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『HiGH&LOW』が切り開いたEXILEドラマの新境地。人はなぜ、『ハイロー』にハマるのか? 

成馬零一ライター、ドラマ評論家

先日、『HiGH&LOW』(以下『ハイロー』)にハマった、ライターや編集者で集まるハイロー学会なる飲み会に参加した。

自分はそこまで『ハイロー』にハマっているという自覚はなかったのだが、振り返ってみると、「ザ・テレビジョン」の(そのクールに放送されていたテレビドラマを一話見た時点での)全作品クロスレビューの中で、10点満点で9点をつけ、テレビシリーズ第一作と映画版のレビューも書いている。

もちろん職業柄、EXILE主演のドラマにはずっと注目してきたのだが、今だにメンバーの顔と名前がほとんど一致しないふがいなさだ。『ハイロー』の登場人物も未だに名前と顔が一致しない有様で、こんな自分が学会に参加してもいいのだろうかと迷ったのだが、これも何かの勉強だろう。わからないことがあったら逆に質問させていただこうと思って、映画版のパンフレットを持参して参加した。

学会は予想以上に盛り上がり、今まで全貌がつかめなかったEXILE TRIBEと『ハイロー』の全貌が、何となくだがわかってきたのは収穫だった。

今回は学会での勉強を踏まえたうえで、現時点での『ハイロー』に対する結論を、ここにまとめてみようと思う。

『HiGH&LOW』とはなにか。

はじめに、本作の概要について簡単に書いておこう。

『HiGH&LOW』とはLDHの社長で元EXILEのリーダーだったHIROが制作総指揮を務めるビッグプロジェクトだ。

テレビドラマは『Season2』まで放送されており、現在は映画『HiGH&LOW THE MOVIE』が公開中で、10月には続編となる映画『HiGH&LOW THE RED RAIN』の公開を控えている。

他にも、コンサート、アルバム、SNS、コミックなど、様々なジャンルで多角的な作品展開が行われており、その全貌はコアなファンですら把握できない状態にある。

いわゆる漫画やアニメでは定番となっているメディアミックス的な展開なのだが、設定が細かく作り込まれていて、出演しているキャラクターの数が膨大なところが、実写作品では破格である。中でも映画版は、ビジュアルの面白さとアクションの派手さにおいては他の追随を許さない。特に物語終盤に、コンテナ街で500人vs100人の男たちが入り乱れて殴り合う様は見応え抜群で、このシーンだけでも見る価値はある。

物語はある地区で繰り広げられているギャングチーム同士の抗争を描いたものだ。

かつて、ある地域一帯を支配した伝説のチーム・ムゲンが、雨宮兄弟と言われるバイクチームとしのぎを削っていた。

しかし、ある事件をきっかけにムゲンは解散。同時に雨宮兄弟も姿を消し、その地域は山王連合会、White Rascals、鬼邪高校、RUDE BOYS、達磨一家という5つのチームが支配するようになる。

その地区はそれそれのチームの頭文字をとってSWORD地区と呼ばれるようになり、お互いにしのぎを削りながらも危ういバランスを保っていた。

そこに、湾岸地区のMIGHTY WARRIORSとタウン地区のDOUBTが攻め込んでくる。彼らを率いていたのは、かつてムゲンのリーダーだった琥珀(AKIRA)だった。韓国マフィアの李と組んだ琥珀は、MIGTY WORRIORSとDOUBTを率いてSWORD地区を支配しようと目論む。琥珀を止めるためにかつての仲間たちは結集。SWORD地区の連合チーム100人は、500人の男たちに戦いを挑む。

というのが、今回の映画版までのあらすじだ。

細かい設定や物語を置いてみれば、複数のギャングチームが延々と殴り合っているだけの話なのだが、おそらく何の前知識もなく本作を見たら多くの人々は困惑するのではないかと思う。

それは『ハイロー』には、既存のドラマや映画でいうところのわかりやすい主人公がいないからだ。

製作総指揮のHIROは、登場人物の全員が主人公だと語っているが、印象としては主人公不在と言った方が適切だろう。もちろん個別のエピソードごとにフューチャーされるキャラクターは存在するし、ふつうに考えれば、山王連合会のコブラ(岩田剛典)が主人公的存在なのだが、他の情報があまりに膨大で均等に撮られているので、見ている時の印象はとても薄い。それは他のキャラクターも同様で、物語全体を貫く主要人物というのがほとんどいないため、一度観ただけでは誰が何をやっているのかさっぱりわからないのだ。

僕自身も一応、ドラマ版のSeason1と2を見て、映画版に臨んだのだが、はっきり言っていまだに各登場キャラクターの名前と顔が一致していない。

これはふつうに考えると、ドラマとしては大失敗だと言える。もっと主人公のキャラクターを立てて、物語をわかりやすくしろとプロの作り手ほど思うだろう。

だが、この誰が誰だかわからない状況こそが、他のドラマにはない面白さではないかと第一話を見た時に感じた。

膨大な情報が一気に押し寄せて、主役不在のまま、状況だけがひたすら動いていくことで生まれる群衆のダイナミックさに独自の酩酊感があるのだ。その意味で、物語の印象は今話題の『シン・ゴジラ』とよく似ている。

今まで低評価だったEXILEドラマ

『町医者ジャンボ!!』や『フレネミー~どぶねずみの街~』(ともに日本テレビ系)など今までにもEXILE主演のドラマは多数作られている。しかしAKIRAが主演の『GTO』(フジテレビ系)の第一期以外は成功したとは言い難く、同じくAKIRA主演の『HEAT』(フジテレビ系)に至っては低視聴率で打ち切りとなり、当初予定されていた映画化も白紙となってしまった。

演技が下手くそでストーリーも退屈。おそらく世間のEXILEドラマの評価は、いまだにそのようなものだろう。

だが、そういった見方はあくまで既存の俳優やドラマを基準として見ているからだ。

いくつかのEXILEドラマを見ていて感じていたのは、そもそも本人たちの長所を活かしきれていないというもどかしさだ。

彼らの持ち味であるダンスパフォーマンスで鍛えた集団によるアクションを活かしきれた作品は、ヤンキー漫画を原作とする『シュガーレス』(日本テレビ系)くらいだった。

もちろん、そんな逆風の中でも、岩田剛典、青柳翔、鈴木伸之といった演技のできる俳優も育っており、じわじわとドラマや映画に進出はしていたのだが、EXILE=演技が下手というマイナスイメージがいまだにつきまとっていた。

しかし『ハイロー』はHIROの製作総指揮だけあって、EXILEグループの良さを見事に活かしており

「EXILEによるEXILEのためのEXILEドラマ」としか言いようのない独自の表現に昇華されつつある。

「誰も作れないなら、オレたちのドラマは、オレたちで作る!」

そんなチャレンジスピリッツが『ハイロー』を生み出したのだ。

興業収入や作品の評価、SNSでの広がりについては残念ながら『シン・ゴジラ』に話題が持っていかれた感があるが、「アクションとビジュアルは凄まじいが登場人物が多すぎて意味がわからない問題作」だということが、じわじわと浸透してきたことで、怖いもの見たさもあってか、見にいこうというEXILEファン以外の人が増えているのだ。

こういう浸透の仕方は、近年のヒット映画ならではの特徴だ。 実写映画では昨年の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』、今年の『シン・ゴジラ』がそうで、アニメ映画では『ガールズ&パンツァー 劇場版』(ガルパン)や『KING OF PRISM by PrettyRhythm』(キンプリ)がそうで、観客が熱狂的でリピーターが多く、彼らがSNSで布教することで人気が浸透していくのが特徴だ。

『ハイロー』の魅力

『ハイロー』の魅力は大きくわけて、この三点だと思う。

1.ド派手なアクション

2.膨大な数の登場人物

3.裏読みできるストーリー

これはそのまま『ハイロー』にハマっていく順番でもある。

1. まず、一見して驚くのは圧倒的なビジュアルとアクションシーンだ。最初はキャラクターとストーリーは理解できなくても構わないし、僕のように各キャラクターの固有性が理解できない方が群衆のぶつかり合いを純粋に楽しめるという見方もある。

2. やがて、目が慣れてくるとキャラクターの設定が頭に入ってくる。そうなると各キャラクター同士の人物相関図を見るのが楽しくて仕方がなくなる。

3. そして、EXILE TRIBEやLDHの知識が増えてくると、ギャングチームの抗争を延々と繰り広げているだけだと思っていたストーリーに実は様々な裏読みが可能なことがわかってくる。

つまり知識がなくても楽しめるし、知識が増えれば増えるほど楽しめるという、掘れば掘るほどハマってしまうのが『ハイロー』なのだ。

ハイロ―学会では、コアなEXILEオタクから、EXILEというチームと個々の役者の人物相関図についてレクチャーを受けたのだが、驚いたのは、EXILEを題材に、ここまでオタク的な裏読みと考察が可能だったということだ。

もちろん、そういった消費をする層は圧倒的に少なく、ほとんどのファンは、もっと単純にメンバーがカッコいいとか、曲が好きで盛り上がれるといったフィジカルな消費がほとんどなのだが、『ハイロ―』の登場によって、いろいろと考察するオタク的消費が広がってきたらしい。

確かに同じように、複数のタレントの関係性や無数のコンテンツを同時展開しているAKBグループや、ジャニーズアイドルに比べると同じように巨大市場でありながらEXILEをオタク的に批評する文化は今まであまりにも少なかった。

ここで言うオタク的な読みとは、大きくわけて3つある。

1つ目は作り手が劇中に盛り込んだ過去作や影響を受けた作品からの引用で、それを知識と教養で読み解くというスタイルだ。

たとえば本作には『イージー・ライダー』や『時計じかけのオレンジ』といった映画からの引用だったり『クローズ』や『TOKYO TRIBE』といったヤンキー漫画の影響関係が見受けられる。そこから、古今東西の不良のイメージがモザイク状に重なっているヤンキーの神話として読み解く面白さが『ハイロー』にはある。

2つ目は劇中のキャラクター同士のやりとりから人間関係を深読みしていく行為。漫画でいうところのBL(ボーイズラブ)を好む腐女子的な読み取り方だ。

登場人物が異様に多い『ハイロー』は人物相関図の宝庫で、しかも各登場人物の描写に裂く時間がないため、ほんの数秒、目を合わせたり、会話を二言三言やりとりしたシーンだけでも過剰に読みこむことができる。

そして3つ目は、EXILEの知識を身につけたファンの読み方だ。

コアなファンから見ると『ハイロー』の物語は、HIROからはじまったEXILEやLDHの今までの歩みと現在の葛藤が見え隠れするEXILEサーガとでも言うような構造となっているそうだ。正直言うと、この辺りの背景は、EXILE初心者の自分にはまだ、理解しきれてないところがあるのだが、各メンバーが演じているキャラクターも、本人のバックボーンを活かした作りとなっているのがファンにはわかるという。

これはAKB48の『マジすか学園』(テレビ東京系)でもおこなわれていた演者と役柄のイメージを極限まで接近させることでドキュメンタリー性を生み出す手法を思わせるが、それ以上に『新世紀エヴァンゲリオン』や『シン・ゴジラ』を庵野秀明の私小説とみなすような、作品を作者の人生そのものとして鑑賞する見方に近い。

だから、琥珀さんのモデルは誰だとか、作中にテレビがほとんど出てこないのは、テレビ業界に不信感を持っているからとか、九龍グループってもしかして、あの大手芸能事務所なんじゃないか? といった深読みがどんどん可能となってくる。

この段階までくれば『ハイロー』は、どこを見ても面白い巨大コンテンツになってしまうのだが、一つ気になるのは、ハイローというコンテンツのオタク的深読みを刺激する仕組みは誰が仕掛けたのかということだ。

普通に考えれば制作総指揮のHIROなのだろうが、どうもそう単純ではなさそうだ。

これが『シン・ゴジラ』なら庵野秀明や樋口真嗣、AKBグループならば秋元康を主語として語ることができたのだが、EXILEや『ハイロー』をHIROだけを主語として語ることはおそらく困難だ。

このあたりが『ハイロー』を語る際の難しさであり、EXILE語りが今まで盛り上がらなかった理由だろう。

この件に関しては、ハイロー学会でも見解はまとまらずに、スタッフの中にたまたまオタク的な趣味の人がいたのか、そもそもすべてが偶然の産物で、作っている側はあまり深く考えていないのではないか。という身も蓋もない結論に落ち着いた。

今後の『ハイロー』はどうなるのか?

興行収入50億円を目標としていた劇場版『ハイロー』だが、8月9日時点で興行収入は15億円を突破したという。しかしその後、興業収入のニュースはなく、上映回数が減っていることを考えると最終的には20億円行けばいい方ではないかと思われる。

その意味で当初の目標の半分にも満たない結果となるのだろうが、本作の場合、映画もプロジェクトの一部であり、派生グッズやコンサートの売り上げなど、総合的な収益を見ないことには成功か失敗かを判断するのは難しいところだろう。

10月には新作映画も控えており、このプロジェクト自体がまだまだ続くことを考えると、映画化によって『ハイロー』の世界観を確立できたことは大きい。

今後はEXILEファン以外の観客が『ハイロー』をどう受け入れるのかが鍵となるのではないかと思う。

その意味で、SNSでにわかに盛り上がりつつある「『ハイロー』ヤバいんじゃないか?」というムードは、LDHにとっては追い風となるだろう。しかし、ファン以外の恐いもの見たさで近づいてくる層を意識して過剰なネタ消費やオタク的な読みを意識しすぎると今度はプロジェクト自体が迷走してしまう可能性もある。

オタクは、オタク的な消費を狙って打ちだされてしまうと、逆に醒めてしまうところがある。『シン・ゴジラ』ぐらい徹底していれば「こいつはガチだ」と受け入れてもらえるが、企業や自治体が中途半端にオタク層を取り込もうとしたものはだいたい失敗している。

一方、EXILEには、オタク的目線に作り手が鈍感だからこそ、近年まれにみるオタク的消費の枝葉が無数に存在している。

『ハイロー』はその結果実った最初の成功例であり、だからこそ、今後の展開が難しいところがある。だからLDHと『ハイロー』には、むずかしいことは考えずに、このまま突っ走ってほしい。

『ハイロー』がテレビドラマ界に与えた衝撃。

最後にドラマ評論家としての視点を付け加えたい。

今のテレビドラマは、NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)と大河ドラマ以外は壊滅的な状態だ。

特に民放ゴールデンで放送されているテレビドラマは視聴率が急落しており、これからどんどん状況は悪くなっていくだろう。

では、深夜ドラマはどうかというと、低予算で小規模だから自由にやれるというゲリラ戦は最終的にはジリ貧となっていき、今後は現在の深夜アニメのような本数は多いがヒット作は少ないという状態になっていくのではないかと思う。

そんな中、同じように深夜ドラマとしてスタートした『ハイロー』はビジュアルとアクションが豪華で、ドラマとしてはいびつながらも独自のエンターテイメント作品となっていた。それが可能になったのは、LDHという芸能事務所が中心になって映像を制作したからだろう。そしてドラマや映画単体ではなく複合的なプロジェクトとすることで、世界観に広がりを持たせ、仮にどこかが失敗しても他の収益で補うことができるというメディアミックス展開がこじんまりとした深夜ドラマに大きなスケール感を与えていた。

この新しい制作体制が、ドラマ作りにおける新しい突破口になるのではないかと感じたことが『ハイロー』を支持する一番の理由である。

ライター、ドラマ評論家

1976年生まれ、ライター、ドラマ評論家。テレビドラマ評論を中心に、漫画、アニメ、映画、アイドルなどについて幅広く執筆。単著に「TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!」(宝島社新書)、「キャラクタードラマの誕生 テレビドラマを更新する6人の脚本家」(河出書房新社)がある。サイゾーウーマン、リアルサウンド、LoGIRLなどのWEBサイトでドラマ評を連載中。

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