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五郎丸歩に受け継がれた「名キッカーの系譜」と五郎丸歩から受けた「大いなる刺激」

二宮寿朗スポーツライター
2003年のラグビーW杯豪州大会で正確なキックを武器に40得点をマークした栗原徹(写真:アフロスポーツ)

五郎丸歩のキックで始まり、五郎丸歩のキックで締めた。

ラグビーワールドカップ2015イングランド大会で旋風を巻き起こしたエディージャパン。グループリーグ初戦の南アフリカ戦、先制のPGが快進撃を予感させ、最終戦の米国戦、最後のPGが「日本強し」を観ている者に印象づけた。

3勝1敗、「史上最強の敗者」。全4試合で日本が挙げた98得点のうち、58点が五郎丸によるものだった。そのうち53点はキック。彼の正確なキックが快進撃に一役買ったことは言うまでもない。

名キッカー五郎丸の前に、日本には名キッカーがいた。

五郎丸はW杯日本人最多得点記録をサモア戦で塗り替えている。これまで記録を保持していたのが、2003年のオーストラリア大会で40得点を挙げた栗原徹である。1999年度の大学選手権で慶応義塾大の14年ぶり大学日本一に貢献し、サントリー・サンゴリアスや代表で活躍。その後NTTコミュニーションズ・シャイニングアークスに移籍し、2013年シーズンを終えて引退した。

02年、W杯アジア予選の中華台北戦では6トライ、15ゴールの60得点を挙げて1試合最多得点の世界記録を更新。そして翌年のW杯ではプレースキック14本中13本を決めている。9割を超える成功率だった。

印象深いのが2戦目の対フランス。先制のPGから始まり、後半早々にこの日4本目のPGをしっかりと決めて1点差まで迫った。その後、相手にトライを続けて奪われて29-51で敗北を喫するものの、日本の健闘ぶりを称える声も多かった。結局、1勝もできず「世界の壁」にはね返されたとはいえ、4戦目の米国戦でも栗原のキックは輝きを失わなかった

キックが世界攻略のカギを握る――。

あのとき彼はそう確信を持った。

エディージャパンの快挙。

「今まで日本が越えられなかった壁を、彼らが越えてくれた。代表OBの一人として偉大な彼らを誇りに思うし、本当に嬉しく思います」

引退してNTTコムのスキルコーチを務める37歳の栗原は、自分のことのように喜んでいた。

五郎丸のキックが流れをつくった。そう話を向けると、大きく頷いた後で言った。

「アップセットを起こすならディフェンスもそうですけど、やはりキックが大切になる。日本は昔も今も、長いレンジでトライできるようなチームじゃない。いかに前に出ていくか、そして前に出たときに、しっかり得点をして終われるか」

世界のパワーに、機動力、持続力、組織力、スピード、技術で対抗した「ジャパンウェイ」。ディフェンスとキックで流れを引き込み、また、その引き込んだ流れを切らすことなく得点につなげる意味でも五郎丸のキックが重要な役割を果たした。

栗原とキック。

元々サッカーをやってきたとあって自信はあったが、キックのスキルそのものを教わったことはほぼなかったという。

「代表でもみんなそれぞれにやり方があるから、教え合うということもなかったですね。人は人、自分は自分という感じでしたから」

我流でキックの第一人者となった栗原だが、オーストラリア大会から4年後の2007年春に大きな出会いがあった。

栗原も影響を受けた世界的名キッカーであるイングランド代表ジョニー・ウィルキンソンのプライベートコーチを務めたデイブ・オルレット氏が、サントリーの臨時コーチとして2週間、キックを教えるために来日したのだ。当時、キックのみ専門的に指導を受けることはまだ一般的ではなかった。アイデアマンの清宮克幸監督(当時)らしい発想だった。

栗原が述懐する。

「フィットネスやチーム練習をやってから最後にキックをやるんじゃなくて、最初から最後までキックのみでしたからね。言われたのは『ベーシックを守れ』。実際に蹴ってもらうと、年配の方なんでそこまで飛距離は出ないけど、ボールの質が違った。これはうまいなって思いました。オルレットさんに出会ってしつこくベーシックをやっていったら、目の前のモヤが消えていくような感覚があったんです」

1 上半身

2 軸足

3 体重移動

4 ヘッドダウン

など。

たとえば「上半身」ならインパクトの瞬間、蹴る足と逆の肩をどこまで閉じるか、「軸足」ならぶれることなく蹴ったところからスキップするように前に出せているか、「体重移動」ならきとんと前のほうに乗せられているか。

キックの感触が良くないときでも、立ち戻るべき基盤ができた。

このときオルレット氏に栗原とともにサントリーで指導を受けたのが、今回エディージャパンでコーチングコーディネーターを務めた沢木敬介である。

「外の立場から五郎丸のキックを見てきて、去年まではまだまだ安定していないのかなって、そんな印象を受けていました。でもそれがしっかりと修正されていた。もちろん元々キックのうまい五郎丸自身の努力や周りの協力もあるなかで、沢木さんはコーチングスタッフの立場から五郎丸に対してとにかくシンプルに、体重移動のことだけを言っていると聞きました」

ウィルキンソンも学んだベーシックの教えを、沢木も大切にしていたようだ。

「これからキックにもっと注目が集まればいいですね」と栗原。

所属のNTTコムではスキルコーチとして技術、戦術面など全般的に見ている。当然キックも含まれている。ただNTTコムのコーチ業をこなす傍らで、彼は「キッキングコーチ」確立の可能性を模索する取り組みも行なっている。

昨年、大学選手権でのキック成功率が良くなかった立命館大に自らアプローチして、月1回、関西に出向いてボランティアでキックのみを教えている。それからというもの成功率は格段にアップし、京都産業大との関西大学リーグ戦(10月3日)では同点で迎えた最後、PGを決めて勝利を収めている。開幕から2試合でキックの成功率は100%だという。

「学生にはキックが決まらなかったら、『遠い東を見なさい』と伝えています。遠い東というのはつまり僕のことで、コーチの指導が悪いから外したと思ってくれていいと。キッカーは『外したらみんなどう思うんだろう』とか『もう次はミスできない』とか失敗を自分で背負い込みがちですから。それに、ミスをしたら、1つのジェスチャーで1を伝えて10わかってくれるような関係性を築いておきたい」

奥深きキックの追求――。

そして彼はこう言葉を続けた。

「今大会のW杯で素晴らしいキックを見せているウェールズ代表のダン・ビガーには、名キッカーだった(ニール・)ジェンキンスがしっかりとアドバイスをしているようです。準決勝、決勝ともなるとキックの成功率はどうしても下がってくる。拮抗した戦いのなかで難しい場所からでもどんどん狙っていくからです。効果的なところで決められるか、決められないか。W杯でさらに上に行くとなると、そこが勝負の分かれ目になってくると思います」

快挙を「日常」としていくために。

五郎丸の活躍は指導者として大いに刺激になるとともに、キックに注目が集まる追い風ともなる。キッカーの熟成と育成に、栗原徹は本腰を入れていく。

スポーツライター

1972年、愛媛県出身。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。格闘技、ボクシング、ラグビー、サッカーなどを担当し、2006年に退社。文藝春秋社「Sports Graphic Number」編集部を経て独立。著書に「岡田武史というリーダー」(ベスト新書)「闘争人~松田直樹物語」「松田直樹を忘れない」(ともに三栄書房)「サッカー日本代表勝つ準備」(共著、実業之日本社)「中村俊輔サッカー覚書」(共著、文藝春秋)「鉄人の思考法」(集英社)「ベイスターズ再建録」(双葉社)がある。近著に「我がマリノスに優るあらめや 横浜F・マリノス30年の物語」。スポーツメディア「SPOAL」(スポール)編集長。

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