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V10達成。山中慎介が贈った「最高のプレゼント」。

二宮寿朗スポーツライター
試合直後と違って翌日の会見では笑顔。報道陣の求めに応じ「V10」をアピール

貴方は最愛の人の誕生日に、どんなプレゼントをしますか?

3月4日、島津アリーナ京都。

WBC世界バンタム級王者・山中慎介はダウンの応酬の末にリボリオ・ソリスを3-0判定で下した後、リング上のインタビューで「今日は奥さまの誕生日です。奥さまにメッセージをお願いします」と振られると、まずは苦笑い。リングサイドで見守る妻・沙也乃さんの姿を確認してからマイクを握った。

「沙也乃おめでとう。沙也乃の誕生日が一番のプレッシャーでした」

区切りとなる10度目の防衛を果たしてリングの中心で愛を叫ぶかと思いきや、まさかのカウンターパンチ。照れか、はたまた、笑いを取ろうとする関西人の気質なのか。ついさっきまで熱闘に興奮する声に包まれた会場に、ドッと笑い声が起こった。

試合直後の会見。ひとしきり試合を振り返った後に、「誕生日が一番のプレッシャー」発言について聞いてみた。

「いやいや、冗談ですよ。そこにはきょう触れんでおこうと思ったんですけど、田中さん(アナウンサー)が突っ込んできたんで。でも良くも悪くも、いい思い出に残るかなと思います」

そう言って山中は表情を崩して頭をかいた。

良くも悪くもいい思い出。

この言葉を聞いたときにふと思った。本当はもっとカッコ良く勝って、カッコ良く愛情表現を伝えたかったのではないか、と――。

相手のソリスは元WBA世界スーパーフライ級王者の肩書を持ち、河野公平、亀田大毅に判定で勝利した「日本人キラー」。王座統一戦となった亀田戦では減量に失敗してWBA王座をはく奪され、コーラをガブ飲みするという大失態を演じたことでも知られる。

決して簡単な相手ではないとしても、今が旬の絶対王者と1階級上げてきてここ2年間は世界戦から遠ざかっているソリスでは大きな差があると感じていた。

2ラウンド、山中は相手のバランスを崩す右フックで早々にダウン奪うなど好スタートを切った。

山中のボクシングと言えば、フットワークを駆使しながらワンツーを中心に相手を徐々に弱らせておき、終盤に「ゴッドレフト」で仕留めていく戦い方。しかしいつもと「入り」が違ったことが少々計算を狂わせたのかもしれない。

「ちょっと油断してしまったところは正直あります」

続く3ラウンド。

相手を弱らせる作業を省略し、彼は倒しに掛かる。

すると、不用意に右を出したところに強烈な右ストレートを合わせられてダウンを喫する。すぐさま立ち上がり、低いガードのまま巻き返そうとする王者。空を切る左ストレートの打ち終わりに、またも右を合わせられてまさかの2度目のダウンとなった。相手もダウンを取られた以上、次のラウンドで挽回するしかない。それだけに最大限の注意を払っておかなければならなかった。

モロにパンチを食らいながらも、何とか乗り切った。一気にソリスのペースに流れていくかとも思われたが、逆にこれで「目が覚めた」。

中盤以降はあまり前のめりにならず、左ボディーストレートを浴びせて自分のペースを取り戻していく。9ラウンドにはダウンを奪い、最終的にはジャッジ3者ともに10ポイント差をつけて防衛を果たした。

頑丈なフィジカルを活かして絶えず距離を消して襲い掛かってくるソリスの健闘は称えるべきだが、1回に2度のダウンという絶体絶命の危機を乗り切った王者の「修正力」はさすがだった。ポイントを失ったのはあの3ラウンドだけ。ダウン以降、フットワークを駆使しながらワンツーという「自分のスタイル」であくまでKOにこだわった。焦ることなく、受け身になることなく。それこそが逆にソリスの追撃を許さなかった要因だと思えた。

試合直後では「悔しい」を連発した。大差で勝ったとはいえ、納得していなかった。曇った表情を崩したのは、結局一度切りだった。

試合まで1カ月に迫っていた折、ジムワークに入る前にちょっとだけ話す機会があった。

彼は「高校時代を過ごした京都で試合をやれること、あとは沙也乃の誕生日が一番のモチベーションなんです」と言った。

そしてすぐに言葉を付け足した。

「結婚してからはずっと4月に防衛戦をやっていたんで、3月と言えば試合の準備に入っていく段階じゃないですか。だからあまり何もしてあげられていなかったんです。今回、誕生日に試合をやれるのは本当にうれしいですね。圧倒的に勝って、妻にとっていいプレゼントになればと思います」

普段、山中は妻にボクシングの話をしないという。妻もまたボクシングの話を聞かないという。

半年前のことだった。

V9戦の相手にWBA王座に長く君臨したアンセルモ・モレノが決定した後のある日、2人が一緒にいたところに会った。沙也乃さんは一瞬、夫が場を離れたときに真顔で筆者に「ソリスっていう相手、そんなに強いんですか?」と聞いてきたことがある。

「強くて巧い相手だと思います。でもチャンピオンも相当、自信があるようですよ」

確か、そんな言葉を返したように思う。そして夫が戻ってくると、その話を続けることなく心配顔を隠した。

山中が宿舎に到着したのは、日付が代わる15分前だった。

2人の子供たちと一緒に京都入りした妻と、ようやくゆっくり話をする時間を持つことができた。

「誕生日、おめでとう」

そう言うと、妻はこう返したそうだ。

「無事に帰ってきてくれただけで十分だから」

夫にしてみれば最高のプレゼントではなかったのかもしれない。

しかしながら妻にとっては最高の誕生日プレゼントだった。

スポーツライター

1972年、愛媛県出身。日本大学卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。格闘技、ボクシング、ラグビー、サッカーなどを担当し、2006年に退社。文藝春秋社「Sports Graphic Number」編集部を経て独立。著書に「岡田武史というリーダー」(ベスト新書)「闘争人~松田直樹物語」「松田直樹を忘れない」(ともに三栄書房)「サッカー日本代表勝つ準備」(共著、実業之日本社)「中村俊輔サッカー覚書」(共著、文藝春秋)「鉄人の思考法」(集英社)「ベイスターズ再建録」(双葉社)がある。近著に「我がマリノスに優るあらめや 横浜F・マリノス30年の物語」。スポーツメディア「SPOAL」(スポール)編集長。

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