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『逃げるは恥だが役に立つ』論(前編) 原作モノの名手・野木亜紀子は『逃げ恥』をいかに読み解いたのか。

成馬零一ライター、ドラマ評論家

※この記事には原作漫画のネタバレが含まれます。

TBS系で火曜夜10時から放送されている『逃げるは恥だが役に立つ』(以下、『逃げ恥』)から毎週、目が離せない。

視聴率は初回の10.2%(関東地区)から順調に数字を伸ばしており、第8話でついに16.1%(同)を記録。

視聴率だけなら連続テレビ小説『べっっぴんさん』(NHK)や『ドクターX~外科医・大門未知子~』(テレビ朝日系)といったドラマの方が高いのだが、そういった数字とは違う若さと勢いがあり、停滞していた民放ドラマに新たな活気をもたらしている。

本作は、大学院を卒業したが就職できずに派遣社員として働いていたが会社をリストラされた25歳の森山みくり(新垣結衣)が、家事代行サービスの仕事をしている時に知り合った、IT企業で働く35歳で恋愛経験のない津崎平匡(星野源)と、ふとしたきっかけから偽りの夫婦を契約で演じることになるラブコメディだ。

原作は海野つなみの少女漫画。夫を雇用主、妻を従業員に見立てることで夫婦という関係を仕事として捉え直す思考実験が本作の見どころで、はじめはわずらわしい人間関係を避けて、合理的な契約によって夫婦を演じていたはずのみくりと平匡だったが、いっしょに暮らす内にお互いのことが気になっていく姿が新感覚の恋愛ドラマとして高い支持を受けている。

ドラマ人気の秘密は何といっても主演の新垣結衣(ガッキー)と星野源というフレッシュな二人の共演だろう。

カップルのどちらかが引き立て役になるのではなく、双方にファンがしっかりついていることで

アイドル人気を超えた盛り上がりとなっている。

また、人気の後押しとなっているのが、星野源が歌うエンディングテーマ「恋」にのせて、ガッキ-たち出演者が踊る「恋ダンス」である。第1話終了後にYouTubeに番組サイドがアップロードした〈「恋ダンス」フルVer.〉が話題となり、SNSで拡散された。それを見た視聴者が「恋ダンス」をネットにアップロードされるという連鎖で広がっている。

現在は星野源の所属するSPEEDSTAR RECORDSは、放送期間中に限って動画を制作する際に「恋」の音源を使うことを承諾している。

参照→【星野源「恋」に合わせて踊る“恋ダンス”動画に関しまして。】

古くは『涼宮ハルヒの憂鬱』、近年では『アナと雪の女王』といったアニメ作品でも見られたことだが、劇中のダンスや歌を視聴者が真似する姿を撮影した動画がSNS上で拡散されて、それ自体が宣伝のイベント化され、作品を見てみようというお客さんを増やしていくという現象が『逃げ恥』でも起きている。

ネットのSNSとテレビは対立関係だと思われがちだが、やっとテレビの作り手サイドがネットの情報拡散能力を活かす方へと舵を切りだした象徴が『逃げ恥』の恋ダンスではないかと思う。

『さよならロビンソンクルーソー』 脚本家・野木亜紀子の世界

ガッキ-と星野源。海野つなみの原作漫画という旬の素材はそろったことが本作の成功要因だが、どれだけ旬の俳優や原作がそろっても、それを料理する作り手が素材の魅力を引き出せなければ話にならない。

本作がテレビドラマとして魅力的なのは脚本家の野木亜紀子の力によるところが大きい。

野木亜紀子は『さよならロビンソンクルーソー』で第22回フジテレビヤングシナリオ大賞を受賞し、2010年に脚本家デビュー。

物語は借金を抱えて家に引きこもっている女性・美也(蓮沸美沙子)を支えようとするごみ清掃作業員として働く慶介(田中圭)と、恋人のバンドマンの成雪(綾野剛)に10万円以上のレコーディング費用を貢いでいる看護師のハナ(菊池凜子)の二組のカップルの物語だ。

どちらのカップルも一方が精神的にも金銭的に相手に貢いでいるという物語なのだが、改めて見返すと『逃げ恥』を裏側から描いたような作品だったことに驚かされる。

2010年の作品ということもあってか、リーマン・ショック以降の不況の荒波に登場人物が激しくさらされていて、すごく暗鬱とした暗い話なのだが、見終わった後の印象はどこか明るい。

また、これも野木作品のリアリティだと思うのだが、主人公を苦しめるのが恋人との人間関係だけでなく、それに付随するお金の問題が実に丁寧に描かれている。

主人公たちが普段は何とか暮らしていても、突然、10万円単位の出費が生まれることで生活が回らなくなっていく感じが、現代の貧困を描いていて若者の描写が現代的だと思った。

物語は、一方的に与える側だった慶介が、ある事件をきっかけに、彼女とこれ以上付き合えないと思って別れてしまう一方で、花とバンドマンの関係はいびつに見えながらも何となく成立したままで終わる。

共依存にならない男女関係の模索と、否応なしについてくる労働とお金の問題。デビュー作にすべてがあるとよく言われるが、原作モノとはいえ後の『逃げ恥』に向かう萌芽はすでにこの時点であったのだと理解できる。

その後、野木は、フジテレビで、松本潤が主演を務めた探偵チームのドラマ『ラッキーセブン』や、東村アキコの漫画をドラマ化した『主に泣いてます』といったドラマの脚本に参加。

そして、『ラッキーセブン』で組んだ佐藤信介が監督を務めた有川浩原作の『図書館戦争』で映画の脚本を手掛けるのだが、そこでの仕事が認められ、同じ有川浩原作のTBSドラマ『空飛ぶ広報室』を執筆するようになる。

本作は自衛隊を取材する女性テレビディレクターを主人公にした物語なのだが、ここで主演を務めたのが『逃げ恥』で主演を務めたガッキーだった。

その後、野木はガッキー主演の連続ドラマ『掟上今日子の備忘録』(日本テレビ系)を執筆し、今回の『逃げ恥』でガッキー主演作は三度目。本作のみくりが魅力的なのは、野木がガッキーの魅力を知り尽くしているからだろう。

原作モノの名手 「作品の哲学を理解すること」

野木亜紀子が手掛ける脚本の多くは原作モノだが、どの作品も評価が高い。

近年、原作漫画の実写映画化やドラマ化が盛んだが、毎回物議を呼び、中には原作レイプと言われるモノもある。

その場合、批判的に語られる原因は大きく分けて二つある。

一つは、原作を素材としか見ておらずにリスペクトがないまま好き勝手に改編してしまうケース。このやり方は園子温や三池崇史といった作家性の強い映画監督が手掛けた場合は、希に傑作となることもあるのだが、多くの場合は原作レイプと言われ、批判される。

原作のビジュアルを再現する予算や力量がなくて、映像がチープになってしまった場合もこれに含まれるだろう。

もう一つは、この逆で過度に原作ファンの反発を恐れるあまりに、原作を再現することにこだわり、極限までエピソードを盛り込もうとするケースだ。これは原作ファンの反発を防ぐことはできるのだが、それと引き換えに映像としてのリズムが著しく悪いものとなってしまう。

一番齟齬が生まれやすいのは長編漫画の映画化や連続ドラマ化だ。ページをめくることで物語が延々と広がっていく漫画と、はじめから時間が限定されている映画やドラマとでは、時間に対する感覚が根本的に違う。

そのため、エピソードを厳選して主要人物を絞り込まねばならず、場合によってはキャラクターの設定も変える必要がある。しかし、多くの作り手は原作ファンの反発を恐れるあまり、中途半端なものとなってしまう。

そんな中、野木の脚本は突出した仕上がりで、評価が高い。

「月刊ドラマ 2016年11月号」(映人社)に掲載されたインタビューの中で、野木は原作ドラマを脚色する上で心がけていることについて

原作をトレースすることよりも、作品の哲学を理解することが大事だと思っています。

と語っている。

野木の脚本は、細かいところは原作と変更しているのだが、見ていて違和感があまりない。

『逃げ恥』でも、オリジナルの台詞や設定が結構多いのだが、まるで原作にはじめからあるかのように作中に登場する。

野木の脚本は、物語が時間内に収まるようにエピソードや台詞を取捨選択しながら、物語の核となる部分をしっかりと抜き出している。

これは(物語を)書く力だけでなく、原作を読んで、ちゃんとテーマと面白さを理解する読み手としての力量も強く要求される。

その意味で、原作モノの脚本を書くということはそれ自体が原作の批評行為に近い。

中でも近年制作された映画の『俺物語!!』と『アイアムアヒーロー』、テレビドラマの『重版出来!』(TBS系)と『逃げ恥』は、原作モノの教科書とでも言うくらい見事な解釈となっている。これは野木が、漫画の読み手として一流だからだろう。

原作との違い。野木亜紀子は『逃げ恥』をどう脚色したのか。

注意 この先、原作のネタバレがあります。

『逃げ恥』は現在8巻まで刊行されており、まだ連載が続いている。

物語は現在、クライマックスに向かっており、6巻でヒロインの森山みくりと津崎平匡が恋人として結ばれて以降は、相思相愛になった二人が契約関係を解消して普通の夫婦になるのか? もしも夫婦になるとしたら、みくりは今後、専業主婦として無料で家事をおこなうようになるのか? という葛藤が描かれている。

おそらく物語はみくりが賃金を貰える職業に就き、経済的自立を果たした上で平匡と対等なパートナーとして付き合っていくか、結婚して専業主婦となるが今までと同じように賃金が発生する契約関係を維持していく方向に向かうのではないかと思う。

その一方で描かれるのがみくりの叔母・百合と、平匡の同僚だった風見との関係である。 

百合は美人だが一度も恋愛しないまま生理があがった52歳の高齢処女で、仕事を持ち自立しているが、一人で生きていくことのさみしさを抱えている。一方、29歳の風見は、昔から彼女に困ったことがないが、自分をイケメンという外見でしか見ようとしない女性たちに対して醒めている。百合もはじめは風見をイケメンだから性格が悪いという偏見を持っていたが、それがかつて自分に男たちが自分に向けていた偏見と同じものだということに気づき、風見という個人として向き合おうとしているが、年の差のこともあり、中々お互いの距離が埋まらないという、もどかしい展開になっている。

『逃げ恥』には、みくりと平匡の関係を中心に、イケメンの風見、高齢処女の百合、ゲイの沼田、元ヤンキーで一児の母のやっさんといった、様々な立場の男女が登場して仕事とパートナーの問題について思い悩んでいる。

物語のトーンが理性的で淡々と話が進み、基本的には知的なラブコメなのだが、劇中で描かれる悩みが切実なので、各キャラクターが笑顔で悲鳴を上げているように見えてくる。

面白いのは本作自体が一種の思考実験になっていることで、今のライフスタイルとは違う新しい生活と仕事の有り方があるのではないかと模索している点において意義のある作品だと言えよう。

一方、ドラマ版は、みくりと平匡の物語に集約されており、他人に対して心を閉ざしていた自尊心の低い平匡がみくりとの出会いによって変わっていく様を描くことに尽力されている。

そのため、他の人物のエピソードは背景に退いているのだが、その見せ方は実に上手い。

例えば、第8話で風見が、中学の時にはじめて付き合った女性が、自分に自信がない不安を風見にぶつけて、相手のことを考えずに勝手に傷ついている身勝手な振る舞いに幻滅して別れたことを百合に話す場面。

原作では風見のモノローグなのだが、ドラマ版では、このエピソードを風見が百合に語ると同時に、車の後部座席で平匡が聴いていたことにすることで、平匡が、自尊感情の低さから、みくりを拒絶したことが、いかに相手を傷つけてしまったことかを理解するきっかけとなっている。

モノローグを会話劇にして、更にその会話を第三者が聴いているようにすることで、作品の印象はここまで大きく変わるのかと感心する場面だが、他にも原作漫画の中で別のところに出てきた会話を別の場所にはめ込むことで、よりテーマを際出せるという細かい作業を野木は施している。

一見、枝葉が切り取られているように見える本作だが、むしろ原作のテーマが短い話数の中に圧縮されていると言えよう。

みくりの元カレ 『新世紀エヴァンゲリオン』を引用した理由

おそらく原作から一番大きな改変は、みくりの元・恋人のエピソードだろう。

漫画ではみくりの彼氏は二浪した大学生で、最初は地味な服装だったのが、テニスサークルに入ったことでどんどんチャラくなっていったことを、みくりが馬鹿にしていたら「小賢しい」と言われてケンカ別れをしたという顛末になっている。

一方、ドラマ版では就職活動に追われる一歳年上の恋人をみくりがカウンセラーのようにアドバイスし過ぎたせいで、「人のこと勝手に分析して批評して何でそんなに偉そうなんだよ。何様なんだよ」「お前、小賢しいんだよ」と言われて、別れてしまう。

「小賢しい」という言葉がみくりにとって「呪い」となることは原作と同じなのだが「分析して批評して」という言葉が強調されているのは、脚本家としての野木の美点そのものが自己否定されているように見えて、若干複雑な気持ちになる。

その恋人の名前はシンジとなっており、90年代にヒットした人気ロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の主人公の碇シンジから名前がとられている。みくりの回想シーンでは『エヴァ』の劇伴や作品の特徴であった極太テロップが使われている。

『逃げ恥』にはドキュメンタリー番組の『情熱大陸』(TBS系)やトーク番組の『徹子の部屋』(テレビ朝日系)や、アニメ『サザエさん』(フジテレビ系)といったテレビ番組の出演者にみくりが成りきってしまう妄想シーンが多数登場する。

『エヴァ』のパロディもその一つなのだが、これは漫画にはないドラマ版オリジナルだ。

最初は作り手の遊び心が暴走しているなぁと軽く見ていたのだが、後の平匡の描写を見ていると、これは見事な改変だと思うようになってきた。

エヴァネタは第4話だけで終わらずに第6話のみくりと津崎が温泉に行く回にも登場する。

旅先の旅館でみくりが高校時代の彼氏(恋人連れ)と再会するのだが、その時の彼氏の名前がカヲルで、おそらくこれは『エヴァ』に登場する、渚カヲルから取られたものなのだろう。

なぜ、ドラマ版『逃げ恥』ではシンジとカヲルという『エヴァ』に登場する少年の名前をみくりの元カレの名前に使用しているのだろうか。それは本作が津崎平匡と星野源を通じて、この国のフィクションが陥っているお城に引きこもった王子様の問題を描こうとしているからではないかと思う。

(後編に続く)

ライター、ドラマ評論家

1976年生まれ、ライター、ドラマ評論家。テレビドラマ評論を中心に、漫画、アニメ、映画、アイドルなどについて幅広く執筆。単著に「TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!」(宝島社新書)、「キャラクタードラマの誕生 テレビドラマを更新する6人の脚本家」(河出書房新社)がある。サイゾーウーマン、リアルサウンド、LoGIRLなどのWEBサイトでドラマ評を連載中。

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