くの「大統領令」を出している。さらに第二次世界大戦に伴って多くの「大統領令」を出している。在任期間中に出された「大統領令」の数は3522件に及んでいる。その中には1942年2月に日系アメリカ人の抑留を決めた「大統領令」がある。その「大統領令」に基づき12万人以上の日系アメリカ人の収容所への強制的な抑留が、議会の審議を経ずに行われた。「大統領令」が持つ大きな問題点である。ただ、後にレーガン大統領は日系アメリカ人の強制的な抑留は過ちであると認め、謝罪し、慰謝料を払っている。

オバマ大統領は大統領に就任した直後の2009年1月21日に最初の「大統領令」を出している。その「大統領令」でオバマ大統領は自分の個人情報の開示を禁止した。その理由は、オバマ大統領はアメリカ人ではないという陰謀論に対抗するものが目的であった。オバマ大統領は8年間に計275件の「大統領令」を出している。ブッシュ大統領は291件、クリントン大統領が364件である。最も多くの「大統領令」を出している大統領は、フランクリン・ルーズベルト大統領で合計3522件であった。おそらく、トランプ大統領は多くの「大統領令」を出して、自らの政策の実現を図ろうとするだろう。

以上に見たように、「大統領令」あるいは「大統領声明」は大統領に巨大な権限を付与していることが分かる。議会で法律の成立を待つことなく、大統領は政策を実施できる権限を“暗黙”のうちに付与されている。現在、アメリカでは大統領権限が肥大化しているとの批判も出ている。極論すれば、こうした制度の下で独裁的な大統領が誕生する可能性も否定できない。トランプ大統領は極めて“権威的”な大統領である。選挙運動中も、大統領に就任しても、メディアを無視し続け、広く議論をすることなく、また政策に関する具体的な説明をすることなく一方的かつ断定的にツイッターを通して情報を発信する手法を取っている。「政府の言うことを聞け」という“権威的”な姿勢は、ロシアや中国にも通じるものである。ある意味では、議会やメディアがチェック機能を果たさないと、アメリカ民主主義の空洞化も起こりうるだろう。

【大統領令で実施できる政策】

1.    テロ国家からの移民の規制

2.    最高裁判事の指名(上院の承認が必要)

3.    TPP離脱(発表済み)

4.    中国を為替操作国に指定

5.    連邦規制の制限

6.    環境規制の縮小

7.    オバマ政権の銃規制に関する措置の破棄

8.    キーストーンXLパイプライの建設承認(発表済み)

9.    ロビー活動の規制強化

10.    連邦政府職員の採用凍結(発表済み)

11.   不法移民の保護措置の解除

12.   国連環境プログラム拠出の中止

【議会の承認が必要な政策】

1.    オバマケアの廃棄

2.    国境での壁の建設(議会による予算措置が必要)

3.    コモン・コア(全国統一学習到達テスト)の廃止

4.    安全保障関連法案

5.    減税法案

6.    インフラ投資法案

7.    倫理規制法案

8.    元議員によるロビー活動規制

9.    法律執行強化法案

10.   育児関連(child care)法案

【おそらく議会の承認が必要な政策】

1.    不法移民の強制送還

2.    NAFTAの再交渉

3.    海外進出企業に対する関税

4.    サンクチャリー・シティ(移民を保護する都市)への補助金廃止

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

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