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トランプの研究(8):トランスジェンダーと“トイレ法”-米国の「政治」と「宗教」と「性」の奇妙な関係

中岡望ジャーナリスト
トランスジェンダーの学校でのトイレ利用の制限を発表したデボス教育長官(写真:ロイター/アフロ)

内容

1.「宗教」抜きで語れないアメリカの政治と社会

2.今でも根強くある中絶反対論

3.トランスジェンダーの壮絶な実態

4. トランスジェンダーのトイレ利用問題の変遷

5.焦点は連邦政府レベルから州政府レベルへ

6.増えるトランスジェンダーのトイレ使用制限

7.方向転換を決めたトランプ大統領

8.トランスジェンダーのトイレ利用を巡る司法長官と教育長官の確執

9.反LGBTQ法の動きと「宗教の自由」

10.英語のトレビア:”bathroom”と”toilet”の違い

《追記》最高裁はギャビン・グリム裁判の差し戻しを決定(3月12日記入)

1.「宗教」抜きで語れないアメリカの政治と社会

日本人にとってアメリカのことで一番理解しにくいのは、「政治」と「宗教」の関係ではないだろうか。アメリカでは「政教分離の原則」が憲法修正第一条で規定されており、宗教が政治に影響を及ぼすことはないと考えられる。しかし、現実はかなり違う。政策を巡る争いの背景には常に宗教的な倫理問題が存在している。特にキリスト教原理主義者と呼ばれるエバンジェリカルは、共和党の最大の支持基盤であり、直接的、間接的に政治過程に関与している。彼らの影響力を無視してアメリカの政治を語ることはできない。

共和党の大統領予備選挙で必ず候補者に問いかけられる質問に「神の存在を信じるか」というのがある。少し古いが、ギャロップの調査(2011年6月3日)では「神の存在を信じるか」という問いに対して、「信じている」と答えたアメリカ人の割合は92%であった。ちなみに1967年の調査では「信じている」と答えた割合は98%と、圧倒的にアメリカ人は神の存在を信じていた。

昨年末、筆者はアメリカと南アメリカの留学生と会食する機会があり、話は「神の存在」に移った。日本人は非宗教的で、大多数の日本人は神の存在を信じていないのではないかと思う。そんな話をしたら、二人の学生は「神は絶対に存在する」と最後まで言い張った。また、筆者がアメリカの「インテリジェント・デザイン論(天地創造説の現代版)」に関して『東京新聞』に記事を書いたとき、それを読んだ大学の後輩の日本人からメールが届き、「自分は進化論を信じない」と書いていた。彼はクリスチャンで、知性のある人物である。キリスト教徒でも、主流派プロテスタントは『聖書』を歴史的な文書であると評価する傾向にあるが、エバンジェリカルなど原理主義的なキリスト教徒は『聖書』は神の言葉であり、信仰の証なのであろう。

2014年6月4日のギャロップの調査では『聖書』を神の実際の言葉であると信じている人は47%、字句通りには受け取らないが、それでも神の啓示に基づいて書かれたものだと答えた人は28%であった。これに対して『聖書』は歴史的な文書であり、伝説であると答えた人はわずか21%に過ぎなかった。進化論も同様で、2014年6月2日のギャロップ調査では、「神が現在の人間を創造した」と考えている人は42%、「神の導きによって進化した」と答えた人は31%、「神とは関係なく進化した」と答えた人はわずか19%であった。

2.根強い中絶反対論

多くの保守的なアメリカ人は、当然のことながら、妊娠中絶を否定する。彼らは、子供が生まれるかどうかは神の意志で決まるもので、人間が選択すべき事柄ではないと考えている。アメリカでは長い間、産児制限すら罪と考えられていた。現在でも、避妊など家族計画の啓蒙活動をしている「全米家族計画連盟(Planned Parenthood Federation)」に対する保守派の攻撃は凄まじいものがある。トランプ大統領が就任直後に出した最初の大統領令のひとつが、海外で避妊教育活動をしている民間団体への政府の資金援助の打ち切りがあった。同様な政府支援を打ち切りは、ブッシュ大統領も就任直後に行っている。オバマ大統領は就任直後に、そうした民間団体への支援再開の決定を行っている。大統領が代わるたびに政策も変わっている。

妊娠中絶を支持するかどうかも、共和党の大統領候補選びで重要な基準になる。具体的には、大統領候補者は最高裁の「ロー対ウエード裁判」の判決を支持するかどうかが問われる。1973年に判決が出た「ロー対ウエード裁判」の判決は、女性の中絶権を初めて認めた。しかし、最高裁の判決後も中絶の是非を巡って、賛成派の「プロ・チョイス」(女性の選択権を支持する人々)と、反対派の「プロ・ライフ」(胎児の生命を重視する人々)の間で厳しい対立が続いている。「ロー対ウエード裁判」は、上院で最高裁判事を承認する際の重要な判断基準にもなっている。同性婚も同様に、最高裁が合憲判決を出したにも拘わらず、リベラル派と保守派の大きな争点になっている。保守的なアメリカ人にとって、結婚は家族を作り、子供を産むためのものである。そうした結婚観からすれば、同性婚を認めることができないのは当然である。キリスト教的な倫理観が常に政治に密着して存在している。アメリカは極めて宗教的な国家なのである。そのことを理解しないと、アメリカで起こっている事柄の意味を十分に理解することはできない。

現在、問題となっているのは、トランスジェンダー(性統一性障害)の学生の学校の「トイレ利用問題」である。オバマ大統領は、トランスジェンダーの学生は自分の性的な「アイデンティティ(sex identity)」に基づいてトイレや更衣室など学校施設の利用を認めるガイドラインを出した。だがトランプ大統領が、トイレや更衣室などは生まれた時の性に従って利用すべきだと、オバマ大統領のガイダンスを撤回する声明を出した。トランプ大統領の決定が大きな波紋を引き起こしている。日本人にとって一体何が問題なのか理解しにくい。ただトランプ大統領の決定は突然出てきたものではない。その背後に何があるのだろうか。以下、まず今までのトランスジェンダーのトイレ利用問題の経過と問題点を説明しておこう。

3.トランスジェンダーの壮絶な実態

周知のことかもしれないが、“LGBTQ”について説明しておく。日本では“LGBT”と書くのが普通であるが、最近、アメリカでは”LGBTQ”と表現されるようになっている。”L”は「レスビアン」、”G”は「ゲイ」、”B”は「バイセクシャル」、”T”は「トランスジェンダー」を意味する。最後の”Q”は「クイアー(Queer)」で、その意味は性的なマイノリティという意識はあるが、まだどこのカテゴリーに属すのか判断できないでいる人を指す。ただ、意味は同じだが、”Questioning”の”Q”だとの説もある。

現在、アメリカでは”LGTBQ”の状況を概観すると、LGBTQの人口は約1000万人、人口比で約4%を占め、社会的に無視できない存在になっている。おそらく筆者の感覚では、実数はもっと多いのではないかと思われる。それにも拘わらず、学校や職場でLGBTQの権利を守る連邦法は存在していない。州別にみると30の州では性的なオリエンテーション(sexual orientation)に基づく差別を禁止する法律はあるが、28の州にはそうした法律は制定されていない。むしろ最近ではLGBTQに対する反発も強まっており、2017年1月現在で19の州で50件を超える「反LGBTQ法」が提出されている。

アメリカにおけるトランスジェンダーの実情について紹介しておく。資料はNational Gay and Lesbian Task Forceの調査報告「Injustice at Every Turn― A Report of the National Transgender Discrimination Survey」による。調査対象は6450名。アンケート方式による調査で、トランスジェンダーが置かれている社会的、経済的な状況がいかに厳しいかが明らかになっている。同報告は「トランスジェンダーの回答者は極めて厳しい貧困のなかで生活している」と指摘している。年収1万ドル以下が15%を占める。一般の人の場合、その比率は4%であるから、その比率の高さが際立っている。10万ドル以上は14%だが、一般の人の場合、25%であるから、富裕層でも大きな差が付いている。自殺を図ったことがあると答えた回答は、実に41%に達している。

義務教育時代にいじめにあったことのある人は78%、肉体的に攻撃されたが35%、性的な暴行を受けたが12%であった。その結果、15%が義務教育から脱落している。そのことが低所得の要因のひとつになっている。47%が職場でもトランスジェンダーを理由に採用されなかったり、解雇されたり、昇進で差別された経験があると答えている。差別を怖れて71%がトランスジェンダーである事実を隠すか、性転換を遅らせている。正規の仕事に就けないため、16%がドラッグの売人や売春を行っている。19%がアパートの賃貸を拒否された経験があり、11%が一時期にホームレスになったことがあると答えている。自分の家を持っているのは32%で、全国平均の67%の半分以下である。19%がトランスジェンダーを理由に医者から診療を断られた経験がある。病気になったとき差別を受けたと答えた人が28%、医療費が払えず医者に行かなかったが48%である。調査からトランスジェンダーの壮絶な生活の状況が明らかになっている。

もうひとつの調査も紹介しておく。The National Center for Transgender Equityの「The 2015 Report of the U.S. Transgender Survey」である。その調査によれば、35%がお金がないために書類上で名前の変更ができなかったと答えている。32%が身分証明書の性と自分の姿が一致しないかったため、嫌がらせを受け、サービスの提供を受けることができなかったと答えている。55%が保険会社から性転換の手術代の支払いを拒否され、23%がホルモン治療の費用の支払いを拒否されたと答えている。幼稚園から高校の間にトランスジェンダーと分かった時、77%が何らかの嫌がらせを受けたと答えている。

LGBTQの中で最も厳しい差別に直面しているのは、トランスジェンダーであることは間違いない。この20年でアメリカ社会では同性愛者はそれなりに市民権を得たが、それ以前は同性愛者であるとカムアウトすることは、社会的地位を失うことを意味した。それと比べると、トランスジェンダーの人権はまだ十分に守られているとは言えない。トランスジェンダーのトイレ利用問題は、その象徴的な出来事といえるかもしれない。

4.トランスジェンダーのトイレ利用問題の変遷

トランスジェンダーのトイレ利用の問題は2012年から始まっている。まず、オースティン市、バークリー市、フィラデルフィア市、サンタフェ市、シアトル市で”single-user all-gender restroom”を決めた法律が成立している。当初は学校で行われていたが、次第に美術館やレストランでも採用されるようになっていく。トランスジェンダーのトイレ利用につながる政策として、2015年にホワイトハウス内の執務フロアーに「gender-neutral bathroom(性的に中立的なトイレ)」を設置している。これによって性別にかかわりなく、同じトイレを利用できるようになった。このトイレの入り口には、「男性」と「女性」を示す絵だけでなく、半分が男性、半分が女性の絵が加えられた案内板が置かれている。

オバマ大統領は、2013年1月21日に行った大統領就任演説で、「私たちの旅は同性愛の兄弟姉妹が法の下で他の人と同様に扱われるようになるまで終わらない」と述べ、さらに2015年1月の施政方針演説で「表現の自由を守り、政治犯を擁護し、女性あるいは宗教的少数派、レスビア、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーといった人を糾弾することを批判する」と語っている。2014年12月にオバマ政権のエリック・ホルダー司法長官が、1964年公民権法はジェンダーに基づく差別にも適用されるとの立場を明らかにし、オバマ大統領は公民権をLGBTQにも適用されるように変更した。

2015年1月7日と2016年5月13日にオバマ政権の教育省から学校におけるトランスジェンダーのトイレ利用に関する書簡が送付された。2016年の通達の内容を簡単に紹介する。

同書簡は「全国の学校はすべての学生に対して支援的で、安全、そして非差別的な環境を整備し、維持するように努める」ことの必要性に触れ、「近年、トランスジェンダーの学生に関する公民権上の保護に関して、両親、教師、校長、学校監督者から非常に多くの質問を受け取っている。1972年教育修正法(Education Amendments of 1972)と同法の執行規則は連邦政府の資金援助を得ている機関が行う教育プログラムと教育活動において性差別を行うことを禁止している。この禁止の中にはトランスジェンダーに基づく差別を含む学生の”gender identity”をベースにした差別も含まれる」と指摘している。本書簡は、トランスジェンダーの学生に関する教育修正法の義務を要約し、教育省と司法省が学校の義務順守をどのように評価するかを説明するものである」と、書簡の目的について述べている。

さらに”gender identity”を「個人が内面に持つ性意識(individual’s internal sense of gender)である」と説明し、「それは生まれたときに判断された『性別』とは同じ場合も、異なる場合もあると指摘している(a person’s gender identity may be different from or the same as the person’s sex assigned at birth)」としている。さらにトランスジェンダーは「gender identityとは生まれたときの性とは異なること」として、「男性トランスジェンダー(transgender male)」は、生まれたときは女性として判断されたが、現在は自分を男性として認識している人と説明している。女性トランスジェンダー(transgender female)は、その逆になる。いずれにせよ、同書簡はトランスジェンダーの規定を明確化している。

問題となっているトイレ使用の件に関しては、次のように説明されている。「性によって区分されている活動と施設」と題する項目に「トイレとロッカールーム」に関する規定に「学校は性に基づいて個別の施設を提供することはできるが、トランスジェンダーの学生が自分のgender identityと一致する施設を利用することを認めなければならない。学校は自分のgender identityと一致しない施設の使用、あるいは個人用の施設の使用をトランスジェンダーの学生に要求することは認められない」と書かれている。要するに、学校はgender identityが女性の学生が、女性用トイレを使うことを拒否することはできないのである。

また、運動に関して「教育修正法は競争的なスキルに基づいてチームの選抜が行われる時か、体の接触を伴う運動の時は、学校が性別の運動チームを結成したり、後援することはできる。しかしトランスジェンダーの学生と同じ性の他の学生の間の違いについて過剰な一般化あるいは既成概念に依拠するような条件を採用することは認められない」と規定している。例えば、トランスジェンダーで男子の学生が、男子の野球チームへの参加を求めた場合、学校は拒否してはならないのである。

5.焦点は連邦政府レベルから州政府レベルの問題へ

こうした政府の動きに対応する自治体も出てきた。ノース・カロライナ州シャーロット市は2016年2月22日、市議会が差別を禁止する条例に「LGBTに対する差別を禁止」する条項を加えることを7対4の多数で決めた。ただ票決に際して賛成派と反対派が対立し、市議会は3時間にわたって紛糾した。それから2か月後に、前述の教育省から2度目の通達が出されている。

それまでの差別禁止条例には、人種、宗教、国籍による差別を禁止するという内容であった。新たに加えられた差別禁止項目は、LGBTの差別禁止である(条例には”sexual orientation, gender expression, gender identityが具体的に指定されている)。レストランなどの公共の場でのLGBTに対する差別を禁止するものであるが、特に注目されたのは「トイレ使用に関する項目」である。生物学的に男性だが、トランスジェンダー上女性である人物が女性用トイレを使うことを認める内容が含まれていた。そのため同条例は「トイレ法(bathroom bill)」と呼ばれた。「トイレ法」に反対する人々は、「女性に扮した男性が女性トイレに入ってきて、女性に危害を加えるかもしれない」と主張した。賛成派は、「そうしたリスクはない。むしろトランスジェンダーは現在、男性用トイレを使う際に暴力に晒されるリスクに直面している」と反論した。

シャーロッテ市の話はここで終わらない。アメリカの法的な仕組みをいえば、州議会は各自治体の権限を上回る権限を持っている。すなわちノース・カロライナ州議会は、各自治体が制定した条例に対する最終決定権を持っているのである。州議会で否決されれば、市条例は無効になる。シャーロッテ市の条例が可決されると、州議会が緊急招集された。州議会の上院、下院は共和党が多数を占めており、シャーロット市条例を無効とする法案が成立した。これに反対する民主党議員が投票を拒否し、退席する異例な状況の中で投票が行われ、32対0でトランスジェンダーのトイレ利用を規制する法案が成立した。同法によって、ノース・カロライナ州ではすべての市町村でトイレは生物学的な性に基づいて使用することが義務付けられた。この法律は「bathroom act(トイレ法)」と呼ばれている。

保守派は各地でオバマ政権の決定に異議を申し立てた。11州がオバマ政権の大統領令は違法であると訴訟を起こした。5月3日、イリノイ州の女子学生たちが州地方裁判所にオバマ政権のトランスジェンダーのトイレ使用に関する決定は、女子学生のプライバシーに関する基本的人権に反するうえ、親が子供に道徳的な規準や価値観を教える権利を侵すものであると訴えた。これとは全く逆に5月5日、イリノイ州パラタイン市の51家族が、トランスジェンダーの学生のトイレ利用を制限していると、市教育委員会を訴えた。同市は教育省によって教育修正法に違反していると指摘されていた。最終的に連邦政府の資金援助が打ち切られることを懸念した市は、トランスジェンダーの学生のトイレ使用の規制を解除した経緯もある。

6.増えるトランスジェンダーのトイレ使用制限

2016年2月、サウスダコタ州議会は、公立学校の生徒に自分の生物学的な性に従ってトイレや施設を利用することを要求する法案を可決した。だが、州知事は拒否権を発動し、最終的に法案は成立しなかった。同年3月にノース・カロライナ州議会もトランスジェンダーの生徒が自分の生物学的な性と一致しないトイレやロッカー室の利用を禁止する法律を可決した。共和党議員は全員賛成したが、民主党議員は反対し、「この法案は平等と市民権と地方自治に対する恥ずべき挑戦である」と批判の声明を発表した。また全米バスケットボール協会(NBA)は、抗議の意味を込めて、同州の最大の都市シャーロットでのオールスター戦を中止した。9月にカリフォルニア州議会では、すべてのトイレを”gender-neutral”にすることを義務付ける法案が成立した。カリフォルニア州は”gender-neutral bathroom”化を義務付けた最初の州である。

この問題は法廷にも持ち込まれた。ヴァージニア州の高校で男性トイレの使用を求めるトランスジェンダー上の男子学生ガヴィン・グリム(Gavin Grimm)がグロウセスター郡教育委員会を訴えた(Gloucester County School Board v. G.G裁判)。2016年4月にリッチモンドの連邦控訴裁判所は原告の訴えを認める判決を出した。その際の判決の根拠となったのは、オバマ政権のトランスジェンダーのトイレ使用に関するガイドダンスであった。だが、教育委員会は最高裁判所に上告し、最高裁はそれを受理した。トランスジェンダーのトイレ利用問題の最終判断は、現在、最高裁に持ち込まれている。

ただ11月の大統領選挙でトランプ候補が勝利したことで、最高裁は12月8日に審理スケジュールを先延ばしにすることを決めた。さらに後述するように、トランプ政権はオバマ政権のガイダンスを撤回する決定を下し、状況が大きく変わってきた。その新しい展開の中で、最高裁がどのような判決を出すか興味深い。

最高裁は2017年2月23日に原告と被告の弁護士に対して訴訟事件摘要書を提出するように求めた。9名で構成される最高裁判事は現在一人欠員で、8名での審理になる。ただ、保守派4名、リベラル派4名と割れており、どのような判断がくだされるか予想できない状況である。ただトランプ大統領が指名した新判事候補が上院で承認され、審理の加わることになれば、保守派寄りの判断がくだされる可能性が強い。

2016年8月22日、テキサス州の連邦地方裁判所が重要な判決をくだした(後述するが、この判決がトランプ政権によるオバマ政権のガイダンスを撤回する論理的な根拠になった)。リード・オコーナー連邦判事は、ガイダンスの適用差し止め命令を下した。その根拠は、政府が学校における性差別を禁止した教育修正法によって与えられている権限を逸脱しているとの判断である。さらに、同判事は、あるsexの学生に提供された施設は他のsexの学生に提供された施設と同じものでなければならないと教育修正法で規定されていると指摘。ここでいう”sex”という用語は、生まれた時に決まる男子学生と女子学生の生物学的、身体的な構造の違いを意味する。「教育機関が男子学生と女子学生に別々の住宅を提供し、人間の性的な事柄に関して別々の教育的指導を行うことは学生のプライバシーを守ることである」と判決理由を説明している。要するに生物学的な規準で男女を別々に扱うのは問題ないということである。

同判事は、ガイダンスの設定に際して、教育省は十分な法的な手続きを取っていないとも指摘している。さらにトイレや更衣室の利用に関して学生の権利とプライバシーのバランスを取るのは難しいこと、またどの学生も学校で不必要に無視されてはならないとも述べている。

National Conference of State Legislativesの調査によれば、2017年1月に始まった新議会で14の州でトランスジェンダーのトイレや更衣室の利用を制限する法律が提案されている。この州の中には比較的リベラルな州とみられているワシントン州やニューヨーク州なども含まれている。さらに12の州では法案提出が検討中である。

7.方向転換を決めたトランプ大統領

トランプ大統領は、トランスジェンダーのトイレ利用問題をどう考えているのだろうか。彼の発言をフォローすると、必ずしも反LGBTQの立場を主張していたわけではないことがわかる。大統領予備選挙の最中の2016年4月22日に行った演説で、「トランスジェンダーの人は自分が最も心地良いと感じるトイレを使用することを許されるべきだ」と語っている。さらに「ノース・カロライナ州のトランスジェンダーのトイレ使用に関する規制法は州から企業の大量の脱出を引き起こした」と述べている。

さらに大統領就任後の1月31日に、ホワイトハウスはトランプ大統領の声明を発表している。その声明には「トランプ大統領は職場におけるLGBTQ社会の権利を守る大統領令を執行し続ける。トランプ大統領は選挙を通して主張してきたように、LGBTQを含めるすべてのアメリカ人の権利を守る決意である。大統領は、共和党の大統領指名受諾演説の中でLGBTQ社会に言及し、LGBTQ社会を暴力と抑圧から守ると誓ったことを、誇りに思っている。職場における反LGBTQの差別から従業員を守ることを指示した2014年に(オバマ大統領によって)署名された大統領令は、トランプ大統領の指示によってそのまま効力を持つものである」と書かれている。

だが状況は一変する。2月22日、トランプ大統領は、オバマ政権の時にトランスジェンダーのトイレ利用ガイドラインを“撤回”すると発表した。その決定を受けて23日、司法省と教育省が学校に対してその旨を伝える共同書簡を送った。書簡には次のようなことが書かれている。

【ガイドライン撤回命令の要旨】

「このガイダンスの目的は、司法省と教育省が(2015年1月7日と2016年3月13日付で出されたオバマ政権が定めて)政策とガイダンスを撤回することを連絡することである」と述べている。

「(オバマ政権の)ガイダンスは1972年教育修正法とその執行規則にある“性に基づく”差別を禁止規定によりジェンダー・アイデンティティに基づいて性別に分けられた施設を利用することが必要であるという立場で書かれたものでる。しかし、このガイダンスは、その立場がどのように教育修正法の表現言語(express language)と一致するのか厳密な分析を含んでいないし、正規の公的な決定過程に耐えられるものではない」

「こうした解釈によって学校のトイレや更衣室に関しれ重大な訴訟を招く結果となった。リッチモンドの連邦控訴裁判所は、規則に書かれた“性(sex)”という言葉は曖昧であると結論付けたうえで、ガイダンスの”奇妙な“解釈に従ったものであるとしている。これとは対照的にテキサス州連邦地方裁判所(詳細は上で説明した)は、”sex”という用語は明確に生物学的な性を意味し、どう判断してもガイダンスは”法的かつ実質的なもの(legislative and substantive)“であり、そうした政策を採用する前に正式な立法手続きを取るべきである。テキサス州連邦地方裁判所は(性に関する)解釈を強制することを全国的に暫定的な差し止めを命令した。その差止命令は覆されていない」

「こうした状況に鑑み、教育省と司法省は、関連する法的な事柄をより完全に検討するために上記のガイドラインを撤回し、無効にすることを決めた」

そして最後に、「(オバマ政権の)ガイダンスの撤回は、学生を差別やいじめ、ハラスメントから守らないで放置することを意味するわけではない。すべての学校はLGBTの学生を含むすべての学生が安全な環境で学び、努力できる状況を確保しなければならない」

以上

8.司法長官と教育長官の対立

前述のようにトランプ大統領は、最初は「トイレ法」に批判的であった。だが強力にガイダンスの撤回を要求したのはセッションズ司法長官であった。同長官は、反対理由として「十分な法的分析が行われていない」ことを強調していた。さらに「国民による確認手続き(public vetting process)を経ていない」こともオバマ政権のガイダンス撤回の理由にあげている。撤回に伴う声明の中でセッション長官は、「連邦議会、州議会、地方政府はこの問題に対処するための適切な政策あるいは法律を採用する立場にある。司法省は教育修正法の適切な解釈と適用を維持すること、またLGBTQの学生を含むすべての学生を差別やいじめ、ハラスメントから守ることを継続する」と書いている。官僚的な分かりにくい表現だが、この文章はオバマ政権のガイダンスは法の適切な解釈と執行の面で問題あると指摘している。司法省の人権問題の担当者も「オバマ政権の大ダンスは教育政策の立案に際して州や地方の学区の主な役割に関する適切な配慮に欠ける、恣意的に決められたものである」と説明している。『ニューヨーク・タイムズ』(2月22日)は、セッションズ長官がオバマ政権のガイダンス撤回を急いだ理由として、オバマ政権の下で拡大した市民権を逆戻しすることと、2件の係争中のトランスジェンダーのトイレ使用に関する案件に対して政権の明確なメッセージを送ること、今後予想される訴訟に対応するためであると説明している。もともとセッションズ長官は、LGBTQの権利拡大に反対の立場を取っていたので、こうした主張は意外ではない。

他方、デボス教育長官は、オバマ政権のガイダンスの撤回はトランスジェンダーの学生に被害をもたらす懸念があると反対していた。だが二人の間の調整に入ったトランプ大統領がセッションズ長官に賛成したことで、デボス長官は辞任するか、大統領の決定に従うかの選択を迫られ、最終的にセッションズ長官に譲歩したと伝えられている。デボス長官は声明の中で「撤回するかどうかの決定は州レベル、地方レベルで行うのが最善である。学校、地域社会、家族は学生を守る解決策を見つけ出すことができる」と論点を外した声明を出しているのも、ホワイトハウス内の力学関係を反映したものであろう。

いずれにせよ、デボス長官はトランスジェンダーのトイレ利用問題は教育省の問題ではないという立場を取った。また同長官はツイートの中で「自分はLGBTQの学生を含むすべての学生を守ることを教育省の立場だけでなく、アメリカのすべての学校のために考えた」と釈明している。また、教育省の人権問題担当者に「学校で最も脆弱な立場にある学生に対する差別的な扱いの訴えがあれば調査するように命令している。これは、デボス長官の最低限の抵抗である。

トランプ政権は、この問題は「連邦政府の問題」ではなく「州政府の問題」であるという立場を取っている。このことについて少し説明すると、アメリカの法律の枠組みと連邦政府と州政府の関係は、「日常生活に直接関する決定権は州政府にある」というのが建国以来の基本的な考え方である。最高裁で判決が出ても、その実施の細部を決めるのは州の権限である。たとえばロー対ウエード裁判で女性の中絶権を認めたが、その実施の仕方は州によってまったく違う。ある州は両親や配偶者の同意を条件にしているが、他の州ではそうした条件を課していない、という具合である。

9.反LGBTQ法の動きと宗教の自由

この問題にはいろいろな側面がある。まずLGBTQの人権をどう考えるかという問題、二つ目は学校のルールに関して連邦政府がどこまで関与できるのかという法律的な問題、三つ目はトランスジェンダーを装った先生がトイレや更衣室に自由に入ってきて女子学生に暴行を加えるのではないかという女子学生の親の抱く懸念、最後に宗教の自由に関連する問題が含まれている。多くの日本人は、なぜ宗教の自由に関連するのかと疑問に持つかもしれない。

そのロジックは次のようなものだ。保守的なキリスト教徒は宗教的な信念から同性婚や同性愛、トランスジェンダーを受け入れていない。宗教的な信念からそうした人を受け入れないのは、宗教的な自由に基づく行為であると主張する。自分の信念や道徳心を無視することはできない。保守派の人々は宗教的自由は個人の良心の問題であると考える。とりわけ連邦政府や州政府が法律でLGBTQの権利を擁護し、それに反すると罰則が課せられるというのは不当であるというのが、彼らの主張である。

2016年4月にミシシッピー州は「宗教的自由法」を議会で可決し、ブラント知事が署名した。同法では、州政府は同性婚者、婚外性交をした者、トランスジェンダーに対して宗教的な理由からサービスを提供しない人を罰してはならないと規定されている。同法に賛成した人々は、同法は“同性愛に反対する人の権利”を守るものであると主張した。ブラント知事はツイッターで、同法に署名した理由を「政府の差別的な行動から宗教的信念や道徳的信念を持っている人を守るものあり、既存の宗教的自由権を補強するものであって、憲法で保障されている権利や行動を制限するものではない」と説明している。そして「人々の生活に政府が関与することを阻止するのが狙いである」とも書いている。

さらに同法は3つの基本的な信念を守るものだとしている。3つの信念とは、「結婚は男女の間で行うものである」という信念、「セックスは結婚した者が適切に行うものである」という信念、「男性、女性は生まれた時の解剖学的、遺伝的な要素によって客観的に決定されるものである」という信念である。これは保守主義者やエバンジェリカルの主張していることである。さらに言えば、彼らは、セックスは子供を産むための行為であり、それ以外の目的で行うことは非道徳的であり、ソドムの世界での行為と考えている。

こうした考え方に基づいて、最近、「反LGBTQ法」を支持する理由として、保守派は憲法修正第1条の「宗教の自由」を挙げている。たとえば、トランプ大統領は選挙運動中に「First Amendment Defense Act(修正第一条保護法)」を支持すると公約していた。同法は2015年6月に下院で可決されている。同法は、LGBTQに対する差別を合法化することを目的としている。すなわち「同法は連邦政府が自らの宗教的信念や道徳的信念に基づいて行動する人に対して差別的な行動をとることを禁止するものである。結婚は男女の間において存在すること、性的な関係は結婚した者の間で適切に行われるものである」と書かれている。

同様な動きは他でもみられる。2015年3月26日にインディアナ州議会は「Religious Freedom Restoration Act(宗教的自由復興法)」を可決成立させた。これを受けてペンス知事(現副大統領)は同法に署名した。また、共和党の大統領候補だったテッド・クルーズ上院議員は「ペンス知事は個人の自由に対する攻撃を深く懸念している全国の勇気ある保守主義者の声を代弁するものである」と、賞賛の言葉を送っている。同法は、州政府は州の利益を害さない限り、人々の宗教的行為を禁止することはできないと規定している。具体的には、同法によって企業は宗教的理由から雇用の差別を行うことも認められているのである。

最高裁で同性婚は合憲との判断が下されたが、同州では同性婚を守る法律は何も成立していない。多くの州もインディアナ州と同様な法律を制定しており、そのモデルとなっているのが1993年に成立した「宗教的自由復興法」である。ちなみに同法に署名した大統領はクリントン大統領である。ただ、同法は1997年に最高裁によって違憲の判決が出ている。現在、州法として「宗教的自由復興法」を可決している州は21州に達している。

アメリカン・シビル・リバティーズ・ユニオンの調査では、2016年上半期中にLGBTQの権利を制限する法案は全国で87件提案されている。トランプ大統領は「憲法修正第一条保護法」をモデルにLGBTQの権利を制限する大統領令を準備中だと伝えられている。トランプ大統領が最終的に大統領令を出すかどうかまだ分からないが、反ゲイ、反婚外性交、反トランスジェンダー、反中絶という行動を支持する内容が盛り込まれる可能性がある。ちなみに、こうした主張は共和党の「政策綱領」の中に掲げられている課題であり、保守的な立場からいえば、特に奇異的なものではない。

日本人は、アメリカではLGBTQの権利擁護が進んでいるとの印象を持っている。確かに最高裁の同性婚の合憲判決や企業におけるダイバーシティ(多様性)の進展を見ていると、アメリカではLGBTQの権利が拡大しているようにみえる。だが、その反面、宗教的な反発も強く出ており、本記事で説明したように州政府レベルでは様々な反LGBTQ法が提出され、法律化されている。

10.英語のトレビア:”bathroom”と”toilet”の違い

なぜ”bathroom”が「トイレ」なのか。アメリカの家庭ではトイレとお風呂が一体化しているのが普通である。したがって、「bathroomに行く」は「トイレに行く」という意味で使われる。筆者が留学しているとき、アメリカ人の家族と野外にピクニックに行ったことがある。その時、アメリカ人の男性が「I will go to bathroom」と言って茂みに入っていった。最初は何のことか理解できなかたが、すぐに藪の中で「小用」を足しに行ったのだと分かった。しかし、林の中で”bathroom”は、さすがに意外だった。トイレに関連してもうひとつ。アメリカの家庭ではトイレのドアは開けておくのが普通である。ドアが閉まっていれば、誰かが使っているということである。なおトイレは英語では”restroom”とも言う。”toilet”という英語もあるが、これはイギリスで使われる言葉で、筆者はアメリカでは見たことはない。マクミランの英語辞書では”bathroom”はアメリカ英語であると書かれている。

《追記》最高裁はギャビン・グリム裁判の差し戻しを決定(3月12日、記入)

上でトランスジェンダー学生ギャビン・グリムは男性トイレの使用を巡ってグロウセスター郡教育委員会を訴えていた。控訴裁判所では、グリンを支持する判決を下し、教育委員会は最高裁に上訴していた。最高裁は3月28日に両者による口頭弁論を行うことを決めていた。その際の票決は、5対3で上訴を受理することを決めた。最高裁の判事は9名で構成されるが、現在、一人が欠員で、保守派4名、リベラル派4名と拮抗している。

だが、3月6日、突如、最高裁は口頭弁論の予定をキャンセルし、訴訟を控訴裁判所に差し戻すことうぃ発表した。大方の予想では、最高裁の弁論では原告が有利と見られていた。だが、最高裁は自ら判断することを避け、控訴裁判所で再度審理することを求めた。従来の裁判所の判決がオバマ大統領の方針に沿ったものであったが、今回、トランプ大統領の政策転換に応じた判断とみられている。この最高裁の決定は、トランスジェンダーに対する差別を規制する動きに大きなブレーキを掛ける可能性がある。

控訴裁判所に差し戻された後、本訴訟はバージニア州の第一審裁判所(trial court)にさらに差し戻されて、審理が行われることになる。要するに最初から裁判をやり直すことになるわけである。

反トイレ法を主張する保守派のグループである自由を守る連合(Alliance Defending Freedom)の弁護士は「最高裁が第4地区控訴裁判所の判決を無効にし、再審議を求めたことは意味がある。控訴裁判所は教育改正法の明確な意味を確認すべきである。同法は更衣室、シャワー・ルーム、トイレでの男子学生と女子学生のプライバシーの保護を求めている。学校当局は、連邦政府の介入を受けずに学生のプライバシー、安全、威厳を守る自由を持っている」という声明を出した。

これに対してトランスジェンダーの権利擁護を主張するグループ「ゲイ、レスビアン、ストレートの教育ネットワーク(Gay, Lesbian, & Straight Education Network)のエリザ・バード専務理事は「最高裁は現在、何万人ものトランスジェンダーの学生が直面している痛みを伴う差別を終わらせる機会を逸してしまった。裁判の再審理が行われる間、トランスジェンダーの学生は連邦政府の明確な保護がない状況に置かれる」と懸念を表明している。また原告のグリムはメディアに対して「最高裁が本訴訟を取り上げなかったことに失望している。しかし、公共の場における性差別者に対してトランスジェンダーの人々の権利のために戦い続ける」と語っている。

『クリスチャン・サイエンス・モニター』紙(3月6日)は、最高裁の動きにかかわらず、企業はトランスジェンダーの権利を擁護する動きをしめしていると報道している。「50社以上の企業がギャビンを支持する声明に署名している。反差別の姿勢を取ることで、多くの消費者の間で企業のブランドイメージを高めることになるだろう。また、そうした支援は、世論がトランスジェンダーの権利擁護に動いていることを反映している」と書き、企業の広告戦略を行うコンサルタント会社Out Leadershipの創設者トッド・シアーズ氏の「最高裁では負けるかもしれないが、国民の裁判では勝利するだろう」という発言を紹介している。

トランプ政権の保守的な性格は明確になっている。今後も倫理問題を巡る様々な問題が大きな政治問題として登場してくるだろう。

ジャーナリスト

1971年国際基督教大学卒業、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)、東洋経済新報社編集委員を経て、フリー・ジャーナリスト。アメリカの政治、経済、文化問題について執筆。80~81年のフルブライト・ジャーナリスト。ハーバード大学ケネディ政治大学院研究員、ハワイの東西センター・ジェファーソン・フェロー、ワシントン大学(セントルイス)客員教授。東洋英和女学院大教授、同副学長を経て現職。国際基督教大、日本女子大、武蔵大、成蹊大非常勤講師。アメリカ政治思想、日米経済論、マクロ経済、金融論を担当。著書に『アメリカ保守革命』(中央公論新社)など。contact:nakaoka@pep.ne.jp

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