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『サバイバルファミリー』の情けないお父さん。『真田丸』の秀吉。善悪の彼岸を飄々と横断する小日向文世。

成馬零一ライター、ドラマ評論家

ニッポン俳優名鑑Vol.8 小日向文世 出演作 映画『サバイバルファミリー』 大河ドラマ『真田丸』(NHK)他

小日向文世の勢いが止まらない! 

現在公開中の矢口史靖の映画『サバイバルファミリー』では、今まで名バイプレイヤーとして活躍してきた小日向が、主演を務めている。

本作はある日突然、電気がなくなってしまった世界で、親子4人が生き延びるために祖父のいる熊本に向かうというロードムービーだ。

小日向が演じるのは家族をとりまとめる父親・鈴木義之。

こう書くと家族を守る強い父親を想像しがちだが、このお父さんは口だけは立派だが、終始情けなくて、あまりカッコよくない。

ちょっとしたことで感情を家族や会社の同僚にぶつける姿を見ていると「コイツ、器が小さいなぁ」と思うのだが、同時に妙な親近感もあり、鈴木家が遭遇する困難はすぐに他人事とは思えなくなっていく。

本作が優れた社会派パニックコメディとして成立しているのは、小日向の滑稽さがあってこそである。

遅咲きの小日向。転機となった『HERO』

小日向は1954年生まれの現在63歳。

高校卒業後にデザインの専門学校に通っていたがスキーで複雑骨折をして二年間で8回の大手術をすることになる。

それが転機となり、自分の人生だから好きなことをしようと写真の専門学校に通うが、これも何かが違うと感じ、22歳で俳優を目指すことに。

その後、中村雅俊の付き人を務めた後、1977年、23歳の時に串田和美が主催する「オンシアター自由劇場」に入る。

42歳まで劇団が解散したことをきっかけに、1996年から映画やドラマなどの映像分野に進出するが、中々大きな役をもらえずにいた。

転機となったのは2001年、47歳の時。

三谷幸喜が脚本・演出を担当した舞台『オケピ!』で演じたピアニスト役がフジテレビのプロデューサーの目に止まり、木村拓哉主演の月9ドラマ『HERO』(フジテレビ系)に出演。

バツイチのベテラン検察事務官・末次隆之役で注目されるようになる。

『木更津キャッツアイ』で見せた新しい父親像

『HERO』で多くの人々に知られることとなった小日向だが、個人的には、『木更津キャッツアイ』(TBS系)で演じた父親役が印象に残っている。

小日向が演じたのは、悪性リンパ腫で余命半年の息子・ぶっさんこと田淵公平(岡田准一)を心配する父親・田淵公助。

本作は宮藤官九郎の初期代表作として知られる本作は“明るい難病モノ”とでも言うような青春ドラマで、明るさと暗さの配分が絶妙な作品だったのだが、それを象徴していたのが公助だ。

鮮烈だったのはぶっさんの友達が、すでに公助が病気のことを(すでに知っていると思い)話してしまったことが明らかになった直後に、二人のいる部屋に公助が入ってくる場面。

公助はモノマネ教室で練習している和田アキ子のモノマネを見せるために女装しており、気まずい空間の中で「あの鐘を鳴らすのはあなた」を歌うことになるのだが、笑っていいのか泣いていいのかわからない絶妙のシーンとなっていた。

田口家は母親のいない父子家庭なのだが、小学生の男友達みたいな関係で、親子なのに「公助」「公平くん」と呼び合う。傍から見ると「この親子大丈夫か?」と少し心配になるが、これは二人の信頼関係のあらわれで、今見ても新しい父親像を打ち出していた。普段はおどけていて情けないが、芯の部分では息子を信頼する優しさを持つ父親を小日向は好演していた。

『HERO』と『木更津キャッツアイ』でブレイクした小日向は、様々な役を演じることになり、2008年には『あしたの、喜多善男‐世界一不運な男の、奇跡の11日間-』(フジテレビ系)で連続ドラマ初主演を務めるまでの人気となる。

得意とする役は、父親や中年サラリーマンなどで、甲高い声で当たりのキツイことを言う嫌な上司的な役を演じさせると右に出るものはいなかった。キツイ嫌味は言うがパワハラはしないという小悪党感は中々他の俳優にはないものだ。

だからこそ映像作品では重宝されるのだが、現実を見渡すと小日向文世みたいなおじさんは職場や学校にたくさんいる。

そんな、どこにでも居そうな中年男性像にうまくハマったことが人気の秘密だろう。

『アウトレイジ』から『いつ恋』と『真田丸』へ

次に大きな転機となったのが北野武の映画『アウトレイジ』だ。

本作で小日向は暴力団と癒着する悪徳警官の片桐を演じたのだが、今までの小悪党とは違う凄味のある役で、確実に悪党としてのレベルが一段上がったと思った。

『冷たい熱帯魚』で猟奇殺人犯を演じた、でんでんのような転機だと言えるが、『アウトレイジ』に出演して以降は悪党としてのふり幅が、一気に広がったように感じた。

そして昨年(2016年)は、小日向にとって大きな飛躍となる一年だった。

まずは、坂元裕二脚本の月9ドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』(以下、『いつ恋』)。

本作で演じた老人介護施設を経営する大企業の社長・井吹征二郎のたたずまいは見ていて本当に怖かった。

征二郎は、親としての優しい顔と非情な経営者としての顔を持っていて、会社の利益のためなら他企業も容赦なく倒産させる。

また実の息子も道具としてしか考えておらず、その非情な考え方についていけずに長男は擦り切れてしまう。

愛人の息子だというコンプレックス故に、仕事にのめり込んでいく次男の朝陽(西島隆弘・AAA)の姿は見ていていたたまれないものがあり、人間の愛憎をとことん吸い尽くす征二郎の父親像にどのようなオチをつけるのか注目していた。

残念ながら『いつ恋』は、征二郎の持つ悪の凄味を最後まで生かせず、消化不良のまま終わってしまった。

そんな征二郎の不気味な父性に対し、時代劇という形で答えを出したのが、大河ドラマ『真田丸』(NHK)だった。

小日向が演じたのは豊臣秀吉。織田信長、徳川家康と並ぶ戦国時代を征した日本人なら誰でも知っている戦国大名だ。

それだけに、これまで何度も語られてきた手垢のついた存在である。

特に大河ドラマでは1996年の『秀吉』と2014年の『軍師官兵衛』で竹中直人が理想的な形で演じており、秀吉と言えば竹中直人というイメージがすでに確立されていた。そんな中、脚本の三谷幸喜が小日向を通して描いた秀吉は、実に不気味なものだった。

真田信繁(堺雅人)の視点で描かれる秀吉は、子煩悩で側室の茶々(竹内結子)にデレデレのおっさんだ。

まるで田舎の町内会的なノリで語られる秀吉を中心とした大阪城の政(まつりごと)は一見呑気に見えるが、秀吉の機嫌を損ねると途端に修羅場になり果てる。

彼の機嫌を損ねたがために命を落としたものは数知れず、死後もその影響は呪いのように豊臣家を蝕んでいく。

2011年、三谷幸喜が作・演出を務めた舞台『国民の映画』で小日向ははじめて演劇の賞(読売演劇大賞、最優秀主演男優賞)を受賞した。演じたのは第二次世界大戦下のドイツで宣伝大臣を務めたゲッペルス。

本作を「小日向さんのために考えて書いた作品」と語る三谷幸喜は、トーク番組『SWITCHインタビュー達人達(たち)』(NHK Eテレ)の中で小日向の演じる役柄について

「昔から黒小日向、白小日向って言う言い方をしていたんですけども、小日向さんの演じるキャラクターには二つのパターンがあって、ものすごく腹黒い悪いやつか、もう一つはすごく天真爛漫な、どちらかというと抜けてる明るいおじさんみたいな」

と解説し、近年は「新しい引き出し」として

「白でも黒でもないどっちも行き来するグレーの引き出しがもう一個、出てきたような感じがしますね」

と語っている。

これはそのまま、秀吉の怖さの説明になっているように思う。

天真爛漫な子どものように振る舞っていたかと思うと、突然、腹黒い狡猾な老獪さを見せる。ジキルとハイドのように入れ替わるのではなく、あくまで同じ人間の中にある自然な行動として現れるグレーな振る舞いだからこそ、見ていて説得力があったのだろう。

父と権力者 ぬらりひょん的存在感

2016年は『いつ恋』と『真田丸』の他にも『重版出来!』(TBS系)で大御所漫画家、『THE LAST COP/ラストコップ』(日本テレビ系)では、神奈川県警の怪しい本部長(警視監)を演じ、『グ・ラ・メ!~総理の料理番~』(テレビ朝日系)では、ついに総理大臣を演じた。

俳優としてキャリアを確立するとともに、小日向の演じる役柄の社会的立場が上がり、中間管理職から最高権力者へと変化しているのがわかる。

リアリティのある中年男性を描くことは日本の実写映像では難しい。

特に社長や総理大臣といった権力の頂点にいる男(強い父)を描こうとすると、とたんに記号的な存在となってしまう。

映画やテレビドラマといった実写映像における偉いオジサンを演じる俳優を見ていて思うのは年齢が上がるほど、記号的な偉い人になっていくことである。津川雅彦や中尾彬が総理大臣や社長を演じた時に感じるある種のベタさは日本映画的なお約束としては楽しめるが、どこか他人事に見えてしまう。

映画『シン・ゴジラ』はそういった邦画のお約束から抜け出そうとして大杉漣や平泉成を起用していたが、個人的には、それでもカッコ良すぎるのではないかと思った。

そんな中、小日向の持つ貫禄のなさゆえの説得力は目を見張るものがあり、だからこそ、今、実写映像において小日向は無くてはならない存在なのだろう。

小日向文世を見ているとぬらりひょんを思い出す。

ぬらりひょんは、忙しい夕方に、人の家に入り込み、気付いたら夕食を食べていて、気づいたら住みついて暮らしているおじさんの姿をした妖怪なのだが、小日向が見せる親近感と不気味さは、ぬらりひょんのそれである。

つかみどころのない不気味な存在を「鵺のような」と例えることがあるが、小日向の場合はここに愛嬌も加わるため、やはりぬらりひょんの方がふさわしい。

おそらく今の時代の父親とは、威厳をもって堂々と君臨するのではなく、一見、情けなく無能に見えて、親しみやすさを装いながら、じわじわと懐に入り込んで、あらゆるものを奪っていくぬらりひょん的な存在なのだと、小日向の演じる秀吉を見ていると改めて思う。

『HERO』から16年が経ち、中間管理職的な小悪党から総理大臣的な大悪党を演じるまでにのし上がった小日向は、確実に日本のオヤジ像を更新している。

日本のオヤジと言えばKOHINATAと世界中に知れ渡る日も、そう遠くないのではないかと思う。

ライター、ドラマ評論家

1976年生まれ、ライター、ドラマ評論家。テレビドラマ評論を中心に、漫画、アニメ、映画、アイドルなどについて幅広く執筆。単著に「TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!」(宝島社新書)、「キャラクタードラマの誕生 テレビドラマを更新する6人の脚本家」(河出書房新社)がある。サイゾーウーマン、リアルサウンド、LoGIRLなどのWEBサイトでドラマ評を連載中。

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